絶望の使者(5)

 姫が攻撃を受け、血を流す姿をリディスたちはの当たりにし、悲痛な声で叫んでいた。

「ミディスラシール姫!」

「姫!」

 その言葉に彼女は応えることなく倒れた。攻撃が連続で繰り出される前に、スキールニルは彼女を抱えてその場から離れる。その先で愕然としているリディスたちとかち合う。フリートは間髪入れずに問いかけた。

「スキールニル、姫は!?」

「これ以上体に負担をかけないことを前提に治療をすれば、最悪の事態にはならないだろう。つまり召喚はしばらくできない」

 はっきり言い切ると、苦悶の表情を浮かべていたミディスラシールの眉間にさらにしわが寄る。

「召喚はできないですって? 私は大丈夫よ!」

「お気持ちだけでどうにかなる怪我や相手ではありません。最低でも止血をして、お体を落ち着かせる必要があります。姫、まずはここを離れましょう。ルーズニルがクラル隊長の鷲を呼ぶ宝珠を持っています。すぐにでも城に――」

「状況は悪化しているのに、私だけ戻れって言うの……?」

 苛立ちを隠さずに感情のまま言葉を発する。スキールニルは逆に静かに言葉を並べていく。

「私は貴女様の護衛です。たとえ国王が望んでいなくても、貴女様が反対しても、貴女様の命を護ることが私の務めです。それに言いましたよね、生きていればどうにかなると。それを考えれば今、この場から離脱するべきです。カルロット隊長も貴女様の指示を待っています。扉を創っただけでも前進したのではありませんか?」

 感情を一切消し、当たり前のことを淡々と言われ、ミディスラシールは言い返すことなく噤んだ。時として感情的になりやすい彼女を止めるには、理論的に物事を言った方がいい。年齢の割に落ち着いているスキールニルは、剣技の能力だけでなく、様々な面で彼女にとって最適な側近のようだ。

 ラグナレクの意識が他に逸れている間に、ミディスラシールは顔を上げて、カルロットたちに視線を向けた。反応を待っていた隊長と視線が合うと、彼は感情を押し殺したまま軽く頷く。それを見た姫は、顔を左手で覆って呟いた。

「……駄目だわ、本当に。また団長やお父様に怒られる。何を勝手なことをやって出戻ってきているんだって」

 おそらく国王たちからは、還術しろと言われていないのだろう。先見の目を持つ二人が、実力差がある相手にそのような無謀なことを頼むわけがない。今の攻撃は完全にミディスラシールの独断で行ったことだった。

 リディスは一人で膝を付けているロカセナを見る。彼はラグナレクからの攻撃を見極めるために、動向を探っているようだ。視線をさらに下げると、彼は胸元から出ているもう一枚の羊皮紙に手を触れていた。

「……フリート、私、ロカセナと話がしたい」

 おそらくあれは僅かに残る希望の欠片。リディスは目を合わせずに言うと、フリートが堅い表情で手を伸ばしてきた。だがどこにも触れずに、手は元の位置に戻る。

「わかった。俺が護るから安心して行ってくれ」

 垣間見えた彼の崩れそうな表情は、おそらく見間違いではないだろう。

 メリッグたちがミディラシールの元に駆け寄ってくるのと入れ違いで、二人は走り始めた。

 フリートの言葉を大切に受け取り、リディスはスピアの召喚を解いて地面を駆けていく。相当疲労が溜まっているはずだが、前に進む意志が重い足を突き動かしていた。

 時々かかるフリートの声に従って速度を落としたり、横に飛んだりしながら、ロカセナに近づいていく。二人が向かってきているのに気づいた彼は目を丸くしていた。体力が若干回復したのか立ち上がり、険しい表情でラグナレクをちらりと見つつ寄ってくる。

「二人とも、どうしてこんな時に移動しているんだ! あいつは強い意志を持っている者を優先的に潰している。負の感情とは逆の感情を持っている者を殺しにかかっているんだぞ!?」

「ありがとう、貴重なことを教えてくれて」

 場違いな微笑みで返すと、ロカセナは言葉を詰まらせた。

 フリートは二人が出会うと、意識をラグナレクのみに向けた。そして相手から放たれた重力球を弾き、出現したモンスターを還すために、剣を振り始めた。

 リディスは頼もしい背中を見てから、やや俯いている銀髪の青年に視線を戻す。

「ねえ、ロカセナは封印できるのよね、ラグナレクを」

「できなくはないけど、条件がいくつかある。四つの欠片を四方に散らせて、その中心に鍵を置く。そして僕自身が長い詠唱文を読まなければならない。僕が知っているやり方はそれくらいだ」

「つまりこの前扉を半分開けた時と同じ状況を作り出す必要があるのね」

「そういうことになる。ただ、あのラグナレクがそれをする時間を許してくれるとは到底思えない」

 フリートに向かって光の線が走ってくる。彼はそれを寸前でかわし、土の固まりをいくつかラグナレクに投げ飛ばした。すべて跳ね返されるが意識は彼に留まったままだ。

 リディスはロカセナに向かって、ほんの少し表情を緩めた。


「……ロカセナ、頼んでもいいかしら、世界の未来を」


 びくっとしたロカセナが視線を上げると、リディスは笑みを浮かべた。

「鍵を使ってラグナレクを封印して。お願い」

「リディスちゃん……、それだと君は……」

「そしてロカセナは生き続けて。自分まで犠牲になろうなんて思わないで」

「なっ……!」

 図星だったのか、ロカセナは目を大きく見開いている。彼の傷ついた手をリディスは両手でそっと握りしめた。剣を握りしめてできた豆に触れ、彼もフリート並に常に努力していたのだと気付く。

 ラグナレクを封印するには、鍵を使うのが前提条件である。そしてアスガルム領民の血を引く者が詠唱する必要があるのだが、詠唱加減によってはその者も命を落とす可能性があると、アスガルム領民が隠れ住まう洞窟にあったノートには書かれていたのだ。

 ロカセナの憂いを浮かべた表情と、後のことを考えずに突っ走っていた姿を思い出すと、彼も犠牲になるのを覚悟しているように見えたのだ。今の反応を見て、それは確信に変わった。

「ロカセナまでいなくなったら、ミディスラシール姫がすごく悲しむ。だからお願い」

「でも……」

「首を縦に振らないのなら、封印するときの力はこっちで変化させる」

 リディスは手を離し、胸ポケットに手を突っ込み、中に入っているものに触れて四大元素の精霊たちを召喚した。彼、彼女らは宙に浮かびながらロカセナを見下ろしている。精霊四体という力の差を見せつけられたロカセナは肩を縮み込ませた。

「今の私の方が力はある。そっちから流れてきた力を変えて、ロカセナは生きさせる」

「初めから僕に選択肢はないんじゃないか。ずるいな、リディスちゃんは。力で従わせるって横暴じゃない?」

「時として上に立つ者はそういうことをするわよ。……下の者や未来を護るためには」

 曲がらない意志を明確に表すと、リディスの頬にロカセナの右手が添えられた。今にも泣きそうなのを堪えている顔を見て、一瞬どきりとする。まだあどけなさの残る少年にも見えた。

 幼くして甘えることを許されない状況に置かれた青年。目の前で母を失い、兄も離ればなれになり、頼れる人がいなくなってしまった。生き続けるための礎としたのは、樹を戻すという、ただ一点の目的のみ。

 しかしそれも予定外のことが重なり、達成できていない。もはやどうすればいいのか、わからない状況なのだ。

 触れられた手は程なくして引っ込まれた。そして苦笑されながら視線を逸らされる。

「無防備すぎるんだよ、リディスちゃんは。それが可愛いけどさ」

「え……?」

「姫と出会わなかったり、フリートが相棒でなかったり、君が鍵でなければ、一生君を護ってあげたかったよ」

 きょとんとしていると優しい笑みを返される。とても穏やかな表情だった。

 ロカセナは羊皮紙を一枚取り出すと、歯を噛みしめながら中身を開く。彼が紙に書いたその文字は少々いびつに見えた。震える手で書いたようだ。そして欠片を四つ取り出し、ロカセナは一息吐く。

 だが突然、はっとした表情で空に視線をやるなり、リディスに欠片を押し付けて突き飛ばしたのだ。

 勢いのままリディスは地面に転がる。何事かと思い目を向けると、目の前を細い光の線が横切った。

「ロカセナ!?」

 光によって遮断され、向こう側の様子がまったく見えない。すぐに消えるはずだが、いつもよりも光が長くあるように感じられた。胸の鼓動が速くなる。この先に誰もいないのではないかという不安が心を覆っていく。

 光が収まるとリディスは欠片を持って立ち上がった。その先には血だまりの中に体を埋めている、銀髪の青年がいた。おびただしい量の出血を見て立ち尽くす。出血の原因は光の線が貫通した左脇腹。右手で押さえ、左手を拳にして地面を叩いている。

「ロカセナ!」

 駆け寄ると、苦しそうな表情が向けられる。だがロカセナの口元は笑っていた。

「無事で良かった。ここでリディスちゃんが死んだら終わりだからね……」

「自分の怪我の心配をしてよ!」

「大丈夫だよ、姫に結界を張ってもらっているから、致命傷じゃないって。ただ……紙が消えてしまった」

 左手には紙切れの端が握られていた。そこから先はない。

 鍵はあっても、その力を使うための手段がなくなってしまった。絶望という文字が頭の中に浮かぶ。

「おい、ロカセナ、死んでねえよな?」

 リディスの後ろから声が投げかけられる。黒髪の青年が隣で膝を付き、強ばった顔つきでロカセナの様子を覗いてきた。

「勝手に殺さないでよ……。動くのは難しいけど生きているから」

「ならいい。そこで大人しくしていろ。俺があとは――」

「フリート、動けるのなら……リディスちゃんを姫のところに連れていって」

 立ち上がろうとしたフリートの袖を持ったロカセナは、思い詰めた表情で頼み込む。同じく深い傷を負っている姫の元に行かせる理由がわからない。むしろラグナレクの気を引きつける可能性があり、危険である。

「そしてリディスちゃん、姫に言ってくれるかな。本当に申し訳ありませんが、間抜けなロカセナは紙を消されてしまったって」

「姫にどうしてそんなことを……?」

 首を傾げるフリートを横にして、リディスはロカセナの言葉の意味を読み取った。

 彼女も二枚紙を持っている。還術ともう一枚は――封印に関することだろう。

 国王も鍵を使って封印するつもりだったのならば、彼女にその詠唱を託していてもおかしくはない。彼女がそれをする前に、ロカセナは鍵を使うという重荷を自ら背負おうとしたのだ。

「……ロカセナって優しすぎるね。自分を犠牲にし過ぎているよ」

「は?」

 呟きを聞いたフリートは訝しげな表情をし、ロカセナは曖昧な笑みを浮かべている。

 その表情を見ながら、最後に一言だけ想いを伝えた。


「ありがとう」


 裏切られ、酷いこともさせられたが、それが今、ロカセナに最も伝えたい言葉だった。

 返答を待たずに立ち上がり、ミディスラシールがいる位置を確認する。メリッグたちがラグナレクの気を引きつけているため、移動は可能のようだ。

 ロカセナだけを一人にするのは気が引けたが、ルーズニルが何かを察してこちらに向かっているのを見て、少し安心した。風の精霊シルフの力を借りているので、すぐに来るだろう。

 リディスはフリートに、ラグナレクが攻撃を仕掛けようとしたらすぐに教えてくれるよう頼む。承諾した彼を見てから、リディスはスピアを召喚して走り始めた。銀髪の青年の想いを引き継いで。

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