第72話謎の視線を感じました

 さてさて、邪魔者を追い払った事だし存分に神聖魔術を体感できるな。

 聖餐式が始まり、神父が祈りの言葉を紡いでいく。

 他の者たちも目を閉じてそれに続く。

 俺も一応目を閉じ、祈るポーズをしておく。

 眠りそうになるような時間が終わり、次はパンとぶどう酒がテーブルに運ばれてきた。

 皆がそれを食していると、ピアノと共にイーシャとサリアが入ってくる。


「あ、イーシャさんだ」

「サリア姉さんもいるな。どうやら演奏会が始まるらしい」


 二人の登場に、さっきまで食事を楽しんでいた人たちも沸き立ち始める。


「いよっ! 待ってました!」

「私たちゃイーシャちゃんとサリアちゃんの演奏を聞く為に来てるようなものだからねぇ」

「今日もすげー演奏聴かせてくれよな!」


 声援が飛び交う中、イーシャは礼儀正しく頭を下げた。

 サリアはちらっと一瞥しただけで、すぐにピアノに向かう。

 一瞬だったが、二人が俺に視線を送ったように見えた。


「それでは皆さま、本日は恒例の演奏会となります。ご清聴のほど、よろしくお願いいたします」


 挨拶が終わり、イーシャがこほんと咳払いをした時にはすでに音一つ立てている者はいなかった。

 ――♪

 静まり返った礼拝堂に、美しいピアノ音が流れる。

 流れ始める。それすらすぐに気づかない程、美しい入りだった。

 ――♪

 続いて歌声も。

 サリアの曲も凄いが、イーシャの歌もそれに引けを取らない。

 二人の歌と曲が見事に溶け合い、素晴らしい調和を奏でている。

 ――♪

 歌なんて興味ない俺ですら震えるような演奏、食事をしているものなど誰一人としていない。

 ――♪

 レンの頬から一粒の涙が溢れる。

 演奏に感極まり涙を流している者は他にも沢山いた。


「なんだこりゃ……ぱねぇ……半端なさすぎるぜ……くっ」


 グリモも感動のあまりか鼻声になっている。

 うん、確かにすごい演奏だ。

 神が宿る演奏と言われても不思議ではないな。


「む……」


 ふと、人々の身体を淡い光が包んでいるのに気づく。

 どうやら傷が癒えているようだ。

 治癒系統魔術……いや、微妙に違うな。これが神聖魔術か。

 そういえば集まって来た人は妙に怪我人が多かったような気がするな。

 なるほどこれ目当てだったのか。


 魔力集中にて目を凝らしてみると、サリアを中心とした半径十数メートルに治癒の効果を持つ魔力が降り注いでいるのが見える。

 この光、よく見れば実体化した粒子だ。

 意識を集中させるとわかるが、これは一定時間で消える雪のようなもので、身体に張り付いている間だけ治癒の効果があるようである。

 ただこの術式……どうも普通に使われているものじゃないぞ。

 魔力を通して見る術式は俺の見たことない魔術言語で書かれている。

 これでは昔の俺が気づかなかったのも無理はない。

 見た事のない魔術言語で書かれた術式なんて、例えるなら絨毯に描かれた模様と同じだからな。


 神聖魔術は遥か昔、神が戯れに人に力を与えた事から始まったと言われている。

 という事はこちらとは違う世界の言語で書かれているのかもしれない。


「……ん、なんだこの視線……?」


 どこからか、何者かから見られているような感覚。

 演奏が始まる前はなかったぞ。

 そしてこの場にいる人間のものではない。

 魔力集中を使わなければわからなかったな。

 範囲を広げてみるがまだわからない。

 一体どこだ……? 視線にわずかに混じる魔力から、その出所を辿っていく。


 ――すると見つけた。

 ふむ、かなり高い魔力の持ち主だな。しかしどこだ? 場所がわからん。

 だが視線に交じる僅かな魔力を道標にすれば、それを辿って空間転移することもできそうだ。

 まだコントロールは難しい空間転移だが、目印があればそこへ飛ぶ事は可能。


「悪いレン、ちょっと行ってくる」

「へ? ろ、ロイド?」


 俺はレンに言い残し、空間転移の術式を起動させる。

 一瞬にして視界が黒く染まり、浮遊感に包まれた。

 空間転移は何度か試したことがあるが、この感覚はまだ慣れないんだよな。

 ……妙に長いな。よほど遠いところなのだろうか。そしていつもと違う妙な感覚がする。

 高い段差を飛び越えるような……しばらくして浮遊感が解除され着地する。

 どうやら目当ての場所に到着したようだ。

 目を開けると、そこには一面真っ白な世界が広がっていた。


「……どこだここ」


 着いてはみたものの、やはりわからん。


「なんだか気分の悪りぃ場所ですな。自分とは相容れない空気がしやすぜ」


 グリモが不機嫌そうに呟く。

 地面はふわふわの雲で覆われており、他に遮るものは何一つなくただ青い空が広がっている。

 さしずめ雲の上とでも言ったところだろうか。

 すごく興味をそそられるが、それよりもまず視線の主を探さないと。

 辺りを見渡していると、貫頭衣の青年を見つけた。


「んー♪ んふふー♪ んふー♪ ……ぬふふふふ、やはりイーシャたんの歌声こそ至高。サリアたんとの曲と合わさり、まさしく神曲といったところだな……」


 青年は不気味笑みを浮かべながら、足元の池をじっと見ている。

 腰まで伸びた金色の髪、青い瞳、白い肌、その全てがこの世のものとは思えないほどの透明感を持っている。

 特筆すべきは背中の翼、頭上に浮かぶ光の環、まさに天使とでもいった様相だ。


「あのー……」

「なんだい? 私は今、見ての通り忙しいのだが……」


 俺が声をかけると、青年は文句を言いながら顔を上げた。

 そしてぱちくりと瞬きをすると、上から下まで舐めるように俺を見た。


「なななななっ!? キミはまさか人間ではっ!? な、なんで天界に人間がっ!?」


 そして慌てふためきながら飛び退く。


「天界? 天界というと教会で伝えられているところの神とその御使いである天使たちの住まう世界だよね?」

「……おほん、いかにも! ここは天界。そして私は天使ジリエル。天界64神の忠実な使徒にて天の御使いである」


 おおっ、本当に天使なのか。

 本当にいるものなんだな。

 魔人がいるんだから別に不思議ではないか。


「人の子よ、ここは只の人間が入れる場所ではない。いかような手段を用いてこの神域を訪れた?」

「ジリエルの視線に混じった僅かな魔力を辿って空間転移したんだよ」

「空間転移だと!? そういった力を使う人間がいるのは知っているが、ここは人間界とは異なる次元に存在する天界だぞ!? 余程並外れた魔力でもない限り、次元の壁は越えられないはず……信じられない……!」


 ブツブツ独り言を言い始めるジリエル。


「そういえば空間転移した際の感覚が少し通常とは違ったな。あれが次元の壁だったのか」

「次元の壁は通常の肉体を持つ人間には本来越えられないんでさ。実態を持たない天使、魔人、霊体なんかならともかく、そうでないと肉体が崩壊しちまいますからね。まぁロイド様くらいの魔力密度がありゃあ耐えても不思議じゃないですがね」

「て、手のひらに口だとっ!? ……それは魔人だな? キミは一体何者だ?」

「そういえば自己紹介をしてなかったっけ。俺はロイド=ディ=サルーム、サルーム王国第七王子で魔術師だ。ジリエル、天使である君に頼みがあってここにきた。俺に神聖魔術を教えて欲しい」


 まぁここへ来たのは完全に偶然なんだけど。

 ただ先程のジリエルの独り言やイーシャの言葉から推測するに、神聖魔術は天使が授けてくれるというのは例え話でも何でもなく言葉通りのようだ。

 すなわちジリエルに認められれば、俺も神聖魔術が使えるようになるに違いない。

 そうなれば面倒な教会の仕事をする必要はなくなる。


「……なるほど、神聖魔術を覚える為にわざわざ天界に来たとな。確かに私は神聖魔術を人に授けることが出来る。だがそれは私が認めた者だけだ、いきなり天界に乗り込んでくるような、しかも魔人を宿した人間に神聖魔術を授けられるわけがあるまい! 今なら命は見逃してやる。即刻人間界へ帰るがいい!」


 どうやらそう簡単にはいかないらしい。

 とはいえ簡単に引き下がれないのはこちらも同じだ。


「どうしたら認めてくれる?」

「呆れるほど諦めの悪い少年だなキミは! まぁいい、ならば天界の掟に従い、力づくで排除するのみ!」


 ジリエルに眩い光が集まっていく。

 次の瞬間、ジリエルは光の剣と盾、そして鎧を纏っていた。


「おおっ! それが神聖魔術!?」

「その通り、神聖魔術『光武』。魔を貫き闇を弾く神々の装具だ。人間相手とて容赦せぬ」


 あの感じ、召喚術式というわけではないな。

 魔力を具現化し、武具としているようだ。

 先刻の治癒魔術といい、神聖魔術は魔力を実体化させるものが多いようだ。

 上手く応用すれば色々な事ができそうである。


「じゃあ俺が勝ったら神聖魔術の使い方、教えてもらうよ」

「恐れるどころか嬉々とした顔を浮かべるとは……よもや悪魔の子か? くっ、神よ、私に加護を……!」


 ジリエルは祈りの言葉と共に、俺に斬りかかってきた。

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