闇の中の疾走(3)

 トロイア家は井戸から少し離れ、開けた場所に建っている一軒家だった。大地を赤く染めていた夕陽は沈み、光宝珠で前方を照らさなければ歩くのが難しい時間帯となっている。

「ただいま!」

 扉を開けながらアレキは元気よく挨拶をすると、一直線に奥の部屋へ向かった。誰もいない居間で、ダリウスは光宝珠の明かりを調節して、部屋全体を明るくした。

 フリートが扉を閉めるのを確認してから、リディスはフードを外す。ダリウスがまじまじとリディスの髪を見てくる。

「改めて見ると、本当に綺麗な金色の髪だ」

「ありがとうございます。綺麗なのはいいんですけど、目立ってしまい、却って面倒なんですよね……。アレキ君はどこに?」

「寝室で寝ている妻のところだろう。妻の体調が良くなくて、寝たきりなんだ」

 ダリウスはお湯を沸かしつつ淡々と答える。その会話の内容から、なぜアレキが綺麗な水を欲していたのか察することができた。母親に飲ませるための水を汲んでいたのだろう。

 リディスとフリートが椅子に腰を掛けると、アレキがほっそりとした女性を連れて現れた。ダリウスは彼女を見て慌てて近寄り、椅子に座らせる。元気な姿であったら、さぞ綺麗な人だろうと思うほど、気品がある美しい女性だった。

「エリー、起き上がっては……」

「お客様が来ているのでしょう。一言ご挨拶したら戻るわ」

 エリーは慈愛に満ちた顔で、リディスとフリートを見てきた。

「初めまして、お二方。エリー・トロイアと申します。まず主人が失礼なことをおっしゃったようで、すみません。主人、とても心配性で……」

「初めまして、エリーさん。私はリディス・ユングリガ、こちらはフリート・シグムンドと言います。この村では村人と接触するのは難しいと伺っていましたので、ご主人の取った行動に関しては気にしていませんよ」

「ですが、わかっていたとはいえ、気を悪くしたのは事実でしょう。……村全体に良くない雰囲気が漂っている。このままでは村は衰退し、さらには孤立状態に陥るわ」

 エリーはリディスの胸元を見ると、目を丸くした。視線をダリウスへ移す。

「――ねえ、あなた」

「何だい?」

「リディスさんたちは目的があってミーミル村に訪れたはずだわ。だから彼女たちの力になってあげて。何かあったら私の名前を出して構わないから」

「エリー、いったいどうして……」

「これから何かが起こるって風の女神様が言っているのよ。そして彼女たちがとても重要な立ち位置になると、私の直感が言っているわ。――そういえば、ルーズニルさんのところの妹さん、スレイヤさんはお元気かしら?」

「ええ、元気ですが……」

 スレイヤには体調が悪いことを他人に言うなと口止めされている。エリーはリディスの返答を聞いて、首を傾げた。

「本当? 私はすでに体調を崩しているから、彼女の体にも異変が起こっている可能性が高いわ。少し注意深く見て、あまり無理はさせないようにして」

「エリーさんやスレイヤ姉さんが体調を崩すのには、何か理由があるのですか?」

 リディスは早口にならないよう努めながら問い返す。エリーは胸の辺りをそっと掴んだ。


「精霊たちがざわめいているの。これから何か起きることに対しての前兆的なものだと思うわ」

「前兆?」

「ええ。こんなにもざわめいているのは、レーラズの樹が消えた以来らしい……」


 突然エリーが咳込み始める。苦しそうに何度も何度も咳をし、見かねたダリウスは彼女の背中をさすっていた。リディスたちは何もできず、ただその様子を見守っていた。


 しばらくして少し落ち着いたところで、エリーは早々にベッドに戻ることになった。

 立ち上がると彼女はアレキに支えられ、ダリウスに寄りかかりながら、リディスたちに軽く頭を下げる。

「ごめんなさい。私はここで失礼するわ。スレイヤさんによろしく伝えて」

 リディスが頷くと、エリーは再び家の奥に戻った。最後に見た彼女の表情はとても辛そうだった。

「――いったい何の前兆かしら?」

 静かになった室内でリディスがぽつりと呟く。

「わからない。だが、国王たちには心当たりがあると思う。精霊たちがざわめいている中で、精霊が宿る魔宝珠の欠片を集めさせている――偶然とは考えにくい」

「つまり私たちがこうして動いているのも、前兆の先にあることを見据えているということよね」

「そうだろう」

「それなら早くこの村での用件を終わらせなきゃ」

 リディスの発言にフリートはしっかり頷き返した。

 ダリウスが戻ってくると、慌ててお湯を沸かし直して紅茶をいれてくれた。香しい匂いは高ぶっていた心を落ち着かせてくれる。三人で椅子に腰をかけて、紅茶を飲んだ。

「エリーさんは大丈夫ですか?」

「ああ、だいぶ落ち着いて、もう寝入っているよ。寝ていれば良くなるから」

「そうですか……。あのエリーさんは何かされていたんですか? 風の女神様についてお詳しそうですが」

 ダリウスは机の上に手を乗せて、軽く握りしめる。


「エリーはかつて風の魔宝珠に宿る、風の女神からその宝珠の護り人に指名され、昼夜を通じて祈りを捧げていた。その護り人の期間は三年から五年くらいで、ミーミル村にいる女性から選ばれる。その経験もあって、女神の助言や動きには普通の人より敏感なんだ。――今の護り人はルーズニルの妹、スレイヤさんだろ?」


 その言葉を聞いて、フリートの顔がぴくりと動いた。彼の表情を盗み見ると、視線が下がっている。どうやら彼は知っていたらしい。

 リディスは初めて聞く内容だったが、彼女の夜の行動を見ていれば、すんなり受け入れることができた。姿勢を正して、ダリウスを見据える。

「祈りを捧げるというのは、そんなにも体に負担がかかることなんですか?」

「周りが思っている以上に負担はかかるらしい。自分自身の精神力を込めて、魔宝珠に祈りを捧げるからね」

「女神が宿っている魔宝珠はとても大切な存在だと思われます。ですが、選ばれた女性が己の精神力を削ってまで、しなければならないことなのですか?」

 すべての根本を揺るがす質問をすると、フリートは目を見張ってリディスのことを見た。ダリウスはやや目を見開いたが、すぐに目を伏せ、両手を強く握りしめた。

「――ミーミル村はヨトンルム領の他の村と比べて、モンスターの被害が少ない理由は知っているかい?」

「村の周りに厳重に置かれている、結宝珠のおかげではないのですか?」

 村を囲む柵はミスガルム城と比べて非常に脆いものだが、結宝珠が置かれている間隔はミーミル村の方が遥かに短い。

「それも一つだ。だが大元はそっちではない。……実はこの村は女神様が護ってくれているんだ」

 両手を組みながら、ダリウスは言葉を選ぶ。

「女神――いや精霊に最も護られている村と言っていいだろう。祈りを通じて彼女たちの精神力を女神に与える代わりに、私たちは穏やかに知識を得られる空間を得ているのだ」

「それはつまり――」


「――彼女たちの犠牲の上に、この村は成り立っているわけですか」


 今まで黙っていた黒髪の青年が重い口を開いた。怒りを含んだ口調ではなく、寂しさと諦めにも似たものが感じ取れた。ダリウスは重々しく頷く。

「……ああ、そうだ。エリーだけでなく、女性たちが祈りを捧げなかったら、この村はとうの昔になくなっていただろう」

「その犠牲に見合う成果は得られているんですか」

「それなりに得ていると思う」

 ダリウスは冷え切った紅茶を飲んで立ち上がり、カーテンを開いて村の中心部にそびえ立つ塔を見た。

「あそこにはこの村だけでなく、魔宝珠によって恩恵を受けているドラシル半島の知識が集結しているといっても過言ではない。そこを中心として魔宝珠だけでなく、様々な分野でも必ず新事実は出ているはずだ」

 フリートも立ち上がり、視線を塔に向けたままダリウスの横に並ぶ。

「あの塔については話を聞いたことがあります。多くの有名な学者や知識人を輩出しているということを。しかし気になる点があります。俺は学問について多少かじっているのですが、ここ最近魔宝珠に関する新事実はほとんど聞いたことがありません。特にミーミル村からの声は。……研究が進められていない、もしくは公表されていないのではないですか?」

 それを聞いたダリウスは目を大きく見開いて、隣にいるフリートに視線を向けた。

「そうだったのか? こういう内容を聞いたことはないのか?」

 ダリウスが口にしたのは、リディスにとっては初耳の内容だった。フリートは表情を変えず、首を横に振る。

 とあるモンスターの生態についてのもので、騎士たちが知っていたら、戦闘時に役立っているだろう内容だった。その他にも還術、魔宝珠、様々な分野を聞いたが、フリートはどれも首を縦に振らなかった。

 予想外の返答をされ、ダリウスは愕然とする。

「今、話した内容はあの塔を出入りする時に聞いたものだ。その仮説は充分な裏付けによって成り立っているから、公表してもいいものだと思ったが、まさか未だにしていないとは……。まったく耳が痛い話だ」

 ダリウスは眉間に指先を置き、首を小刻みに横に振った。

「――私も村の皆もわかっている、心を開かなければ前には進めないということを」

「心を開く……」

 フリートはダリウスの言葉を復唱する。口を閉じると、視線を下げた。

 スレイヤと買い物に行った後から様子がおかしかった。思いつめている様子を見て、リディスでも心配になり、彼を探す為につい外に出てしまった。

 傍にいて何か特別なことができるわけではない。むしろ心配をかけさせる恐れがある。

 だが、そんな時だからこそ、意地っ張りで強情な彼の傍にいるべきだと、人には弱みを見せず苦しんでいるスレイヤを見てリディスは思ったのだ。

 ダリウスの視線が、椅子の前で立っているリディスへ向けられる。

「さて、妻に背中を押されたわけだから、私も少し頑張って君たちの力になろうと思う。――一つ聞きたい。どうしてこの村に来たんだ?」

「すみません、詳しいことは言えないのですが、ルーズニルさんに導かれてここに来たのです。まずは村長さんに会いたいと仰っていたのですが、ルーズニルさんでも会いにくいようで……」

「頭でっかちの村長は、頻繁に外と出入りしているルーズニルのことをよく思っていないから当然だ。わかった、明日村長に報告があるから、その時に上手く言って約束を取り付けてみよう」

「本当ですか!? ありがとうございます。お手間をかけますが、よろしくお願いします。……あの、ちなみに報告って何ですか?」

「ちょっとこっちに来てくれるかい?」

 ダリウスは手を拱き、彼の隣にリディスを呼んだ。そして塔の頂上にある半円球のものを指で示される。

「あそこは私が研究している場所。研究対象は召喚と天体の関係」

「その二つに因果関係があるのですか!?」

 初めて聞いた二つの繋がりを耳にし、リディスは目を輝かせた。だがダリウスは苦笑して、頭をかいている。

「関係性については最近囁き始められたものだ。それから研究をしているから、まだ結果は得られていない」

「その研究を始めたきっかけは、何ですか?」

「意図してない召喚が起きた時に、天体の動き、特に月が少し面白い動きをしていた、という記述が発見されたのがきっかけだ」

「へえ、面白そうですね……!」

 未知なる領域に踏み込むのは怖さもあるが、面白さの方が上回る。もし本当に関係があれば、素晴らしい発見になるだろう。

「今度、皆既月食があるとわかったから、それについて報告しようと思っている。月食は非常に神秘的なものであると昔から言われている。召喚についても何か影響があるかもしれない。――天気が良ければ、半島内のどこからでも見られるから、よかったら見てみるといい」

「はい!」

 純粋な好奇心から出た返事をすると、ダリウスの頬はほのかに緩んでいた。

 視線が黒色の瞳の青年と合う。やや和らいだ表情で、リディスに向けて口を開く。

「リディス、そろそろ戻るぞ。スレイヤさんたちが心配する」

「そうね。フリートを探してくると言って出てきてから、随分と時間がたってしまったわ。村の中で探し回られる前に帰らないと」

 リディスはダリウスに向くと、軽く頭を下げた。

「お茶までごちそうして頂き、ありがとうございました。すみませんが、そろそろ失礼させて頂きます」

「いや、こちらこそ引き止めて悪かった。息子を護ってくれて、本当にありがとう。村長の件はあとでルーズニルに伝えておく」

 リディスとフリートは、ダリウスと再び現れたアレキに見送られて、トロイア家を後にした。



 周囲が闇に覆われている中、フリートが持っている光宝珠が唯一の光源となる。リディスはフードをしっかり被って、家の間を歩いて行く。ヴァフス家までは塔を目指せば迷わず着ける。

 再会した時よりもフリートから発する雰囲気は和らいでいた。近寄り難く、むしろ怖いとまで思ってしまうときもあったが、今はそこまでではない。

「早く帰って晩ご飯の準備を手伝おう。スレイヤ姉さんに無理をさせたくない」

「そうだな」

「帰ったらトルに怒られるかもね。リディスが外に出ていいのなら、俺も勝手に出るとか言いそう」

「そんなうるさい奴がいたな……」

 嘆息を吐きつつ、家々の間を抜けると、商店街の区画に入る。そこを横断する直前、フリートは歩くのを止めた。数歩進んでいたリディスは立ち止まると、後ろを向き、彼を見て首を傾げた。

「どうしたの?」

「今から言うことの客観的な意見を聞きたい」

 フリートが真剣な表情で見つめてきた。リディスの心拍数が徐々に上昇していく。

「リディスは――」

 話している途中でフリートは虚を突かれた表情になった。そして険しい表情でリディスの横を走り抜け、商店街に出た。彼は左に鋭い視線を送り、ひょろりとした体型で黒髪の青年の背中に向かって叫ぶ。


「兄貴! ……ハームンド・シグムンド!」


 その単語を聞いたリディスは面食らった。驚きのあまり、疑問を言葉にすることすらできなかった。ハームンドと呼ばれた青年はゆっくり振り向く。整った黒髪の青年は、フリートを見るなり目を瞬かせた。

「まさかフリート? なぜここにいるんだい?」

「それはこっちが聞きたい。文官貴族のお坊っちゃんが、どうしてここにいる」

 語尾に若干怒気がこもっている。飛び出しそうになったら、すぐに止められる位置までリディスは近づいた。

 フリートの父親は文官貴族であり、彼も騎士の道に歩まなければ、その道に進むだろうと言われていた。

 だが今、フリートは騎士として生きている。詳しくはわからないが、彼の過去の出来事によって家族と確執が生まれたのではないかと、リディスは薄々想像していた。

 その場で返答を待っていると、ハームンドはリディスのことをちらりと見てから口を開いた。

「僕は父上に頼まれて、ここの研究者に会いに来たのと、ある人に手紙を――」

 その時、大きな亀裂音がした。音がした方面である空に視線を向けると、薄い膜が裂けているように見えた。リディスは口を手で覆い、目を大きく見開く。

「結界に亀裂が入っている……! この村では今まで結界が解けたことはないって聞いていたのに!?」

「リディス、結界の向こう側をよく見てみろ!」

 フリートは悪態を吐いて空を睨みつける。

 リディスも目を細めて空を見ようとしたが、全身を通して殺気を感じる方が早かった。手が微かに震えている。

「ま、待って……。数もいる中で、何か恐ろしいモンスターが近づいている?」

 鳥肌が立つような殺気である。結界が脅威から護ってくれると思いたかったが、夜のスレイヤの様子を思い出して、その考えは打ち消した。今の彼女に更なる強固な結界を求めるのは厳しい。

 対抗策は思いつかないが、今は一刻も早くルーズニルたちと合流しなければ。

「何が起ころうとしているんだ、フリート?」

 腕を手でさすっているハームンドを、フリートは一瞥した。

「坊ちゃんの兄貴には遭遇したことがねえことだ。落ち着くまでどこか頑丈な家にでも避難していろ。話はまた後だ。――行くぞ、リディス!」

 フリートの呼びかけに、一度だけ頷いた。そして近づいてくる恐怖に怯えながらも、リディスは黒髪の青年と共に走り出した。


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