第130話 殺戮のラビュリス

「バーナードさん!夕食食べに行くぞ!」


「おう、スコットか。先に外に出て待っていてくれ。デレクを起こしてからすぐに行く」


 時は遡って夕刻。スコットは夕食を食べに行くために部屋に残っているバーナードを呼びに来たのだった。


「おう、分かったぞ!」


 スコットはバーナードの返答を聞いて、階段を駆け下りて外に出た。バーナードが宿泊しているのは宿屋の2階なのだ。


「おう、バカ兄貴。バーナードさんは何て言ってたんだ?」


「デレクさんを起こしてから来るって言ってたぞ」


 入り口の側に居た弟であるピーターにバーナードの言葉を伝えるスコット。彼らの近くにはローレンスとミゲルもそれぞれ斧槍ハルバードと大槌を小脇に抱えて、静かに立っていた。


「それでスコット、シルビアとマリーはどうだった?」


「二人とも着替えが済んだら来るって言ってたぞ」


「そうか」


 ローレンスはぶっきらぼうな口ぶりと態度であったが、ミゲルはその隣で頭を抱えていた。


「どうした、ミゲル」


「あ、ああ……。今日は朝から飲み歩いてたもんだから、頭が痛くてよ……」


「ホント、よくもまあ、そんなに酒なんか飲めるな」


 ミゲルは朝から夕方まで酒場をはしごしていたことを素直にローレンスに明かし、頭を抱えていた。ローレンスも酒はほどほどにとミゲルには言っているが、聞く素振りは無いのだ。


「まさか、ミゲルさん。今から行く店でも酒を飲むつもりですか?」


「ああ、そうだが……どうかしたのか?」


 ミゲルの「それくらい常識だろ」的な発言に今度はピーターがため息をついていた。後輩にため息をつかれるミゲルをローレンスはクスクスと笑っていた。4人が話している内容も他愛もないモノであり、平和さがうかがい知れるようであった。


 しかし、そんな平和な風景を壊す存在が彼らの前に姿を現した。


「誰だ!?」


 どことなく敵意を溢れさせている人物がローレンスたちの方へと歩いてきていた。その人物は黒いローブに身を包み、フードを目深に被っているといういかにも不審者な装いをしている。


 何より、ローレンスたちが警戒したのはその人物が右手に両刃斧ラビュリスを握りしめていることだった。


「おい、止まれって言ってんだよ」


 ミゲルは声を恐怖で震わせながらも大槌をその人物の方へと向けるが、人物に反応するような素振りはない。ミゲルを横目に見て、ローレンスも斧槍ハルバードを無言で構え、スコットとピーターもそれぞれ片手剣ショートソード長剣ロングソードを鞘から引き抜いて構えた。


 それを見届けたかのような絶妙なタイミングで、その人物はフードを取り、刈り上げられたライラック色の髪が月明りの元にさらされた。


「……あなた方はローカラトの冒険者ギルドの者ですか?」


 男の落ち着いた第一声には有無を言わせないような迫力があった。


「そうだ、と言ったらどうするつもりだ?」


 ローレンスは勇敢に3人よりも前へと進み出て、言葉を投げ返した。それに対しての、男からの返答は冷酷であった。


「ならば、逝って頂くとしましょう」


 その言葉に、4人は寒気が足元から頭頂部まで駆け上っていった。


「“轟音”!」


 ローレンスは反射的に音魔法を発動させた。恐怖で体の動きが止まってしまった中での、反撃の第一声であった。鼓膜が裂けそうな音が男へと放たれるが、特に動じる気配は無い。


「くたばれっ!」


 ローレンスの轟音の範囲外から間合いを詰めたミゲルが、音魔法の止んだ一瞬の隙を突いて大槌を左側面から男の頭部へと叩きつける。


「邪魔ですよ」


 ミゲルの大槌は男の左拳に受け止められていたが、ダメージはあったらしく流血が見られた。だが、その攻撃は力づくで薙ぎ払われ、ミゲルは空中へと投げ出された。


「……闇――」


「“風霊砲”!」


「“炎霊砲”!」


 体勢を立て直せずに宙に浮かぶミゲルに男が右手を掲げて魔法を放とうとするが、そうはさせまいとスコットとピーターから全力の精霊魔法が撃ち込まれた。風と炎が混じりあっての大爆発に、周辺に熱風が吹き荒れる。


 攻撃を受けた男はローブに火が付いたためにローブを脱ぎ捨てた。ローブの下には頑丈そうな鎧を着込んでおり、いかにも屈強な戦士といった姿であった。


「やはりこの方が動きやすいですね。手始めに、あなた方を皆殺しにするとしましょう」


 宙を舞い、着地したミゲルへと男は疾駆し、両刃斧ラビュリスでの重撃を振るった。だが、ミゲルは腕を盾にして受け止めた。両刃斧ラビュリスによる斬撃で、腕が斬り飛ばせなかったことに男は顔をしかめた。


「俺にはそんな攻撃は効かねぇぜ」


 苦しそうな表情ではあったが、形だけは笑顔を保っているミゲルである。そんなミゲルと対峙する男の元にローレンスの斧槍ハルバードが強襲する。


 激しく何度も斧槍ハルバード両刃斧ラビュリスがぶつかり合うが、パワーでもスピードでもローレンスが押されっぱなしであった。


「とりゃあ!」


「オラァ!」


 スコットの片手剣ショートソードとピーターの長剣ロングソードが男目がけて振り下ろされるが、男は両刃斧ラビュリスの柄で受け止め、二人ごと攻撃を薙いだ。


 二人は軽々と吹き飛ばされ、強制的に男との距離が空けられた。


「貰ったぜぇッ!」


 スコットとピーターの死角からミゲルが男の頭部を叩き潰そうと大槌を掲げた。


「“闇霊砲あんれいほう”」


 しかし、ミゲルは大槌を振り下ろすことなくドス黒い砲撃に呑まれ、姿を消した。


「ミ、ミゲル……ッ!」


 ローレンスは焦ったように周囲を見回すが、ミゲルの姿はどこにも見当たらない。


「あの男、物理的な攻撃は効き目が薄いようだが、魔法は効くらしい」


 男はポツリと言葉を落とし、ローレンスへと向き合った。スコットとピーターは今の攻撃のことで恐怖に全身を蝕まれていた。


「まずは一人。次は貴公になりますが、よろしいですか?」


 男はローレンスを指差し、両刃斧を掲げてローレンスへと向かっていく。


「貴様ァッ!ミゲルをどこにやった!」


 ローレンスは怒りの向くままに斧槍を男の首筋目がけて薙いだものの、斬撃が命中する前にローレンスは自分の下半身を見、満天の星空を眺めながらすべての感覚が停止した。


 残されたローレンスの下半身はガクリと膝を折り、地面へと崩れ落ちた。


「うわああああああッ!?」


 ピーターが叫び声を上げながら、斬りかかっていくのを男はフッと可哀そうなモノでも見るかのような眼差しであった。そんな様子の男が薙いだ両刃斧ラビュリスはピーターを切り裂くかに見えた。


「ピーター!」


 そんな声が響いた直後、何かを切断するような音と共に血飛沫がまき散らされた。絶命したのはピーターではなく、スコット。死地へと飛び込んでいく弟を庇っての死であった。


 そして、スコットの首を斬り落とした凶刃は勢いそのままにピーターへと襲い掛かる。


「“炎霊斬”!」


 ピーターはその凶刃の威力を相殺しようと炎を纏った長剣ロングソードを叩きつけるが、武器の強度の違いで思っていた結果にはならなかった。


「ぐっ!」


 宿屋の入口の柱へと叩きつけられたピーターは衝撃で気を失ってしまった。手にしているのも長剣ロングソードの柄のみである。そんな状態のピーターへと迫りゆく死の足音。絶体絶命かに思われたその時、氷の矢と風の刃が立て続けに男へと放たれた。


「貴公は一体……何者ですか?」


 両刃斧ラビュリスを縦に回転させ、氷の矢と風の刃を弾き飛ばしてしまっていた。攻撃を防ぎ終えた男は宿屋の2階にいる人影を見逃さなかった。だが、1階の宿屋の入口へと視線を戻すと、別の男が二人、その場で武器を構えていた。


「“酸竜巻アシッドトルネイド”ッ!」


 宿屋の入口に居たデレクから酸の竜巻が男へと放たれる。もう一人の男はその間にサーベルを引き抜き、自分へと向かってきていることを男は見逃さなかった。


「何だと!?」


 デレクの酸の竜巻は男の両刃斧ラビュリスによって、大気ごと切り裂かれてしまっていた。


「デレク、かわせ!」


 デレクはバーナードの言葉を聞き、反射的に近くに居たピーターの襟首をつかんで右へと飛び退いた。


 デレクの居た場所から宿屋の内部に至るまで、一直線に地面に亀裂が入れられていた。宿屋の廊下にいた数名のやじ馬も衝撃波で真っ二つに斬り裂かれてしまっていた。


 “酸竜巻アシッドトルネイド”を切り裂いた斬撃は、直線状に宿屋の建物ごと一刀両断した。そんな桁違いな一撃の威力にバーナードは戦慄を覚えた。


「シルビア!マリー!大丈夫か!?」


 バーナードが左右に分断された宿屋の中に残されている二人の安否が気になったのか、バーナードは足を止めていた。


「私は大丈夫だ!」


「アタシも大丈夫よ!」


 二人とも、宿屋の2階部分から顔を出し、バーナードへと言葉を投げた。バーナードが安心したのも束の間、殺意を帯びた両刃斧ラビュリスが肉薄。


 ――ガキィン!


 一瞬の内に間合いを詰められたことに驚きを隠せないバーナードだったが、考えるより先に腕と足が動いた。


 後方に跳びながらも、サーベルで両刃斧ラビュリスを受け止めた。薙ぎ払われたバーナードは宿屋の壁に弾丸のごとく撃ち込まれた。


「私の相手をしながら、仲間の心配とはいい度胸をしている」


 バーナードが瓦礫の中へと姿を消したことで、矛先はデレクへ向いた。デレクも自らの内に宿る恐怖と目の前の脅威。この2つを同時に敵に回していた。


 デレクには迷いもあった。得意の格闘術を扱おうにも、接近すれば両刃斧ラビュリスにかかって絶命するのは目に見えている。だが、相打ち覚悟で挑まなければ勇気を振り絞ることは出来ない。


「俺っちがやらねぇと、他のやつらが死ぬんだ!」


 デレクは両の頬をバシッと叩き、自らに喝を入れた。


「覚悟が出来たのなら、逝っていただけますか?」


 男がデレクとの間合いを縮めんと踏み込んだ刹那、一人の男が瓦礫の中から飛び出した。


「ほう、まさかまだ動けるとは」


 男が見たのはサーベルを片手に血まみれで自分の方へと疾駆する漢の姿。男は完全に不意を突かれる形になった。両刃斧ラビュリスはバーナードが向かってくる方とは逆サイド。今から薙ぎ払っても、ギリギリ間に合わない。


「ブラスト!」


 バーナードは掴んだ。男の頭部を。その直後、小さな煌めきが爆ぜた。その反動でバーナードはデレクの元まで吹き飛んだ。零距離からの爆裂魔法。バーナードも、これを使うのは人生で初めてである。使わなかった理由は、自分にも爆発の余波が直撃するからだ。


 自爆技……とまではいかないが、捨て身の攻撃であることに間違いはなかった。


「バーナード!?しっかりしろって!」


 デレクが呼びかけると、すぐに反応があった。


「デレク、お前はピーターを連れてここを離れろ……!」


 バーナードは苦し気に体を起こし、デレクの目を見た。デレクにもバーナードの真剣度合いはそれだけで十分に伝わった。事実、ピーターをこの場に放置しておくのは巻き添えを食らってしまう。下手をすれば死ぬ恐れもある。


「それは分かった。でも、アンタをここに置いていくわけには行かねぇって……!」


「黙れ。あれをできるのは俺だけだ!お前でも、シルビアでも、マリーでも数秒で死ぬのがオチだ。足止めにすら……ならない」


 デレクも分かっている。ローレンスとミゲル、スコットが辿った末路を。自分自身、ローレンスとミゲルの二人と実力が同程度なのも含めて。


「バーナード!大丈夫か!?」


「デレク、アンタも酷いケガ……!」


 そんな二人の元に女性陣二人もやって来た。


「お前たちにローカラト冒険者ギルドマスター補佐として命じる」


 バーナードの言葉に3人はゴクリと唾を飲んだ。命令という時点で3人に有無を言わせないためだというのは明らかだった。問題は命令の内容である。3人とも恩人であるバーナードに盾になれと言われれば、盾になる覚悟はある。


「3人ともこの場を離れろ」


「なっ……!」


「ちょっと……!」


「おい……!」


 シルビア、マリー、デレクの3人はバーナードの命令に戸惑った様子であったが、まだ命令の内容を最後まで聞いていなかったために口をつぐんだ。


「デレクとマリーはピーターを連れて、ラウラかシャロンを捜せ」


 デレクとマリーの二人は頷き、デレクがピーターを横抱きにしてその場を離れた。確かにラウラなら治癒魔法でピーターの傷を治せる。シャロンなら、回復薬ポーション巻物スクロールといった類の魔道具を持っている。


 ただし、二人の元に辿り着いた時点でピーターが死んでいないことが最低条件である。故に二人は異議を唱えずに迅速に動いた。


「バーナード、私は何をすれば良いんだ?」


「シルビア、お前はマスターにこの事を伝えろ。その後のことは、あの人の判断に従え」


 バーナードはフッと笑みをこぼした。シルビアにウィルフレッドを見つけさせようという狙いはある。だが、それ以上にこの場からシルビアを引き離すにはちょうどいい口実になると考えていた。


「分かった。必ず、マスターを連れて戻って来る」


「おい、俺は戻って来いとは一言も――」


 無駄であった。シルビアにバーナードの声は聞こえてなどいなかった。シルビアはウィルフレッドさえ連れて来られれば、男を倒してバーナードを助けてくれると確信していた。


 何せ、自分たちの冒険者ギルドのマスターはこの世界に2人しかいない白金プラチナランクの冒険者。しかも、“死神”の異名を取る20年前の英雄・オリヴァー・スカートリアその人である。


 シルビアは惚れた男を助けるために命を賭してギルド最強の男を捜した。たとえ、惚れた男が自分の方を向いていないとしても、自分の惚れた男を死なせるわけにはいかない。


 自分があの場に残っても、バーナードの足を引っ張るだけなのは分かっているからこその俊敏な判断であった。


 ――バーナード、頼むから無茶しないでくれ。


 シルビアは走りながら、そう神に祈ったのだった。


「さて、お別れは済みましたかな?」


 場所は戻って、宿屋。男は至近距離で爆裂魔法を受けてなお、平気そうな態度であった。やや顔にやけどの後があるが、それだけだ。


「お前、中々頑丈なヤツだな」


「フッ、あの程度の攻撃では私を倒すことなど不可能ですよ」


 バーナードの言葉に、男は笑みをこぼした。その余裕そうな態度にイラっとする感情を覚えるが、それ以上の恐怖が苛立ちを包み込んでしまうのであった。


「人間、貴公の名を聞かせてもらえますかな?」


「……バーナードだ」


 男の言葉に疑問を浮かべながら、自分の名を答えた。


「勇気ある戦士バーナード。私はバートラム、逝って頂くまでの短い間、私の名を覚えていて頂けるとありがたい」


 ニヤリ、とバートラムは口角を吊り上げて両刃斧を改めて構えたのだった。

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