第134話

両扉の奥は、光を通さぬほどの、漆黒の闇の領域だった。しかも、ただの闇ではない。


「これは………。濃密な呪の塊が集まって、光を閉ざしていますね。ここまでのものになると、この空間にいること自体が、危険な状態ですね」

「貴方は、なぜ平気なんです?」(上位の精霊)


青の精霊様の様に、肌以外が青色の、水を司る上位の精霊様が、不思議そうに俺を見ている。この上位の水精霊様が、俺たちと会話をしていた精霊様であり、このメルジーナ国の、実質的な支配者のような方だ。他の上位の精霊様たちも、同じように思っているのか、不思議な顔や、心配そうな顔をして俺を見ている。この空間に漂っている、漏れ出たような呪の力だけでも、呪に耐性のない者なら、もの数秒で気分が悪くなったり、身体に不調が出てくるだろう。運が悪ければ、呪が自らに移り、侵食されていくだろうな


「俺が無事なのは、昔の鍛練で、師匠たちから、ありとあらゆる呪を浴びせられたからですね。様々な鍛練の中でも、五本の指に入るほどの辛い鍛練でしたけどね。でも、そのお陰で耐性がついて、並みの呪では、何ともなくなりましたよ」

「そ、そうなのですね」(上位の水精霊)


上位の水精霊様や、周囲の上位の精霊様たちはドン引きなご様子だ 。まあ、鍛練とはいえ、呪を受け続けるなど、普通に考えると、正気の沙汰ではないだろうからな。呪には、幾つもの段階がある。机や椅子に、小指をぶつけるといった、地味に悶絶するものから、相手を即死させてしまえるようなものまで存在する。師匠たちは、俺の成長と共に、呪の段階を上げていき、徐々に俺に耐性をつけさせた。最終的には、即死に至るほどの呪の、一歩手前の段階まで進んだ。そこまで進むと、呪にもかなりの耐性が出来ており、さらには、呪に対する感覚も鋭くなった。師匠たちは、この呪に耐性をつける鍛錬では、必ずと毎回、‟これが何時か、カイル自身か、誰かの為の役に立つ”、と言っていたな。今回は、鬼のような厳しさの、師匠たちの鍛錬に感謝だな。


上位の水精霊様たちが、前に進んでいく。俺たちも、それに附いていくと、地下へと続く横幅の広い階段が見えてきた。呪の力の大本は、この地下から、来ているようだ。上位の水精霊様たちに続いて降りていく事に、先程までいた場所よりも、肌に伝わる呪の力の強さが、大きく濃くなっていく。どんどんと階段を下っていき、たどり着いたのは、とてつもなく広い空間だった。その空間に、漂う呪の力も相当に強いが、空間の中心にいる存在が抱えている呪の力は、ハッキリ言って想像以上だった。傍にいる精霊様方も、純粋に驚いているのが分かる。中心にいたのは、蛇が蜷局とぐろを巻くのと同じように、その巨大な身体を小さくし、力を溜め込み、何かを耐えるかのようにしている水竜が、そこにはいた。吐く息も荒々しく、見ただけで、確実に弱っているのが分かるほどだ。


「おいおい、これは、一体?」(緑の精霊)


緑の精霊様の驚きに、上位の水精霊様が、悲痛な顔をしながらも、口を開く。


「この方は、数世紀も昔から、共に生きていた水竜のヨートス殿です。ヨートス殿は、五十年ほど前に、この国を襲ってきたシーサーペントに、呪を移されました。その呪は、腕のいい術士が組み上げたようで、シーサーペントを殺さぬ限り、解除が出来ないようになっていたのです」(上位の精霊)

「何?それは、一体どういう事だ?」(緑の精霊)

「私どもの方で、判明しているのは、襲ってきたシーサーペントは、何処かの国が、テイムし育てたと思われるという事です。そして、そのテイムした術士が呪を組み上げシーサーペントを、野に放ったようです。そして、そのシーサーペントに埋め込まれた呪は、単純にして、凶暴なものでした」(上位の精霊)

「単純にして、凶暴。海を制する水竜すらも、苦しめる呪が?」(黄の精霊)

「それが本当なら、他の竜種にも、通用するでしょうね」(青の精霊)

「ええ、それは我々も同感です。ですが、そこは安心してください。術士は、所属する国の政変で、殺されています。術士の、呪に関する資料も、処分されていますから」(上位の精霊)

「調べたのか?」(赤の精霊)


赤の精霊様の問いかけに、上位の水精霊様は頷く。精霊は、非実体化の時には、この世界のどの場所にも、存在出来る。その種族としての特性を使って、術士のいる場所を特定したのだろう。そうして、調べに調べ尽くして、呪の中身を知ることが、出来たのだろう。ここまで凶悪な呪を組み上げられる術士が、既にこの世にいないという事が、一つの救いでもあるな。このような事を、行う術士が生きていたら、同じような事を繰り返していただろうからな。


「術士の呪は簡単に言えば、狂化です」(上位の精霊)

「狂化、ですか?」

「はい。シーサーペント自身も、襲われた相手も、呪によって本能が刺激され、凶暴化します。さらには、呪によって、他者へ侵食させようとしてきます。そして、何よりも厄介なのは、最初の呪の保有者である、シーサーペントを殺さない事には、ヨートス殿の呪も、消えることはありません。この呪には、親と子の関係性に似たものが存在し、子を何とかしようとも、親の繋がりから、呪が復活してしまうのです」(上位の精霊)

「確かに、それは厄介だな」(緑の精霊)

「シーサーペントも、術士によって、種の限界を超える、無理な実験をされた事が分かっています。これによって、再生能力などが、飛躍的に向上し、ヨートス殿と互角の戦いをするまでに、能力が高められていました」(上位の精霊)

「なるほど。だから、現状で自身の最高の防衛体勢をとる事で、強制的に休眠状態にして、本能を抑えているわけか」(赤の精霊)

「はい、その通りです」(上位の精霊)

「シーサーペントは、どうなったんですか?」

「シーサーペントの方は、ヨートス殿との戦闘においての傷が深く、同じように、休眠状態に入り、傷を癒しています。我々も、シーサーペントを遠巻きからですが、監視を続けています。今はまだ、目覚める様子は、ありません」(上位の精霊)


それは朗報だ。それにしても、こんな重大な事が起こっていれば、ユノックに遊びに来る余裕など、無くなってしまうだろうな。俺がそんな風に考えていると、ヨートス殿の身体から、漆黒のドロドロした、高純度の呪がフヨフヨと、緑の精霊様に近寄っていくのが見えた。


「下がってください‼触れるだけで、侵食されます‼いくら、貴方方といえど、この呪相手では、何があるか分かりません‼」(上位の精霊)


俺は、精霊様方の前に出る。自身の掌に、高純度の浄化の魔力を纏わせて、高純度の呪を掴む。


「な、何を⁉」(上位の精霊)


師匠たちには、呪の耐性をつけさせられると共に、呪の取り扱い方も、学ばされた。勿論、実戦でだが。呪とは、闇属性の魔術や魔力に、近しい性質を持っている。違う点でいえば、魔術よりも、自由度が高く、効果についても、ある程度の方向性を、自分で決められるという所だ。その代わりに、自らにも危険が伴う。組み上げている最中に、何かしらのミスで呪に触れたりしてしまうと、その呪は、創り手たる自らにも、牙を突き立ててくる。そういった事を防ぐために、呪を取り扱う者は、大抵の場合は、師から事故を防ぐ方法を最初に教わる。それが、高純度・高密度の魔力による手袋を作り出し、直接的に触れないようにする、という事だ。これは、師匠たちによると、浄化の魔力で手袋を作った方が、もっとも遮断率が高いとの事だ。


俺は掴んだ呪を、浄化の魔力で少しずつ小さく削っていきながら、最後は瞬間的に魔力を高めて、一気に消滅させる。上位の精霊様たちは、俺が呪を消滅させた事に、驚いている。精霊様方は、精霊様方で、驚いている精霊様たちに、自慢げなご様子だ。まあ、ここまで濃密になってしまっている呪を、欠片とはいえ消滅させたのが、自分の契約者だからな。精霊という存在にとって、契約者というのは特別なものだ。契約者の力量が、精霊の格を対外的に同胞に示すものであり、他の精霊からは、契約者の行いが凄ければ凄いほど、契約している精霊も凄いという風に、見られるようだ。


「貴方方ほどの格の高い精霊の契約者は、やはりそれ相応の者ですね」(上位の精霊)

「そうだろう、そうだろう。カイルは、歴代の契約者の中でも、最高と言ってもいいほどの実力者だ」(緑の精霊)

「それに、相性もいい」(黄の精霊)

「歴代の契約者の様に、いちいち小言を言う事はないしな」(赤の精霊)

「料理も美味しいし、おやつも忘れないしね」(青の精霊)

「は、はあ。そうなんですね」(上位の精霊)


上位の水精霊様が、困惑している。まあ、赤の精霊様と青の精霊様の言っている事は、上位の水精霊様にしてみたら、よく分からんしな。


「とりあえず、一旦上に戻りましょう」(上位の精霊)

「ああ、そうだな。今の所、ここにいても、やれる事は残念ながらないからな」(緑の精霊)


緑の精霊様の言う様に、呪が厄介なものであり、大本のシーサーペントを、どうにかしなければ、ヨートスさんに何かしても、意味がなくなってしまう。それに、不用意にヨートスさんに何かをすれば、一種の安定状態にある、ヨートスさんの状態を崩す可能性がある。呪が濃くなっているが、防衛状態になっている事で、時間を稼いでいるのが、現状なのだ。今出来るのは、ヨートスさんを見守る事だけなのだ。


俺たちは降りてきた階段を上って、上の呪の薄い場所に戻る。やはり、下のヨートスさんのいる部分に比べたら、遥かに呪が薄く感じてしまう。全員で両扉を出る。それを確認した上位の精霊様たちは、再び両扉に封印を施すべく、魔力を籠めていく。俺の背筋に、嫌な予感が急激に湧き上がってくる。


〈さっきよりも、二段階も濃い呪だな‼〉


俺たちの気の緩む所を、じっと待っていたかのように、先程よりも濃い、野球の硬式ボールのような大きさの呪が、高速で迫ってきていた。それに、精霊様方も当たり前のように気づいており、珍しく俺より先に動く。


「いい加減、鬱陶しいわよ」(青の精霊)


青の精霊様が、いつもの、温厚な様子から考えられないほどの低い声で、水球を生み出す。先程の、呪に対して感じた強大な力が、鼻で笑ってしまえるほどの、水属性の一つの極致とも言うべきものが、目の前に現れた。籠められた魔力は、このメルジーナ国とコンタクトをとる際に放った魔力の倍。つまり、空間がそのものが、悲鳴を上げてしまうほどの魔力の倍だ。俺も、上位の精霊様たちも、その魔力にてられて、身動き一つ出来ない状態になってしまう。それほどの魔力が、水球という形に圧縮されて、放たれる。


呪は、意思を持っているかのように、その圧倒的な魔力で形成された、水球から逃れようとする。しかし、呪の動きがピタリと止まる。呪の周囲の温度が、急激に下がっていく。呪も抵抗するように、濃度を上げていくが、温度が下がっていく速度の方が、桁違いに早い。結局、ロクな抵抗らしい抵抗をすることが出来ず、動きが止まってしまった。あそこまでの魔力の規模になると、呪の周囲の空間を、原子レベルまで凍らせて、動きを完全に封じたのだろう。


「さっさと消えなさい」(青の精霊)


水球が呪にぶつかる。だが、そのまま弾けるわけでもなく、スルリと水球が、呪を取り込むように、包み込む。そして、一気に水球が小さく圧縮されていく。呪は、何も反応することなく、ただいいように、水球に包まれたまま、消えていった。


「今よ、警戒しながら扉に封印を」(青の精霊)

「分かりました。皆さん、いいですね?」(上位の精霊)

『了解』


上位の精霊様たちが、再び魔力を束ねて、両扉に封印術式を再起動させる。今度は、何も起きないようで、呪の反応もない。青の精霊様に、手も足も出なかった事から、一旦大人しくすることにしたようだ。今回の動きによって、ヨートスさんに侵食している呪には、自意識の様なものがある可能性が出てきた。もしくは既に、ヨートスさんの意識や自我が、呪に乗っ取られているか、乗っ取られかけている可能性がある。そうなると、ヨートスさんが安定しているというのも、甘い見通しになる。もしかしたら、思ったよりも、事態は深刻なのかもしれない。両扉が完全に閉まり、封印術式以外の術式も、全て起動する。全員で暫くの間、扉の前に待機し、完全に安定するまで待った。精霊様方も、少し険しい表情をしている事から、早急に、対処が必要になるかもしれない。ナバーロさんたちに、一度連絡する必要があるな。

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