暗黒世界への誘い(6)
ミディスラシールがリディスの存在を知ったのは十六歳の時、母の墓参りをした後に国王に呼び出された時だった。時々勉強をさぼったり、反抗的な行動をしつつも、一国の姫としての自覚を持ち始めた頃である。
母を死に導いた病が再び流行し、王国に蔓延したらどうするのかと、少し背伸びをした発言をすると、国王はミディスラシールを謁見の間の隣にある小部屋に呼んだのだ。
不思議に思いながら部屋に行くと、珍しく城内にいたルドリと、アルヴィースが国王と共に待っていた。大層な面々がいる部屋に、緊張した面持ちで踏み入れた。
「ミディスラシール、お前に今まで隠していた大切なことを話そうと思う。ただしこの話はここにいる人間以外、他言無用だ、いいな」
念には念を言われて出された話は、ミディスラシールの感情を爆発させるものだった。
「ではお母様は本来の役割を果たす妹の代わりに犠牲になったのですか!? つまり予言通りであれば、ここにいるべき人だったんですか!?」
母と過ごした時間は、赤ん坊であったため覚えてはいない。母に抱かれている絵だけが唯一の繋がりだった。そんな母との交流が、結局は犠牲になるしかない妹の存在によって奪われた――。
いるべき人間がここにいない理不尽さに怒りを感じ、ミディスラシールはついかっとなり、抑え込まれていた
鋭い土の山が床から飛び出てくると、ルドリは躊躇わずにミディスラシールを羽交い絞めにしてきた。非常にきつく締められたので、召喚はすぐに止まった。
「これだから子供は嫌なんだ。自分のことしか考えていない」
民を考えた大人ぶった発言をしたのが呼び出されたきっかけだったが、子供という単語で一蹴される始末。母がこの地にいない憂いだけでなく、悔しさまで湧き上がると、涙が止めどなく溢れ出てきた。
ルドリに鼻で笑われ、国王に肩をすくめられたミディスラシールは、アルヴィースに支えられながら、その部屋を後にした。
それ以降、溢れ出てくる気持ちを抑えるかのように、日々必死に勉強をしていた。図書室に籠りっきりの日もあり、あまりの豹変ぶりに親しくしていたセリオーヌが目を丸くするほどだったが、気にも留めずに本とにらめっこしていた。
次第に母が自らを犠牲にした理由も少しずつわかってきた。
本来であれば、妹が鍵となり封印をするべきである。しかしそれを果たすには、ある一定の体力や能力が必要になるため、充分な成長が求められていた。そのため魔宝珠を持ち、完全に力が発揮できる二十歳以降に、その立場になるのが推奨されるということだった。
隠された事実を知り、徐々に母が去ったことを致し方ないことだった、という感想を抱くようになっていた。
国王は頃合いを見て、妹を呼ぶと言っていた。正確な日は言っていなかったが、おそらく彼女が二十歳になる前後だろう。
その妹というのは、どんな人物であろうか。非常に気になる。会ってみたいがこの城で会うということは、彼女は鍵としての役目を果たすということだ。つまりは若くして犠牲になることを暗に示していた。
もし僅かでも運命が狂えば、ミディスラシールがその立場になっていたかもしれないと思うと、やや同情的にもなった。そう考えているうちに、いつしか鍵を利用せずに、レーラズの樹を自力で戻すためにはどうすればいいか、という考えに及んだのだ。
それが十七歳の終わり、銀髪の青年と出会った頃の考えであった。
それから二年が経過し、二十歳の誕生日の記念式典に関する話がちらつくようになった頃、ミディスラシールは城内の図書室で金髪の娘と出会った。
落とした本を拾い上げてもらい、礼を言いつつ顔を合わせると、目の前に自分と似た顔の娘を見て驚いたのだ。髪型も着ている服の種類もまったく違う。だが目元の辺りや雰囲気が自分と似ていたのである。
出身地と名前を聞くと、ミスガルム領のとある町の名と、ミディスラシールが知っている妹の本名とよく似た名前が出された。生き別れていた妹が、目の前の娘であることを少しずつ物語っていく。
だがそれだけでは確かな証拠とはならない。少し日にちを置いて彼女の詳細を探らせてから再会した。
リディス・ユングリガの母親は、彼女が物心付く前に亡くなっている。誕生日はミディスラシールとまったく同じ。女性でありながらミディスラシールと同じく、戦闘時における勘はいい方の部類だった。
そしてある程度自分なりの証拠を揃えたところで、書類を見ているミスガルム国王のもとに直接聞きに行った。すると隠しもせずに、リディスが妹のリディスラシールであることを認めたのだ。
「あっさり認めたのを不思議に思っているようだな」
「いえ、そういうわけでは……」
「これからあの娘には外に出てもらうからだ。――お前があの娘と懇意にしていると聞いた。来て間もない貴族の娘を城の関係者として旅立たせる理由を誤魔化しながら話すより、根本から話したほうが楽だと思っただけだ」
「……ちょ、ちょっと待ってください。リディスを外に出すのですか!? 危険ではありませんか!?」
重要な立場である彼女を“その時”まで城で保護していると思ったが、まったく正反対のことを言われ、ミディスラシールは目を大きく見開いた。精霊を抑える努力を日々していなければ、思わず召喚してしまうほどの驚きである。
国王は書類に目を落としながら、返答した。
「まあ大丈夫だろう。フリートとロカセナ、そしてリディスラシールの三人だけで、騎士団の一、二斑が必要とされるモンスターを還したらしい。つまり実力はある。ただのお使いだが、何かあってもどうにか切り抜けられるだろう」
「しかし……」
「それなりに私も考えて、あの娘を動かしている。ミディスラシール、余計な感情を入れて、私の思惑を遮って欲しくないのだが?」
皮肉にもその言葉を受けたミディスラシールは、リディスのことをさらに意識することになった。
リディスとお茶を通じて話をする度に彼女に惹かれていく。
フリートたちが慕っているのもわかるほど、素直でいい娘だ。身分を隠して一貴族として接しているからか、一歩下がって話されることもなかった。もしも姉ということを明かしたら、もっと気軽に話ができたかもしれないが、決して言わなかった。
ムスヘイム領に旅立つのを部屋の中からそっと見送りながら、無事の帰りを祈った。
そして城に戻ってからは、誕生日会のドレス選びと称して今度は身分を明かして交流しだした。さすがに一歩引かれているが、こちらが近づいてくるのを拒否しようとはしなかった。やがて一緒にいて、居心地がいい存在となっていた。だが、時間は待ってくれない。
ミディスラシールたちの二十歳の誕生日会が刻一刻と迫っていた。しかも同日は召喚能力が最も高まると言われている月食だ。
何かが起こるのはわかっている。ヘラやニルーフ、ガルザ、ゼオドアの存在を聞いてから、それは確信へと変わっていた。
それぞれの精霊の召喚能力を増幅させる四大元素の魔宝珠の欠片は、ミスガルム城は土だけでなく、火と風も持ち合わせている。水の欠片もあれば
四つの欠片と鍵があれば、扉は開き、樹と共に強力なモンスターが出てきてしまう。
同志たちがどのような目的で動いているのか、はっきりしない状態では、扉を開くことを決して許してはいけなかった。
しかし、国王の上をいく考えを持つ老人によって、それらの対応は無意味に終わってしまう。
水の魔宝珠は厳重に封印されていたらしいが、易々と突破されてしまった。おそらく同志の中に水の精霊の加護を強く受けている者がいたためだろう。
この誤算には、平静を装っているミスガルム国王をおおいに慌てさせた。とにかくリディスを護れ、欠片を奪われるなという伝達が、事情を知っている騎士たちに出回った。
団長のルドリが遠征から戻って来られなかったのも、かなりの痛手だった。後の報告によると、デーモンを中心としたモンスターに足止めを食らったらしい。それは用意周到なゼオドアの仕業だった。
そして必死の抵抗もむなしく、欠片と鍵は奪われた。
だが幸運にも扉は半開きで止まり、例のモンスターが出てくることはなかった。
それは喜ぶべきことだったが、ロカセナに裏切られ、リディスが記憶を失ったことを知ったミディスラシールがどん底の淵に陥るのは容易だった。それでも何とか我を保ち続けられたのは、支えてくれているスキールニルやセリオーヌたちがいたからだろう。
その後、記憶が戻ったリディスと再会してからは、より一層彼女のことを大切に思うようになった。同時に少しでも長く一緒にいたいと願うようになる。
そんな中で手にしかけた、リディスを犠牲にしないという僅かな希望。それは残念ながら手から零れ落ちてしまった。代わりに手にしたのは、世界のためにたった一人の人間に対して自らが死神になる封書。
大切な妹を差し出す代わりに、想い続けている青年の罪を無かったことにする。
我ながら酷い父を持ったものだと、ミディスラシールはつくづく思った。
* * *
その夜、用事を済ませてリディスの部屋に向かっていたフリートは、目の前から重い足取りで歩いてくるミディスラシールと、眉をひそめて後を続いているスキールニルの姿が視界に入った。彼女はフリートを見るなり、大きく目を見開かせる。
「フリート、こんなところでどうしたの? リディスは?」
「リディスはまだ目覚めていません。俺は
「土の精霊と?」
「はい。完全な実体化までは程遠かったですが、多少は心を通じ合えたかと思っています」
「前進しているのね、よかった」
微笑みながら言ってくれたが、すぐに彼女の表情は暗いものに戻った。スキールニルに視線をやるが、彼も事情がわからないのか首を横に振っている。
「……姫、お疲れのようですから、お休みになったらどうですか?」
当たり障りのないことを言うと、彼女はぽつりと呟いた。
「寝たら明日が来る。リディスにとって最後かもしれない一日がくる」
「姫……?」
髪をかきあげながら、彼女は口元に笑みを浮かべる。
「ねえ、フリート。リディスに貴方自身の気持ちを伝えていないのよね?」
「はい?」
突飛な発言を出され、暗がりの中で首を傾げる。
「あのね、リディスの心をこの地に留まらせる方法を思いついたわ」
「え?」
思わず前のりになって聞こうとする。だが次に聞いた内容は、到底受け入れられるものではなかった。
「気持ちをぶつけて関係を持てばいいのよ。愛するという意味を肉体や精神の底から知れば、自分の命を投げてまで世界を救うという考えにならないはずだわ」
「いや、姫、それはあまりにも極端な……」
「愛は世界を変える? そんなの馬鹿げているわ。愛しているのなら、もっと自分勝手に行動するものよ。世界よりも、その人と最期まで一緒にいることを選ぶはずだわ!」
捲し立てるように言われて呆然としていると、移動したスキールニルが後ろからミディスラシールの両肩に手を乗せてきた。そして首に掛かっている、淡いピンク色の小さな石が下がっている紐に指をかけた。彼女は我に戻ってそれを握りしめる。
「やめて、触れないで!」
その言葉に従うかのように、彼はすぐに手を引っ込めた。背中越しからミディスラシールに睨みつけられる。
「何をするの?」
「あまり大声は出さないでください。騒ぎを聞きつけた人たちが集まってきます」
「騒いでなんか……」
ぶつぶつ呟いていると、フリートの後方から近衛騎士たちが駆け寄ってきた。彼らを見るなり、俯いていた姫は背筋をぴんと伸ばし、崩れた表情を整える。
「ミディスラシール姫、大きな声が聞こえたのですが、何かありましたか?」
「失礼しました。少々見慣れない虫を見たために、思わず声を出してしまいました。問題はありませんので、ご安心を」
「そうでしたか。あとでよく掃除をしておくよう言っておきます」
「ありがとうございます。さあ、早く持ち場に戻ってください」
そう言うと、騎士たちは足早に自分たちの持ち場に戻っていった。
彼らの背中が見えなくなると、フリートとミディスラシールは胸をなで下ろした。
フリートはちらりと彼女の様子を垣間見る。今は幾分落ち着いているが、姫があそこまで取り乱すのを初めて見た。彼女はしっかり者の護衛に顔を向けている。
「……ありがとう、スキールニル」
「いえ、姫を護るのが護衛の仕事です。貴女様の印象も含めて」
「色々とお見通しね」
「貴女様が分かりやすいだけです」
そこでミディスラシールはようやく自然な笑みを表情に出した。柔らかで心を穏やかにするような笑みを。
「フリートもごめんなさいね。さっきの話はすべて忘れて。仕事を抱えすぎて、苛立ちが募っただけよ」
「それなら早く休んで欲しいのですが……」
「ええ、今晩は寝るわ。明日のことは明日考える。私は最後まであの娘(こ)の未来を考えることにするわ」
さばさばした表情で言っている、ミディスラシールらしさを見てほっとした。女性でありつつ男前な彼女に、言い訳は似合わない。前を見据えている方が彼女らしい。
ふと、フリートは以前から考えていることをこの場で彼女に伝えることに決めた。ほとんどの人に反対される案だが、今の彼女なら最後まで聞いてくれると思ったからだ。
「姫、少しいいですか」
「大丈夫だけれども、何かしら?」
「俺なりに一つ考えたのですが……」
言葉を選んでいると、スキールニルがミディスラシールから離れて、通路の先に行ってしまった。背中越しから軽く一瞥され、気を利かせてくれたのだと気付く。その行為に感謝をし、彼女に視線を合わした。
「あのモンスターを還すならば、多くの人の力が必要だと思います。だから――」
ミディスラシールはフリートが言った内容を真摯に聞いてくれた。笑い飛ばしたり、怒りもせずに一字ずつしっかり耳に入れ込んでくれる。軽い相槌を打つくらいで、ほとんどの時間、耳を傾けてくれたのだ。
やがて彼女は聞き終えると、人差し指の関節部分をそっと口元に触れた。
「難しいけれど、実行できれば私たちが望む未来に一歩近づくかもしれない」
「実行できれば……ですが」
「――いえ、しましょう」
ミディスラシールの発言にフリートは目を丸くする。
「姫、立場的にも難しいものだと思いますよ。そんな軽々と……」
ミディスラシールは金色の髪を自分の手で軽くなびかせる。
「悩んでいても始まらないわ。進みましょう、今は前に。あとのことは私がどうにかする」
力強い言葉を出されて、背中が押された気がした。この人に言って良かったと心の底から思った。
不意にスキールニルが足早に戻ってきた。彼の後ろから誰か来るようだ。二人で話す僅かな時間も終わりだろう。軽く一礼をして、フリートは一歩下がった。
「姫、ありがとうございました。ですが最後は俺の考えよりも、姫自身の仕事をまっとうしてください。俺はそれに対して止めはしません」
最後にそれだけ伝え、その場を去った。
ミディスラシールの瞳から涙が一筋流れたのにも知らず。
フリートがリディスの部屋に戻ると、他の者たちはソファーや床の上に転がっていた。誰もが小さな寝息をたてて眠っているようだ。
部屋の入り口と窓の外に護衛をつけているため、リディスの護衛などせず各々の部屋に戻ってもいいと言ったはずだが、誰も戻ってはいない。何か思うことでもあるのだろう。フリートも皆と同様に、今晩はこの部屋で過ごすつもりだった。
ショートソードをベッドの脇に立て掛け、リディスのすぐ横に立った。彼女は静かに目を閉じている。
思わず顔に触れようとしたが、途中で我に戻って手を引っ込めた。
これが最後の彼女の寝顔となるのだろうか――。
「リディス……」
フリートはすぐ傍にいる人が、辛うじて聞こえるくらいの声量で呟いた。
「無事に帰ってこられたら、言いたいことがある。だから勝手にいなくなるなよ。俺が死んでも死ななくても――絶対に消えるな」
その言葉は果たして想い人に届いたのだろうか――。
丸に近くなった月は、明日再び満月となる。
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