絶望の使者(3)

 * * *



「オルテガ様、お願いですから、中にお入りください。結界も完璧なものではありません。もし襲われたら対処できるか……」

「ああ、わかっている。すぐに中に入る」

 ミスガルム領シュリッセル町――オルテガ・ユングリガが治めるこの町でも、緊迫した空気が漂っていた。

 扉が壊れてからモンスターの量が増し、結界を強化せざるを得ない状況になっている。この町で使っている結宝珠の源は陽の光、それが極端に減少した最近では、結界の効力が切れるのも時間の問題と考えられていた。

 そのような中、壊れた扉の奥から何かが出てきた時、オルテガや町人たちは、おぞましい殺気を感じたのだ。ほとんどの者は家の中に逃げ込んだままだが、オルテガは仕事を中断させて、外に出ていた。


 ミスガルム国王から、この日のことについては手紙で教えられている。

 大陸の存続を揺るがすほどのモンスターが出現する可能性があるということ。そしてそのような事態になった場合、大切に育ててもらった娘の命を捧げるかもしれない――ということを。

 オルテガは了承した、としか返事を書けなかった。

 そもそも彼女は養女。国王よりも共に過ごしていた期間が長いとはいえ、彼女と血の繋がりはないし、口出しできる身分でもない。

 リディスが覚悟しているのならば、それをただ遠くから見守るしかできなかった。


 オルテガは視線をアスガルム領があった地域に向ける。するとそこからミスガルム王国に向かって光の線が走ったのが目に入った。激しい光はあっという間に消える。あの光はいったい何だったのか。

 ふと、昔読んだ文献に似たような描写が書かれていたのを思い出す。

 オルテガは屋敷の中に戻り、書斎の本棚の端にある古びた本の背を見ながら文献を探した。そして一冊の薄い本を抜き出す。黄ばみ破れそうな紙を丁寧にめくっていく。

 五十年前にドラシル半島に一瞬だけ降り立ったモンスター、ラグナレク。それは光や重力、モンスターなどを自由自在に召喚する力を持っており、人間たちは近づくことさえ敵わなった相手だ。そのため封印をするには、ラグナレクの周囲を巻き込まなければできなかった。

 それを行ったのがリディスの祖母でもあり、アスガルム領民でもある先々代の女王。周辺にいる人には避難するよう事前に指示があったため、ほとんどの者がその地から離脱できていた。

 残念ながら何人か消えてしまったが、その人物たちはいずれも自ら進んで盾となった、アスガルム領民やミスガルム騎士団たちだった。この本にはその消えてしまった、十名にも満たない人物の名が記されている。

 五十年前のことを人に尋ねれば、何十人、いや何百人以上の人たちがミスガルム王国によって消されたという話を聞かされることになるだろう。おそらく城を良く思わない者が事実とは違った内容を流したと思われる。

 歴史というのは、後世が勝手に解釈をして伝えていく。間違った事実であっても、それを正しいと思いこませれば、偽りの真実となる。上に立つ者にとって都合が良ければ、なお広まっていくだろう。

 また歴史とは選択の積み重ねでもある。ある選択が未来にどのような影響を与えるかは、その時点では判断できない。だが選択を繰り返すことで、歴史を少しずつ形作っていくのだ。

 リディスの選択が、果たしてどのような歴史を作り出す一歩になるのだろうか――。

「マデナ、リディスのことを見守っていてくれ……」

 亡き使用人でもあり、オルテガが心を許した数少ない女性のことを思いながら、本を元に戻した。



 * * *



「スルト領主、失礼します。ヘイム町の外から来た人間たちと、昔から町にいる者たちとの間で小競り合いが発生しています。どうなさいましょうか」

 結術士に更なる結界の強化を指示し終えたところで、町の情報収集をしていたレリィが部屋の中に入り込んできた。彼女の身を守るためのローブには煤が付いており、表情は一段と険しくなっている。

「火事でも発生したのか?」

「小競り合いで火を使った者がおり、それが建物に燃え移りました。消火活動は傍観していた者たちが慌てて行っています。自分たちに降り懸かる火の粉だけは反応したようです。……領主、今は外周付近での出来事ですが、いずれは町の中心部にまで広がる可能性があります。やはり大勢の民を受け入れるのは難しかったのではないですか?」

 珍しくレリィがスルトのやり方に口を挟んでくる。もっともな意見を出されて返答に困りつつも、スルトは窓の先に見える北に視線を向けた。先ほど光の線が西へと走った。その光が何をもたらしたかはわからないが、決していいものではないと直感的に感じ取っている。

「……難しいのはわかっているが、まずはこの晩だけでもどうにか耐えてほしい。モンスターが町の外に溢れ過ぎていて、外に出た人間まではさすがに護りきれない」

 火の魔宝珠によって結界の力を増幅させているが、その範囲は最大でもヘイム町を覆う程度だった。

 還術の技術が発展していないこの領では、民をモンスターから護るためには、皆を一つのところにまとめ、その周囲に結界を張るしかなかった。

 それを短期間で実行したが、人口が増えた影響で食料等の需給均衡は崩れ、以前よりも満足な食事ができなくなった内部の民と、余所者扱いをされて不満を抱いている外部の民で小競り合いが発生しているようだ。

 領主自ら出向いて止めてやりたいが、まだまだ結界に綻びがあり、そちらの手配をする必要があったため、この場からは動けなかった。抱える問題が多く、頭が痛くなりそうだ。

 視線を再度北に向けると、何やら黒い球が近づいてくる。やがてその球はヘイム町の北東に落下していった。

 落下した瞬間、激しい揺れが屋敷を襲う。机の上に置かれていたコーヒーカップは落ち、音を立てて床に衝突し、粉々になった。スルトたちも身の危険を感じて、思わずしゃがみ込んだ。

 すぐに揺れは収まったため目立った被害はなかったが、町にいる人たちの様子が気になる。

「レリィ、外の様子を見てきてくれ」

「かしこまりました。領主もお気をつけて」

 彼女は一礼をすると、颯爽とその部屋から出ていった。次にスルトは近くにいた傭兵に黒い球が落下した地点に向かうよう指示をする。彼が出ていくのを見てから、スルトは窓枠に手をかけた。

 衝撃の原因はおそらくあの黒い球。あれはいったいなんだろうか。

 おそらく直撃したら、この町は危機的状況に陥っていただろう。あの下に誰もいないことを願いながら、スルトは汗がついた手を服で軽く拭った。



 * * *



 激しい音と揺れを感じたのは、ムスヘイム領だけでなく、隣に接しているヨトンルム領も同じであった。

 風の魔宝珠に祈りを送っていたスレイヤは激しい揺れを感じるなり、慌てて外に飛び出た。

 ミーミル村の結界のかなめである風の魔宝珠は健在であるため、モンスターの量が増えても侵入は許してはいない。それとは別に感じたおぞましい殺気は、得体のしれないものが動き出していることを暗に示していた。

 外に出ると、家で体を休めていたフェルも出てくる。

「スレイヤ、大丈夫か!」

「私も風の魔宝珠も大丈夫。今の揺れはいったい……」

「さあ……」

「どうやら今の衝撃の原因は、ムスヘイム領の砂漠地帯に落ちたようじゃな。大きな被害はないだろう」

 スレイヤとフェルは塔の入口に視線を向ける。白い髪を一本に束ねた老婆が中から出てきた。外に出たがらず、部屋にいる際も会う人を選んでいる人物が現れ、スレイヤたちは目を見張った。

「ヴォル様、今の揺れの原因がわかるのですか?」

「わしはかつてモンスターについて調べていた身だぞ。おおよそ予想は付く」

「つまりモンスターの仕業だと」

「どうやらスレイヤは状況がわかっていないようじゃな。ここから西にある旧アスガルム領を見てみろ」

 ヴォルに促されるままに、スレイヤは視線を西に向ける。そこに広がる光景を見て思わず後ずさった。

 かつて扉があり、今では黒い空間となっている場所の前に、黒く小さなものが浮かんでいる。そこから発せられる殺気を察知すると、鍛えているスレイヤでさえ胸が苦しくなってきた。

「あれはこの世の終焉をもたらすと言われているモンスターじゃ。五十年前にも現れたが、どうにかやり過ごした。だが今回はどうじゃろうか……ちと強すぎる。これでは封印すら難しいかもしれん」

「封印すら難しいって、それじゃあどうすればいいんですか!?」

 問いただそうとすると、ヴォルは突然目を大きく見開いた。

「スレイヤ、急いで結界を強化しろ! お前の持てる力の最大限を使って祈りを送れ、今この場でだ!」

 わけが分からぬまま、言われたとおりに両手をその場で組み、自分を守護している風の精霊シルフを召喚した。風の魔宝珠の前で祈るのが最もいいが、精霊に向けて祈るのもそれなりに効果がある。

 目を閉じ、祈り始めると、体全体が熱を帯びていく。普段であれば祈っている間はどこか心穏やかな気分になる。だが今回は未だに突き刺さる殺気によって、心が安らぐことはなかった。

「ヴォル様、あれは何ですか!?」

「黙って見守れ、スレイヤの集中が途切れるじゃろう!」

 二人の声が気になりつつも、スレイヤは祈りを送る。全身に負荷がかかり、崩れ落ちそうになったが、フェルが隣で支えてくれた。すぐ傍にいる彼がごくりと唾を飲み込む。

 祈りをひたすら送り続けていると、急に目の前に影が差した。風の精霊が怯えているのが伝わってくる。

「いかん、スレイヤ、逃げろ!」

 焦ったヴォルの声が聞こえたが、スレイヤはその言葉に逆らい、呼吸をするかのようにスピアを召喚した。そして目を見開き、落下していた黒い球に向かって、体が動くままにスピアを一振りした。

 強烈な風が目の前に生まれる。それと落ちてきた黒い球が衝突し合う。一度は均衡を保ったが、少ししてスレイヤが放った風が押され始めた。

 もう一振りしようとした矢先、フェルが黒い球に向かって五本の矢を射った。中に入り込み、僅かに動きが遅くなる。そこでできた隙に畳みかけるように、風の精霊の力を先端に込めて、もう一振りした。

 一瞬の間の後、黒い球は弾け散った。それらは結界に触れると、即座に消失していく。

 目の前の脅威が去ったのを確認したスレイヤとフェルは、その場に座り込んだ。呼吸は激しく、全身が震えている。あの黒い球に頭から触れていれば、確実に死んでいたはずだ。

 召喚し続けるのも難しいほど体力が一気に減少したのか、既にスピアは魔宝珠に戻っている。

「まさか弾き返すとは……。お前たちの力を侮っていたわ」

 寄ってきたヴォルの額には汗が浮かんでいる。スレイヤは額に手をやると、汗がべったり付いていた。

「あれはおそらく重力球じゃ。触れたら最後、身を粉々にするまで地面に叩きつけられたじゃろう」

「重力を操ったというのですか? そんな恐ろしいモンスター、聞いたことがありません」

「だから今まで封印されていたんじゃよ。今の攻撃はミーミル村に向けて重力球が多数投げられたようだ。お前が結界を強化していなかったら、球は結界を貫通し、多くの人の命を奪っていただろう」

 背筋が凍り付いていく。震えが止まらないのも納得できる。

「今はとにかく結界を強化しろ。――フェル、お前は村長に言って、村人たちに避難する準備をしろと伝えろ。今の攻撃がまた出されて結界が破壊されたら、あとは逃げるしかない」

 スレイヤは視線を西の空にやる。

 あの下にいるであろう、槍術の弟子は果たして無事なのだろうか。

 彼女を慕っている青年たちは生きているのだろうか。

 リディスが城に戻っている最中に、彼女から手紙を受け取った。短い文面にひたすら感謝の言葉を述べられ、最後には「今までありがとうございました」などという、縁起の悪い締めくくりをされた。

 それを読んで顔を引きつらせたが、破り捨てることもできず、引き出しの奥にしまっている。再会した時に、これを突きつけて叱ろうと意気込むことで、どうにか精神を安定させていたのだ。

「勝手に一人で終わりを決めるんじゃないよ……」

 彼女たちの行く末を気にしつつも、スレイヤは村を護るために立ち上がった。



 * * *



「これはかなり厳しいことになっているな」

 エレリオは小さな祠の入り口でぼそりと呟く。藍色の髪を一つに束ね、白衣の上に無造作に厚手のローブを羽織っていた。すぐ傍にある壁に寄りかかって、深々と溜息を吐く。

「結術は得意と言っても限度があるぞ、メリッグ。ちゃちいモンスターやあの黒い球の小さいのは弾けたとしても、光の線と大きい球はさすがに難しい」

 水の魔宝珠による加護に加えて、エレリオが持っている結術の能力を四つの欠片で増強させているため、今のところ祠が潰されることはなかったが、それも戦況によるだろう。

「エレリオ先生、いつまでここにいるの?」

 祠の奥から少女が一人近づいてくる。彼女が外を覗こうとするので、慌てて体を使って視界を遮った。この暗すぎる世界を子供に見せたくはない。

「この天気が良くなるまでは、奥で待っていなさい」

「先生がそう言うなら、もう少し中で待っている。中だと遊べないから、早く天気が良くなってほしいな」

 少女を奥に戻すと、エレリオは外の様子を一瞥した。

 天気が荒れ狂う可能性があるから、安全な場所に避難しようと周囲の人々に提案していた。予想通り空は厚い雲で覆われ、風が吹き乱れている。雪が降ればたちまち視界が白一色になり、前が見えなくなるだろう。

 ニルヘイム領と他の領は山脈で隔てられているため、封印が解かれたといわれるモンスターの影すら見えていなかった。だがエレリオの髪を揺らす冷たい風は、状況が芳しくないことを人知れず伝えているようだった。



 * * *



「ねえ、ラキ」

「何でしょうか、イズナ様」

 地響きの度に天井から砂がこぼれ落ちるその洞窟では、多くの人たちが入り口に移動し始めていた。

 洞窟の真上にある地面が陥没すれば、ここは埋もれてしまう。そのような状況になりかけた場合を考えて、すぐに脱出できる手はずを整えていた。もし潰れた場合には、ケルヴィーが既に村長の了承を得ているミーミル村に匿ってもらう予定である。

 イズナは先日の戦闘の傷が癒えていないため、最後に移動することになっていた。隣では銀髪の少年が首を傾げて立っている。

「私って酷い人間だなって思うのよ。あれだけリディスさんを犠牲にしたくないと思っていたのに、今はどうにかしてこの場を納めてほしい、たとえ誰かの命が失われようともって思ってしまうの」

「リディスさんが……」

「状況は非常に悪いわ。封印すら厳しいかもしれない。でも何かができるとすれば、封印くらいしかないでしょう。圧倒的な力の差を見せつけられて、還そうなんてきっと思えないはずだわ」

 イズナはやせ細った右手を胸の前で握りしめた。目から涙がこぼれ落ちる。

「希望なんてちらつかせなければ良かった。でも生き続けて欲しかったのは、本音なのよ……」

 こぼれ落ちた涙はイズナの頬を伝っていった。

 地響きが激しさを増してくる。男たちが部屋の中に来ると、イズナは彼らに従いながらその部屋を後にした。


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