駆け行く想い(6)

 * * *



 夜遅く、ムスヘイム領の領主であるスルトは、屋敷からそう遠く離れていない場所で黒い煙が昇り続けているのを確認し、頭を抱えつつも、絶えず指示を出していた。

「引き続き消火活動にあたってくれ。火の精霊サラマンダーの加護は期待せず、人の手で消火することを前提に進めろ」

「了解です!」

 傭兵たちが足早に出ていくのと入れ違いに、小柄な女性が部屋の中に踏み入れてきた。ゆったりとしたローブを羽織っているが、中は動きやすい服を着ている。

「スルト領主、少しですが情報を仕入れてきました」

 扉を閉めると、彼女は隙のない動きでスルトに近づいてくる。火災が発生したという通報を受け、まずスルトが行ったことは初期消火と情報収集だった。消火は専門の部隊に任せ、情報収集は彼女にお願いしている。

「どうだった、レリィ」

 かつてギュルヴィ団の諜報役だったレリィは、今はスルト直属の情報収集役となっている。

 敵対していた相手を引き入れることに反対している人は多々いたが、殺すよりも生かして利用する方が利点はあると思い、どうにか彼らを丸め込んで、彼女にそのような役割を与えたのだ。

 殺すのは簡単である。だが、それでは負の連鎖は断ち切れない。

 非情になりきれない領主だと非難されても、皆が幸せになれる道を常に模索し続けていた。

 レリィもスルトの想いに応えるかのように、よく働いてくれている。どんなに酷な環境下であっても、素早く情報を得てくるため、非常に頼りがいのある女性となっていた。

 彼女はポケットからメモ紙を取り出して、報告を始める。

「火災の原因は放火。しかも何らかのモンスターが放ったものだと考えられます。人が行ったにしては、出火範囲が広すぎますので」

「犯人は彼らと断定していいのだろうか」

「そうだと思います。一部の証言で、大きな竜らしきものを見たというのを聞きましたから」

「竜と言うと……ニルーフと呼ばれる少年か」

 数日前にミスガルム王国の遣いの男性たちが二人尋ねてきた。その際、今後起きることと敵側の情報を教えてもらったのだ。その情報と引き替えにスルトは火の魔宝珠の欠片を手渡している。

「人々が不安がらないように上手く手配をしなければ……。話を聞いていると、どうやら相手側はこちらが混乱するのを望んでいるようだからな」

「そうですね。混乱すれば隙が生まれるため、相手としては動きやすいのでしょう」

「……レリィ、本当にモンスターはこの領にも現れるのだろうか」

 スルトはぎゅっと右手を握りしめた。レリィは目を細めてその様子を眺める。

「遣いの方たちもそう仰っておりました。扉が完全に開かれれば、場所に関係なくモンスターは出現するようになると」

 一息吐いてから、レリィは続けた。

「……この領は他の領と比べて、人間同士の争いが多いです。それは貧富の差が特に激しいのが原因でしょう。それにより幸か不幸かモンスターが付けいる隙はなく、この領は他よりもモンスターの数は少なかったようです。しかしモンスターの絶対量が増えれば、その分この領に流れる量も多くなります。それは当然のことだと思われます」

「還術を使える者がほとんどいないムスヘイム領では、かなり苦しい状況になるな」

「はい。ですから被害を最小限にするために、民たちに不安な気持ちにさせぬよう、領主さまは堂々と振る舞う必要があるのですよ」

 レリィは今話した内容のメモをスルトに渡すと、一礼をしてから背を向けた。目を丸くしている領主に、彼女は背中越しでうっすらと笑みを浮かべる。

「他に有益な情報があるかもしれませんから、再び収集してきます。――生かされた命が尽きるまで」

 呆然とスルトは聞いていたが、彼女がドアを閉める音を聞くと、すぐに気持ちを切り替えた。慌ただしく中に入り込んできた男に対し、ここ数年使わなかった単語を発した。

「結宝珠の確保を急げ。使えるかどうかも吟味してだ! そして領内の町村すべてに手渡せるよう手配しろ!」

「そんな量、この領には……」

「その台詞は探してから言え。いいな!」

「はっ!」

 追い立てられるように出ていく男を見つつ、スルトは腕を組んだ。

 たとえ厳しい環境下に置かれても、最後まで諦めてはいけない。

 かつて無謀な戦いに挑んだ、金髪の娘、黒髪と銀髪の青年たちの顔を思い浮かべながら、スルトは次なる指示の内容を思案し始めた。



 * * *



「貴方様は本当に酷い人だ。いつも微笑んでいるように見えて、本当はこの大陸の中で一番腹黒い。あの銀髪なんて、可愛いものだ」

「それは否定できないな。上に立つとはそういうものだろう。時として敵や味方を欺くために、笑い続けなければならないのだよ。――君も上に立つ者の気持ちはわかるだろう」

 微笑んでいる男性は、広い部屋の中に置かれている椅子に腰をかけていた。その後ろにはすらりとした体格の背の高い女性が静かに立っている。

「ええ、わかります。被害を最小限に抑えるために、私は人から恨まれる決断を何度もしてきました。多くの人の命を守るためにそのようなことをすると、私は忠誠を誓った時に覚悟したのです」

「私もだよ。あいつを送り出してからは、その想いが強くなっている。――未来を生きる多くの人が正しい環境下で生活し続けるために、私は最後にはあの子を利用するだろう」

 俯く男性に対して、女性は背を向けた。雲の間から月の光が漏れ、床を照らしている。

「安心してください。他の連中がどんなに軽蔑した目で貴方様を見ようとも、私は最後までお供します。ただしひと段落した早々、勝手に死ぬことは許しません。跡継ぎである、あの小娘ではまだ何もできませんから」

 男性の肩がぴくりと動いた。そして彼は深々と息を吐いた。

「わかった、約束しよう。たとえ人々にどんなに恨まれようとも、この命が尽き果てるまで、自分の信念を抱いた果てにできた未来を見続けることを」

 そして金髪の男性と漆黒色の髪の女性は、予め呼んでいた者を静かに待つことにした。



 リディスたちがミーミル村を訪れている夜、一人の中年の男性がある扉の前に立っていた。城の奥にある簡素な扉を叩くと、中から「入れ」という言葉がかかる。歳相応の威厳ある声を聞くと、彼は柄にもなく心拍数が跳ね上がった。

「失礼します」

 男は部屋の中に入ると、その国の王である金色の髪の男性と、予言者である群青色のローブを羽織った男性、そして自分よりも遙かに出世している、かつて同期だった女性団長が出迎えてくれた。

「わざわざ呼び出してすまなかったな。怪我の治り具合はどうだ、カルロット」

「おかげさまで随分と長い間休ませてもらいましたから、だいぶ良くなりました」

「……まったく情けない。部下に易々と斬られる隊長など、聞いたことがない」

 漆黒の長い髪を結んでいる女性は言葉を吐き捨てつつ、ほくそ笑んだ。

「……と言いたいところだが、そこまで斬られたのはわざとだろう、お前」

 ほんの数瞬黙っていたが、カルロットはすぐに頭をかいて、溜息を吐いた。

「……ったく、気づいていたのかよ、ルドリ」

「当たり前だ。ロカセナのサーベルごときでくたばるお前じゃない。止めようと思えば止められた。どうせ自分が傷つけば、ロカセナが手を止めるとでも思ったんだろう。……いつも言っているが、お前は甘すぎる。だから出世しないし、仲間も犠牲になるんだよ」

 返す言葉が出てこなかった。ルドリの言うとおりである。


 僅かに残っているかもしれない情を信じて対峙したあの夜――ロカセナに特殊な召喚術を行使されて、苦戦をしたのは事実だが、速攻で急所を狙えば事は終えられたはずである。

 さらに言ってしまえば、リディスが鍛錬場にてナイフで襲われた直後にロカセナの行動を追求し、泳がさずに牢にでも入れておけば、まったく違った展開になったはずだ。

 ロカセナが人には言えない過去を持っているのは、第三部隊に配属された当初から察している。配属時に書かれた出自や経歴など、長年騎士団にいるカルロットから見れば、嘘だらけだとわかっていた。

 それでも受け入れたのは、入団を希望する者には分け隔てなく接したいという思いがあったからだ。かつて貧民出自だった、カルロットだからこその考えだろう。


「それでお前、次はどうするんだ。ロカセナが刃向ってきたら、今度こそるのか」

 ルドリの問いにはすぐに答えられなかった。

 黙っていると、彼女はわざとらしく肩をすくめる。

「第三部隊は甘い奴ばかりだな。――ロカセナがこちらに剣を向けて、そうだな……フリートでも殺したら、私が葬り去ってやろう。甘いお前ではできなそうだからな」

「……フリートが殺されてから動くのか」

 部下たちへのあまりの言われようを聞いたカルロットはルドリを睨み付けた。彼女は鼻で笑い返す。

「甘ったれはいらない。いい機会だからふるいにかける」

 表情を一切変えずにそう言い放った。そこまで言い切られると、返って清々しさまで感じそうだった。

 実際にそのような事態になるのは、どうにかして避けなければならない。部下をさらに二人も失うのは、カルロットにとっては辛すぎる。

 ふと、一度口を閉ざしていた金髪の男性の視線が向けられているのに気付く。

「カルロット、一つ頼みがある」

 国王からの声を聞き、自然と背筋が真っ直ぐになった。穏やかに微笑んでいるが、彼の頼みは絶対である。

「――今度の満月の夜、お前たち第三部隊の何班かは、ミディスラシールやリディスラシールたちと共に旧アスガルム領に行け」

「国王、なぜその地に行くのでしょうか。その場所で扉の開閉が行われるので、姫はそこにリディスを行かせたくないと言っています。鍵として使われるのをできるだけ避けたいとのことです」

 セリオーヌを通じて、ミディスラシールの想いは聞いている。


 ――妹をこの世から消えさせたくない。


 一番いいのはリディスの力を使わずに、扉を開閉すること。

 次にいいのは扉を閉めるだけに留めること。そうすれば彼女の死は免れるかもしれない。


 だが、モンスターを再度封印しつつ、扉を閉めるとなれば、体の負担を考慮すると、この地に立ち続けるのは不可能だ。

 ミスガルム国王は固い表情のまま、しっかり頷いた。

「そうだ、だからこそ行かせるんだ。扉を開いて、樹をこの地に戻す。そしてモンスターを再度封印して、扉を閉めることで、かつての安定を取り戻すのだ」

「あえて開くのですか、閉じるだけではなく!?」

「今後のことを考えると、それが最善の選択だ。開かなければ樹は戻ってこない」

 開いた口が閉まらなかった。

 にこにこしているようで、実は最も城の中で頭が切れ、時として他人にはできない非情な決断を下す国王。

 しかし、彼とて一人の父親。娘を躊躇いもなく差し出すなど、考えてもいなかった。

「……リディスの力を使って、すぐにでも循環を安定化させなければならないのですか」

「そうだ。私も他に方法はないかと考えはしたが、もう時間がない」

 腕を組んだルドリが一歩踏み出した。

「いいことを教えてやろう、カルロット。実はな――」

 ルドリの言葉を聞き、カルロットは目を見開きながら記憶の端に追いやっていた事実を思い出していた。


 ドラシル半島がずっと安穏した日々を過ごしてきたわけではない。

 騎士団が昔からモンスターだけを相手にしていたわけではない。

 そしてルドリがあまり城にいないのには、相応の理由があったのである。


「……たしかに時間はない……」

 突きつけられた現状に、カルロットは頭を抱えた。この話を聞いてしまったら、国や領を護るカルロットがこの件を断ることはできない。

「わかってくれたか。今の内容から私が何を言いたいかは、わかっているな?」

「……自分が無理にでも、リディスを扉のもとに連れて行き、彼女に扉の開閉とモンスター封印をするよう促す。今後のドラシル半島のことを考えて」

「その通りだ。リディスの運命は初めから変わらない。鍵として役目を終えるだけだ」

 淡々と応えているのは、感情を入れたくないからだろうか。それとも所詮娘も一つの道具としてしか見ていないのだろうか。

「では、なぜ今娘さんたち二人をヨトンルム領に向かわせたのですか。モンスターの手によって命を落とす可能性もゼロではありません」

 ミスガルム国王は軽く目を伏せた。

「……最後くらい、姉妹で旅をするのもいいではないか」

 父親としての顔を一瞬見て、カルロットは返す言葉が出てこなかった。

 おそらくアスガルム領民と会っても、リディスの立場が劇的に変わることはない。それは国王自身がわかりきっていることだ。だから彼女たちに、少しでも思い出を作ってもらいたいのではないだろうか。


 思い残すことなく、別れてもらうために――。


「カルロット」

 感傷に浸っていたカルロットは、はっとして顔を上げた。威厳ある顔つきをしている、国王が見据えている。

「頼んだぞ」

 念押しの一言は、カルロットの肩にさらに重く伸し掛かった。

 国王に深々と一礼をし、ゆっくり背を向ける。そして重い足取りの中、暗い部屋から出て行った。


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