煌めく想いを火に込めて(3)

「リディス!」

 大広間に着いた瞬間、彼女の名前を叫びながらフリートは駆け出していた。

 ようやく追いついたその地でフリートたちが見たのは、リディスが大きな火の魔宝珠に触れた途端、薄らと赤い炎らしきものが彼女の体を包み込んだ瞬間だった。リディスはその場に静かに倒れ込む。

 駆け寄ろうとしたが、頬に傷がある男が立ちはだかった。

「なんだてめえ。また来やがって。死に急ぎに来たのか」

「貴様、彼女に何をした!」

「悪いがオレは手を出していねえ。ただちょっとあれに触れてみろって言っただけさ」

 鼻で笑いながら言い捨てる。その言葉はフリートの怒りに触れた。

 鞘から抜いてバスタードソードを男に向けて振り上げた。男は反射的に避けたが、完全に避けきれず、剣は頬をかすった。赤い血が頬を流れる。

 血を拭って、自身の体から流れた赤い液体を確認すると、男は八重歯を出して笑った。

「怪我をしてもまだそんな力があるのか。名前、何て言うんだ、騎士さんよ。オレはガルザ」

「……フリートだ。その減らず口、すぐに言えない状態にしてやる」

 じりじりと睨み合う。ガルザの武器であるシミターの柄にはまだ手が触れられていない。だがさっきの攻防から判断すると、僅かな隙が大きく展開に左右するだろう。

「――二人相手か。まあ悪くないな」

 ガルザはぼそりと呟きつつ、剣を抜いた。フリートがすぐに飛びかかろうとしたが、その前に銀髪の青年が目の前を通過する。小気味のいい音と共に、ガルザとロカセナの剣が混じりあった。

「ロカセナ!」

「援護を頼むよ。怪我をしている相棒に無理をさせられない」

 ガルザがロカセナのサーベルを弾くと、目にも止まらぬ速さで切り返していく。それをロカセナはどうにか対応しながら後退していった。

 フリートはリディスの方を見て、トルとメリッグが駆け寄っているのを確認する。そして意を決して、死闘の間に無理矢理入り込んだ。



 リディスに駆け寄ったトルが目にしたのは奇妙な現象だった。目を凝らせばわかるが、リディスは赤い色の空気のようなものに包まれていた。見方によっては本物の炎にも見えるが、実体はなく、彼女自身が燃えている様子もない。

「不思議な現象ね。即座に燃やされていないことから、火の魔宝珠はこの娘を受け入れたということかしら。ミスガルム領出自なのに、珍しいこともあるのね」

「領の出自が関係あるのか?」

 メリッグがしゃがみ込んで、リディスに触れようとした。だが触れた瞬間、怪訝な表情をして手を引っ込める。白く綺麗な手には、うっすらと火傷を負っていた。メリッグは水の精霊ウンディーネを召喚して、その場で水を出して手を冷やし出す。そして彼女はトルを一瞥してから、リディスを眺めた。

「精霊召喚についてはあまり多く知られていないけれど、統計を取ればわかるはずよ。使い手の内訳は、火はムスヘイム領の者、土はミスガルム領の者、風は東にあるヨトンルム領の者、そして水は北にあるニルヘイム領の者がほとんどだと。まれに混合で使える人がいるらしいけれど、数十年に一人の人材ね」

「リディスはその人材だと……?」

 トルは目を丸くして、微かに呼吸をしている少女を見下ろす。

「それはわからないわ。ただ単に偶然かもしれないし。どちらにしてもこの火の幻影が消えないと、まともに呼吸ができなくて、最終的には死ぬわよ」

 まるで他人事のように、メリッグは冷たく言い放つ。

 辛そうに横たわっているリディスをトルは見ていられず、思わず目を逸らした。

「まあこの火のおかげで、ガルザという男はこの娘に触れることができなかったみたいね。普通なら私たちが現れたら、真っ先にこの娘を盾にしたはずよ」

「つまり人質としては使えなくなったってわけか」

 ガルザからリディスに向けて危害を与えられることは、当分ない。だから今はリディスを包んでいる火を取り除くことが先決ということになる。

 しかし、トルにはこの状況を打破する方法が、何も思いつかなかった。

 震える手でリディスに触れようとしたが、直前で熱さが指先から伝わり、手を離す。メリッグは依然として難しい顔をしていた。

「加護がない領民が触れても状況は変わらない。ならばある人なら、どういう反応をするのかしら」

 独り言のように呟いているのを聞いていると、耳にけたたましい鳴き声が飛び込んできた。


 何事かと思い振り返ると、ガルザの左右に黒色の大きな狼が現れていた。人間たちよりも遥かに大きく、一匹の額には三日月が、もう一匹の額には太陽の絵柄が白い毛で形作られていた。

「あの男、モンスター召喚ができるの! しかもスコルとハティの双子の狼。厄介な部類に入るわね」

 メリッグが忌々しい表情で二匹を睨み付ける。そして彼女はリディスから少し離れたところに移動し、左手を腰に当てて振り返った。

「リディスのことは貴方に任せたわ。私たちが足止めをしている間に、どうにかしなさい」

「どうにかって、どうやってだよ!」

「そうね……、やはり火に触れるには火……かしら?」

 メリッグは抽象的な言葉発すると、トルに背を向けた。そして魔宝珠を握りしめて目を閉じた。

「我が水の精霊ウンディーネ……力をお貸しくださいませ。魔宝珠よ、我が想いに応えよ」

 言葉を紡ぐと、青色の長い髪の美しい小さな女性が現れた。無表情の精霊にメリッグは声をかける。

「あの男の周りにいるモンスターを倒したい。還すのは難しいから、足止め程度で」

 水の精霊は軽く頷くと、人型から水の球に変わり、メリッグがスコルとハティと呼んだモンスターの元へと飛んでいった。

「――さあ、氷の刃よ、悪意あるものに裁きを与えよ」

 涼しい顔で言い放つ。次の瞬間、狼型のモンスターたちが立っている地面から氷柱が大量に現れ、突き刺さそうとした。だが間際で気づかれたため逃げられ、かすり傷を負わせる程度で終わった。

 突然の横槍に、ガルザは不機嫌な表情をメリッグに向けた。

「おいおい、せっかく楽に終わらせたくて頑張って召喚したのに、どうして他から援護がこなきゃいけねんだ」

「貴方の相手は目の前にいる騎士二人よ。モンスターは私が相手をするわ」

 メリッグは鋭い目つきでガルザを睨みつけた。



 フリートとロカセナの二人で相手をしても、ガルザは非常に手強てごわい相手だった。

 彼の剣は常人とは逸脱した部分が多々ある。その中で最も秀でているのは速さだ。

 速ければ相手からの反撃をかわすことができるだけでなく、攻撃にも転じやすくなる。短所と言えば一撃が弱くなってしまうところだが、その心配はガルザにはなかった。一振りが非常に重く、受け止めるのも精一杯だ。

 呼吸が上がり、連続で受け止めるのも辛くなってくる。すると突然ガルザはフリートとロカセナと距離をとった。そして二つの黒ずんだ魔宝珠を取り出して、召喚の言葉を発すると、大きな狼が二匹現れた。

 意外な召喚に驚き、気を取られていたが、メリッグから援護を受けたため事なきを得ている。

「モンスターまで召喚できるとは、面白い人だね。てっきり剣だけで生きている人かと思った」

 フリートの左にいるロカセナが呼吸を整えながら、言葉を漏らす。

「メリッグが引き受けてくれるらしいが、大丈夫だよな?」

「彼女の能力であれば、足止めはできると思うよ。心配なら窮地に陥る前に、僕らがガルザを倒せばいい」

 召喚物は良くも悪くも召喚者の精神状態に左右される。召喚者が怪我をすれば召喚物の動きは鈍くなり、命に関わる状態になれば召喚物は消えてしまう。

 ガルザも二人の考えていることがわかったらしく、意識を再びメリッグからフリートたちに向けた。

「モンスターなんて、オレにとってはオマケみたいなものだ。……遊びも終わりだ」

 ガルザは瞳を閉じて、地面に向けていたシミターを中段まで持ち上げた。彼の気配が小さく鋭いものに変わる。フリートは用心深く見つつ、右手でバスタードソードを、左手は添えるだけにして同じく中段で構えた。

 やがて目の前からガルザは消えた。

 フリートはとっさにできる限り右横に飛ぶ。

 直後、頬に生温かいものを感じた。着地して恐る恐る左に向くと、銀髪の青年が右脇腹を苦しそうに押さえていた。

「……予想以上に速いな……。恐ろしいやつだ」

 ロカセナが愛用しているサーベルが消えると、彼は地面に倒れ込んだ。見る見るうちに血は地面に広がり、ロカセナの顔は青ざめていく。

「二人まとめてろうと思ったが、何が悪かったんだ?」

 ガルザの表情には、仕留め損ねた悔しさではなく、むしろ避けられたのが嬉しいという表情を浮かべていた。

 俊足で動いたせいか、ガルザの息も若干上がっている。彼は息が極力上がっていないときに攻撃を仕掛けてくると、何度かの攻防で察していた。そのため、フリートに少しだけ止まって思考する時間が与えられる。

(くそっ、どうすればいい!?)

 しかしいくら考えても、絶望的な状況から希望の光がまったく見えてこなかった。


 メリッグにリディスを任されたトルだったが、何をすればいいのかわからず、途方に暮れていた。ある場所では青年たちが目で追うのが困難な速さの攻防を繰り広げ、別の場所ではトルが戦ったことのないモンスターに対して女性が精霊召喚を用いて対抗している。どちらの戦いにも加勢できる隙はない。

 気を取り直して再度リディスに触れようとしたが、同じことの繰り返しで、すぐに手を引っ込めている。当初よりも火の温度が若干ながら上昇していた。

「どうして火に包まれているんだよ!」

 そう言った瞬間、トルはふとあることを考えついた。ムスヘイム領に加護を与えている、火の魔宝珠を改めて見る。それは静かにその場に佇んでいた。

「火の加護があれば、火の一部に触れられるのか?」

 魔宝珠に近づき、震える手をゆっくり伸ばす。脳裏にスルトが言っていた、触れたことで燃え上がったことを思い出し、あと少しというところで止まる。

 触れなければ現状は何も変わらない――そう思っているが、これ以上動くことができなかった。

 その時、風が僅かに吹いた。

『臆病者は嫌いよ。やる気がない人間なんて、目障りだわ』

 トルは目を丸くして、火の魔宝珠の上に視線を向けた。そこには豊満な胸を持つ、魅惑的な女性が足を組んで座っている。彼女を見て、口をあんぐり開きながら指で示す。

火の精霊サラマンダー!? 何でこんなところにいるんだ? もしかしてその魔宝珠の……?」

『ええ、そうよ』

「へえ……。それなら、あんたの力でリディスを包んでいる火も消せるのか!?」

『残念だけど、あたしの力ではできないわ。だってこの娘、魔宝珠から離れた位置にいるから。もしどうにかしたいのなら、貴方が私の魔宝珠に触れなさい』

 冷めた目つきで美女は見下ろしてくる。見えそうになる胸にどきりとしつつも、彼女が出した言葉の意味を察すると顔を引きつらせた。

「触れる……だと? 俺に燃えちまえって言うのか?」

『火に包まれるかどうかは貴方次第よ。火に触れなければならない明確な理由があるのなら、火は貴方を受け入れる。そうでなかったら燃えるだけ。嫌ならやめても構わない。最終的に触れるかどうかを決めるのは、他人じゃなくて自分の意思ですもの』

 口元を緩ませて、トルをじっくり見つめている。

 剣が交差する甲高い音が何度か鳴り響く。フリートが声を出しながら一撃一撃に気合いを入れて剣を振っている。

 メリッグも余裕のない表情で肩を上下しつつ、巨大なモンスターと対峙していた。

 二人ともおそらく確固たる意思を持って、死と隣り合わせの戦火の中に飛び込んでいる。

(死ぬ可能性がある戦いだぞ、どうして動けるんだよ)

 トルはぎゅっと拳を握りしめた。両親が惨殺された光景が脳裏をよぎる。

 当時、あまりの恐ろしさに部屋の隅で丸くなって怯えていた。強盗の手にかけられる前に、助けに来た傭兵の手によってトルの死は免れたが、あの時感じた恐怖は未だに深く根付いている。

 その恐怖から脱却する手立てとして、そしてある一つの信念があったために傭兵に志願した。

 だが月日が経てば自然とその想いは薄れてくる。生活するのに必要な最低限の貨幣が稼げればいい。簡単な仕事をこなせば充分貯まるはずだ。

 そう思いながら、目標を持たずに日々過ごしている時に、三人と出会った。

 トルよりも数段上の技術を持ち合わせた青年二人、そして気高い心を持ち、前に進んでいる少女との出会いは、忘れていた想いを無意識に刺激し、思い出させてくれた。

 そう、トルが向上心を持って生き続けるために必要な信念を――。

 火の魔宝珠に向けてゆっくり手を上げる。不思議と震えはなかった。深呼吸をしてから、魔宝珠に鋭い視線を向けた。


「強くなりたい。誰よりも強くなりたい! だから火よ、俺を受け入れろ!」


 思ったことを吐き出し、トルは両手で魔宝珠に触れた。

 途端、目映い光が放出され始める。同時に幻覚か本物かわからない炎がトルの体全体を包んだ。

 当初は熱いと思ったが、少し経つと汗ばむ程度の熱さになる。次第に慣れてくると快感とも思えた。

『臆病者じゃなかったのね』

 火の精霊は眉をひそめて呟いたが、口元は薄らと笑っていた。翻るとその姿は消えてしまった。だが依然として彼女の声はトルの脳内に響く。


『火は熱い。善であれ、悪であれ熱い。けれどその熱さは人の心にも宿るもの。それらを両方受け入れたとき、あたしは人に力を与えるわ。あたしはムスヘイム領を護る精霊、火の精霊サラマンダー。さあ――行きましょうか』


 トルを包み込んでいた火は完全に消え去った。そして目の前にある大きな魔宝珠から、丸い小さな赤い魔宝珠が生み出される。それをしっかり握りしめて、トルは一目散にリディスに駆け寄った。

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