第41話 夢……?


 夢を、見ていた。

 いつか見たような、懐かしい夢。

 セミがうるさく合唱を奏で、新緑の深い香りが鼻孔をくすぐる。

 でもそんなことはどうでもよくて、泣き出しそうな気持ちを必死にこらえている自分が、そこにいた。


「はぁ……はぁ……」


 疲れて重い足を、引きずるように前へと進める。

 それなのに、思った以上に先に進めない。


 ――あ、そうか。俺、今よりも小さいんだ。


 視線の高さが、随分と低い。おそらく、小学二年生かそこら。

 そりゃ進むわけないよな、と思いつつも、夢の中の俺は無我夢中で森の中を歩いていた。

 直後、視界が一瞬暗くなった。

 なんだろ? と思う間もなく、光はすぐにその色を取り戻す。


 ――変な夢だな。


 だいたい夢は変なものだが、なぜかその時はそう思った。


 ――てか、あれ? 前もこんなことが……。


 不思議に思っていると、ふと右手に冷たい感触があった。

 誰かの手。

 小さくて綺麗な、懐かしい手が、俺の右手をつかんでいた。

 そのままグイッと前に引っ張られ、一目散に駆け出したかと思うと、途端に視界が開けた。


「ここまで来れば、後は大丈夫だよね?」


 手を離しながら、彼女はそう問いかけてきた。


「えっと、ありがとう」


 いつか発した言葉を、もう一度口にする。


「その、君は……」


 そう言いかけた途端、視界がフェードアウトした。

 緑色の野原も、セミの鳴き声も、彼女の笑い声も。視界も音も、何もかもが自分から遠ざかっていく。


 ――ああ、覚めるのか。


 無意識のうちにそう感じた。


 ――覚めたく、ないな。


 そんな意思とは裏腹に、意識はどんどん現実へと向かっていた。


「……あと、僕の名前から、一…………る……」


 夢と現実の狭間で、夢の中の自分は何か言葉を口にしていた。でも、もはやその音は遠すぎて聞き取れない。


 ――この言葉……俺は、知っている気がする。


 そして相手の方も、何か言っていた。


「ほんとに、あり……と……」


 俺を包み込んでいた音はさらに遠のき、視界のほとんどが白で覆いつくされていた。それでも、その後も何かのやり取りが続いていた。

 何を言っているんだろう。

 何を見ているんだろう。

 そんなことを思いながらも、この先に、今の俺に必要な何かがあることだけは、直感的にわかった。


 ***


「……っ!」


 目を開けると、そこには見知った天井が広がっていた。

 見知ってはいても、見ていて気持ちのいいものではない。だってそれは、長く入院していないと、感じられないものだから。

 病室の中には闇が溢れていて、カーテンの隙間から差し込む微弱な月明かりだけが、唯一の光だった。

 そこでふと、その光が視界から消えた。


「夏生っ……⁉」


 光があったはずのところに視線を向けると、彼女が笑顔を浮かべて立っていた。でもその笑顔は、すぐに曇っていく。


「夏生……! どうして、あの時――」


「ごめんね。もうこれ以上、契約は続けられないよ……」


 俺の声が聞こえていないかのように、彼女は言った。そして、いつかやったみたいに、俺の右手を両手で包み込み、祈るように目を閉じた。


「夏生! 待っ――」


 そこで、唐突に俺の意識は途切れた。

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