(13)
「何、さっきからわけわかんないこと言ってるの! いいかげんにして!」
私は叫んで、テーブルを叩いた。テーブルの上のグラスや皿が、がしゃんと音を立てる。
荒唐無稽で意味のわからない話だと感じながら、それでも、相槌や質問で遮るのは最小限にして、一生懸命、父の話を聞いていたが、そろそろ限界だった。
函館大火で大勢の人が死んでしまったから誰かが神様に願って、その結果、「うみのもの」とかいうものと混血するようになったとか、神様は繁栄を求めるけれども贄を求めることもあるとか。函館がイカの町としてアピールしているのも、その神様と関係があるとか。終いには、なんだ。その、呪文めいたわけのわからない言葉は。
父を相手にここまで強い言葉をぶつけるのは、いつ以来だっただろう、とぼんやり考えながら、少し声のトーンを落として、「そもそも私、そんな神様聞いたことないし。何の宗教の神様なわけ?」と訊いた。
「神様は、神様だ。俺は、本当のことしか話してねぇぞ」
「かみさま、ね。――でも、函館には教会とかお寺とか、とにかくいっぱいあるじゃない。あれはじゃあ何なの?」
「入ってきた当時はひとつひとつに意味があったんだろうが、今となってはただハコがあるだけのハリボテだな」
「そんな……」
嘘。私、ハリストス正教会が好きなのに。あれもハコだけだというのか。
そんな、場違いなことが頭をよぎる。
私は頭がくらくらしてきて、テーブルの上に突っ伏した。乗っていた料理の皿やグラスは、いつの間にか片付けられていた。
「お前の母親のことも、アレのことも。俺は全部、本当のことを話したからな」
父の声が聞こえる。
――それで、お父さん。私達のことは結局何だと思っているの? お母さんを化け物だと思っている? 兄さんと、私のことも、化け物だと、思っているの?
問いかけたつもりの言葉は、声になったのかどうか。定かではないまま、私は意識を失った。
気が付いたら私は、暗がりでベッドに横たわっていた。起き上がると、なんのことはない、そこはホテルの7階の部屋だったが、どうやってここまで来たのか、覚えていない。もしかしたら父がここまで――と考え始めたところで激しい吐き気に襲われ、私はトイレに駆け込んで嘔吐した。
吐いてしまってもなお、頭が痛い。ずきずきする。完全に飲みすぎだ。もっとしっかり酔いを覚まさなければなるまい。
私は洗面所で念入りに口をゆすいだ後、部屋を明るくして備え付けのポットで湯を沸かし、湯呑に注いでゆっくりと啜った。そうして3杯ほど白湯を飲んだところで、ようやく人心地ついた。
ふとベッドの脇を見ると、私が今日持って歩いていたトートバッグの横に、棒二森屋の紙袋が置いてあった。その紙袋は、私が部屋を出る前にはなかったものだ。やはり、父が私をここまで送ってくれて、紙袋はその時に置いて行ったのだろう。少し失礼な態度を取ってしまったような気もするし、父には千葉に戻った後にでも、一言、挨拶の電話を入れなければ。そう考えながら紙袋を手に取った。
中身を確かめると、トラピストクッキーの箱と2つ折りの便箋、そして、便箋の間には写真が1枚入っていた。
先に手紙の文面を確かめると、父の几帳面な筆跡で
「菓子は会社に土産として持って行け。
お前達の母親は写真を撮られるのを嫌っていたが、家族4人で撮った写真が
1枚だけ残っていたので、焼き増しした。お前の分だ。持って帰れ。」
と書かれていた。
私は手紙を読み終わるとすぐに、写真を手に取った。
生真面目な顔をして椅子に座る、40歳くらいの父。その膝の上には、緊張に強張った顔をした3歳の兄。あぁ、このふたりはよく似ている。兄さんはもともと父親似だったものな、と懐かしく思い出す。
父の隣に赤子を抱いて座っている、半魚人のような、今の兄にそっくりな顔をした、これがおそらく母なのだろう。服装からかろうじて女性であろうと見当が付く。
このひとが、私のお母さん。
そもそも知らない相手なのだから何の感慨も湧かないはずだった。しかし不思議に、心の中が温かく、懐かしい思いに満たされた。どうしてこんな温かい気持ちになるのか、自分でもわからなかった。
寝不足だったところに慣れない酒を飲みすぎて、すっかり疲れ果てた私は、函館滞在最終日を昼近くまでホテルのベッドで過ごし、食事も摂らないまま午後の新幹線に乗った。
新幹線の中でも途切れ途切れに夢を見た。
写真で、初めて母の姿を確認したからだろうか。母が出てくる夢をたくさん見たような気がする。私を抱く母。夜、兄と私を置いてこっそりと家を出て行く母。そして――海から手招きしてくる母。
不思議と、私を「化け物」と呼んだ父よりずっと優しい印象だけが、夢から覚めた後に残った。
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