扉を開ける者達(4)――希望を手繰り寄せる時

 フリートはしゃがみ込み、おそるおそるリディスの左肩に右手を添えてくる。

 手の感触があり、リディスはびくっとした。声と映像ではない。リディスのすぐ目の前に彼がいる。

 視線を合わせず、暗闇を見ながら口を開いた。

「何でいるの……? 私、ラグナレクと一緒に扉の奥に行ったんだよ?」

「そうだ。お前のおかげで一時的な平和は得た。だが予言された内容を思い出して気づいたんだ。俺はまだやっていないことがあるって」

 リディスの目の前に、握りしめられた大きな左手が出される。彼の手が開かれると、そこにある物を見て目を大きく見開いた。そして慌てて自分の首下に手を触れる。下がっていた鍵のペンダントがない。外した覚えはないが、なぜかフリートが持っている。

 困惑しているのをよそに、彼は鍵を引っ込めた。

「俺は鍵で扉を開けていない」

「え……?」

 つられて視線を上げると、黒色の瞳と視線があった。扉を閉める直前でした行為を思い出すと、途端に頬が赤くなる。しかしフリートはそれにも気づかず、言葉を並べてきた。

「だから予言によれば、俺も鍵で扉を開ける立場だったんだよ。だけど俺はまだしていなかった。……それだけじゃない。早々に樹をドラシル半島に戻さなければ、お前が思っている以上に早く世界は終わる。下手したら数日しかもたないかもしれない」

「嘘……」

「城の地下にある土の魔宝珠を見たら、すでに壊れ始めていた」

 告げられる内容は予想を遙かに上回る、最悪のものであった。数年は大丈夫だと踏んで封印を行った。しかしその願いは無惨にも砕かれそうである。

 俯きそうになるリディスだったが、フリートはぶれない声で両肩を掴んできた。

「それを止めるには、魔宝樹を地上に戻して、正しい循環に戻すしかない。それにはお前の力が必要だ。だからここに来たんだよ。面倒な映像を散々見せられて、探すのにだいぶ苦労したがな」

「魔宝樹を戻すって言っても、ラグナレクをそこに刺してしまった……。樹をあの大地に戻すのは無理よ……。それに私だってもう……」


「お前はまだ生きている。勝手に死ぬな、馬鹿」


 フリートはぽんっと軽くリディスの頭に手を乗せて、立ち上がった。

「とにかくここから出て、魔宝樹の傍に行くぞ。ここはただのまやかしの場だ、留まる理由はない」

 さらりと出された言葉に、リディスは上手く捉えきれなかった。

「私、ここから出ていいの? ここにいるべき人間じゃないの?」

「はあ? さっきから何を言っているんだ。何を見せられたかはわからないが、ここは魔宝樹が溜め込んでいる負の感情が結集した場。どうしてお前がここに居続ける必要がある。お前が他人の感情を背負う義務なんてない。人の感情はその人自身が抑え込むものだ」

「でも……」

「もっと理由が欲しいのなら言ってやるよ。俺たちがお前を必要としているから、ここから連れ出すんだ」

 リディスが目を丸くしていると、フリートは不敵な笑みを浮かべながら言い放った。

「それに中途半端ではなく、最後まできちんと鍵としての役割を果たしたいのなら、俺たちについて来るべきなんじゃないか?」

「中途半端……ですって……!?」

 あれだけ悩んだ末にした行為を中途半端と一蹴され、リディスは一瞬で頭に血が昇った。鋭い視線を送ると、くすりと笑い返される。

「ああ、そうだ。その場しのぎなんて、結論を先延ばしにしただけの中途半端な行為だろう」

「その言い方はないでしょう! 私がどれだけ悩んだか知らないくせに……!」

「俺たちがあの直後にどれだけ苦しんだかも、知らないだろう」

 低い声を出されて、リディスははっとした。哀愁漂う表情をしている彼を見て、視線を逸らす。

「……ごめん」

「謝るな。そんな状況に追い込んだ俺たちにも責任はある。――怒っていた方がお前らしいさ。さあ、いい加減にここから出るぞ。空気を吸っているだけでも辛い」

 フリートが手を差し出してきた。頭の中では整理ができていないが、今はここから出るべきなのだろう。空気を吸う以前に、いるだけで気分が沈んでくる。

 リディスは躊躇いながらもその手を取ろうとしたが、寸前で手を止めた。フリートが怪訝そうな顔を向けてくる。

「どうした、時間はないんだぞ」

「ねえ、魔宝樹を私たちが住まう大地に戻すってことは、そこに封印されているラグナレクも戻すってことになるわ。その時にどうするかは考えてあるの?」

 先ほどの戦闘の二の前になるのは避けなければ意味がない。フリートはさらりと返答してくる。

「魔法陣と四大元素の欠片を使って威力を高めて、還術か封印を行う」

「欠片?」

「お前、欠片を持っているだろう。こっちの世界に来る前に握らされたのを見た。予定ではロカセナは、それを使って威力を高めて、ラグナレクを封印するつもりだったらしい」

「でも威力を高めるだけで、ラグナレクをどうにかできるのかしら」

 あまりに巨大な力を見せつけられたため、リディスは大丈夫だと断言できなかった。

 たしかに欠片を用いて何かをするのは間違っていない。欠片たちは見た目の大きさ以上に優れた能力を有しているからだ。

 現にリディスも欠片の力を借りなければ、一人でラグナレクをこの地まで連れてこられなかっただろう。

「もっと根本的な何かを変えない限り、同じ事が繰り返されると思う……」

 手をぎゅっと握りしめる。フリートの手はまだ取れそうにない。それを察した彼は手を引っ込めた。

 何十倍、いや何百倍にも威力を高める方法を考え、そして枯れ果てた樹に再び緑を戻さなければ、この戦いを終わりに導くことはできない。

「さらに強力な魔宝珠でもあれば、戦況が大きく変わるかもな」

 フリートが腕を組みながら呟く。それを聞いたリディスは、口元に人差し指を当てながら俯いた。

「四大元素の大元である魔宝珠以上に強力なものなんて、聞いたことがない。それこそ樹みたいに大きな――」

 リディスは目を丸くした。同じことを察したフリートと顔を合わせる。

「俺たちが持っている宝珠は、もともと樹の一部なんだよな? 逆を言えば樹を四大元素の欠片のように宝珠として利用できないか?」

「枯れていたとしても、まだ完全に死んだわけではない。樹を地上に戻して、その力を借りながら還術か封印をすれば、威力は強くなるかも……?」

 表情が自然と明るくなってきた。樹を戻す理由も明確になる。循環を維持するためだけではなく、目先のことを見れば、今こそ樹の力を借りるべきなのだ。

「ただし利用するなら、今の樹の状態を変える必要がある。負の感情のせいで内部からはちきれそうだからな」

 フリートは再び表情を曇らせる。リディスは彼の顔が暗いのを見て首を傾げた。

「そんなに酷い状態なの? 私が見た時、樹は枯れ始めていたけれど、そこまでではなかったような……」

「お前がこの暗闇の世界に来てから、さらに悪化しているんじゃないのか? すぐにでも腐りそうな雰囲気だったぞ。もしかしたらラグナレクの影響を受けているのかもしれない」

「樹にラグナレクを刺してしまった影響ね……。申し訳ないわ」

 とっさの判断に悔いが生じる。だが過ぎてしまったことを、いつまでも後悔しているわけにはいかない。

 一度は停止した思考が、僅かに見える希望を手繰り寄せるために活発に回転し始める。

 ラグナレクが触れているために樹に対して悪影響が出ているのならば、その状況を変えればいい。

 リディスは意を決して、思いついた考えをフリートに伝えた。

「ラグナレクを樹から離して、樹の中に取り込まれた負の感情を解放させる。そうすれば樹は回復するんじゃない?」

「そんなことしたら、負の感情が周りの人間やラグナレクに乗り移る」

「それは重々承知よ。けどそうでもしないと、樹の枯死は進む一方だし、ラグナレクを還すことも封印することもできなくなる。……危険なのはわかっている。でも一度はラグナレクの召喚を解くんでしょ? その長さが違うだけで、他はたいして変わらないわ」

 軽い口調で言ったが、その長さが一番問題だった。極力短くしたい。フリートもわかっているようで、眉間にしわを寄せたままだった。

 少しの間沈黙が続くと、彼は息を吐き出してから頭を軽くかいた。

「……それでやるか」

「無謀すぎる私の提案に乗るの?」

「これから行う作戦は、どれも綱渡りなのは目に見えている。それが一つ増えようが、確率的には変わらないだろう。――お前はラグナレクと樹に溜められた負の感情を解放しろ。それを俺やロカセナが援護する」

 第三者の名前を出されて、リディスは一瞬耳を疑った。

「ロカセナがいるの?」

「言っていなかったか?」

「言っていない! 知っていたら、こんな薄気味の悪いところで話し合いなんてしなかった!」

 口を尖らせたリディスは、フリートに背中を向けた。ラグナレクを前にしてまともに話し合いなどできないと思ったから、この場にいたのだ。事前にもう一人いると教えられていれば、考えを変えていたはずである。

「言葉足らずで悪かった。さてと戻るか、ロカセナがいる地に」

 素直に謝られると、虫の居所が悪くなる。リディスは機嫌が悪そうに振る舞いながらも、差し出された右手を今度は手に取った。

 体が浮かび上がるような感覚に陥る。フリートは左手で鍵を握り、すぐ傍まで近づいていた光に差し込んだ。まるで扉が開かれたかのように、光の奔流が流れ出てくる。

 それを見たリディスは気を引き締めなおして、フリートと共に開かれた光の道に踏み込んだ。


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