フェッセンデンズ・ルーム:転生候補者たちの密室と冒険

南海 遊

【一】とある見習い魔女の旅立ち

 かつて魔女と聴いた歌が、空を飛んでいた。

 春の蒼穹の中で、三羽の雲雀たちが上手に旋回しながら舞い唄を奏でている。波打つ草の葉のさざめきは、その伴奏にうってつけだった。春風の駆け抜ける丘の上で、少女は帽子が飛ばされぬようにと右手で頭を押さえながら、その懐かしい光景を見つめていた。

 ———君に魔法をかけた。これは約束だよ。三年後、必ず私に会いに来なさい。いいね。

 魔女のその言葉から、ちょうど三年が経った。

 十六歳を迎えた少女は、足下の鞄に視線を下ろす。そこには旅の荷物と共に、これまでの三年間で際限なく膨らんだ期待も詰められていた。

 この丘の上からは彼方の水平線が臨める。視線を少し西の方へ向けると、島の突端から水面に平行して伸びる長い橋が見えた。

 ここ、グレンシー島とイルルカ大陸を結ぶ唯一の陸路、海峡横断鉄道である。線路の向かう先の大陸は、ここからはおぼろげな影にしか見えない。その曖昧さが、今は彼女に未知の期待を抱かせた。

 彼女———シビル・カーペンターズにとって、今日の旅立ちは一つの到達点だった。あの女学校での憂鬱な生活の中で、どれほどこの日を待ち焦がれただろう。ふと、見下ろす街の遠景の中に、校舎の姿を探してみる。やがて目についたそれは、まるで油彩の片隅で忘れ去られた小さなシミのように見えた。

 高揚する気分に駆られるように、シビルは旅行鞄を引っ掴んで走り出す。丘を下った先へ、駅の方へ、そしてその線路の先、まだ見ぬ新天地へ。

 住み慣れたセント・ビターポートの街に降り、街路を駆ける。道中、噴水広場の時計塔を流し見すると、列車の時間まではまだ少し余裕があった。シビルは駅に向かう前に、通い慣れた『ベーカリー・マムズ』の角を曲がる。そこの女主人が店先から彼女を見つけて、威勢の良い声をかけた。

「おはよう、シビル! 林檎のパンが焼けたばかりだよ!」

 シビルは思わず足踏みしてしまう。マムズの林檎のパンは絶品だ。特に焼き立てには皇室料理ですら太刀打ちできないだろう。しかしシビルは吹っ切るように首を振った。

「おはよう、ああ、でも、また今度!」

 ここで一口でもあれを食べてしまうと、島を離れにくくなってしまう。あれはそれほどまでに魔力的な食べ物なのだ。後ろ髪を引かれながら足を速め、シビルは街路に面した大きな合歓の木の角を更に曲がった。

 木陰が陽だまりのまだら模様を描く路地を進むと、尖った赤い屋根が見えてくる。その小さな煉瓦造りの家の壁は蔦に覆われ、歴史の比重を感じさせる趣を放っている。玄関の樫の扉を二回ノックし、シビルは返事も待たずに開け放つ。廊下を三歩進み、工房の扉をさらに開ける。

「マイクおじいちゃん、おはよう」

 入るなり呼びかけると、その家の主は書き物をしていた机から顔を上げた。白髪頭の老齢の男性だ。突然の来訪者に、彼は一瞬驚いた顔を浮かべてから、優しげに目を細めた。

「おはよう、シビル。今日はまた随分と早いな」

 老魔法使い、マイクロフト・デ・ラ・パスはそう言って、籐椅子から曲がった腰を上げる。しかし、シビルはそれを仕草で制した。

「座ってて、最後の挨拶にお邪魔しただけだから」

「ああ、今日がその日か」と、老人は椅子に体重を戻し、感慨深そうに頷いた。「ジャムカの元に向かうんだったな」

「ええ、そう。列車の時間まで少し余裕があったから」

「ジャムカから手紙はあったのか?」

 マイクの問いに、シビルは自慢げにジャケットの懐から紙片を取り出した。

「うん、ほら、ちゃんと私宛よ」

 彼女は送り主の名前を指す。そこには流麗な字体で『ジャムカ・レット・ディンケルスビュール』の署名があった。それを見て、彼は呆れたように首を振った。

「まったく、筆不精なあいつからよく返ってきたもんだ。師の儂には一切返事を寄越さないというのに」

「王都ディンカムシンカムの工房を訪ねてきなさいって」

 瞳を輝かせて言うシビルとは対照的に、老人は過去を思い出す遠い目を浮かべた。

「ジャムカに会ったら、たまには師匠に顔を見せに来いと伝えてくれ。もう三年も会っとらん」

「でも、私がお願いして言うことを聞いてくれるかな。王都からここまで、列車で五日もかかるし」

「あいつにとってこの世界の座標なんぞ何の意味も持たんさ。瞬き一つの間に世界中を回れる『粒子と波の魔女』だ。儂を訪ねるくらいは容易な筈だよ」

 そんな大魔女が三年も訪ねてこないということは、単に会いたくないだけではないか、とシビルは思った。しかし、それを口に出さないくらいには、彼女は人心を解していた。

「それで」と、声のトーンを落としてマイクが問う。「ジャムカの『炉心』は変わりないか、シビル」

 彼女は右手を自分の胸に当てて頷いた。

「今はもう、すっかり私の身体に馴染んでくれたみたい。苦手だった魔力の置換もちゃんと出来るようになったよ」

 言った後で、彼女は目の前に指を一本立ててみせる。

「でも、得意なのはやっぱり魔力の具象化かな。凄く楽に出来るの」

 空間でその指を振るうと、彼女の指先から青白い光の糸が現れ、見る見る内に小さな蝶の形を編んでいった。蝶はゆらゆらと二人の間を羽ばたき、瞬きを三度挟む頃には霧散していく。

「ね? この前、馬を同時に三頭も編むことが出来たよ」

「見事だ」

 孫の成長を喜ぶように、マイクは感慨深げに頷いた。そして、シビルの瞳をじっと見つめる。

「炉心との相性が良かったんだろう。しかし、零から一を生み出せる魔法使いは貴重だ。概念定着の技量の殆どは天賦の才に左右される」

「私に才能があるってこと?」

「言葉にすればな。しかし、だからといって」

「驕ってはならんぞ、でしょ」

 シビルはうんざりしたように首を振った。この三年間で、この言葉を何度聞いただろうか。

 マイクは諦めたように吐息をついた。そして、再び幾分か真面目な声色になる。

「本当に、ジャムカに炉心を返還しに行くんだな?」

 その問いに、シビルは躊躇いなく、そして優しく頷いた。

「うん、そういう約束だったもの」

 ———君に魔法をかけた。

 三年前、魔女に言われた言葉が再びシビルの脳裏に蘇った。

 マイクは更に念押しするように訊ねる。

「……今のお前が身につけた魔法が、いくつか使えなくなるかもしれん。それでもか?」

 シビルは困ったように眉を寄せた。

「振り出しに戻るだけだよ。この炉心はもともと、私の命を繋ぐために借りてただけなんだから……それに」

 と、彼女は気丈に笑ってみせる。

「私には才能があるんでしょ? だったら、また頑張って身につければいいのよ」

 それは半分が強がりで、もう半分が若さに端を発する自信だった。マイクはしばらく彼女の瞳を見つめた後で、のっそりと立ち上がった。そしておもむろに部屋の奥の棚を探り、何か細長いものを取り出す。それをシビルに差し出して言う。

「これを持っていきなさい。儂が若い時に使っていたものだ」

 それは樫で出来た立派な杖だった。シビルの腰丈ほどの長さで、先端には真っ赤な宝珠が埋め込まれている。シビルは驚き、思わず拒むように両の掌をマイクに見せた。

「そんな、もらえないよ。銘のある立派な杖じゃないの、これ」

「お前の旅が満帆に進むように願を掛けておいた。いいから持っていけ」

 半ば押し付けられるようにして、シビルは杖を受け取る。その重さを手に馴染ませるような沈黙を置いてから、彼女は小さな声で言った。

「……ありがとう、おじいちゃん」

「鉄道の時間はいいのか」

「あ、そうだった」

「ちゃんとご両親に挨拶してから行くんだぞ」

「うん、そのつもり。そうだ」

 と、シビルは思い出したようにポケットから一枚の便箋を取り出した。

「はい、おじいちゃん」

「これは?」

「私からおじいちゃんへの手紙。私が出発してから読んでね。眼の前で読まれるのは恥ずかしいから」

 あっさりとした口調でそんなことを言うシビル。マイクはしばし虚を突かれたような顔をしていたが、やがて優しく笑みを浮かべた。

「ああ、分かった。気をつけてな、シビル」

「うん、それじゃ、行ってきます」 

 師の杖を受け取り、魔女見習いの少女は揚々と工房から飛び出していく。その後姿を見ながら、マイクは大きく溜め息をついた。そして、独り言がその口から漏れる。

「……運命、か」

 老魔術師は窓から東の空を見上げる。

 その空には、以前よりも深く広がった、小さな亀裂が見えた。



 正直、シビルは学校には二度と近づきたくなかったが、墓地は校舎の裏手にあった。故に、シビルはさながらネズミのように校門の前をそそくさと通り過ぎ、校舎を回り込んで林に入った。薄暗い林道を抜けると、立派な石墓が並ぶ一帯に出る。

 グレンシー共同墓地は、今から十年前に起きた『災厄』の犠牲者たちのために作られたものである。中央には大きな慰霊碑が築かれ、それを取り囲むように百に近い墓石が並んでいる。

 入り口から五列目、そして右から四列目の墓石の前までやってきて、シビルは跪いた。道中の花屋で買った白いカーネーションを墓前に添える。

「今日が出発の日だよ、お父さん、お母さん」

 この場の殆どの墓標に対して言えることだが、その下に銘の主はいない。だが、シビルはそれでも語りかけていた。

「魔女ジャムカがね、私を弟子にしてくれるんだ。初めてなんだって、弟子を取るの。世界を救った偉大な魔女の一番弟子だよ、凄いよね」

 誇らしく胸を張る彼女に返ってくるのは、風が揺らす木々のざわめきだけだ。

 彼女はこれまでの日々の話を訥々と語った。女学校のこと、成績のこと、使えるようになった魔法のこと、そして、数少ない友達のこと。或いはそれは、自身に語りかけているのかもしれなかった。

 背後に気配を感じたのは、そのときだった。

「シビル」

 ふと声をかけられた気がして、彼女は振り返る。思わず、シビルは表情を明るくした。

「ジミー!」思わず立ち上がる。「どうしてここに?」

「港駅まで見送りに行こうと思ったんだけど、その前にたぶん此処に立ち寄るだろうなって」

「わざわざ良かったのに」

「ううん。私も久々に、おじ様とおば様にご挨拶をしたかったから」

 そしてしばらく、黙祷がその墓標に捧げられる。しかし、そのときのシビルの胸中には、祈りの感情よりも寂寥が渦巻いていた。これまで見ぬふりをしていた『別れ』というものが、妙に意識され始めたのだ。

 だが、それを今さら口に出すのも憚られた。シビルは湿っぽい雰囲気は苦手だ。故に、彼女は冗談めいた口調で言った。

「ジミーも一緒に行く?」

「やだ。五日も列車に揺られるなんて私には無理だよ。乗り物苦手だもん」

「あはは、そっか。馬車でさえ酔ってたもんね」

「私の身体は何かに乗れるようには出来てないんだよ」

 他愛の無い言葉が、今のシビルには愛おしかった。

「あ、そうだ。ねぇ、ジミー」と、シビルが思い出したように言う。「私が出発したら、マイクおじいちゃんを訪ねて」

「マイクロフトさんを?」

「うん、あなたを弟子にするように、さっき手紙で頼んできたの」

「え、でも、私……無理だよ、そんなこと。断られるに決まってる」

「大丈夫、私の紹介ならすぐに理解してくれるって。無碍に断るような人じゃないよ」

 シビルはにっこり微笑む。そして、しばしの沈黙。

「……わかった。それじゃ、まずは会いに行ってみる」

 シビルは胸を撫で下ろす。彼女は言う。

「おじいちゃんに修行して貰えれば、ジミー・ジマリーノはきっと『歴史上かつて無い』魔法使いになれるよ。だって……」

「買いかぶりすぎだよ」

「そんなことないよ。それで将来は二人とも立派な王国魔法使いになって、ジャムカみたいな二つ名をもらうの」

「『粒子と波の魔女』みたいな?」

「そう、格好良いでしょ」

「でも、そういうのって偉業を為した人しか貰えないんじゃなかったかな。魔女ジャムカだって、あの魔女ルナヤを討った後にそう呼ばれるようになったんだし」

 そこでシビルは不敵に笑い、自信満々に東の空を指さした。

「もちろん、私だって考え無しに言ってるわけじゃないよ」

 指の先、遥か東の空の一部に、まるで硝子のような小さなヒビが入っているのが見える。見る限りの大きさはシビルが幼い頃からほとんど変わっていないが、王立観測所によると実は年々大きくなってきているらしい。

「———私はいつか、あの『ソラの決壊』を止めてみせる」

「え?」

「もしそれが出来れば、二つ名の一つや二つ、簡単に貰えちゃうと思わない?」と、そこでシビルはおどけてみせる。「あれ、そういえば、二つ名って二つ貰ったら四つ名になるのかな?」

「……あのね、シビル。それ、王立大学の大魔法使いたちが今も頭を悩ませてる問題だよ。口で言うほど簡単じゃないと思うけど」

「簡単な目標じゃ、有名になんてなれないじゃない」

「だいたい、実際に『ソラの決壊』が起きるのは何百年も先のことだって、学校の先生たちが言ってたよ。私達の次の次の次くらいの世代だって」

「でも、いつか必ず割れちゃうんでしょう。だったら……」

「———ねぇ、どうして『ソラの決壊』なの?」

「え?」

「シビルの夢。立派だとは思うけど、正直、数百年後のことなんて私たちにはほとんど関係無いんじゃないの? 二つ名が欲しいだけなら、それ以外にだって色んなやり方があるじゃない」

「うん、まぁ、それはそうなんだけど」と、シビルは頷いた。「でも、なんとなく、私はそれをやるべきなんじゃないか、って思ったんだ」

「何それ?」

「うまくは言えないんだけど」と、シビルは頭を搔く。「私って、ジャムカに出逢わなかったら、本当は三年前に死んでたんだよね」

「それは、まぁ……そうだね」

「ずっと考えてたんだ。どうして死ななかったんだろう、どうしてジャムカに助けられたのが私だったんだろう、って」

 シビルは自分の左胸に手を当てる。そこでは間違いなく、自分自身の心臓が鼓動を刻んでいた。その確かさを感じながら、彼女は言う。

「それでね、私はこう思うことにしたの。『私が生き残ったのは、世界が望んだからなんだ』って」

「それは、また何というか……ちょっと自己中心的な捉え方の気もするけど」

「わかってるよ」と、シビルは気恥ずかしげに言う。「私が生き残ったのは『たまたま』で、別に深い意味も理由も無いのかもしれない———でもさ、でもだよ? そういう風に『全部偶然だ』って一度でも考え出したら、生きている理由とか目的みたいなものまで、何も無くなっちゃう気がしない?」

「そうかな」

「そうだよ」

 少なくとも、シビルはそうだった。

「だから私は思ったの。私は世界に対して、私が生き延びた意味を提示しなきゃいけないって」

「それが、『宙の決壊』を止めること?」

「うん」と、シビルは迷いなく頷く。「少なくとも、それはこの世界にとって意味のあることでしょ」

「———ねぇ、シビル。それは夢じゃなくて、ただの使命感じゃないの? 生き延びたことに対する義務感っていうか」

 夢ではなく、使命感。

 言うなれば———義務感。

 そうかもしれない、とシビルは薄々では思っていた。しかしそれと同時に、シビルはこうも思う。

「夢を追うのは、人の義務だよ」

 半ば自分自身に言い聞かせるような台詞だった。その言葉は、林を吹き抜ける風に乗り、木々の狭間から空の果てへと消えていった。

 新たな人物が彼女の前に現れたのは、そのときだった。

「シビル・カーペンターズ!」

 自身の名前を呼ばれて振り返ると、そこには三人の女学生が腕を組んで立っていた。それを見た瞬間、シビルの表情が反射的に曇る。

 三人の一人、リーダー然とした少女が詰め寄ってきた。

「———学校にも来ないで何をやっているのかしら」

 険のある口調だった。美しい顔立ちをした、ブロンドの少女である。向けられたその冷たい一瞥に顔をしかめながら、シビルは反論を口にする。

「……その疑問って、今のラモーナたちにも言えるんじゃない?」

 その少女、ラモーナ・スミスは、シビルのそんな皮肉を鼻で笑い飛ばした。

「私たちは風紀委員として見回りを行っているだけです。貴女のような不良生徒を連れ戻すためにね」

 その言葉を大義名分とするかのように、他の二人も続けた。

「私たちはちゃんと学長の許可をいただいて学外に出ているのです」

「私たちは一部の授業を免除されてますもの」

 シビルはどう答えたものか、と一瞬躊躇を見せる。だが、意を決したように顔を上げ、まっすぐにラモーナを見据えた。

「———ごめん、ラモーナ。私、学校辞めたの。今日、グレンシー島を発つんだ」

「……なんですって?」

 眉根を寄せるラモーナを見て、シビルは少し申し訳ない気分になる。しかし、これだけは伝えておかねばならないと思った。特に、彼女の前では。

「私、魔女ジャムカの弟子になるの」

「え……?」

 言葉を失う風紀委員の三人を前にして、シビルは言葉少なに踵を返す。

「そういうことだから」

 去ろうとするシビルを、しかしラモーナは制止する。

「ま、待ちなさい!」ラモーナの瞳には、困惑とも憤りとも取れる複雑な感情が渦巻いていた。「ジャムカですって? あの魔女に弟子入りするっていうの? 貴女が?」

「うん。手紙も貰ったの」

 シビルは封筒の送り主の欄を見せる。途端、ラモーナが歯ぎしりする音が聞こえた気がして、一瞬だけ怯んでしまいそうになる。しかし、瞳は逸らさずしっかりとラモーナを見つめていた。自分の弱気な振る舞いがこれまで彼女を傷つけてきたことを、シビルは知っていた。

「貴女は、いつもそうやって……」

 ここまで感情的な表情を見せるラモーナを、シビルは初めて見たような気がした。そのせいか思わず、彼女の口から謝罪の言葉が飛び出る。

「———ごめんね、ラモーナ」

 その言葉を受けて、今度はラモーナの方が踵を返した。風紀委員の他の二人も、戸惑うようにシビルを何度も振り返りながら、ラモーナの後に続く。

「———勝手にしなさい。もう逢うことも無いでしょう」

 振り返らずに投げられた捨て台詞が、シビルの胸に棘を刺した。三人が去った後には、墓地の木々が風にざわめく寂寥だけが残った。

「……行こう、シビル。列車に遅れちゃうよ」

「……うん」

 そよ風に促されるように、シビルは歩き出す。妙に足取りが重かった。

「ラモーナって嫌な子だよね、シビル。いつもあなたを目の敵にしたりして」

「ううん、そうでもないよ」

 すんなりとそんな言葉が出た自分自身に、シビルは少し驚いた。次いで口から出た理由も、ほとんど自然と溢れてきたものだった。

「ラモーナは昔から魔女ジャムカに憧れてたから……だから、私がジャムカの炉心を借りてるのが許せないだけ。ラモーナは私が嫌いなんじゃなくて、私の境遇が許せないだけだよ」

「でもそれって、結局はあの子の嫉妬ってことじゃないの」

「うん、そうだと思う。でも、私にはそれが凄くよく分かるんだ」と、シビルは自分の掌を見つめる。「自分が特別じゃない、って分かったときの惨めさは、やっぱり辛いよ」

 言いながら、シビルは自分自身のことについて考えを巡らせていた。もしも三年前、ジャムカに出逢っていなければ、自分はどうなっていただろうか。あのまま心臓を砕かれて死んでいただろうか。いや、そもそも、死ぬことも無かったかもしれない。故に延命のためにジャムカの炉心を借りることもなく、私はごく一般的な見習い魔法使いとして、平和な学園生活を送ったかもしれない。あるいは、ラモーナたちとも上手くやれていたのではないか―――そんな可能性について考え始めたところで、シビルは首を左右に振った。

 やめよう。意味のない問答だ。

 結局、世界はこのような展開になった。これが私の運命だったのだ。

「……シビル?」

「ううん、何でも無い」と、彼女は気丈に微笑む。「そろそろ行かないと」

 最後に両親の墓を振り返り、いってきます、とシビルは心の中で呟いた。



 セント・ビターポートの港駅の周辺は、街で一番賑わいがある。その大きな要因はこの島の観光業にあった。

 グレンシー島には「かつて世界を暴れまわった竜が海の果てで息絶え、その身体が島となった」という伝説がある。島の各所には竜の頭や腕、翼などに似た地形が残っており、それゆえ島はイルルカ王領の中でも風光明媚な観光地として有名であった。さらに十年前の『災厄』以降、復興支援のためにさらに多くの人々が訪れるようになった。

 港駅は『竜の頭』と呼ばれる岬の突端にある。地上三階建ての大きな建物で、列車のホームは三階にあった。線路はそのまま海へと伸び、イルルカ大陸への長距離鉄橋へと続く。魔力を含む鋼材によって作られたこの鉄橋は、たとえ大嵐が来たとしてもびくともしない。

 ごった返す駅の構内を抜け、ようやく三階のホームに辿り着いた頃には、シビルの息は上がってしまっていた。

「相変わらず凄い人ね」

 目の前の列車を見上げながら、シビルは呟く。列車はつい今しがた着いたばかりのようで、ホームは多くの乗降客で溢れかえっていた。後部の貨物車では、つなぎを着た活気のある男たちが積荷作業をしている。外と吹き抜けになったホームからは、セント・ビターポートの街が一望できた。

「わざわざホームまで見送りに来てくれてありがとね、ジミー」

「見送りが誰もいないんじゃ、シビルが可哀想だもの」

「失礼だなぁ、私はあえて親しい人にしか言わなかったんだもの」

「どうして?」

 シビルは沈黙する。どうして? そうだ、どうしてだろう?

 ふと、視線を横に向けると、住み慣れた街並みが視界に広がる。それと同時に、何人かの知り合いの顔が脳裏をよぎった。亡くなった両親、育て親のマイクロフト、孤児院のシスター、面倒を見てくれた商店街の人たち。

「———見送りされると、寂しくなっちゃうからかな」

 ぼそりと、シビルはそう呟いた。言ってから、心臓に熱い血液が流れ込むような錯覚を覚える。それは、感情的な熱量だった。

「お別れじゃないよ、シビル」

「え?」

「お別れじゃなくて、これは旅立ちなんだよ。寂しい気持ちもわかるけど、これの半分以上は嬉しいことの筈だよ」

 シビルはもう一度、街の遠景に目を向ける。そして大きく深呼吸をしてみた。一呼吸分の距離を経たシビルの瞳には意志が宿り、鞄を持つ手には力がこもる。

「うん」

 頷きに迷いは無い。身体中には、かつて無い清涼な生命力が漲っていた。

「———それじゃ私、行ってくるね」

「うん、行ってらっしゃい、シビル」

 列車に乗り込み、空いているコンパートメントに腰を下ろす。するとほぼ時を同じくして、車内アナウンスが定刻を知らせた。やがて汽笛が鳴り、シビルはゆっくりとした慣性を全身に感じた。動き出した車窓の外に、シビルは手を振る。

 行ってきます、とシビルは再び胸の奥で呟いた。

 ———ジミー、マイクおじいちゃん、ラモーナ、お父さん、お母さん。

 ———私、魔女になるよ。

 速度を上げ始める車窓の景色を眺めながら、シビルはその小さな胸に誓いを抱く。列車はやがて岬の突端を越え、海上に出る。

 住み慣れた島が後方に遠のき始めた、その時だった。

 彼女の傍らの席に、新たに腰掛ける人物があった。

「……シビル・カーペンターズ」

 名前を呼ばれて振り返り、シビルは目をしばたかせた。それはこの列車の車掌らしき老齢の男性だった。彼は何故かシビルの隣に腰を下ろし、鎮痛そうな表情で彼女を見つめていた。

 切符の確認だろうか。いや、そうであれば、わざわざ隣に座るはずが無い。何か異様な空気を感じ取ったシビルは、思わず身構える。

「先にあなたに謝っておきたい」

 男の言葉に、シビルは虚を突かれる。


「———ごめんなさい、今回もまた、あなたを救えなかった」


「え……?」

 シビルが疑問を口にする前に、その衝撃はやってきた。

 突然、車両の前方で大きな爆発音が鳴り響く。絶叫が周囲に巻き起こったかと思うと、列車全体が大きく揺れた。咄嗟に前方車両の方向を見やったシビルの目が、それを捉える。

 獰猛な速度で襲い来る、紅蓮の炎。

「———次は必ず救ってみせる」

 男の呟きが耳に届くよりも早く、業火がその身体を捕らえる。

 悲しみや絶望を抱く暇も無かった。シビルが感情を覚えるよりも先に、その炎は彼女を呑み込み、瞬く間に全身を焼き尽くして、その存在を灰にしていった。


 ———それが、シビル・カーペンターズの一〇〇回目の死だった。














※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


[警告]

  当該状況の深刻性が更新されました。

 管理分類を最優先対処状況に変更します。

 転生候補者、アトラビアンカ、漆島きら、ビンチ・ベオ・ベルルガ、ショコラティエ・ストラトラトラスキーの四名は対応を継続してください。

 監視者に新たに二名の要員を増強します。


 ———暫定呼称、フェッセンデンズ・ルームを解錠します。







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