駆け行く想い(4)
ヴォルの部屋を後にしたリディスたちはルーズニルの案内のもと、上を目指して階段を上っていた。
突きつけられた様々な事実に頭の整理が追いつかない。口に出して考えをまとめたいと思うが、ヴォルに必要なとき以外は喋るなと忠告されたため、一同は黙り込んでいる。
一番衝撃を受けたのはルーズニルだったようで、堅い表情のままひたすら進んでいた。
やがて頂上の真下にある、外との隔てがない階に辿り着いた。中心では薄茶色の髪の青年が、リディスたちに背を向けている。彼のすぐ傍には、緑色の髪を結い上げた少女が寄り添っていた。
「ケル兄、あの人たちが来たよ」
「ああ、わかっている」
ケルヴィーは精霊の少女の頭を軽く撫でる。そして彼は振り返ると、柔らかな表情で微笑んだ。陽の光が背景となって、彼を映し出していた。
「久しぶり、皆さん。ヴォル様に会ったんだろう。用件はわかっているよ。――いつ移動する? おれはいつでも大丈夫さ」
ルーズニルはケルヴィーに近づくと、やや視線を逸らして口を開いた。
「……知らなかったよ、何も。ごめん」
「どうして謝るんだ。それに知らなくて当然だ、この村だとヴォル様にしか話してないから。……持っている能力が人よりも少しだけ秀でているだけさ。出自を意図的に隠してはいるけど、それ以外は何一つ不自由なことはない。両親も別の場所で健在だしな。――ルーズニルが知っても知らなくても、おれは何も変わらない」
「そうだな。どんな血を引いていようとも、ケルヴィーはケルヴィーだな。少し驚いただけだから、気にしないでくれ」
そう言って、ルーズニルはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
出自よりも、どう育ったかが重要である。
アスガルム領民だからといって、全員が全員、不幸な人生を歩んだわけではない。生きやすくするために多少の嘘は吐くかもしれないが、己を守るためにやっていることである。同情するのは、むしろ失礼なことなのだろう。
ロカセナが騎士見習いになる前の過去を、リディスやフリートは知らない。そこでどのような記憶を植え付けられたかはわからないが、皆の制止を振り切って事を起こしている様子を見ると、そう明るい過去ではなかったように思われる。
だが、騎士団の中で普通に生活をし、何も話さなければ、誰も彼がそのような立場であるとは気づかなかったはずだ。
ケルヴィーも精霊のシルが目に見えた状態で傍にいなければ、誰も彼が優れた召喚士とは思わないはずだ。
それほど、アスガルム領民は普通の人間だった。
「移動については、すぐに……と言いたいところだけど、その前に少し休める時間が欲しいかな」
「じゃあ、ルーズニル、明朝に出発でどうだ? もし無理ならもう少し後でもおれは構わないが……」
「私は構いませんよ」
ミディスラシールがフードを脱いで、ケルヴィーに近づく。シルが興味深そうに彼女を見つめていた。
「その話し方からすると、そう遠くない場所にその方たちはいらっしゃるんですよね」
「そうだね。徒歩でも半日程度で行けるところさ」
思っていた以上に近くにいると知り、リディスたちは目を丸くする。
ミディスラシールは、共に結界を張り続けて移動したメリッグをちらりと見た。彼女は沈みゆく陽を見ながら、軽く頷く。
「食事と少しだけ休ませていただければ、大丈夫ですよ。昔は一人で結界を張って歩いていましたから」
「助かります、心強いお言葉を出して頂き」
結界を張る二人の意見が合えば特に問題はない。
今はとにかく時間がなかった。できる限り早く城に戻りたい。
シルはじっとミディスラシールを見続けていたが、だんだんと眉間にしわを寄せていった。不機嫌そうな表情でケルヴィーのズボンを軽く引っ張った。
「あの人に付いているの、あんまり好きじゃない……」
「え、どうしたんだい?」
ミディスラシールを威嚇するように睨みつけるシルに、護衛のスキールニルが前に立とうとしたが、すぐに彼女の手で制された。
「精霊の気配が漏れ出てしまったみたいですね、すみません。すぐに抑えますから」
胸元から魔宝珠を取り出し、茶色の宝珠をぎゅっと握りしめる。するとシルの眉間は緩んでいき、ミディスラシールが手からそれを離すと、いつもの様子のシルに戻っていた。
「
「すみません、精霊さんに嫌な想いをさせてしまい。明日の移動時は、念のために貴方たちから離れて行動しますね」
「お気遣い、ありがとうございます」
ミディスラシールが他者より抜きんでている精霊使いだというのは、召喚しているのを目の当たりにした時からリディスは知っている。あまりに強力なため、感情が高ぶったり、うまく感情が操れない時には、気配が漏れてしまうそうだ。城で走り回っている貴族たちと同様、彼女も焦っているのかもしれない。
ルーズニルとケルヴィーは簡単に言葉をかわし、早朝にここを出て、アスガルム領民がいる集落へ連れて行ってもらうことになった。
着々と物事は進んでいく。
だが、それがすべてリディスの未来に続く行為だとは、思いきれなかった。
その後、スレイヤとフェルが住まう家に戻ると、彼女はルーズニルと共に、姫と二人の騎士を連れて村長の家に向かった。これから激化する争いに対して、厳重な警戒をするよう促すためだ。
本来ならばミスガルム城と提携を結びつつある非戦闘員が多いこの村に騎士団を派遣したいが、時間の無さと人員不足により、警告だけしかできなかった。
彼女たちが戻ってくると、フェルが作った食事を有り難く頂き、その後は休息をとることに専念した。明朝の出発までに満足のいく睡眠はとれないが、少しは体を休められるだろう。
「私たちが交代で起きていますから、騎士の皆さんたちも寝てください。休める時に休んでおかないと、取り返しの付かないことになりますよ」
スレイヤが赤い果実の皮を剥きながら、包丁片手に言った。それを見たリディスたちは渋々と承諾し、客間で眠りについていた。
しかし、気持ちが高ぶっている時はなかなか寝られないものだ。寝付けないリディスは客間からこっそり抜けだし、スレイヤとフェルがいる居間に顔を出す。視線があったスレイヤは驚きもせずに、微笑みながら出迎えてくれた。
「緊張して寝付けないだけでなく、何か私に話をしたいんでしょう?」
黙ったままリディスは立っていると、フェルが椅子を引き、彼が座っていた席を手で促してきた。
「寝室にいるから二人で話をしていなよ。用が終わったら呼んでくれればいいから」
「すみません、フェルさん。夕飯までご馳走になったのに、色々と気を使わせてしまい……」
「気にするなって。こっちは昔、長々と部屋を貸してくれた恩もあるからさ」
頭をぽんっと叩かれる。子供扱いされるようで昔は嫌だったが、なぜか今では落ち着くきっかけとなる行為となっていた。
フェルが居間から出たのを見ると、リディスはスレイヤと対面する形で座った。
「……大丈夫?」
スレイヤからの第一声は、姉のように慕っていた彼女ならではの言葉だった。ミディスラシールもリディスに姉として優しく接してくれている節もあるが、まだ姫と一貴族、そして親しい友人という関係の印象が強い。
「一応大丈夫です……」
リディスはどうにか言葉を絞り出す。スレイヤは少し間を置いてから口を開いた。
「……心の中がぐちゃぐちゃで、どうしていいかわからないっていう表情をしているのね」
「え……?」
俯いていた顔を上げると、スレイヤがリディスのことを真正面から見つめていた。
「月食の日から、心を休める時間なんて実はまったくなかった。長年過ごした家に帰っても、護りが強固な城に戻っても、一日たりとも安寧の日を過ごすことはできなかった。それにも関わらず周りに迷惑をかけまいと、無理に笑顔で振る舞い、意図的に負の感情を極力排除している――そうでしょう」
的確な指摘を受け、この人には人生でも槍術面でも一生敵わないなとリディスは悟る。彼女から相手の様子をよく見て動けと言われたことを思い出した。よく見れば心の動きなども感じることができるかららしい。
胸に秘めていた想いをぽつり、ぽつりとリディスは吐き出し始める。
「……スレイヤ姉さん、いつになったら落ち着くんでしょうか。外に出て、多くの人々を助けたいと昔はあれだけ言っていたのに、今は外に出たくなくて……。静かに大人しく暮らしていたいんです。そしてできれば何も知らなかった当時に戻りたいとも思いましたが……さすがにそれは虫が良すぎますよね」
リディスの頬を涙が一筋伝う。
「籠の中にいれば、何も苦しむことはなかった。外に出て、裏切りや死、世界の重さを知ったために、苦しみ、辛さ、悔しさ、悲しみなどを経験してしまった。……そういう想いをさせないように、私をあえて籠の中に入れてくれたのに……私は……」
二十年前の人々の想いを踏みにじって、外に出てしまった。自分が置かれた立場などまったく知らずに、飛び出してしまった。
それが後悔の念としてリディスの心に突き刺さる。
スレイヤは立ち上がり、座っているリディスのことを後ろから抱きしめた。温もりが直に伝わってくる。
「後悔を言葉にしても何も変わらない。……過去には戻れないから、リディスは進んでいるんでしょう。それでいいのよ。人生なんて先が見えないのが当然。外に出た時、こんな状況になるなんて誰が思った? ――その時、その時で最善の選択をすればいい」
「最善かどうかもわからない時はどうするんですか?」
「その時は周りに聞いてみて。あなたを慕ってついてくる仲間たちに」
「……それが時として重く感じるんですが」
ぼそりと呟くと、スレイヤはあからさまに息を吐いた。
「以前から言っているし、私ではあまり説得力はないかもしれないけれど、もう少し他人に頼りなさい。苦しく辛い状況下でも、一人ではなく、誰かと一緒なら乗り切れるものよ。……私もリディスたちにそうして助けられた」
スレイヤも一時期は心を閉ざし、精神的にも沈んでいる時があった。しかし、リディスは決して見捨てたりはしなかった。なぜなら自分にとって大切な人間の一人だからだ。
リディスは抱きしめているスレイヤの腕をどけると、仄かに笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。いつも弱音を吐いてばかりで、すみません」
「妹分に弱音を吐かれない姉だと、立場がないんだけど?」
スレイヤはリディスから離れ、肩をすくめて言うと、お互いにくすくすと笑いあった。
安寧の日はたしかにない。だが心を一瞬でも緩める時間は僅かだがあった。
ふと廊下が軋む音が聞こえた。誰かがお手洗いにでも行ったのだろうか。疑問に思っていると、趣のある柱時計が一定の間隔で音を鳴らしながら、特定の時間を告げ出す。確実に時間は進んでいた。
「姫?」
暗がりの廊下を歩いているミディスラシールの正面から近づいてきたのは、黒髪の青年だった。おそらくリディスがベッドの上にいないのに気づき、抜けだしてきたのだろう。やや焦ったような表情が思い浮かぶ。
「どうかしましたか?」
「……リディスならスレイヤさんとお話しているわ。だからフリートは安心して部屋で待っていなさい。すぐに戻るわよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「――時として真実を伏せて、他人を誘導するのって心苦しい事ね」
ミディスラシールはフリートの横を通り過ぎながら、自嘲気味に呟く。彼は眉をひそめて背中を見ていた。
リディスもフリートも、そして騎士たちもほぼ知らない、樹をこの地に戻すために行っていた隠された真実があった。ミディスラシールは今回旅に同行している中で、唯一そのことを知っている。
おそらくあの優秀な予言者でさえも気づいていないだろう。
これまでの出来事のほとんどが、あの人の手のひらの上で踊らされていたということを――。
その件に関してミディスラシールは反対するつもりはなかった。それらは未来のためにせざるを得ないことだと知っていたから。
それでも、もし少しでも予想外のことが起きてくれれば、決められた未来は変わるかもしれない。
ただ従うしかできなかった過去の自分を、少しは許せるかもしれない。
少しずつ丸みを帯びていく月を横目で見て、ミディスラシールは自然と両手を握りしめて祈りを送っていた。
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