3 広がる外の世界
広がる外の世界(1)
ミスガルム城があるミスガルム王国までは、シュリッセル町から徒歩で十日程かかる。その間にいくつか村や町の宿に泊まりながら進むそうだ。
久々に外の世界に出て、リディスはわくわくしながら歩いていた。先頭を歩いているフリートが速度を決めているため、周囲の景色を楽しみながら、ゆっくり進むことは難しいが、移りゆく森の緑は目に焼き付けられている。
フリートとロカセナはそんなリディスを挟んで、目を光らせながら進んでいた。二人は小さな
「毎晩宿に泊まれるとは限らない。野宿だってあり得る」
「大丈夫よ。それくらいわかっている」
「お嬢様なのにその台詞は意外だな」
「槍術の師匠たちと町の周囲を巡回した時、何度か野宿したわよ。ただの箱入り娘とは思わないで」
口を尖らせながら言ったが、フリートはただふーんと返しただけだった。張り合いのない返され方に肩透かしを食らった気分である。
町を出発してから比較的整備された道を通っているため、思った以上に足に負担はかかっていない。さらに速度を上げて進んでもいいとリディスは言っているが、速さは変わらず、かつ定期的に休憩は取られている。
「私、もう少し歩けるけど……」
「それはまだ興奮状態が冷めていないからだよ。そのうち疲れが出てくる。僕たちもいちいち気を張っていられないから、休憩はきちんと取ろうね」
ロカセナが諭しつつ、説明を付け加えてくれた。
曰く、移動しながら結宝珠を扱うのは、より敏感に神経を尖らせる必要があるため大変らしい。そのため定期的に休憩をとりながら進むことが、長期に旅をする上では重要なのである。またあまりにも結宝珠を酷使しすぎると、割れる可能性もあった。だから人間だけでなく宝珠にも気を使いながら、歩かなくてはならないのだ。
そのことをようやく理解したリディスは、それ以後、フリートやロカセナの指示には口など挟まず大人しく従うようにした。
* * *
五日経過し、当初の予定通りシュリッセル町とミスガルム王国の半分くらいの位置にまで辿り着いた。
フリートは時々ロカセナと位置を変えつつも、大抵先頭を歩いていた。なるべく草木が生えていない、それなりに使われている道を選びながら前に進む。
速度に気を使っているとはいえ、遅れず後を付いてくる少女の体力が想像以上にあることには驚いていた。さすがモンスターと対峙して、果敢に還術をしているだけはある。
しかし、出発した時よりも、彼女の口数が少なくなっていた。進むのを意識しすぎて、二日連続野宿というのが多少影響しているのだろう。
「おい、リディス、大丈夫か?」
「大丈夫よ。まだ半分でしょ」
「リディスちゃん、無理はしないでね」
「まだまだ歩けるから、そんなに心配しないで、ロカセナ」
どういうわけかリディスからフリート、ロカセナに向けられる話し方が明らかに違う。仏頂面と他人から言われているように、あまり人懐っこい表情や性格はしていないが、こうも違うとあまりいい思いはしない。
多少不機嫌になりながら進むと、湖畔に着いた。そこで一時休憩しようと提案すると、二人とも頷いた。
丸い湖ではなく、楕円状の少し入り組んだ形の湖であるため、向かい側の岸までは見られない。湖面は静かに揺れており、見ているだけで心が落ち着きそうだった。
「素敵な湖だね、緊張の糸が切れそうだよ。まあここでモンスターに襲われたら、堪ったものじゃないけど」
済ました表情で恐ろしい内容をさらりと言う、ロカセナの神経が理解できない。おそらく油断せず常に構えていろと言うことだろう。
フリートはちらりとリディスの様子を伺った。彼女は近くにあった切り株に座り、足を伸ばしていた。何も言わないが、表情から疲労が溜まっているのは傍から見てもわかる。リディスはロカセナが差し出した水筒を受け取ると、嬉しそうに水を喉に通す。ひと時の安らぎが、彼女にとっては必要なのだ。
まだ半分なのか、もう半分なのか。
騎士になってから、フリートはあまり一般人と外で共に行動したことがないため、判断が難しいところである。荷馬車にでも乗れれば、彼女の負担を軽減できるが、この森の中で確保するのは難しい。
何気なく湖の右側に視線を向けると、中年の男性がリディスと同じように水を飲みながら休憩していた。
木陰から馬が顔を覗かしているのを見て、思わず身を乗り出した。この機会を逃すわけにはいかない。
「ロカセナ、少し周辺を見てくる」
「交渉でもするの? 先に言っておくけど、そんなにお金は払えないから」
フリートの思惑を読みとり、ぴしゃりと言い返された。洞察力が良すぎるロカセナには本当に敵わない。リディスを彼に任せ、フリートは湖沿いを歩いて男の元へと向かった。
少しして視界にはっきりと中年の男性の顔が入ってきた。その横には大きな荷馬車が置かれている。にやりと笑みを浮かべた矢先、フリートの周囲を覆っていた空気が変わった。
微かだが張りつめている空気、木々のざわめき、そして持っている魔宝珠がいつも以上に温かくなる。
一つの気配を感じた瞬間、バスタードソードを召喚し、荷馬車の前に飛び出していた。
突然現れた青年に驚いた中年の男性など気にせず、森の中から出現したモンスターに剣先を向ける。
相手はシュリッセル町を襲ったのと同じ種類――人の二倍ほどある、真っ黒な毛と突き出た鼻と耳が印象的な獣型のモンスター。大きさや雰囲気を考えると親の方だろう。
還すのは造作もないが、よく見ると少し様子がおかしい。怒っているようにも見える。このモンスターは本来単独で行動しない。群れか、少なくとも親子や雌雄といった、二匹以上で行動しているのが普通である。
ちらりと中年の男性へと視線を向けた。見られた男性はひどく脅えていた。フリートを見ても、その様子は変わらず、しきりに視線が馬車とモンスターの間を往復している。
怒り狂っているモンスターと何かを隠している男性の様子から、推測するのは簡単だった。
「……お前、モンスターの子を捕まえたのか?」
探りもせず聞くと、顔を強張らせながら視線を逸らされた。わかりやすい人である。
本来モンスターと人間は相入れない存在だ。今でこそ数が増えた影響で人間を襲ってくるときもあるが、かつては住み分けもされていたため、衝突することはあまりなかった。
しかし、意図的に人間側が接触しようとする例は、昔から後を絶たない。モンスターの皮や毛などは、闇市場で高値が付くのだ。生きているものを売るなら尚更いい値段が付くだろう。最近はモンスターが凶暴化してきている関係で、そのような愚かなことをする人間は減ったが、依然として多いのが現状である。
皮や毛だけでも、その中に毒素が残っている可能性があり非常に危険だ。生きているものは言うまでもない。
モンスターは在るべき処に還す存在。それは人間たちのことを考えて、決めていることなのだ。
「おい、子はどこだ。お前、俺が何もしなければ殺されるぞ」
冷たく突き放すように中年の男性に言うが、彼は頭を抱えて震えており、耳を傾けようとしなかった。モンスターが一歩、一歩、獲物を見定めて近づいてくる。
「おい!」
苛立ちながら叫んでも、反応はなかった。フリートは舌打ちをして、バスタードソードを握り直す。
人間側の悪意から起こったことだが、身を守るためには還すしかない。
モンスターがあと少し近づけば、飛び出して斬れる距離になる。それまでじっと耐え――。
「お待ちなさい」
突然、凛とした声が聞こえた。フリートは怪訝な表情をそちらに向ける。
荷馬車の中から、一人の女性が腰の高さほどある籠を持って現れた。その籠の中には今、フリートが対峙しているモンスターの子がいる。親モンスターは子を見るなり、威嚇から窘めるような鳴き声に変化させた。
「闇雲に殺せばいいというわけではないわ」
腰まである紺色の長い髪を下の方で軽く結っている女性は、毅然とした態度でフリートを見た。
「殺すわけではない、還すだけだ」
「そうね。でもどちらにしても、この子にとっては親がいなくなるのにかわりないわ」
細めた目で睨みながら女性は地面に降り立ち、フリートの制止も聞き入れず籠を開いた。すると子は女性やフリートに目もくれず、親に向かって走り出した。
再会すると、無事を確認するかのようにお互いに寄りそう。それを女性は険しい表情で見つめていた。
「消えたくなければ、早くお行きなさい。もう人間の前に出てこないように」
そう言うと二匹は耳をぴんっと尖らせて、女性やフリートを見る。ゆっくり後ろに下がり一定の距離ができたところで背を向けて、一目散に走り去っていった。
予想外の展開に、フリートは呆気にとられていた。モンスターに逃げられたことは不覚だが、人間に危害を加えなかったため、深追いをする必要はない。召喚した剣を魔宝珠に戻すと、あの女性が近づいてきた。
白色のロングスカートと、スカートと同じ丈まである紺色の上着を羽織っている。その服装だけでは、物腰の柔らかそうな、フリートより数歳年上の大人の女性に見えた。だが切れの長い目、モンスターに対して物怖じしない行動、そして静かに近づいてくる姿を見ると、思わず身構えてしまいそうだ。
「貴方はミスガルム城に仕える、騎士団員の一人ね」
服装から見て判断したのだろう。フリートは辛うじて首を縦に振る。すぐ横まで来られると、深い紫色の瞳でじっと横顔を見つめられた。振り向こうとしたが、なぜか動けなかった。
「――そして鍵を導く一人」
女性から視線を逸らされると、急に呼吸が荒くなった。フリートは慌てて振り返り、女性の背中を眺める。彼女の静かな威圧によって、動きを止められたのだろうか。まさかそんなことがあるはずがない――そう思いつつも、体は正直で急に全身が重くなった。
どうにか立っていると、女性は背中越しから見てきた。
「あら、ごめんなさい。そのようなつもりはなかったけれど、貴方、意外と弱いのね」
「何だと……!」
「怒りっぽいと、いざという時に取り返しの付かないことになるわ」
「お前はいったい……」
女性は回れ右をして、フリートの方に向いた。そして妖艶な笑みを浮かべる。
「またすぐに会うでしょうから、その時にお嬢さんや相棒さんと一緒にご挨拶をするわ。さあ、その荷馬車を利用して、城に向かいなさい」
彼女が再び歩き出したのを見て、慌てて追いかけようとしたが、たった一文で足を止めさせられた。
「またお会いしましょう、ミスガルム城の騎士団、第三番隊のフリート・シグムンド。リディス・ユングリガとロカセナ・ラズニールと共に」
動揺して動きを止めるには充分なものだった。
いったい、いつ、どこで彼女はフリートたちのことを知ったのか。騎士団でも平のフリートやロカセナ、そして町貴族の少女の名まで。
その背中を追いかけることもできず、ただ森の中に消えていくのを眺めるしかできなかった。
「誰なんだ……? また出会うって、どういう意味だ?」
悔しいが、フリートには彼女の存在がまったく見当が付かなかった。
しばらくその場に突っ立っていると、草木の間から人が近づいてくることに気づく。一瞬身構えたが声を聞いて緊張を緩めた。
「フリート、どうだった?」
「どうだったって……」
ロカセナがリディスの少し前に出て、きょとんとした顔をしている。それを見て我に戻ったフリートは、心の中で舌打ちをした。女性の存在に気を取られて、本来の目的を忘れていたのだ。
二人に背中を向け、その先で腰を抜かしている荷馬車の主に近づいた。逃げようとしたのか後ずさったが、すぐ後ろは湖である。男は動けずその場で固まっていた。フリートは屈んで、中年の男性に低い声で囁く。
「モンスターのことは見なかったことにしてやる。そのかわり、俺たちを城下に連れていけ」
脅しというのはあまり好きではないが、時には必要である。こくこくと頷かれると、ふうっと息を吐いて立ち上がった。
脳裏に浮かぶのは、先ほど出会った不思議な雰囲気を醸し出す女性の顔。
リディスやロカセナにも彼女のことを伝えるべきかもしれないが、今回の件は胸の内に秘めておけと言っている自分がいた。彼女が言った通り、そう遠くない未来に会えるような気がしたからだ。
「またお会いしましょう……か」
頭をかきながら、彼女が発した言葉を小さく呟いた。
休憩を終えた三人は、中年の男性が所有している馬車の荷台に乗り込んだ。他にも荷物があるため狭い空間ではあるが、動き出すとリディスの表情が緩んでいた。自分の足を動かさずに、目的地に辿り着けられると感じ取ったからだろう。
当初は振動が大きかったが、滑らかな道に入ると一定の動きをする。布の隙間から外を見れば、森から抜けて街道に出ていた。少しずつ変わり行く景色を睨み付けるように眺めていたが、しばらくしてフリートはその場で俯いた。上下左右からフリートに与える振動はあまり好きではない。
ぼんやり揺られていると、リディスがフリートを見て首を傾げていた。
「フリート、何かあったの?」
「別に何でもない」
素っ気なく返すと、リディスの頬が若干膨れた。ロカセナがそれを見て苦笑いしている。
「疲れているんだよ。少しはゆっくり休ませてあげて」
「わかったわ」
小声で諭されたリディスは、仕方なく了承したようだ。
「しばらく同じような風景が続くから、見ていてもあまり面白くはないよ。城に行った方がより大変だろうから、リディスちゃんも今のうちに休んでおいたほうがいい」
城に到着して、様々な人と話すことで気疲れするのを懸念しての言葉だろう。ロカセナらしい気遣いにフリートも内心賛成だった。揺られる馬車という慣れない環境ではなかなか休めるものではないが、ロカセナの言葉に従ってリディスは目を閉じていた。フリートもその後に軽く目を伏せる。
一定の間隔で車輪が動き続ける、穏やかな日常を感じる時間――。
思った以上にリディスは疲れていたのだろう、早々に彼女の意識は
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