8 予言と推測の狭間で

予言と推測の狭間で(1)

 怪我の度合いは人によって違いはあったが、医者には全治十日から二十日と診断された。意外にもロカセナが一番早く傷は塞がる予定だ。綺麗に斬られていたため、見た目の出血より軽く済んだらしい。

 リディスに関しては医者が眉をひそめるほど衰弱しており、どうしたらこうなるのか、かなり詰問された。疲労や突きを入れられたことは事実を話すことができたが、火の幻影については説明ができなかったため、「空気が薄いところに一時的に放り込まれた」と誤魔化して言うしかなかった。

 フリートはリディスの容態について一通り話し、医者から解放されると、未だに眠っているリディスとロカセナと並んで客間のベッドで横になった。ロカセナは意識をすぐに取り戻したが、リディスは三、四日経っても目覚めていない。

 トルとメリッグは別の部屋で休んでいるらしく、事件が起こった翌々日には三人の部屋に元気な顔を出して世話しなく動いていた。


 久々の休息をゆっくり過ごそうかとフリートは思っていたが、ある一点に頭を悩ましていた。考えるだけで頭が痛くなる内容だ。

「城に帰るの、予定よりだいぶ遅くなりそうだね」

 ロカセナは目を開くと、まるでフリートの脳内を見透かしたような内容を話してくる。廊下側からフリート、リディス、ロカセナの順でベッドの上で横になっているため、彼女の上を通過しながら言葉を投げ合う。

「嫌なことを言うな。傷の治りが余計に遅くなる」

「予定だと、もう帰路に着いているはずだね」

「わかっている。だから痛みに耐えながら、やっとの思いで手紙を書いて、送ったんだろう。そろそろ届いているはずだ」

「手紙を読んだ瞬間のカルロット隊長の顔が見てみたい」

「他人事みたく言うな」

 フリートは恨めしい思いでロカセナを睨みつける。二人で何か失敗をしても、責められ、いいように使われるのはフリート。ロカセナはにこにこ笑いながら受け流して、何のお咎めもない。待遇があまりに違いすぎる。直談判したいが、それを口実に訓練をふっかけられる可能性が高いため、動けないでいた。

「リディスちゃん、だいぶ顔色が良くなってきたね」

 突然話題を変えられるが、特に嫌な顔せずフリートは受け答える。

「ああ。熱も下がったし、あとは肩の傷が癒えればいいだけだ。幸い怪我自体はたいしたことないからな」

「彼女、熱で頭が回らなかったのに、状況を把握して、肩の怪我だけで終わらすなんて凄いね」

「そうだな……」

 おもむろにロカセナは起き上がると、壁伝いに歩いて窓を開けた。そこから心地よい風が流れ込んでくる。彼は腕を組んですぐ近くの壁に寄りかかった。

 まだ怪我の治りは不充分のはずだが、傍から見たら本当に怪我をしていたのかというくらい、いつもと同じ表情や行動をしている。

 薄々と思ってしまうのが、ロカセナがガルザに斬られたのは、わざとではないかということだ。動けないと思えるくらいの絶妙な怪我を負い、本当に危険なときは跳ね起きて、奇襲をかけようとしたのではないだろうか。

「僕の顔に何か付いている?」

「いや、何でもない」

 じろじろ見たのが気になったのだろう、不思議そうな表情をしていた。

 陽の光が開け放たれた窓を通して射し込んでくる。その先に見える庭は修繕されており、ここに初めて訪れた時と同じ光景が広がっていた。塀の外にある町では今日も賑わっているのだろう。未だにその喧噪の中に踏み入れていない少女が少し可哀想だった。


 一方、リディスに対しても疑問が募る。

 なぜ、ムスヘイム領民でない彼女が、火の魔宝珠に触れることができたのか。

 そして、彼女に宿った、あの女性はいったい誰なのか。

 彼女が目覚めても、おそらく納得いくような回答は得られないだろう。あの出来事は彼女の意識外で起こったことと考えられるからだ。

 しかし、たとえ情報が得られなくても、彼女には早く起きて欲しかった。

 不意にリディスの瞳が微かに動いたのに気づく。フリートはベッドに腰をかけ、彼女の様子を注意深く見た。ロカセナも壁から離れて、自分のベッドに戻る。

 やがて射し込んだ光がちょうどリディスの上を通ると、彼女の瞳はゆっくり開かれた。ぼんやりとした表情で天井を眺め、左右に目を動かす。

「ロカセナにフリート……?」

 久しぶりに聞く彼女の声に、フリートの胸は熱くなった。同時にずきりと何かが心の奥底に突き刺さる。

 ロカセナはそっとリディスの手を取り握ると、優しく囁いた。

「無事で良かった、リディスちゃん」

 ほんのりとリディスの頬が赤くなった。

「ごめんね。私のせいでたくさん迷惑かけたみたいで……」

 たどたどしい言いようが、どことなく勘に触った。目覚めて嬉しいはずだが、なぜか苛立っているフリートは口を尖らせてしまう。

「まったくだ。どれだけ無茶をすれば気が済むんだ。一歩間違えたら、殺されていたかもしれないんだぞ!」

「ごめん……」

「ここで誘拐されたのは俺らの不始末だとしても、あの剣士に喧嘩を売るような攻撃をしたのは良い度胸だったな。死にたかったのか!」

 リディスの顔が見る見るうちに歪み、涙を押し殺して口を噤んでいる。反省をしているのはわかったが、それでも止まらなかった。

「それに触れたら発火するかもしれない魔宝珠にどういうつもりで触ったんだ。トルのおかげでどうにかなったからいいが、普通だったら確実に死んでいたぞ」

火の精霊サラマンダーが大丈夫だって言ったから。だから――」

「こっちの身になってみろ。どれだけ心配したと思っているんだ!」

 怒涛のように言い切ると、途端に後悔した。目の前にいる少女の目は、涙で溢れそうになっていたからだ。

 堪らず視線を逸らし、ベッドから降りて部屋から出ていこうとすると、ロカセナに呼び止められた。

「フリート!」

「……トルや領主に、リディスが目覚めたことを知らせてくる」

 それだけ言って、振り返ることなく部屋から去った。


 廊下を右に数歩進んだところで、フリートは自分の行動に対して歯噛みをした。だが、左の壁にいる人物を見ると眉間にしわが寄る。腕を組んだ紺色の髪の女性が、笑みを浮かべていた。

「目覚めた早々に説教は良くないと思うけれど」

「メリッグに何かを言われる筋合いはない。俺の勝手だろう」

「ええ、そうよ。貴方の言動は貴方の勝手。けどね、本心でないことを言うのは、あまりお勧めしないわ。いつか大事な場面で、きっと後悔することになるから」

 その内容は抽象的だが、どことなく惹かれるものがあった。

「さすが予言者と言ったところか、一つの助言として受け取っておく。……なあ、リディスも目覚めたことだから、あいつのことについて何か予言してくれないか?」

「それは難儀な問題よ」

 即座に否定されて、つい低い声を出してしまう。

「どういう意味だ」


「実はあの娘の先のことについてはもう何度も予言したわ、昨日もね。けど何も見えなかったのよ。“今は為すがままに動け。分岐点に辿り着く時、彼女自身ではなく、周りの動き方によって道が変わる”という内容くらいしか、私には言えない」


「リディスに分岐点? その分岐点って何だ、いつ起こるんだ?」

「分岐の先に続くものはある程度予想できるけれど、分岐する頃合いははっきりとわからないわ」

「それなら、あいつに関して予想している内容だけでも教えろ。そうすれば、こっちだって多少動きようがある」

 メリッグは肩をすくめて、首を横に振った。

「それも言えないわ。教えたら予言した内容が変わるかもしれないし、予想だから外す可能性はある。もしかしたら、悪い方向の道しか選べなくなる展開になるかもしれない」

「思った以上に心配性なんだな。予言や予想なんてただの道標の一つで、言うのには躊躇ないと思っていたが。――話をまとめると、どういう展開になるかは、今後次第ってことだな」

「そういうことね。他の予言者よりも信憑性はある方だと思うから、そう捉えてくれて間違いではないわ」

 メリッグは濃い紫色の瞳を、フリートの黒色の瞳に真っ直ぐ向けた。

「あとはあなたたちの手腕の見せ所。彼女を正しい道に連れて行きなさい」

 そう言うと話が終わったのか、メリッグはフリートが進もうとしていた通路の反対側を歩き始める。フリートは慌てて振り返り、彼女に呼びかけた。


「ちょっと待て! 最後に……リディスは何者なんだ?」


 火の魔宝珠の事件以降、普通の少女には見えなくなってきた。予言者のメリッグなら何か知っているかもしれないと期待して聞いてみる。彼女は背中を向けたまま淡々と一言呟いた。

「さあ、私は知らないわ」

 メリッグはゆっくりとした足取りで廊下を歩いて行く。あとに残されたのは、呆然と突っ立っているフリートだけだった。



 リディスは頭がはっきりしない中、フリートに一方的に捲し立てられた。いつもなら耐えていたが、今回は精神が安定していなかったため受け止めきれず、思わず涙を流しかけた。それを見たフリートはばつが悪くなったのか、治りかけの体で部屋を出て行ってしまった。

 夢とうつつを行ったり来たりしていたため、記憶はどれも朧げだったが、現で何をしたのかはだいたい覚えている。

 フリートに言われたように、非常に危険なことをしたのは自覚している。助けに来てくれたのに、それを仇で返すような行動に出てしまい、本当に申し訳ないと思っている。だから、彼があのような態度を取るのは当然だ。心苦しい気持ちになる。

「リディスちゃん……」

 柔らかな声を聞いて、部屋にはもう一人の青年が残っていることに気づく。同時に手から伝わる温もりも。少しだけ表情を緩ませて彼を見た。

「ロカセナ……、怪我は? あの人、とても強かったから……」

「多少怪我は負ったよ。けど思ったよりも治りは早いから安心して。みんな多かれ少なかれ怪我をしたり、疲労が溜まっているけど、リディスちゃんが一番酷いから」

「ごめんなさい……」

 目覚めてからそんなに経っていないが、また謝ってしまう。自分の弱さ、不甲斐なさに腹が立つ。

「フリート、嬉しいのを隠しているだけだから……って言っても、気休めにしかならなそうだね」

 リディスの視線の位置が突然変わった。天井から壁へと変わる。ロカセナによって上半身を起き上がらせられ、優しく抱きしめられたのだ。リディスの頬がかっと赤くなる。

「無理しなくていいんだよ。目が覚めたばかりで、いっぺんに言われて混乱しているだろうけど――本当は怖かったんだろう」


(怖い――?)


 だんだんと記憶が鮮明に蘇ってくる。発熱の最中に奇襲をかけられたこと、暗い部屋で襲われかけたこと、何も見えない中で耳に入ってくる悲鳴や怒号。何度も痛めつけられ、死を覚悟した瞬間もあった。

 それらを思い出すと、リディスの全身は震え始めた。そしてぽつりぽつりと呟く。

「……怖かった……。死ぬかと思ったし、五体満足で帰ってこられないとも思った」

「大丈夫、もう大丈夫だから」

「また、みんなに迷惑かけちゃった。それも悔しくて……」

「もういいんだよ。リディスちゃんが悪いんじゃない。だからもうその目に溜まっているもの、流していいんだよ? その顔、今なら誰にも見られないから」

 ロカセナがそっとリディスの頭を撫でる。一つ一つの何気ない動作が心の中を浄化してくれた。

 促された通りに、リディスは目から涙を零した。強く意識をしなければ、止めどなく流れ出てしまう。それでも構わないと言った風に、ロカセナは静かに全身を包んでくれた。

 空が雲で覆われたのか、部屋の中に光が入ってこない。その微妙な暗さが逆に有り難かった。

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