突然なる本間トオルの来襲

「じゃ、父さん行ってきます」

「二人とも行ってらっしゃい」


 宰子ちゃんたち小学生組は土曜日の通学へと向かった。

 二人はまだ幼いのに、今から通勤ラッシュの洗礼を受けるとは。

 今度ウミンに会ったらそこん所も言い含めてもう一度叱らなくては。


 昨晩ホラー映画をみんなで鑑賞してて、夜遅くまで起きてたから眠い。


「本城さんと鳴門くんの二人もそろそろ起きろ、今日こそは念書やってもらうぞ」


「……お早う御座います師匠」

「酷く声が枯れてるな、冬だし加湿器を設置した方がいいか」

「そう思いますよ」


 床に布団を敷いて寝ていた鳴門くんは俺の呼びかけに応じ、素直に起きてくれるが。本城さんは別室の扉を完全に閉めて、天岩戸状態。今入って行ったら訴えられそうな雰囲気がして怖い。


「おい本城、いい加減起きろ」


 しかし、鳴門くんは性差意識が全くないようで、扉を開けて彼女を起こしに向かう。二人がよく喧嘩するのはこういう所が原因だと思うんだよな。齟齬を招いているというか、性格が凸凹でこぼこしているというか。


 また二人の喧嘩に巻き込まれないように、外へと逃げるか。

 ふとその時、父親想いの娘のために何が出来そうか閃いた気がした。


 きっと喜んでくれると、いいんだけど。


 ◇


 久しぶりに街に出て、そして――道に迷った。


 宰子ちゃんを喜ばせるつもりが、これじゃ惨事しか起こさないぞ。やばい。

 しかし俺は盲目的に計画を全うしようと、熱心に前を見据えた。


 次第に川沿いに出て、この川を渡れば何とか行けそうな気がして。

 上流に向かって、夏草の匂いが香る川の土手を進んでいた時。


「……るー、るらりー」

 河川敷に置かれた白いベンチで、見覚えのある人が見るからに黄昏ていた。

「……るー」

 やばいやばい、トオルさんだ。


 トオルさんの雰囲気は『ちっくしょー、どこかに金転がってないかなー。まさかこの僕がここまで落ちぶれるとは、ちっくしょー、どこかにお金儲けの商売(略』と物語っているようで。


 ここは、スルーした方が良識的だと思えた。

 しかし、彼は鬼畜的に人を弄るのが好きであれば。


「三浦先生! いっやー! 偶然ですねぇ――――――ッエ!」

 八年前に輪をかけて喧しいぞこの鬼畜野郎。


「トオルさん、今ちょっと急いでるんですよ」

「おっと、三浦先生はトオルターボがご必要ですか?」

「必要ないです」


「うっわー! 冷たぁ――――――――――ッエ!」

 例えここが自然豊かな河川敷とはいえ、発狂したように叫喚する場所ではない。


 周囲の目も気になるし、ここはトオルさんに事情を説明しよう。

 むしろその方が潤滑に物事も運ぶだろう。


「どちらに向かわれるんですか、そんな重症な身体に鞭打って」

「宰子ちゃんを迎えに行こうかと思ってるんですよ」

「宰子をですか?」


 簡素に説明するとトオルさんは、ふーんなるほどね、と意味深な口調で呟く。


「と言うことは、先生にはやはりトオルターボが必要でしょう!」

「必要じゃないって言ってるでしょッ」

 止せ、止めろお前っっ!


 トオルさんは全力全壊で俺の車椅子を押し、宰子ちゃんたちが通う小学校まで案内しくれた。校門に着いた所で俺は本間トオルとかいう似非紳士の皮を被った真正鬼畜野郎と、ちょっとした余談を交わしていた。


 どうしてトオルさんは編集を辞めてしまわれたのか。


「どうしてって……三浦先生の事件が、僕の手に余ったからです」

 八年前の事故の当時を思い出してほしい。


 俺やウミンは、トオルさんに引っ張られる形でバレンタインデー企画の撮影に臨んでいたはずだ。俺が事故にあったのはその映像が世にでるタイミングだったこともあり、世間を騒がせたらしい。


「いつかは三浦先生が起きて、何か書いてくれれば僕も熱意を以て仕事を続けられると思いました。何でもいいです、先生が書くものであれば僕は担当編集として絶対に面白く、そして売れる物にしてみせるつもりでした……けど、編集って言うのはあんがい、寿命が短いんです。先生を待ち呆けて、気が抜けた仕事ばかりしてたらある日編集長に呼び出されて、首にされました」


 ただのそれだけのことです。


「……俺は、周囲に大変な迷惑を掛けてしまったみたいですね」

「否定しませんよ。僕は三浦先生も知っての通り、鬼畜ですからね」


 それ以降の僕の話は聞かないでください。

 と言うトオルさんの声音は想像を絶するほど、侘しいものだった。


「あれー、三浦くんにトオルくんじゃん」

 終業のチャイムが鳴ると、若子ちゃんが俺たちを見つけてくれた。


「二人ともお帰り」

「もしかして迎えに来てくれたの?」

 宰子ちゃんのこの台詞は俺の想定通りだった。


「そうだよ、宰子ちゃんは昨日あんなことがあったし、心配になって」

「ありがとう父さん……それと、私のことは宰子でいいよ」


「宰子、もしかして恥ずかしがってるぅ? トオル叔父さんにその顔よく見せて御覧なさいよ~」

 先ほどの一件を踏まえると、俺はこの先トオルさんに頭が上がらないだろう。


 と思っていた時期が俺にもありました。


「五月蠅いパチンカス」

 トオルさんから弄られた宰子ちゃんは憮然とした態度でこう罵る。


「宰子、そっから先は言っちゃらめらよ?」


「分かった、あのね父さん。この人父さんの印税を横領してパチンコにつぎ込んだらしいよ」


 は?


「父さんが眠っている間に、こいつ父さんの印税を自分に何割か流すように仕組んでて、それがバレて訴訟沙汰になって、母さんから絶縁された大馬鹿野郎なんだ」


 宰子ちゃんから告げられた内容が本当かどうかトオルさんを見やると。

 この鬼畜は明後日の方向に目を向けていたんだ。


「るー、るらりー……現実って儚ぁ――――――――――ッエ!」

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