光の道を導く鍵(3)

「あいつ……すごく綺麗にガルームを還しやがった」

 フリートは手近にいる雑魚モンスターをある程度一掃してから、リディスが華麗に空中から舞い降り、還術するのを遠巻きから見ていた。

 隙無く流れるような動きはもちろんのこと、適切な精霊召喚を用いて発動した魔法、そして自らのショートスピアを一時的とはいえ巨大化させるという、召喚の発想の良さに感嘆していた。それらをほんの僅かな時間で行ったというのだから、驚くべきことである。

 ウォーハンマーを振り回しているトルと、武術を用いて蹴散らしているルーズニルがフリートの元に駆け寄ってきた。モンスターも少なくなったため、移動にはたいして手間をとられていないようだ。

「フリート、あれってリディスだよな?」

 トルは驚きに満ちた目で、消え行く黒い霧を見ているリディスを眺めていた。

 彼もリディスとガルームの攻防を見ていたのだろう。フリートやトル、そしてルーズニルが三人がかりで相手をしても太刀打ちできなかった相手を、彼女はほぼ一人で還してしまった。しかも多種多様な精霊召喚を使ってである。

 今までの彼女の戦闘姿を見たことがある者であれば、誰もが唖然とする内容だった。

「あれはリディスだ。……おそらく水の魔宝珠がある祠の奥で、何かあったんじゃないかと思う」

 自分の出身領外の魔宝珠に触れるのは、一般的に不可能だと言われている。

 しかし、ムスヘイム領で火の魔宝珠に、ヨトンルム領で風の魔宝珠にリディスは触れることができた。さらに触れた瞬間、火に包まれたり、何者かが宿ったり、結界を張ったりと、通常ではあり得ないことが起こった。


(つまり――鍵という特別な存在であるリディスは、精霊魔法に関しても特別な力を持っているのか?)


 彼女の潜在能力の底がまったく見えなかった。もしかしたらすべての精霊魔法を思いのままに使える、とんでもない能力を持った人物を開花させてしまったのかもしれない。

 落ち着きを取り戻している中、何度目かになる激しい地響きがフリートたちを襲ってきた。肌に触れる温度が一気に下がり、湿度が増していく。メリッグとヘラの攻防は依然として継続中だった。

 リディスは二人の女性が戦闘している方に視線を向ける。スピアを持ち直し、フリートに一瞬力強い視線を合わせると、彼女は背を向けて走り始めた。

「リディス!」

 追いかけるために一歩踏み出したが、一瞬ふらついた。どうやらだいぶ傷口は開いているらしい。

 横にいたルーズニルがフリートの出血部分を見ると、眉間にしわを僅かに寄せたが、すぐに微笑んだ。

「怪我人はあまり無理しないでね。――トル、フリート君と一緒に後から来てくれ。リディスさんは僕が追いかける」

「おう!」

 返事を聞くなり、ルーズニルはリディスの後を颯爽と追いかける。結ばれた亜麻色の長い髪は小刻みに揺れ、それは程なくして小さくなっていった。

 戦闘開始前は赤みが入っていた空だったが、今では薄暗い夜空へ変化している。少しだけ雲の間から星の光が見えた。

 紐が付いた光宝珠を取り出し、首から下げていると、右腕をトルの肩に回された。

「トル……?」

「立っているのも辛いんだろう。やせ我慢するな」

「……すまない」

「お前が素直だと逆に怖いな」

 トルはフリートよりも背が高いため、若干引きずられるような形で進まされる。ちらりと後ろを眺めると、モンスターたちは一匹も残らずいなくなっていた。

「ルーズニルがこう言っていたぜ。リディスが水の魔宝珠に触れたことで、雑魚モンスターが近寄れないくらいに結界が活性化されたんじゃないかって」

「まるでリディスは樹だな。周りの環境を司る重要な役割を果たしている……」

 リディスに対して溢れる疑問を抱きながら、フリートはメリッグたちが交戦している戦場へ赴いた。



 あの冷気に触れた瞬間、リディスは悟っていた。

 メリッグが押されている――と。

 召喚には誰しも癖があり、同じ種類の武器を召喚したとしても、違う形状になることが多々ある。

 たとえばリディスの通常時のショートスピアは軽さを重視し、切っ先が尖っているだけといった単純な形だが、各地を旅していたスレイヤのスピアは何度扱っても壊れないよう、しっかりとした素材で作られた先端が十字型のものだった。

 精霊召喚でも同様のことが言える。

 以前見て、感じたことがあるメリッグの精霊召喚に関しては、気配からある程度彼女の召喚の威力を察することができていた。それゆえガルームの戦闘後に、彼女の威力が段々と弱まっている――つまり体力や精神力が落ちている状態だとわかったのだ。

 勢いよく森を抜けると、二人の女性が視界に入った。全面針状の氷の塊を右の手のひらの上に浮かべている黒髪の女性が、傷ついた体で片膝を付けているメリッグを冷めた目で見下ろしている。

「呆気ないものですね。これが一族の長だったなんて、笑ってしまいます。そして村を消失した原因の命がこれっぽっちだったなんて……許せません」

「――まさか、私がこの程度で終わると思っているの?」

 メリッグは手を地面に触れながら、口を細かく動かしている。薄らとだが二人を中心として円が描かれ出していた。魔法の威力を増強するために描くといわれている魔法陣を描く気だろう。

 メリッグは何を召喚するのだろうか。体力などほとんど残されていないように見えるが――。

 深い紫色の瞳を垣間見て、瞬間的にリディスは彼女が何をするのか悟った。

 さっきのフリートと同じ瞳をしている。

 何も恐れず、ただ目の前の敵を倒すことだけに集中しているのだ。

 精霊を召喚するのは体力的にも限界に近づいていたが、リディスは風の精霊シルフの力を借りて、瞬間的に二人の傍に移動する。直前に風が吹いたため、すぐに二人に振り返られた。

「誰? 邪魔しないでくれる!?」

「リディス!?」

 突然の乱入者であるリディスをヘラは鋭い視線で睨み付ける。メリッグも予想していなかった人物の登場により、珍しく驚きの声を上げていた。

 スピアの切っ先をヘラの首元に向けようとしたが、その前に彼女が開いた左手を前に突き出した。その手から鋭く尖った氷柱が飛び出る。リディスは慌てて避けた。

「いい判断しているわね」

 軽く口笛をしながら、ヘラはリディスと間を取ろうとした。リディスはそれを許さず、追随ついずいしていく。中距離攻撃であるスピアを主戦とするリディスは、距離を付けられたら魔法を使うヘラと比べて格段に不利な状態になる。

 いつまでも追ってくるリディスに、ヘラの眉間にしわが徐々に寄っていく。

「本当にしつこいわね。死にたいの? なら先に貴女を殺してあげる! 我が氷よ、あの女を食しなさい!」

 ヘラの右手が即座に下ろされる。浮かんでいた全面針状の氷の塊が前進し出した。それに刺さるまいと、一歩引いて避けようとしたが、突然その氷の内部がぱっくりと開き、リディスを噛み砕こうとしてきた。

 加速しながら直進してくるそれをぎりぎり避ける。

 だが獲物を既に認識しているのか、逃げても、逃げても追いかけてきた。宙に舞い上がり、氷の物体の後ろに回るが、それは口を開く方向を変えただけで、何事もなかったかのように迫ってくる。

 ショートスピアを口の中に突き刺し、内部から破壊を試みようか。しかし、それをしている最中にスピアが砕かれれば、口の中に入れていた腕も一緒に食われるだろう。

 鋭い針は伸縮もできるようで、リディスの傍に寄るまで極端に短くなっていた。近づけば攻撃をする直前に針を伸ばしてくるはずだ。

(相手が悪すぎる)

 精霊召喚を用いて遠距離攻撃をする方法もあるが、火力が足りない関係で、体力が尽きる可能性が高い。

 リディスは己の不甲斐なさを噛みしめた。何も考えずにこの二人の戦場に飛び込むべきではなかった。

 歯をぎりっと噛み締めていると、聞き慣れた静かな笑い声が聞こえた。

「うふふ、ヘラ、貴女の相手は私よ。その鍵の娘ではないわ」

「……あ、あの子が鍵!? 嘘よ。記憶喪失になっているって聞いたわよ!?」

 ヘラの表情が一転し、視線をメリッグに向ける。そして彼女は目を丸くして、ごくりと息を飲み込んだ。

 メリッグが地面に手をかざしながら、その場に立っている。彼女の手のひらからは青く薄い糸のようなものが地面に垂れ下がっていた。それはメリッグを中心として魔法陣を描いている。細かな飾りや文字で描かれた陣を目視ではっきり確認することができた。

 糸はリディスも含めて陣内にいる人の足下に絡みついていた。あの全面針状の氷の塊にも糸が巻き付かれ始めている。

「何をしたんですか、メリッグさん」

 ヘラは下から上へと伸びてくる青い糸を払うが、逆に糸は抵抗する彼女のことを締め付けようとしてきた。

「私の命をかけて、貴女をここで止めようと思っただけよ。ただ鍵が乱入してきたから、加減はしてあげるわ。それで生き残れたら鍵に感謝することね」

 メリッグは口元をにやりと釣り上げ、リディスに鋭い視線を向けた。

「リディス、世界は巡回しているわ。今から行うのは生在るものや召喚物が、最終的に“在るべき処”に行くだけの魔法よ。還術士ならそれで察しなさい」

「召喚物が最終的に――?」

 メリッグは両手を高々と掲げて、言葉を発する。


「水は変換しつつ、世界を循環する――水、氷、水蒸気へと。すべての物質も巡回する――それは召喚物も過言ではない。――魔宝珠は樹の元へ――召喚物は大地の元へ――」


 その言葉を聞いて、リディスははっとして、ショートスピアの召喚を解いた。そしてぎゅっと両手を胸の前で握りしめる。深呼吸をして息を体内に取り込んだ。

 メリッグが何をやりたいかは、循環を大切にする還術士であれば薄々察することができる。本当ならこの場から去ることが最もいい。

 しかし、既に足に糸が絡み始めた状態、さらにメリッグが詠唱をし始めた段階では、もう逃れることはできなかった。助かるかどうかは――あとは運だ。

「何をするつもり!?」

 ヘラは未だに精霊召喚を解かずに、ばたついている。

 青い糸は色味を増した。


「すべては在りし処へ――還れ!」


 メリッグが手を降ろし、胸の前で両手を激しく叩いた。

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