第89話黒幕の正体は
ラミアを送り届けた翌日、準備を整えた俺は教会本部へと忍び込んでいた。
手にはラミアから受け取ったロザリオを握っている。
これがあれば黒幕の正体を暴く事も可能だ。
「しかし夜だっつーのにそこかしこで人の気配がしますな。昼よりはマシですがよ」
「熱心な信徒の中には仕事を終えて祈りに来る者もいるからな。教会を空けるわけにはいかないのだ……しかしロイド様、いきなり教会に乗り込むなど、やはり黒幕の人物に心当たりがおありなのですか?」
「それはこれからわかる事さ」
ジリエルにそう返しながら、暗闇の中を駆ける。
魔力遮断により誰にも気づかれることはなく、俺はあっさりと目的地へと辿り着いた。
そこは教会本部、最奥にある本堂。
その一角にある居住区だった。
扉を開けて中に足を踏み入れると、薄暗い光の中に一人の老人――教皇が座っていた。
「おやおや、これは珍しいお客さんですね」
柔らかな笑みを浮かべながら俺を迎える教皇。
月明かりに照らされたその横顔が、ゆっくりと正面を向いた。
「こんばんは。教皇さん」
「あなたは……えぇと、確か演奏会で前座をしていた少年ですね。ロイド君、でしたか。いったいこんな夜更けに何の用でしょう? 明日ではだめなのですか?」
「悪いけど急ぎの用事だったから。……最近巷を騒がしている魔物による失踪事件を知っている?」
俺の言葉にぴくん、と教皇の肩が揺れる。
しかしすぐに目を細め、悲しげな表情を浮かべた。
「さぁ……よくは存じませんが、大変な事が起きている様ですね」
「先日、イーシャが攫われた。後を追って辿りついた先は下水道。そこでは魔物や人間の合成研究を行っていたんだ」
「……なんと、神をも恐れぬ所行。恐ろしい話です」
「そこで、これを見つけた」
俺は懐に忍ばせていたロザリオを取り出す。
銀色の鎖が月明かりに反射し、きらりと光る。
「教会の人間がつけているものだよね。しかも製作番号が振られているから、これを調べれば誰の物かわかる」
「……そう、かもしれませんな」
「イーシャが攫われたのは演奏会のすぐ後。教会の神父に取り憑いた魔物を倒した人物だと黒幕に思われたんだろうね。併せて考えればやはりあの日、教会にいた人物が全ての犯人だ。そしてその人物は誰なのか、あなたならわかるんじゃない?」
「……さぁ、誰なのでしょうかねぇ?」
教皇はまるで仮面を張り付けたような微笑を浮かべている。
しばし、静寂が流れる。
「ええい! まだるっこしい!」
そんな中、突如声を上げたのはジリエルだった。
声と共に俺の左手が眩く光り、そこから二対の翼が伸びる。
翼に引っ張られるようにして光が、天使の形を持って顕現した。
すなわち、本来のジリエルの姿である。
「我が名は天の御使い、ジリエル! 教皇――いやギタン! 貴様の悪行はもはや露見しているのだ! これ以上の言い逃れは不可能と知るがいいっ!」
怒り心頭といった顔で教皇をギタンと呼び、睨みつけるジリエル。
「この光……あなた様はまさか、あのジリアン様なのですか……?」
「うむ、久しぶりだなギタンよ」
二人は互いに視線を交わしている。
「どうやらこの二人、知り合いのようですぜ」
「多分神聖魔術を授けた間柄なのだろう」
長い間修行を積み、天使に認められて神聖魔術を授かる。
教皇であるギタンは当然それの機会を得ているはずだ。
というかジリエルを知る機会なんて、それくらいしかないだろうからな。
「ははぁっ! ……しかし何故ジリエル様がこのような場所に……?」
「貴様の悪行を断罪しに来たのだよ。件の事件、黒幕はギタン、貴様であろうが! 白状するがいい!」
ジリエルの言葉にギタンはしばし考え、観念したように頭を下げる。
「……えぇ、そうですね。あなた様の前では嘘偽りは申せません。白状いたします。全ては私の行ったこと。よくぞ見破りました」
ギタンの言葉に俺は目を丸くする。
なんてこった。マジでこいつが黒幕だったのか。
俺はただ教会のトップである教皇なら、ロザリオから犯人を特定できるかなぁと思っただけなんだけどな。いきなり犯人に当たるとはびっくりだ。
「流石ですぜロイド様、あれだけの判断材料でこいつを黒幕と断定するとは。自分も教会の人間だろうとは思ってやしたが、特定までは至りやせんでしたぜ。一体どういう理屈なんです?」
「あ、あー……まぁ、秘密だ」
まさか素直に聞きに来ただけで、相手が勝手に白状しただけとは言えずに言葉を濁す。
「ふん、我が主であるロイド様の目を欺けるはずがなかろう。何を思ってこのような行為に及んだかは知らんが、人の法で裁かれ悔い改めるがいい」
「ロイド様、さっさと捕まえちまいやしょうぜ」
「ん、そうだね」
ま、犯人もわかった事だし、あとはアルベルト辺りに引き渡せばいいか。
そう思い、ギタンに歩み寄る。
「……ロイド君、だったかな」
不意にギタンが口を開いた。
「神に仕える私が人を攫い、魔物を捕え、新たな生命を生み出すような行為をしていた事をどう思うかね?」
「さぁ……」
むしろ好奇心以外に何か特別な理由でもあるのだろうか。
首を傾げる俺に、ギタンは自嘲の笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「それは神の力に疑問を抱いていたからですよ。私は貧しい農村の生まれでね。来る日も来る日も懸命に働いて暮らしていた。そんなある日、盗賊が村を襲い収穫した作物を全て奪い去っていった。抗う者は殺されましたよ。私の両親も、幼い妹たちもね。力なき者は奪われ、殺される。そう悟った私は神聖魔術を求めて教会へと入った。以前見せてもらった神聖魔術にて、悪者を浄化し改心させていたのをこの目で見たからです。この力を使えばいかなる悪人であろうと傷をつけずに倒せる、そう思ってね。教会に入った私は懸命に励み、神聖魔術を覚えた。神父にもなり、家族も得た。幸せでしたよ……その時までは、ね。くくっ」
ギタンは肩を震わせ、笑った。
「忘れもしない五年前、私の家に盗賊が押し入ってきました。食べ物にも困っているような身なりで、頬は痩けて肋は透けて見える様な哀れな盗賊でしたよ。私はついに神聖魔術を使う時が来たと思いました。救われぬ者を救い、我が身を守る……その為に私はこうして神聖魔術を覚えたのですから。しかし、浄化の光は彼に届きませんでした。あとでわかった事ですが、浄化の光にて改めさせる事ができるのは悪しき心のみ。悪しき感情とは妬み、怒り、侮蔑……そんな相手を軽んじる行為です。食い詰めていた彼にそんな感情は微塵もなかった。腹が減り、目の前にそれがあり、当然のように奪おうとした。賢明な生きようとする気持ちが故……だから効果がなかったのですよ」
つまり神聖魔術というのは、相手の負の感情を消し去るというものなのだ。
逆に言えばそう言った感情でなければ効果は見込めない、というわけか。
「浄化の光は経典により定められた悪しき感情のみを癒すものですからね」
「追い詰められたり、それを悪とも思ってないような人間には効果がねぇって事か」
経典に定められた『悪』のみに動作する魔術。
感情に作用する魔術はそれなりに存在するが、かなり重い制約を強いられる。
そうでなければ、相手を意のままに操る、なんてとんでもない事が出来てしまうからな。
「盗賊は私が攻撃したと思ったのか、激昂して妻子を刃物で刺して逃亡しました。神聖魔術にて懸命に治癒を試みましたが、妻子は目を覚ますことはありませんでした。刃は肋骨の隙間を抜け、心臓を一突きしており、即死でした。私は嘆いた。おお! 神よ! 貴方の御力はなんと無力なのかと! 私は神を恨み、そして恐れた。これだけの信心を、修行をした私ですら、妻子のように加護の一つも与えられず死してしまうのではないか、と」
「そこで魔物の力に注目したってわけか」
「如何にも。以前より魔物の異常ともいえる生命力には興味を持っていましてね。これを機に魔物と人間を合わせ、新たな存在を生み出す研究に着手したというわけです。長い年月と大量の金、そして尊い犠牲により、ようやくそれは完成した……!」
ギタンの手が懐に伸びる。
瞬間、枯れ木のような身体から凄まじいまでの熱気が噴き出した。
「な、なんだこれは……ギタン! 一体何をするつもりだ!?」
「とはいえ教皇の座は惜しいのでね、あなたを力尽くで排除させていただきます」
もうもうと煙が立ち込める。
煙に包まれたギタンの姿が、どんどん大きくなっていく。
そして煙が晴れる――
――それは様々な魔物が合わさったような姿だった。
ベースは人型でありながら、四本の腕には獣のような鋭い爪と強靭な肉体、丈夫な毛皮、虫のような複眼に甲殻、鳥の翼に嘴……他にも様々な魔物の特徴を持っている。
「これぞあらゆる魔物の長所を併せ持つ究極の存在、そうですね、神魔生物とでも呼んでいただきましょうか。くくっ、くくくく……っ!」
くぐもるように嗤うギタンに、ジリエルが息を呑む。
「……なんたる異形……ギタン貴様、人を辞めたか……!」
「人の器なぞ下らんものですよ。それではジリエル様、長い間お世話になりました。私はこれより人の道を外れます」
ギタンはそう言って、跳躍すべく両足に力を込める。
ぐぐぐ、と三倍ほどに膨らんだ太腿を、解き放つ――
「ッ!? こ、これは……!?」
――が、跳躍は叶わない。
俺が結界を展開し、ギタンを閉じ込めたからだ。
「悪いけど、動きを封じさせてもらうよ」
何せその身体、凄まじい魔術の集合体だ。
魔物の特徴を合成させる為、見た事ない術式を幾つも繋ぎ、紡ぎ、組み合わせている。
どんな構造になっているのか、じっくりと見てみたいからな。
「小僧、あくまで邪魔立てをしますか……!」
憎々しげにギタンが俺を見下ろした。
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