第5話●宇宙船という形の、時空の隙間・2
「そしてワタシはここで〈メデューサ〉に出会ったのよ」言葉による回想説明が終わった。ホラーカルトの聖域から脱出し、時空の狭間で〈メデューサ〉との遭遇までを語り終えたアリスは青銀色の毛を舌で舐めて毛づくろう。「つまり、ワタシは田村虹美であり、〈特殊刑事二二三〉であり、〈監視体一七〉なのよ」
情報戦闘実験艦〈メデューサ・ゴーゴン〉内のコックピットは、壁、天井、床全てに外部映像を投影している。
虹美も座る五つの座席は、情報時空の中に浮遊しているかの如く周囲に出現した発光するデータディスプレイ群に囲まれている。
まるで光線とシースルーの光幕で構成された立体画像の如き。
時折、幾つかの小さな情報ウィンドウがを無言でウィンクする。
影を落とさないアリスと虹美は、生身で果てしない情報時空の灰色の乱流の中に放り出され。シートに座ったままで宙に浮いていると感じられる
あたかも擬似無重量状態にあるかの様だった。
「今の貴女の性格は〈特殊刑事二二三〉とも〈監視体一七〉とも随分、違ってる様だけど」
「性格が新しい器の影響を受けてるらしいのよね」猫はコケティッシュに舌を出す。「他にご質問は?」
「未来の私は死ぬのね……」虹美は感慨深げに呟く。
「そう。一つの未来では死ぬのよ。〈渦眼〉という自らの力に気づけず」
シートの一つにのった青い猫は悪戯っぽく口の端を曲げて、笑う。
虹美はしばらく口を閉じ、アリスと〈メデューサ〉と出会ってからを仔細に思い出そうとする。話を理解する為には訊かなければならない事が山とあった。
「何故、私を助けたの?」眼を泳がせながら虹美は訊いた。「私があの教師に対する殺人を止めに来たんでしょ? しかし、あいつは吸血鬼になって襲ってきた。それからも私を助けてくれたんでしょ? どうして?」
「それはアナタがワタシ達の過去であり、〈渦眼〉だから」アリスは間髪入れずに答えた。「渦、それは螺旋。螺旋、それは有限空間を無限分割するフラクタル図形。……うずめ。異世界との橋渡し。親和しようとする力。虹色分割をくくる力。全てをその内側におさめ、物凄く強い影響力で世界を変容させ、超える力。現実と想像の境界をかき乱す力。……アナタの生まれつきのパワーよ」
虹美は思わず、自分の左眼に手を当てていた。視界が暗くなる。しかし、今の自分に特別な能力がある事はそれだけでは自覚出来ない。
アリスは続けた。「あの教師は〈全知全能機関〉にとりこまれ、ヤツの手先としてアナタに襲いかかってきた。それまでの〈宇宙〉ならアナタはヤツに対する傷害事件を起こすはずだった。ワタシが小学生のアナタを傷害事件を犯す運命から救った事で、将来、アナタが〈特殊刑事二二三〉となった運命から未来の可能性というつながりを切った事になる。しかし〈全知全能機関〉はそれを察知して妨害する為にその宇宙へ干渉し、霧の怪物〈吸血鬼〉として送りこんできたのよ」青猫は思わせげな舌舐めずり。「〈全知全能機関〉はアナタの人生の要所要所に刺客を送りこんでいる可能性が高いわ」
虹美は再び考えこんだ。学校での戦いの時、アリスと〈メデューサ〉が交わしていた会話の内容を思い出そうとする。
「〈キビシス・フィールド〉って何? それから〈グレムリン効果〉〈マーフィー効果〉というのも」
「一度に質問を三つも?」アリスはちょっと呆れた顔をした。
虹美はアリスの呆れ顔に気がつかないふりをする。尤もこれらの質問の答の見当はついていた。これらを求めたのはアリスが自分と同一の存在だという証拠、つまり既存知識の答合わせを欲する為だ。
「キビシスとはギリシャ神話に出てくる、怪物メデューサの首をしまう為に英雄ペルセウスが持っていた袋の事よ」
予想違いな事にこの質問に答えたのは〈メデューサ〉だった。ヘッドレストのスピーカーからの声は知識をひけらかしたがっているらしく自信満満だ。
「この船を電磁的隠蔽フィールドで完全に覆って、外側から電磁的、光学的に観察出来ない様にするのが〈キビシス・フィールド〉よ。あ、光学的ってのも電磁的性質の一種だけどね、念の為。〈ステルス・フィールド〉とも呼ばれるわ」自らの機能を自慢したがる様な〈メデューサ〉の声音。「〈謎〉はそれだけで防御力で武器なのよ。〈グレムリン効果〉は機械が原因不明で不調になる事。あの吸血鬼はそういう攻撃手段の邪視も持ってたわ。〈マーフィー効果〉は事態が悪化する可能性はより増大する傾向にあるという事よ。これも吸血鬼の力ね。どちらも対象が観察される事でより深刻になっていくし、わたしは量子宇宙での存在可能性を操作し、サイコキネシスで飛行する船だから、わたしを不審視し疑念を持つ観衆が沢山いるところでは量子場のポテンシャルが減少して、自由を奪われるのよ。これも邪視攻撃の一種ね。大気圏内では艦体表面全部の気流演算をリアルタイムで行い続けなければならない為、機械性能が落ちると最悪なのよ。元元は真空の宇宙を飛ぶ船なんだしね」
「邪視攻撃って?」
「観測して確定する事でその量子場のポテンシャルを最低にするのよ」今度はアリスが答えた。「この艦の機動センサー群を使った戦い方を見て解ったでしょ。『視る』事はその対象を固定して量子的ポテンシャルを奪うのよ。じっくり観察されるのは可動域を奪われるという事」眼の輪郭が鼠をいたぶっているかの様なつり眼になる。「そもそも『視る』というのは最も古代の最も簡単な呪いのかけ方なのよ。意思をこめて見つめる、それで眼線に不吉な力が宿ると信じられていたの」アリスは右前足で頬の毛を掻きながら続ける。「古代では〈魔眼〉といって、生まれつき視線に不吉な力が宿っているとされた人間がいた。現在でもやけに眼力(めぢから)がある人はいるわよね。ワタシと同じ知識があるから解っていると思うけど、この艦の名前の元であるギリシャ神話の魔物メデューサはその顔を見た者はあまりの醜さに石と化してしまう魔力があったわ。尤もワタシは美しいニンフだった〈メデューサ〉がその美麗な顔を一目見た者を石に変えてしまう呪いを神からかけられていたという物語の方が好きなんだけど。まあ、ここら辺の知識はアナタも同じはずよね。田村虹美、〈特殊刑事二二三〉〈監視体一七〉は大元は同一人物なんだから」
そのアリスの言葉に虹美は地下鉄内の〈特殊刑事二二三〉〈監視体一七〉の顛末を再び思い起こした。あの時は自分の〈渦眼〉の能力を知らずに死んだ。
そして吸血鬼の最後を。〈メデューサ〉に睨み尽くされた敵は石化……無力化させられてしまう。
「よく観察するというのは対象があらゆる場所に実存する可能性を奪うという事。邪視攻撃はそれを科学的に再現したものでもあるのよ、虹美」アリスは言う。「それとこれは〈メデューサ〉から直接、教えられて、アナタは知らない事なんだけど、〈メデューサ〉には同型艦があと二隻いるのよ。神話の〈ゴーゴン〉三姉妹の様に」
「だから、わたしのフルネームは〈メデューサ・ゴーゴン〉」オーディエンスに〈メデューサ〉からの声の響きが届く。「〈エウリュアレ〉〈ステンノ〉の二隻の姉様がいるわ、二人もわたしと同じ、あなたの遺伝子から作られたクローン脳の持ち主よ」
「クローン脳? 私の遺伝子の?」
「そう。だから結局、田村虹美、〈特殊刑事二二三〉〈監視体一七〉〈メデューサ・ゴーゴン〉は全てイコールなのよ」アリスが答えた。
「私の遺伝子なんか何処で採られたのよ?」
「虹美の細胞サンプルは〈特殊刑事二二三〉になった時点で日本国家に採取されているわ。それが〈メデューサ〉〈エウリュアレ〉〈ステンノ〉の三隻の国連宇宙軍の情報戦闘実験艦を製造する時、中枢機構の三つのクローン脳として培養、育生されたのよ。全く同じ電脳環境で三つとも全く同じ経験情報を与えられて成長してね。超能力者、つまり〈スーパー・バイザー〉の脳がサイコキネシスで飛ぶという駆動方式の新型艦に必要だったからよ」アリスは滔滔と語った。自分が〈メデューサ〉とつながった事で与えられた知識を。「〈メデューサ〉、それはサイコキネシスで飛ぶ船。量子宇宙を操作して存在可能性を操作し、自己の存在確率を高めて移動する飛ぶ船。空間、時間を飛翔し、〈呪術的距離〉を操作して〈多世界〉を跳躍する」
「何? 〈呪術的距離〉って?」虹美は思わず訊き返す。
「質問を続けるわね。じゃあ、また、つながる?」〈メデューサ〉の唐突な言葉。
「合体するって事?」と虹美。
「その方がてっとりばやいわ」
「なんか、やらしいわね、アナタ達」アリスが言う。
「合体じゃなくて言葉で伝えて」虹美はちょっと物惜しげに言う。欲求不満の風もある。「心で納得するより、言葉で理解したいの」
「そう? 普通、逆よね」と〈メデューサ〉。
「何で超能力者の事を〈スーパー・バイザー〉って呼ぶの?」
「この宇宙の量子場に作用する〈視線〉の力をこの宇宙内のエネルギーに束縛されないで、メタ的に駆使出来る者達だからよ」とアリス。「つまりこの宇宙自体には所属しない〈監督〉の眼線でこの宇宙に力を作用させられるって事ね」
「この宇宙自体には所属しない……力?」
「それは人間の意思の所在にも関わる事よ」アリスは即答する。「〈呪術的距離〉といい、これらは塩原に直接、訊ねに行った方がいいわね」
「塩原って、ホラーカルトに捕まって、小説を書かされていたって人?」
「今の宇宙の方向性はあの男から始まったんだわ。尤もアナタがワタシ達の助けで〈全知全能機関〉の刺客の吸血鬼を倒し、その宇宙の未来を流れを変えた事で塩原もホラーカルトにつながる未来が断ち切れたはずだけどね。でも、あの男が元凶なのは変わらないわね」
「何故、作家が全ての元凶なのよ」
「そうよ。全ての事は元元、あの男が作った理論の責任だって言ってもいいかもね。あの男が物語を作り出したのよ
「で、その塩原ってのは何処にいるの? 地下鉄であの男は死んでるじゃない」
「だからカレが生きている、過去の宇宙に行くのよ」チェシャ猫の様な笑い。「〈メデューサ〉と合体してね。これまではいまいち過去の塩原が生きている宇宙とは縁が遠かったけど、塩原の存在を伝えられたアナタの〈虹眼〉の力があれば、合体して彼が生きている〈空間的距離〉〈時間的距離〉〈呪術的距離〉の座標まで飛べるわ」
「結局、合体するんじゃない」
「マン=マシン・ハイブリッド。〈メデューサ〉はアナタをコアにして、機体が高機能に拡張するのよ。アナタの〈渦眼〉に使われると共に機械的に互いを補い、凄まじい理解力が発揮出来る様になるわ」
虹美の座るシートのヘッドレストの上から金属製のリングが額の位置まで下りてくる。
額の一点に点る温かい感覚。
そして、いきなり自分の頭の中を誰かに覗き込まれる感覚。
同時に自分という輪郭が巨大化して船全体に広がり、肌の感覚が真空に触れる艦表面になる。
無限個、無限種類の平行宇宙から成る膨大な液流の流れの中に無限の距離を置いてぽつりと浮かんだ、偉大なる船になり、彷徨うでもなくうつろうでもなくただ存在する知能存在として今、顕現する。表層は鏡面だ。
虹美は〈メデューサ〉の持つ、情報の全てを把握した。
心で納得した。
「ジャンプの準備は整った様ね」
そこにアリスの思念が重なってきた。
姿は見えないが彼女も〈メデューサ〉と合体したのだ。
〈呪術的距離〉。虹美の力とアリスの脳内情報による経験で塩原の生きている宇宙までジャンプするのだ。
「トリプルダンス」脳内のアリスが言った。「虹美。ワタシ達は将来、アナタが〈特殊刑事二二三〉となる運命から縁を切ろうと教師への殺人未遂を犯す運命から救おうとしたわ。しかし〈全知全能機関〉はそれを察知して妨害する為に霧の怪物を送り込んできた」
「やっつけたけどね」合体した思念に染み入る様な〈メデューサ〉の誇らしげな声。「割と簡単に」と嘘をつく。
「塩原の所にも〈全知全能機関〉が刺客を送っている可能性が高いわ」とアリスは言う。
「覚悟しなさい、という事ね。これからもああいうのが私達の行く先先に増えてくるのね」
虹美はアリスの記憶、つまり〈監視体一七〉と〈特殊刑事二二三〉の記憶も増えている。
猫は説明した。
見るというのは光を与えるのではない。吸いこむ事だ。
人間の脳再現映像は本来、鏡と同じだ。
その解像能自体が輪郭の縁にモアレの虹をを生じさせる。
それが色彩が光と影の境界にしか生じない理由だと。
「わけが解らないわ」と虹美が言う。「でも納得出来る」
「塩原に解説してもらうわ」アリスは言う。「跳ぶわよ」
〈空間的距離〉。ある位置からある位置までの空間的座標を転移する。
〈時間的距離〉。現在からある程度の過去、ある程度未来まで時間的座標を転移する。
〈呪術的距離〉。情報の意味を伝っていく移動。虹美の記憶を〈縁〉として跳躍。
虹美は『見つめ』た。
〈渦眼〉はこの様様な全てから最も縁遠い宇宙の狭間で力を発動する。
虹美はアリスの脳内にあった塩原猛志の情報記憶を自分のものとして〈メデューサ〉を転移させた。
情報戦闘実験艦〈メデューサ〉の外郭から虹色の光が滲み出し、放射する様に周囲に広がっていく。
親和。
今のここには空間も時間も意味がない。
決定するのは主観的な概念だ。
想いが意味のある連続性を生む。
青猫によれば、その連続性が時間なのだと。
周囲にあったほぼ全ての平行宇宙が溶解していき、同時にある一点だけがクローズアップされ、現実味を帯びていく。インターネットにつながったブラウザの検索機能が意味を求められた情報体を見つけ、価値がそこに集中していく様に。
〈メデューサ〉の輪郭の周囲で一つの宇宙が形を持ち、色彩を持った景色が生まれ、そして詳細が丹念に彫刻されていく。
幻想的な宇宙跳躍で確固たる現実へ。
ここは若い塩原猛志が生きている一九九八年の東京の一般的な風景。
透明化。〈メデューサ〉は即座に〈キビシスフィールド〉を展開させ、東京の住民やそれら全ての探知観察手段から電磁的、光学的に自分の姿を隠蔽する。
西暦一九九八年の時間が風と共に流れ始めた。
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