第26話 「どれ観る?」
〇桐生院知花
「どれ観る?」
映画館に着いて。
並んでるタイトルを見て、千里が言った。
「どれにしよう…」
タイトルを見上げて悩む。
…あたしはオタク部屋が出来るまで、オフの日は家ですることがないと一人で映画を見たりしてた。
けどー…
千里が映画を見てた…って記憶はないなあ…
桐生院の父が映像の会社をしてたから、うちにはそれなりに名作のDVDやブルーレイがある。
子供達もそこそこに自分の好きな物を選んで見てるようだったけど…
千里が見てたものと言えば…
子供達の成長記録…(咲華がすごく嫌がる)
Deep Redとか…事務所の周年ライヴの映像とか…
それぐらいかなあ。
「千里、どういう映画が好きなの?」
「どういうとは?」
「SFとかアクションとか恋愛ものとか。」
「……」
「ドキュメンタリーとかヒューマンドラマとか。」
「……」
「ホラーとか動物ものとかコメディとか。」
んーって下唇を突き出して悩んでた千里は。
「おまえが観たいやつを選べ。」
あたしの頭をグリグリとして言った。
「…千里がどんな映画を選ぶのかも興味ある…」
「ああ?タイトルだけじゃ…」
千里はそう言ってキョロキョロすると。
映画館の中にあるポスターを見付けて、その前で腕組みをした。
「……」
「……」
あたしはー…
特にどれって事はないんだけど。
新作はお客さんが多いだろうなあ。
だったら旧作でもいいんだけど。
なんて考えながら、首を傾げてポスターを見た。
すごく古い物まで上映してるんだ。
これって、あたしが学生の頃に観たような…
観た事がある映画の名前もいくつかあったけど、一人で観るのと千里と一緒に観るのじゃわけが違うから黙ってる事にした。
「…これだな。」
千里が斜に構えて、ビシッと指差したのは…
「…スリーアミーゴス…」
つい…口を開けてポスターを見入ってしまった。
これって…日本では『サボテンブラザース』ってやつで…
週末のロードショーなんかでも、何度かやってた…気がする。
「おまえ観たいやつないの。」
「う…うん。あたしはいい。これにしよ?」
い…意外!!
アクション系かな~って勝手に思ってた!!
コメディには興味ないかなあ…って…
どうしよう。
あたし…映画そっちのけで千里に注目しちゃいそう…!!
「よし。ポップコーンとコーラな。」
「う…うん…」
…ああ…嬉しいな。
千里が、あたしのリクエストに応えてくれてる。
申し訳ないほど…ちゃんと。
ちょうど上映時間まで、数分で。
あたし達は『スリーアミーゴス』が上映される黄色い扉の『シアター3』に入った。
あまり広くない客席に、お客さんはチラホラ。
千里は迷う事なく、中段の真ん中の席を選んで座った。
「座ってから聞くのもなんだが、ここでいいか?」
「え?」
「おまえ、耳いいから。きつい場所があるのかなと思って。」
「……」
う…わあ。
自分では全然そんな事思った事もなかった。
そんな小さな事まで気遣ってくれるなんて…感激…
「ううん。大丈夫。」
あたしはホクホクした気持ちのまま、座席に座ってポップコーンを口にした。
結局…お客さんはあたし達を入れて10人ぐらいだったけど。
千里は最初からすごく楽しんでたみたいで。
「マジか!!」
って急に叫んであたしを驚かせたり。
スカッとするシーンでは近くの席の人とハイタッチしたり。
なんて言うか…
「あっはははは!!」
素面でこんなに笑う千里…
もう何年も見た事ない気がする。
「くっだらねー!!サイコーにくだらねー!!」
「……」
もう、今夜…どうしちゃおう。
こんな顔見せられたら…
あたし、なんでも言う事きいちゃうかも。
千里をこんなに笑わせてくれて…
ありがとう。
スリーアミーゴス。
〇神 千里
「あー、笑った。」
俺が夜空を見上げてそう言うと。
「ふふっ…」
何やら…知花がとてつもなく可愛い声で笑った。
「…何がおかしい?」
背後から抱きすくめると。
「だって…千里、知らない人たちと盛り上がり過ぎ。」
知花はクスクスと笑いながら、俺を見上げた。
「あー…だな。」
シアター3はガラガラだった。
最初はまばらに座ってた観客は、気が付いたら俺達の周りに集まってた気がする。
…もしやバレたか?と思ったが…
ただ単に、俺の盛り上がり方が妙に大げさで興味を引いたらしく、盛り上がりたかった輩に便乗された形になった。
何度も来てるじーさんが、俺の後ろでセリフを言うもんだから。
俺だけサラウンド放送だった。
「おまえ日本人か!!この映画初めて観るのか!?」
「サイコーにクソだろう!?」
「嫌な事も忘れられるぞ!!」
ストーリーが終わってからは、口々にそんな事を言いながら手を振って別れた。
こっちに来てから、人に囲まれる事ばかりだ。
いつもなら疲れ果てる所だが…
今のところ楽しい。
「何か食って帰るか?」
「ポップコーンとコーラでお腹いっぱい。」
「ふっ。確かに。」
カプリでの昼飯も遅かったし、思いがけずジャンクな晩飯。
ま、たまにはいいか。
ホテルの部屋に戻って、窓辺で夜景を眺めた。
知花がバスタブに湯を張る音が心地良く聞こえて、自分が日本で歌ってる人間だってのを忘れてしまいそうになった。
ただの人間になった気がした。
「昨日置いてあった入浴剤もいい香りがしたけど、今日のもすごくいい。カモミールと何だろう。」
知花が、独り言にしては大きな声で喋りながらバスルームから出て来るのを、俺は夜景を背にして待った。
「……」
『いい香り』の入浴剤が手に着いたのか、自分の手を嗅ぎながら出て来た知花が。
なぜか、俺を見て足を止めた。
「?どうした?」
首を傾げて問いかける。
「あ…あー……ふふっ…」
知花は少し照れくさそうに小さく笑って。
「…あの時の事、思い出しちゃった。」
俺の隣に来て言った。
「あの時?」
「…かなえてやろうか…って。」
「……」
「バルコニーに出て、夜空を背にして…」
あー…あのマンションで…か。
「かなえてやろうか…って言ってくれた千里に、あたし…ちょっと見惚れちゃったの覚えてる。」
「…惚れた?」
「見惚れた。」
「ふっ…」
知花の前髪をかきあげて、額にキスをする。
「俺はー…」
「ん?」
「…おまえがドアから入って来た時の第一声に、やられた。」
「えっ?」
「こんにちは。あれ聞いて…今まで聞いた事のない心地いい声だと思った。」
「……」
知花は驚いた顔で、俺を見上げてる。
お互い…あの時こんな事思ってたなんてな。
「…やだ…嬉しい…」
知花が頬に手を当ててうつむく。
…ったく…
おまえ、いくつだよ。
「…素面だぜ?」
「…うん…」
「……」
「……」
知花の顎を持ち上げて、じっと見つめる。
少しうるんだ瞳に映った自分は、あの日のままのような気がした。
「…悪いな…」
「…え…?何が?」
「おまえを世界一の幸せ者にしてやれなくて。」
「え?」
知花は眉間にしわを寄せて、心外だと言わんばかりの顔。
「俺が世界一だから。おまえは二番だな。」
「……」
どうした俺。
最高に青い事言ってるぜ?
いつもならバカにしそうな事を…なんだって真顔で言ってる?
そんな俺の思いをよそに、知花はますます目を潤ませたかと思うと…
「っ…」
突然、俺の頬を両手で挟むと…かなり激しくキスをした。
お…
おい…
おいおいおいおいおいおい。
こ…腰が抜けちまうじゃねーか!!
おまっ…おまえ!!
こんなキスできんのかよ!!
それから…もつれるようにして服を脱がせ合って…
バスタブで…
ベッドで…
繰り返し繰り返し…
「…これが素面のご褒美か…」
天井を呆然と眺めながらつぶやいて。
こんなのが続くなら、禁酒の日も近いぜ。
なんて。
力尽きて眠ってる知花の横顔を見て。
思ったりした。
〇桐生院知花
「知花~っ。」
昨日のカプリでの約束通り、午後から事務所に行くと。
あたしを見付けた聖子が、すぐさま抱き着いて来た。
「今日も可愛い。癒されるわ~。」
「あ…ありがと…」
千里はあたしより先に、こっちの上層部に会いに行くからって。
たぶんアズさんと京介さんとで、一緒に上の部屋に行ってるはず。
瞳さんは寝坊しちゃったみたいで、まだホテルらしい。
あたし達は、一応ロビーで待機。
千里が呼びに来てくれたら、館内見学でも。って。
あたしは久しぶりに来たなあ。
新しく建て替えてからは、初めてかも?
日本の事務所と、ほぼ同じ造りになってるみたいで。
だからなのか…緊張はしなくて済んでる。
「夕べもピーでピーでピーだったの?」
「なっ…!!」
「赤くなっちゃって。も~。はいはい。」
「違うんだってば~!!」
あたし、聖子をポカポカと叩く。
「あははっ。怒っても可愛いなんて罪~。」
「……」
ゆ…夕べは…
千里が、あまりにも…真顔で感激な言葉を言ってくれたから…
嬉しくて嬉しくて。
もう、恥ずかしいとか無理とか…全然そんなのなくなってしまって。
なんて言うんだろう…
千里風に言うと…
『理性が吹っ飛んだ』ってやつなのかな…。
千里が欲しくてたまらなかった。
千里の全てをあたしの物にしたかった。
あたし…どこまで千里の事好きになれば気が済むんだろう。
大丈夫なのかな。
もう31年も夫婦なのに。
『俺が世界一だから。おまえは二番だな。』
「……」
ああ…
世界一幸せだって言ってくれるなんて…
それを言われたあたしが世界一だってば。
ダメだ。
思い出すと力が抜けちゃう。
両手で顔を覆って、その場にしゃがみ込む。
ニヤニヤが止まらないよー。
どうしようー。
「ち…知花?」
「……」
「ごめん…ごめんね?泣かせるつもりはなかったんだけど…」
聖子は何か勘違いしてるみたいだけど、昨日からからかわれっぱなしだし…
いいやっ。と思って、そのまま泣いてるフリをした。
両手の下はニヤニヤ全開なんだけど…ね。
「誰だ~?うちの可愛い娘を泣かしてる奴は。」
聞きなれた声が降って来て顔を上げると。
「え…?父さん?」
そこに、父さんがいた。
「あれ?伯父貴?どうしてここに?」
父さんは、キョトンとするあたしと聖子にニッと笑って。
「まさかと思ったが…揃ってるらしいな。」
腰に手を当てて言った。
「そうなの。あたし達、運命共同体だから。」
聖子があたしの腕を引っ張って立ち上がらせる。
「ふっ。ウソ泣きか?」
「はっ…」
「あっ!!ウソ泣きだったのー!?言い過ぎたって反省してたのにー!!」
「反省してもらっていいレベルよっ。」
「う…」
「母さんは?」
当然一緒なんだと思って、辺りを見渡してみる。
「日本に置いて来た。」
「え?」
何だか…意外な返事。
「…拗ねてるんじゃ?」
「正解。」
「……」
母さんは…拗ねると厄介だ。
父さんも知ってるはずなのに。
「里中との新体制でやる事は山ほどあるからな。残って色々やってもらってる。」
…それは、納得できるんだけどー…
父さん、そういう事には自分もくっついてるはずなのに…ね。
何となく、違和感。
「あれっ?高原さん?」
「うわ、ここ日本じゃないっすよね。」
続々とSHE'S-HE'Sのメンバーが集まり始めて。
「あー、夕べ飲み過ぎたー………って。どうしたの、父さん。」
男性陣に少し遅れて、瞳さんもやって来た。
「敵状視察ってとこかな。」
「敵状視察?」
父さんの言葉、全員で口を揃えて繰り返してしまった。
敵って…
ここは、父さんの事務所でもあるのに…?
だけど。
その言葉の意味は…
その数時間後、知る事になった。
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