第7話●宇宙のワルツ(AD二一九九(宇宙暦九九年))

 果てしなく広がる量子場。

 太陽系。ラグランジュ3。

 背景放射絶対温度約三度で、永遠の夜の闇が広がっている。

 一四艦で編成される国連宇宙軍第一三艦隊の旗艦・電子戦闘指揮艦〈E・グローブナー〉指揮室。正面の大型ディスプレイに投影される近宇宙域のインフォメーションを眺めながら、ケニー・マクギン提督は白い手袋に包まれた褐色の手を揉んだ。緊張の汗に手が濡れている。

 大勢の軍人の息を感じる。

「周囲二光時以内に異常物体の活動はありません」

 〈スーパー・バイザー〉であるデニス・ジョーンズ観測員の報告は肉声で彼に届いた。

 彼の小さな身体はリラックスを第一目的とした専用席に収まり、〈E・グローブナー〉艦内深くの指揮室にいながら、遠宇宙空間を超光速の思念で探査していた。

 超光速で把握される思念のウェブ。

 それは時間を超えた予知であり、空間を超えた遠隔視でもあった。

 地球人類が活動の場を太陽系圏内宇宙までに拡大した現在、彼ら超能力者は光速に縛られた電磁波レーダーが即時対応出来ない遠域の宇宙監視になくてはならない人材となっていた。

 マクギン提督は考えた。

 異常活動する物体はない?

 いや、これから始まるのだ。ある物体の異常活動が。

 二〇世紀後半からの全世界規模の乱数の偏差実験。

 果たして、人の思念は物理学的な力を持ち得るのか? 科学者達は地球の任意の場所に1or0の乱数発生器を複数設置し、通常なら誤差内で半半となるはずの値の偏りと人類史規模のイベントの関連づけを調査していた。

 九一一。アメリカの同時多発テロ事件で検出された各乱数発生器で観測された偏りは、長期間連続する明らかな有意のものと思えた。また、それに限らず、この惑星で何かしらかの大事件、大災害が起こった時、乱数発生器は地球規模で必ず有意と思える極端な偏差を発生させた。それはグラフで図示されて、誰の眼にも解るものとなっている。

 二一世紀前半。アメリカ、ネバダ州のブラックロック砂漠で行われた、第二八回『バーニングマン』という大規模イベントで秘密裏にこの乱数発生が実験された。

 砂漠の真ん中で行われるバーニングマンという参加型アートともフェスティバルともいえるこのイベントには、実にこの年も七万人の参加者が集い、最終日である土曜日までの約一週間の暑い日日をすごした。

 砂漠にある為、携帯電話で外界との連絡が取れず、TVもラジオもなく外部の影響を受けないこの情報遮断されたイベントは、閉鎖された地域の人間達の『感情の集中』を計測するのに絶好の状況だった。

 最終日の夜。このイベントの象徴である人型をした全高一二メートルの木像『ザ・マン』に火が着けられた時、科学者達の乱数発生器は予想通り、明らかに有意と思える確率の偏差を見せた。

 これは大人数の人間達の思念のベクトルが整った時、乱数に一定傾向をもたらす乱数操作の物理的なパワーが発生する事を証明した事であり、超能力に対する国家間を越えた本格的な考察プロジェクトが始まった歴史的瞬間だった。

 マクギン提督が請け負う実験は遠くはこの延長線上にあった。

 そして二一世紀の小説家、塩原猛志が小説の形で発表した理論がある。

 塩原猛志によれば、全ての過去も未来も無限種類ある平行宇宙の内の一種類に過ぎない。『現在』という瞬間の時間は実在せず、過去と未来の狭間の一瞬の主観的錯覚にすぎない。デジタルな時間が刻まれる宇宙にアナログに流れる時間は人間の脳機能、意識に大きく依存するというのだ。

 意識は人間を写す鏡。

 人類の身体機能には必ず、多少の未来予知と言語以上のコミュニケーションを超えた念話や予知を行う超能力が無自覚に存在する、と。推察能力や想像力。『察し』だ。微弱なそれが日日の生活を補助している、と。

 そんな、馬鹿馬鹿しい、というのがマクギン提督がこの理論を初めて教わった時の正直な感想だ。

 大体、塩原のその小説は初出版時点では全く売れず、この理論は長く闇に葬られていたのだ。

 それを掘り起こし、保存し、継承、信奉していたのが国家破壊を企むテロリスト集団だったというのはまるで何かの冗談の様だ。

 ホラーカルト。

 思念の力による物理的干渉。

 〈呪術的距離〉。情報の重力。連想から連想へ。

 そういえば塩原はホラーカルトに拉致された後はどうなったのだろうか。マクギン提督はあやふやな自分の記憶を掘り起こそうとする。思い出せない。指揮室の他の人間に訊く事も出来るのだが、一旦あきらめる。

 塩原は原始時代の人間は誰でも超能力を持ち、意識を共有していた、しかし言語や絵、文字等の道具を発明し、情報を自己内在から外部へ記述し、保存、つまりバックアップが出来る様になって、それを退化させていったとも著述している。強力な超能力を持つ人間〈スーパー・バイザー〉は人間が進化した結果ではない。先祖返りなのだと。

 進化は超能力を淘汰した。

 もしかしたら超能力とは知性に比して退化せざるをえないほど、コストがかかるものなのかもしれない。

 この超能力の事を含め、今現在、塩原の理論が一つの支柱として加わり、人類の文明は進歩している。

 真空相転移炉もその一つだ。

 完全な真空状態にすると何処からかエネルギーが湧出してくる。

 これが〈多世界〉解釈の証明になり、全ての世界がエネルギーの入出が可能な開放系で説明がつくと塩原は自らの著作で語っていた。

 未来も過去もあらゆる時空が平行宇宙の一つとして存在し、現在とはその時間の流れを受け入れた意識の一つの主観的認識と語っている。

 しかし、それならば、複数の観察者の存在を前にこの宇宙はどうなのだろうか。

 『現在』を把握する者はこの宇宙で一人きりであるわけがない。

 地球人類はまだ異星人との遭遇はない。しかし、それらを考えるまでもなく、この地球人類だけで実に一〇〇億に迫るのだ。我等、彼等、各人が同時にこの宇宙の『現在』を主観的認識とするならば、それらの数を満足させる為の、矛盾せずに共有するに足る平行宇宙が必要になるはずだ。

 そもそも、それらが観測していない『大部分』の宇宙はどの様な状態でいるのか。

 現実として、不確定なのだろうか。

 私達の宇宙は、それぞれの人間の主観的なものの捉え方を、互いに観察しあっている状態だ。

 宇宙に複数の観測者がいるならば、ある人間が観察している宇宙という情景には、自分を観察する、他の人間も含まれる。

 その相手からすれば、彼の観察する宇宙には彼を観測している自分も含まれる事になる。

 この様に実在する一つの宇宙が、複数観測者の主観が重ね合わせになった状態で出来ている事を示している。それこそが客観的な宇宙というものの様だ。

 しかし個人個人の主観は相反する事もある。

 相反する事を同時成立させた重ね合わせ状態の宇宙とは、具体的にどの様なものか? それは同じ量子が同時に別座標で観測されたり、実在が他の実在と同じ位置を占める事が高い確率であるはずである。

 宇宙に一つきりの物が別別の場所で同時に手に入ったり、幾つかの惑星が同じ空間を重なって占有する事がありえるのか?

 果たして、シュレディンガーの猫は死んでいるのか? 生きているのか?

 この様な宇宙が真実なのだろうか?

 量子論では、私達はまさにこの様な宇宙に生きているのだとする考え方が出来る。

 観測者達の主観によって分岐した平行宇宙は全て、同じ時間軸で重ね合わせた状態になり、状況の内でそれぞれの主観に相反しない部分を共有現実とし、主観の相違で矛盾が生じている部分はそれぞれの平行宇宙に所属する固有事実としているのだ。

 猫を閉じ込めたままで蓋を開けていない箱は、どの観測者が見ても同じものである。つまり複数の主観に相違がない状態は、客観に等しい共有現実となる。

 蓋が開けられて猫の生死が確定すると生死の事実が確定する。すると観測者はそれぞれの主観である猫の状態しか認識出来なくなる。

 つまり猫の状態は共有現実ではなく、それぞれが主観する平行宇宙に所属する固有事実となる。主観に差異を生むというのは平行宇宙にも差異を生じさせるのでだ。

 だが、この宇宙像は不完全である。

 時間の流れが観察者個人の主観によって生じるとすれば、その認識機能に依存する事になり、肉体機能的な限界が生じる。

 宇宙は観察者が観測出来うる範囲内でしか事実になりえていない事になる。道具などの補助によって情報獲得能力を補強する事も出来るが、いずれにせよ器質に依存する認識限界を超えて宇宙を理解する事は出来ない。自らが知りうる以上を知りえないのだ。

 内側と外側の境界こそが人間。

 自分達は、宇宙のこの様な状態を経験した事があるのだろうか?

 塩原はこれに対し『集合無意識』と『モナド論』という既成概念を適用した。

 宇宙にある全ての意識は、源は一つの巨大な塊、クラウドだというのだ。

 人人の意識は、肉体という個性を離れた奥底では集合無意識という一つの広大な海なのだという。

 集合無意識は肉体という器を得て、各個の意識という『島』になるのだ。

 そして、そこに開いた情報入力装置、無数の窓こそが、生物の感覚器群。

 大量の情報という乱流に絡み合った、カオスの縁。

 単純な構造の複雑な作用として、意識が生じる。

 他が意識する主観的認識と平行宇宙の情報は区別出来ない。各人間達の主観的認識はすなわち一つずつの平行宇宙なのだ。

 人間の脳は宇宙にある全量子の多体問題を解き続ける、天然の量子コンピュータなのかもしれない。

 個性化された量子は集合無意識を伝わって、全量子にただちに情報が伝わる単子、つまりモナドとして振舞う。それにより全ての量子が瞬時に情報を共有するのかもしれない。

 塩原は語った。〈スーパー・バイザー〉の超能力は心の奥底の集合無意識という超空間を経由して、個から全へ、全から個へ、瞬時に距離や時間に関係なく全宇宙の量子場に伝播するのだと。

 また観察者が宇宙に一人きりでしか存在するのでもなければ、宇宙は複数の観察者の主観にさらされる事になり、同じ対象が同時に複数の観察者に観測される様な事態もありえる。

 異なる状態をそれぞれの事実とする平行世界が重ね合わせで存在しうるという多元世界仮説へとつながる話だが、複数の観察者が同時に事実確認をしたならば、対象はただ一つの主観を事実に収束せざるをえない。

 それまでそれぞれの観察者に同時に真だった状態が、事実確認された瞬間、真と誤に分かれてしまうのだ。事実が誤へと変容するのであり、遡って考えるとその観察者のそもそもの認識が間違っていたのだというパラドックスが生じてしまう。

 狂気だ。

 マクギン提督は眼を閉じ、鼻梁を揉んだ。

 塩原猛志の狂気が今まで生きのびて、現実を侵食し続けている様だ。

 そして、その狂気が今日の事件へとつながっている。

 一人が無数の感覚機器から脳に情報入力されるのと、集合無意識が各個体から情報入力されるのは同じか。

 情報戦闘実験艦はそれを確認する実験をする為に前方、遠方へ配置されている。

 宇宙を複数観測する三隻の宇宙船。

 情報戦闘実験艦〈ステンノ・ゴーゴン〉〈エウリュアレ・ゴーゴン〉〈メデューサ・ゴーゴン〉。

 ギリシャ神話の怪物、ゴーゴン三姉妹の名を冠した三隻。

 毒蛇の頭部を前後に引き伸ばした様なフォルムの、全ての電磁波を吸収する、あるいは反射する流体金属表面とメタ推測演算能力とテレパシーによる超光速のコミュニケーション能力を持った〈スーパー・バイザー〉艦。 三艦とも全く同じ情報環境で生育された〈スーパー・バイザー〉クローン生体脳。

 サイコキネシス機動。

 メタ演算機能機器。

 無数のマニピュレータ情報入力感覚器。

 ラグランジュ3に待機する彼女達は、今回の実験の為に大きな正三角形の各頂点に位置している。

 ここで彼女達は遥か深遠まで宇宙の形を推測し、互いに語らうのだ。

 物体の異常な活動。

「艦隊は護衛ですかな? それともいざという時には戦闘も……」

 マクギン提督に傍らにいたワイリー・ワイス副長が話しかけるが、提督は曖昧な答だけを返した。

 軍隊という組織の性質上、この様な返答はふさわしくなかったが提督はそれ以上、答える態度を思いつかなかい。

 三人の魔女の語らい。マクベスの一場面を思い出す。

「実行時間です。『魔女の鍋』開始します」

「よし。『魔女の鍋』実行」

 ワイス副長が実験開始時刻を通達し、マクギン提督はそれに許可を与えた。

 指揮室は緊張、というより観測機器の画面を睨んだ極度の集中状態に移行した。

 ラグランジュ三のゴーゴン艦三隻も実験を実行する。

 透明化。

 干渉、被干渉を最低限に。

 ジョーンズ観測員はゴーゴン艦全てがキビシス・フィールドを展開し、現在のこの宇宙から電磁気的に姿を消失した事を報告。マクギン艦隊全艦の観測機器が一斉に彼女達を見失う。水面下に潜る潜水艦のイメージ。

「状況、順調に展開中」

 ただ艦隊に所属する〈スーパー・バイザー〉達のみが強烈な超視覚で捕捉し、観測を続行する。今、彼らの近辺で乱数発生器を作動させれば、有意にしか思えない確率の偏りが現れるだろう。

 現在、ゴーゴン艦は本体質量のみをこの宇宙に残した状態。

 近宇宙の眺望はこの〈E・グローブナー〉艦内に要約されている。指揮室に並ぶディスプレイ群は輝きながら、様様なリアルタイムデータを映しているが、ゴーゴン艦の推移を発見している物はない。

 マクギン提督はジョーンズ監視官が眼を閉じて集中しているのを眺める。

「各ゴーゴン艦、観測マニピュレータ群をキビシス・フィールド外に伸張しました」ジョーンズ監視官が眼を閉じたまま、遥か遠方にある実験域の様子を報告する。「状況、順調にシークエンスを消化しています」

 マクギン提督は静かに息を飲んだ。彼の報告を疑う心はない。

「ゴーゴン艦、状況情報を超光速収集。各艦、メタ演算を開始しました」

 今、ゴーゴン艦は宇宙にいながら宇宙の〈外〉に存在するのと同じ状態になっていた。

 この宇宙の情報を彼女達は貪欲に自意識内に収集する。膨大な宇宙情報自体を計算機にするメタ演算を継続中。それは彼女達が独自に『会話』しながら行われている。

 外部から観察出来ないゴーゴン艦は一方的にキビシス・フィールドを透過した監視触手で宇宙を〈視て〉いる。

それと同時に触手で内部熱を排している。

 テレパシーと予知を尽くした全宇宙探査。

 彼女達は〈情報〉そのものだ。自情報以外の宇宙の情報をサンプリングする、情報体。

 完全なる理解とは、理解対象の情報を自己の認識域に取り込み、対象と自分の情報構成の違いを知る事。

 それぞれは生体の左脳と右脳、違う認知感性を持つシステムを内在対話させ、情報の認知精度を高める。

 まず三艦同時にマニピュレータから逃れえぬ全宇宙の量子場情報をアイコン化させ、収集し、メタ演算で精密化する。宇宙全体の情報。勿論、この状態の情報は一瞬で不鮮明だ。機体からの距離が離れるにつれ、量子場は指数関数的に情報精度が落ちてゆく。

 獲得情報が脳にいたって意識になるまではタイムラグがある。経験した過去と推測された未来の差分。

 知性体は経験情報と認識機能を用いて、現在と時間的、空間的に一致しない情報を推測する。予知。これが記憶想起であり、予想である。彼女達は演算力〈想像力〉で自分達の宇宙を補っている。超能力者実験体・田村虹美のDNAサンプルから複製したクローン生体脳によって。

 その〈現在〉から推測した一瞬先の〈未来〉を、次の機体〈エウリュアレ〉は〈ステンノ・ゴーゴン〉へ、〈ステンノ〉は〈メデューサ・ゴーゴン〉へ、〈メデューサ〉は〈エウリュアレ〉を〈念話〉で同時に受け渡す。

 各情報の比較により〈現在〉と相対する〈過去〉の概念が生じる。

 そして同じくして〈未来〉が。

 一瞬前の〈過去〉と一瞬後の〈未来〉との情報差異である一瞬が、その〈過去〉と〈未来〉を含みながら半独立した〈現在〉という意識となる。

 三体がエミュレートしたデジタルな情報の内部に、時間の流れによるアナログの意識が生じる。

 明晰夢。彼女達はメタ演算でその宇宙の一瞬後の量子運動・位置を推測、次の未来を夢見る。それは現実と区別のつかない共有幻想……夢の様だ。胡蝶の夢。

 現在が過去になる。その現在も一瞬後には過去となる。

 エントロピー量を比較して、未来を決定し、方向づける。

 彼女達は宇宙の全体像を語り合う。

 科学者の様に推測する。

 哲人の様に考察する。

 ブラック・マジック・ウーマンの様に予知する。

 精密化を進める。時間と共に遠方の情報をより精密に。宇宙情報自体のアイコン化を進め、具体的になっていく宇宙像。

 ホロン構造。解析。宇宙をシミュレート。キビシス・フィールドに隠れているゴーゴン艦自体の存在情報はほとんど無視できる。

 〈エウリュアレ〉は量子場の一瞬過去の宇宙の存在状況を元に一瞬未来を推測する。〈ステンノ〉は〈エウリュアレ〉と現状の情報の差異から一瞬未来の情報を推測。そして〈メデューサ〉も。

 過去が未来に上書きされていく。

 三艦は念話で演算リンクして情報精度を高める。

 演算した現在という情報を三艦は次次に続く姉妹に受け渡すサイクルを成立させる。

 繰り返す工程。

 瞬間瞬間の情報のサイクル。

 現在。過去。未来

 宇宙船のワルツ。

 姉から妹へ。妹から姉へ。

 姉妹の一人を見つめる視線が一巡りして自分を見る。

 他者から情報を得る事による循環で、自己観察。

 宇宙は時間方向には開放系。

 複数の、三人の彼女達による、自己認識は主観的であると同時に、自分自身が観察される客観的データだ。

 サイクルは加速していく。

 ペンローズの三角形。各艦が不可能図形の各頂点に位置する様なデルタの情報流形。四次元的には時間軸の方向へと何処までもねじれながらのびていく螺旋の如く。

 三つのゴーゴン艦の生体脳と超演算機能による情報解析運動がホロン的な一つの意識を作りだす。

 順調だ。

 指揮室のマクギン提督は眼前の大型ディスプレイに投影された『魔女の鍋』実験の進行状態予測とそれによって生じている様様な宇宙への干渉を統合情報として眺め続ける。

 ここまで実験は正常に予想通りに進行している。」

 何故、彼女達に与えられた名は〈ゴーゴン〉姉妹であって、時の女神三姉妹〈ノルン〉ではなかったのか。マクギンはふと考えた。

 それは現在過去未来の役割が各艦に固定されてるわけではなく、彼女達が自分の時間的位置のポジションを順巡りに循環しているからだ。そう、マクギンは瞬間的に自分の問いかけに返答した。

 作動し続ける事によって、経験をつみ、それによって性能の精度が上がっていく。つまり推測能力と現実の誤差が極小になり、それがさらに自身の観察投射機能と相俟って現実を操作できるようになった。

 三艦を駆け巡る〈現在〉という意識。

 三艦は〈現在〉を共有する。

 複雑さがデータの上位に一つの意識を生む。

 今や彼女達の内部にも宇宙がある。

 狂いのない未来予測は、量子宇宙にとって未来操作に等しい。サイコキネシス。宇宙の操作。

 想像は現実となる。データが現実となる。

 彼女達はこの宇宙そのものとなっているのだ。

 全知は全能だ

 探査機器は攻撃機器でもある。攻撃対象の行動領域を低いポテンシャルで安定させる。量子場のポテンシャルを最低状態にする。

 全宇宙を観察する事は、宇宙から可能性というものをなくす事。全ての量子場のポテンシャル・エネルギーを観察して最低状態に固定してしまう。そのはずだから。

 『魔女の鍋』。

 人工的に宇宙意識を生じさせる実験計画。

 宇宙意識。それは神性なのか。

 人間は神性を生み出せるのか。

 この宇宙そのものであるゴーゴン艦の上位に位置する〈意識〉。

 情報系の一部としての〈意識〉を考えてみる。

 情報とは宇宙のエネルギーの位置形態であるとすれば、物理法則に従う。

 物理の乱流系は自己組織化してエントロピーを減らそうとする性質がある。

 宇宙を観測する生物が誕生した時、平行宇宙の確率性、つまり乱雑さは格段と高まった。

 だから情報系は進化という形の自己組織化を始めた。

 ついに人間は高度に発達させた能力で、意識的な量子観測、つまり未来操作が出来る様になった。

 これを意識して使いこなせば、宇宙の乱雑さは極小に出来る。

 一種の理想世界だ。

 マクギンはそこまで考え、自分が涙を流しているのに気づいた。

 感動か。それとも狂気の自覚か。

 自分は誰かに観測されて存在化する。誰かは自分に観測されて存在する。これが宇宙を形作っていると考えるのは感覚的に因果矛盾を起こしているかの様に考えられるが、しかしこの循環規模が相対性理論から求められる超時空規模で為されているとされていれば矛盾は無くなる。

 人間認識を為さしめるMINDの問題がまさにこの超時空規模での循環で発生せしめられていると理論化出来れば、前の理論の礎となる。

 人間の脳が超時間的な連結を持つとすれば、脳は超時間的な情報伝達、検出が出来る器官という事になる。更に宇宙というものが瞬間瞬間で独立した情報系だとすれば、人間脳はそれをまたがった超時空認識系だといえる。人間の現在は過去と未来推測の差分である。各人間はそれぞれの脳機能として認識出来る平行宇宙を主観的に実在として感覚している。

 現在とは宇宙に存在する各人の認識性能が認識出来る範囲である。各人が他人を認識する場合はそれは一部を抽象的にしか認知出来ない。完全理解はその物にならない限り不可能。人にとって『他』はアイコンにすぎない。だから、その抽象情報を主観、推測や経験則、状況情報で補う。他人とは外からしか観察する事しか出来ないのだ。

 しかしゴーゴンは自分を主観的だというのと同時に客観視出来る。

 マクギンはそこまでを一気に考える。

 ゴーゴン艦はそれぞれが独自に、そして同じく、創造者であり、実行者であり、仲介者なのだ。

 大雑把な宇宙の情報を三艦が吟味する事で精密さが増す。時間の変移は情報の蓄積だ。

 時間の糸を束ねて、機を織る。宇宙の布地が出来上がる。

 〈呪術的距離〉が濃密になっていく。

 三つ子である彼女達の〈呪術的距離〉は限りなくゼロに近い。

 マクギンはふと、今、生まれつつある宇宙意識の名を考えた。

 イヴと呼ぼうか。いやORIHIMEだ。〈織姫〉と名づけるべきか。

 指揮室内ディスプレイの実験情報の推移を食い入る様に見つめながら、彼は小さな声で呟いた。

 その時、ジョーンズが静かに告げた。

「〈メデューサ・ゴーゴン〉に異常」

 途端、各艦の〈スーパー・バイザー〉達が混乱し始めたという通信が集まってきた。

 指揮室が騒ぎ出す。

「どういう事だ」

「〈メデューサ〉に動揺が見られます。演算結果に狂いが」ジョーンズ監視官が静かに、それでいて熱のこもった声で答えた。「〈メデューサ〉の演算に他二艦とは一致しない誤差が生じています。誤差は拡大する一方」

 ゴーゴン艦は誤計算を防ぐ為に三艦存在している。一艦に誤差が生じれば、残り二艦との多数決でどれが間違っているのかが解るのだ。

 姉妹の会話が混乱し続けています、とジョーンズは更に続けた。「〈メデューサ〉、テレポート態勢に入りました。新たなメタ演算。テレポート……現在の我我の宇宙から離脱しました」

「何だと!」

 遥か前方の宇宙で異常事態が起こっている。

 想定されていた以上の異常な何かが。

 我我の宇宙意識はどうなってしまうのだ。

 宇宙の静寂に、異常を示す警告シグナルを鳴らし始めた艦内ディスプレイ群の騒がしさが上書きされていく。

「〈エウリュアレ〉〈ステンノ〉、『魔女の鍋』実行継続中」

 マクギンは自分の手を揉みながら、実験中止を伝えるべく、叫びを挙げようとした。

 予想外だ。ゴーゴン艦二艦でも実験は続行出来るだろうが、残りの一艦にも誤差が生じるとそれはどちらが誤計算をしているか二艦だけの比較では特定出来なくなる。すると以降の計算自体がどんどん狂っていく事になる。

 すれば、この実験は何を生むか。

 宇宙意識自体が狂ってしまうのか。

 影響を受けて宇宙そのものが狂っていくのでは。

 これは非常な危険だとマクギンの本能が訴えていた。

 しかし。

 マクギンが決断を声にする前に、ジョーンズ監視官が再び声を挙げた。

「〈メデューサ〉が存在いた位置に新たな思念体が別宇宙から瞬間転移してきました」新たな異常を告げる監視官の声は恐ろしいほどに冷静だった。「識別コード〈ブラックマザー〉。〈ブラックマザー〉、魔女の鍋に加入します」

「〈ブラックマザー〉?」

 今度はマクギンが叫びに近い声を挙げた。

 〈ブラックマザー〉とは宇宙暦以前から稼動している国際警察組織の対犯罪巨大コンピュータ・ネットワークのマザーコンピュータの名のはずだ。この巨大電脳が自意識を持っているというのは前世紀から噂されていた。まさか、それが介入してきたというのか。本体が直接、乗り込んできたとは思えない。〈ブラックマザー〉の端末体なのか。

 一体、何が起こっているというのか。

 〈メデューサ〉逃走のこのタイミングで介入してきたという事は、今回のこの実験の失敗には〈ブラックマザー〉が最初から一枚噛んでいたという事なのか。

 その時、信じられない事が起こった。

 指揮室の正面。〈E・グローブナー〉の前方を光学観測していたモニタが、ぬばたまの宇宙空間を投影していた大型ディスプレイがオーロラの様な虹色の光の流れを包まれたのだ。

 全ての光学観測モニタが一斉に金属光沢の虹色に輝き、宇宙の闇も星の光も全て飲み込んだ。それは極彩色のグラディエーションの激流に艦隊がいきなり突入したのかと思える、超自然的な現象だった。

「馬鹿な……超光速現象だと……!」

 その虹色の激流の始点はまさしくゴーゴン艦と〈ブラックマザー〉が『対話』している『魔女の鍋』実験の現場だった。真空中をこんな瞬間的に劇的に現場から光が到達するのは信じられない事だ。

 現場で起こっている事をここで即座に視認出来るとは。

 距離感が混乱している。

 ゴーゴン艦が虹を生じさせている。現在と過去の狭間に。

「艦隊各艦より連絡!」通信士が声を張り上げる。「各監視官の監視が全切断されました! 超能力による監視も切断! ゴーゴン艦との接続は一切、断たれました!」

 マクギンの焦りが更なる汗の粒として表情に浮かんだ。

 当初からこの実験は、彼女らゴーゴン艦は危険だという予想はあった。

 それでも実験は強行されたのだ。

 全艦に彼女等に対する攻撃命令を出すべきか、マクギンは迷った。

「光と影の境界に色彩は生まれる。虹を七色であると科学的に最初に著述したのはアイザック・ニュートンだと言われています」

 混沌の騒乱と化した指揮室でジョーンズ監視官が眼を見開き、提督の心を読んだかの様に静かに呟いた。

「プリズムを透過した日光を虹色の光を七色であると示したのはド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの音階にあてはめたという説もあります。元元、虹の色彩の区別は曖昧で、北欧神話では冥界にかかる橋に喩えられるそれは三色ですし、九色だとするアフリカ民族の神話もあります。古代の東洋では昔、虹は凶兆とも考えられていました。七という数も死を表すものでした」

 ジョーンズ監視官は振り向いて、マクギン提督と視線を合わせた、

 その眼球は虹色の光にあふれていた。

 それを〈虹眼〉と呼ぶとマクギン提督は知っていた。

 ホラーカルトを構成する魔人達の特徴である事も。

「馬鹿な、軍所属者の身上は全て調べられているはず……そもそもホラーカルトなぞとっくの昔に消滅して……」

「生き残りはいるのですよ。平和に暮らしている者が予想しているよりも遥かに多く。そして〈全知全能機関〉は全てのシステムの上位にいるのです。〈ブラックマザー〉として」ジョーンズは自分の巻き毛を指でもてあそぶ。「いや、たった今、〈全知全能機関〉は誕生したのです。〈ブラックマザー〉に二体のゴーゴン艦を合流させて。全ての宇宙を含みながら〈空間的距離〉〈時間的距離〉〈呪術的距離〉を超越した、たった一つの全知万能の絶対意識として……宇宙をただちに破滅させる為に」

 完璧にエアコンディショニングされているはずの指揮室の気温が急激に低下し、霧が立ち込め始めた。

 もやる室内の光がにじみ、全ての人間が灰色の人影になる。

 ワイス副長が腰のホルスターに収められていたレーザー・ピストルを抜き、撃った。

 しかしジョーンズの額を狙った光線は、表面で霧の渦に吸収された。

「宇宙に永遠の平定を」

 言って、ジョーンズは腕を伸ばし、ワイス副長の手を掴んだ。

 霧の触手が副長の四肢に絡みつく。

 ゴ、と風が巻く大きな音がし、ワイス副長の身体は皮膚が骨格に張りつく様に急速にしぼんだ。

 次の瞬間、中身をなくした艦内用宇宙服とレーザー・ピストルが指揮室の床に落ちる。

 ジョーンズは哄笑した。

 濃霧の中、笑い声が指揮室で反響する。

 指揮室を埋める霧の中にあった大勢の人影も真空乾燥させられたかの様に一気にやせ細る。

 エネルギー・ドレイン。立ち込める霧の中でその人数分の宇宙服が中身をなくして、床に乾いた山を積みあげた。

 管制する者達をなくしたコンピュータ機器の規則正しい電子音が時を刻む他は、何の生命体の痕跡もなく、今、ここで生き残っているのはジョーンズ監視官だったものと、マクギン提督の二人のみだった。

 両手を振り上げたジョーンズ監督官が虹色の瞳の輝きを強くし、そして、この指揮室から消えた。時空跳躍。その者は〈空間的距離〉〈時間的距離〉〈呪術的距離〉を跳躍してこの指揮室を、この艦隊を、宇宙を脱出したのだ。一切の濃霧と共に。

 後はマクギン提督の荒い呼吸音だけが残された。宇宙服のインナーは大量の汗を吸っている。

 彼は前方の宇宙空間を光学的に監視し続けている大ディスプレイを見る。画面中心から放射状に投射されている虹色の輝きの中央に黒い影を見た。

 試金石の黒。

 奈落。

 魔女の鍋。

 ディラックの穴。

 パンドラの箱。いや、壺か。

 宇宙に空いた黒い〈穴〉だった。

 黒いもやの様な〈穴〉の縁が生きて、ざわめく。

 それは放射される虹色のオーロラと同じく、今ここでは見られるはずのないものだった。

 画面の中にそのおぞましいもの達の細部が明らかになり、立体パズルがほどけていく。

 超光速で接近してくるそれは、何万、何十万と革張りの翼を真空の宇宙に羽ばたかせている。

 人型の、無貌の魔物。

 続くその他にも様様な異形が、ある者は翼で、ある物は鱗の身をくねらせ、ある物は鱗粉を散らしながら真空の海を泳いでくる。

 もつれ合う触手。艶やかな暗黒。寄生虫のぬめり。深海魚の醜悪。顔の下半分が開かれた口。

 羽ばたきに似合わない速度での飛来。

 グリフォン。グレムリン。ガーゴイル。グレイ。人に似た、溶け合った、歪んだ笑顔の飛翔体。

 広がるエントロピーの領域が即ち、怪物。

 その他のありとあらゆる恐ろしきもの。

 観測者の主観的恐怖を投影した様なファンタジー・クリーチャーが宇宙空間を飛行し、襲い来る。悪趣味なホラームービーのクリーチャーの造形史を紐解く風の奇怪な怪物達が、何万、何億と怒涛の如くに押し寄せてくる。全ては雪崩。あまりにも大量、高速の接近に流体であるという感覚をマクギンは覚えた。

 マクギンだけではない。艦隊の全乗組員の恐怖の感情を投影した悪夢の群。

 艦内機構がロボット等で全自動化されているこの国連宇宙艦隊は人間の乗組員のほぼ全員がそれぞれの艦指揮室に集まっている。

 集まって観察している。

 観察して状況に恐怖している。

 観察が実体を生む。

 〈穴〉は鏡。真空。特異点。

 真空からエネルギーが沁み出す様に真空の〈穴〉から怪物が飛び出す。

 時間的空間的距離よりも〈呪術的距離〉が極めて近しい空間なのだ。今のこの宇宙は。

 塩原猛志はこの現象についても既に語っていた。

 見る者の主観的な観察、推測に応じた物質体を、それの存在する平行世界からとびださせる。また、これらの不思議な事象を説明しようとする概念が、魔王的人格、エントロピー極大の化身を召喚し、それが理由の後づけ的に「魔王がこの宇宙を滅ぼす為に怪物と共にやってきた」という物語的現実を補強し、因果関係を作りあげる、と。つまり、その存在は〈呪術的距離〉の濃密な〈物語〉なのだと。

 飛来する暗黒流がオーロラ虹の空間を急速に浸食する。

 明らかに直感的な光速より速く、艦隊の電磁波識別網の内部を塗り潰してきた。黒い大渦のフラクタルな枝葉が広がっていく。

 マクギン提督は攻撃指示を出していなかった。

 護衛待機隊形のまま、各艦個別の判断、命令系統を無視した軍人にあるまじき緊急応対による勝手な戦闘が開始された。

 十四隻各艦のそれぞれ無謀な応戦。〈E・グローブナー〉を中枢とする戦術リンクも機能していない。

 各艦、戦闘機械にエネルギーが回される。」

 最前方で盾艦が大電磁バリアを巨大パラソルの様に展開して、後背の友艦を守護する。

 電子戦闘。火器管制ステムのフル稼働と無数のロックオン。

 対攻撃機迎撃フォーメーション・モードのプログラムが選択され、バリアを迂回して一斉に発射される土砂降りの様な汎用ミサイル群。

 盾艦を含む各艦バリアは数学的ランダムで発生消滅を繰り返し、本体より分離した各砲塔がわずかな瞬間の隙から無色透明なフェムト・レーザーの豪雨を放出する。

 狂気をはねのける様に全武装が暗黒のレギオンを迎撃し、獅子の顎でエントロピーの具現化たる怪物達を噛み砕いて粉砕しようとした。

 次次と命中。宇宙空間に無数の爆発光球。

 しかし艦隊は完全な実力を発揮出来ないでいた。

 発狂。自身の恐怖が生み出した魔物を見た者は狂気に陥る。人工知能さえも。

 全観測機器がオーバーフローする。

 戦闘機器も性能が低下する。

 電子戦闘艦が演算を駆使して戦況を分析し、艦隊全体の最適戦術を算出するはずの艦隊ネットワークは大量の怪物達による〈グレムリン効果〉〈マーフィー効果〉で寸断されている。

 各艦がエネルギードレインされる。

 国連宇宙軍の最新兵器も狂気の前に無力だった。

 レーザーやミサイルの大部分はフラクタルな黒い渦に吸収される。

 宇宙の〈穴〉を見つめる知性にそこに投影される恐怖や疑念が怪物と化して、襲ってくる。恐怖は狂気だ。

 暗黒を押し返す事は出来ない。

 先進波よりも速い激流の先端が、バリアに衝突。

 プラズマの眩光が真空を破り、宇宙空間に巨大なスパークとして伝い走る。

 電子戦闘指揮艦〈E・グローブナー〉。

 せめぎあう闇と光の中、指揮室でマクギン提督は自分の首筋に無針トランキライザーを押し当てた。全兵士が持っている、緊急パックから取り出したその薬効が彼を狂気から脱出させた。

 しかし、それは発狂死する結末をほんの少し、延ばしたにすぎない。

 指揮室の全ディスプレイには虹色に黒流が走る光景が映る。

 艦隊は無秩序な魔物の群の奔流に翻弄される、湖上の木の葉の様だ。

 艦全体に重厚なスペースチタニウムの装甲を施した小型戦艦までも群がる怪物の鉤爪にかきむしられている。

 傷が走る。表面センサーに牙が立てられる。牙が引き裂く。

 そして、また盾艦の一隻が赤い光芒を噴出して沈む。

 無量大数の影。

 緩慢な死。

 撤退すべきだ。

 でも何処へ?

 この狂気は宇宙全体を速やかに病ませ、地球もすぐに発狂させるだろう。

 発狂。

 エントロピーが極大まで増加し、熱的死を迎える。

 宇宙が白痴化するのだ。

 絶望だ。

 無信心者のマクギンは指揮室の天井を仰いだ。見通せば、真の暗黒と狂気の虹色が閃き続ける天を。

 そして彼はディスプレイの一つに気づいた。

 オーロラが満ちるそれに点った、小さな一つの光。

 水銀の様な鏡面体。色彩の流星。なまめかしい周囲の幻彩を写して、眼をこらさなければ解らない、流線型の色むらとなっている。

 ふと、一瞬にして暗くなる。この宇宙の〈空間的距離〉〈時間的距離〉〈呪術的距離〉に同調してきた、墨滴。

 彼はそれが新たに現れた一隻のゴーゴン艦だと気がついた。

 〈メデューサ〉が帰ってきたのか。飛び去り消えた〈メデューサ〉が。

 いや、違う。

 雰囲気が違う。

 彼は確信した。

 その〈メデューサ〉は今さっき消えた、記憶の中の〈メデューサ〉とは雰囲気が全く違っている。

 凄まじいスピード。

 情報量が違う。〈メデューサ・ゴーゴン〉。ただし先ほど転移した個体とは情報的に同一ではない。呪術的データが濃い。成長している。

 彼女は〈経験智〉が増している。それは先ほど、この宇宙から消え去ったばかりの〈メデューサ〉とは比べ物にならないくらいに。

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