第32話 見れど聞こえず、聞こえど感じず

 その日、シスクの街はいつもどおりの活気に満ちていた。

 大通りは賑わいを見せ、カッカッカと轡と石畳の道路が弾き合う音が随所で響いていた。人の往来も激しく、雪降る季節であるにも関わらず皆が精一杯仕事に勤しんでいた。


 5月10日のことだ。


 シドがシスクに到着した翌日、空は相変わらず暗くと閉ざされ、そして今日も太陽の光を望むことはできそうになかった。だが、それも日常と化せば不思議に思うこともなく、日々を謳歌できればそれでいい。


 そんな思考の元、今日もシスクという都市は平和だった。



 「いい街だな」

 「でもこれからアタシ達はここに攻め込むの☆すべては……」

 「ああ、わかっているさ」


 襲撃を受けてから2日経ち、情報得てここまで来た。事前に仕掛けておいたトラップが起動して興味本位で手を出したせいで時間を食ったが、なにはともあれ隠し場所にはたどり着くことができた。


 ジャオ・ディロイという蜥蜴人はその蛇に似た長い舌で頬なめずりをする。彼の育ての父の宿願をついに果たせる、と思うと胸が湧き踊る心地だ。こんなにも心躍る時はそうそうありはしない。


 「一昨日あの男と戦ってその実力の程は知った。確かにアレを持ってきて正解だったな」


 そう言って彼は小さな同胞を見る。リリア・W・ハヴェール、という名の小さな同胞を。自身を超える魔術の才能の持ち主であり、彼の養父の実の娘。幼少期の実験で肌がただれて体中に包帯を巻いている、と聞いているがジャオは違うと思っている。


 彼は自身の養父を世界でも屈指の大魔術師だと考えている。煬人、プレイヤー問わず、あの人を超える魔術師はこの国の王か、あるいは孤島の魔女、もしくは終末皇配下の魔女くらいだろう、と確信して言えた。


 どの三人も顔は知らないが、この世界に名を轟かせる偉大な魔術師だ、と一人の魔術師として尊敬の念を抱いている。

 だが、彼の師はその中に割って入るほどの実力者だった。名こそ広く知れ渡っていないが、間違いなく先の三者と比肩しても劣らないだろう。


 「当然。弓も矢もすべてお父様の与えてくださったアタシ達の切り札よ。この日のためにお父様は計画を練られていたのだから」

 「ああ、あのような男に止められるわけにはいかない。悲願を成就しようではないか」


 それこそが恩返しだ。そうあるために自分達は今の今まで生きてきたのだから。


 「――感傷に浸っているところ悪いが」


 突然目の前から男の声がした。低く、そしてひどく聞き憶えのある声。殺意のヴォルテージが高まり、今にも吹き出しそうなほど血管という血管の血液がゆだっていくのを感じた。


 「そろそろ始めようか」


 灰色。灰色。灰色。

 全身を灰色の衣服で包んだボロ雑巾のような男。放浪者、乞食と見間違うほど汚らしい鋼の人形が今、目の前で不敵に笑っていた。


 ああ、やはり貴様だったか。

 ホッケウラで戦ったときは見間違えかと思ったが、真正面に立たれればもはや思い出す必要もない。全身から溢れてくる殺意の情動がお前だ、と教えてくれていた。


 「しぃ!」


 気がつけばジャオは攻撃を始めていた。彼の周りに無数の黒球が浮かび上がり、それらは高速で灰色男めがけて撃ち放たれていた。


 「遅い、そして弱いな」


 灰色男はそれらすべてを打ち払うか、体で受けるかして防いでしまった。だがジャオは歯ぎしりすることなく次の攻撃を放つ。ジャオの五指から放たれたのは赤熱の光線だ。


 廃屋を消滅させたものと同じ熱量、しかし範囲は狭い。速度に特化させた攻撃だ。それが五本も飛べばさすがについらいものがあるだろう、と思った。

 だが、


 灰色男は身軽にそれらの攻撃を避けていく。どこにどの光線が来るのか、わかっているかのような動きだ。

 何かのスキルを使っているのか、種族としての強みか。正体はどうあれ、厄介なことこのうえなかった。


 「無詠唱、無動作。その分発動速度は増すが、威力や速度はイマイチだな。


 だまれ。

 だまれ。

 だまれ。


 「ほざくなよぉ、不遜なる輩がぁ!!」


 ジャオの両の手の平から太い光線が放たれた。空気すら揺るがし、ただ一直線に突き進む高威力の光線だ。当たれば風穴が空く、程度では済まない。無詠唱で放てるジャオの最高威力の光線だ。


 「だからさ、本気でやれよ。俺のことなめてるのか?」


 それを灰色男は真正面から切り伏せた。無詠唱とはいえ、高威力の熱光線を。


 この男は、正当な魔術師である自分達を愚弄するばかりか、足蹴にする。軍の魔術師などという凡俗しかならない底辺と神聖なる自分達が同列だと?恥を知れ、恥を知れ。


 貴様程度にこちらの手の内を見せるまでもないだけだ。貴様ごときに全力など出してたまるものか!


 「そうだろう、りりあ」

 「いや、ここは本気でやろう。攻めあぐねてるのも事実だし」


 なにぃ、とジャオは隣のリリアへ視線を向けるが、すでに彼女は動いていた。


 「『賭して滅せよ、賭して拝せよ』」


 リリアの左右の空間がそれはじょじょに景色ごと膨らんでいき、いつしか麻袋ほどの大きさにまで膨張していた。どろり、と空間がこぼれおち、堕胎した赤子に似た奇形が産声を発した。


 ェェェエエエエエエー、と耳心地のいい声と共にソレはいつしか生物の形へと変貌していった。


 ひだばかりの口が目立つ薄い水色のイモムシ。

 それがソレを表すのにもっともふさわしい呼び方だろう。ぬちゃりぬちゃりと奇怪な音を立て、体をよじらせ初めて見る景色にそれは歓喜しているのか、涙と流した。


 「なんだ?」


 灰色男は距離を取り、怪訝そうに産み落とされた二匹のイモムシを睨みつけた。


 「さぁ、始まるよ♡殺戮ショーがぁねぇ☆」


 一瞬だった。

 リリアの声と共にイモムシはアドバルーンほど膨らんだ。もともとランドセルほどの大きさだったものが体の繊維がはちきれんばかりに膨張したことに灰色男も目を大きく見開いて驚いていた。


 当然だ。

 初めて見たとき、ジャオも驚いた。

 アレはそういう生物だ、と理解するまで小一時間はかかった。


 やがて繊維は決壊し、皮に亀裂が走った。

 灰色男も何かヤバイ、と思ったのか、目にも留まらぬ速さで二匹の内一匹を切り裂こうとした。だが、それをジャオはすかさず妨害する。彼の光線を回避しつつ接近しようとするが、それでは遅い。


 「『無限に孕め、増えろ、えろ、繁栄えろ!好きなだけお食べ遊ばせ!アタシのかわいい我が子達!」


 ――決壊した。


 無数のイモムシが空中へと投げ出された。

 それは等しく同じ形状、同じ大きさ、同じ体色であり、最初の二匹と変わらぬ大きさだった。


 ただ唯一、泣かずに奇声を上げる以外は。


 「えh」「えへへへへへh」「へへへ」「うへえ」「えほえほ」「あはえ」「うへええ」「いひひひ」「あえええええ」「いええ」「えいえいえ」「えええええ」「えあええ」「いおええええ」


 「「「「「増えたい」」」」


 「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」「増えたい」


 背筋が凍る。無数のイモムシが等しく「願い」を口にする。

 「増えたい」と。

 声変わりのないこどもの声で。とても愛らしく、おぞましく。


 「「「「あ、あった。食べ物だ」」」」


 「なに?」


 笑い声と共にイモムシは移動を始める。狙いは灰色男、ではない。彼の向こう。シスクへと無数のイモムシが大移動を始めた。気色悪さすら覚える光景、無数の人語を発するイモムシがくねくねびちゃびちゃと音を立てて進んでいく。


 足がないのに速度も速い。

 灰色男が慌てて大剣で斬り伏せようとするが、もう彼の手で収拾がつくことはない。絶対にだ。


 リリアの魔術はそれほどに恐ろしい。


 堕胎蟲と呼ばれるあの魔術生物は幼い子供の声を発する無垢な生命だ。彼らは親となる一から無限に増殖を始め、何かを食し満たされるとその個体は膨れ上がり、さっきのように自壊と共に無数の子供を作り出す。


 リリアの魔術である『一なる繁栄』の象徴であり、彼女がこの世に生み出した狂喜の産物だ。


 かつて、エメリフのとある街で実験をしたことがあった。蟲が外に出ないよう、周囲を壁で囲み、どれだけの堕胎蟲が増えるか、という実験だ。


 結果だけを言うならば予想の斜め上を行き、街はわずか一時間で廃墟と化した。そしてあとに残ったのは壁の中にひしめくおびただしい数のあの蟲だ。あとで一日かけて処理をしたからこそ、その時のおぞましい記憶を鮮明に憶えている。


 焼くたびに子供の声が耳元でこだまする。きゃーきゃーと子供の声が炎の中から聞こえてくる。止まらず、止まらず、止まらず、延々と聞こえるあの声を思い出すだけで吐き気がする。


 「いい、いいよぉ♡アタシのかわいい天使ちゃん☆みんなであそぼ、食べようね、寝ようね、増えて増えて増えまくって!お父さんの願いを叶えよー!」


 隣でリリアは明るい声で進んでいく堕胎蟲を煽るが、ジャオはそんな気分にはなれなかった。ただただ恐ろしい。この女はまごうことなき養父の愛娘だ。それを実感してしまうから恐ろしい。


 「とりあえず、だ。あの男の駆除はあとでよかろう。今はこの混乱を利用し、結晶城に……」

 「おいこら待てよ」


 リリアを連れ、結晶城へ侵攻しようと思った矢先、大地を揺るがすほどの振動が周囲へもたらされた。嫌な予感がしたジャオはすぐさま灰色男へと視線を移す。


 「俺を無視するなよ。まだこっちはお前らの相手せにゃならんのよ」


 彼の背後には巨大な裂け目が創られていた。シスクへの道を封じるほど巨大な裂け目。深くそして広い。足もない堕胎蟲では決して渡れない大きさだ。なんらかのスキルで開いたのだろうが、その大きさには驚愕するばかりだ。決して並大抵のニンゲンに作り出せるものではない。


 よくみると灰色男の大剣が赤色へと転じている。普段の蒼い筋は消え、灼熱の赤が浮き彫りになっていた。


 「本気、か」

 「だね。でもアタシは無理だよ?さっきの堕胎蟲で魔力を半分くらい持ってかれたから」


 それはあの男も似たようなものだろう。ただのスキル、筋力であれほど巨大な裂け目は作れない。魔力を消費してどうにか作り出せた、といったところだろう。「魔力測定」で灰色男の体内魔力を見ながらジャオはほくそ笑んだ。


 おろかな男だ。


 憎むべき対象だが、その愚かさには同情してしまう。


 「あの男は俺が潰す。だからリリアは急げ」

 「おっと、それだけはやめて貰おうか」


 突如灰色男を赤いオーラが覆った。挑発的でどこか鼻につく赤がジャオの感情を昂ぶらせる。


 スキルか、とジャオはそれをつぶさに感じながら察した。おそらくはターゲットを自分に集中させる類のスキル。プレイヤー達が重戦士タンクと呼ぶニンゲンが多く持ち合わせているスキルだ。


 実際に味わい、その抗いがたい衝動にかられる自分がにくい。精神修行はしてきたつもりだったが、まだ足りないな、と奥歯を噛んだ。


 だが、しかし。

 足を止められてもジャオの顔から笑顔が消えることはなかった。


 「下手を打ったな、灰色男」


 ゆっくりとジャオは灰色男の背後、巨大な裂け目を指差した。灰色男も恐る恐る視線を向けた。


 ふわり、と粉雪を撒き散らし、飛翔する物体があった。それは十や二十ではない。百、千と無数にいた。無数の異形の天使が大量に宙を舞っていた。


 「いい表情だなぁ。こっちを足止めしているつもりなんだろうが、あの蟲共はそういうこともできるようになってんだよぉ」


 飛べなければこちらが駆除に手間取るものか。飛べるからこそ、自分達は苦労したのだ。一匹でも取り逃がせばまた無限に増殖する人食い蟲が飛べるなど恐怖以外の何者でもない。


 焦るがいい。

 何か策があって自分達に挑んできたのだろう。何かとんでもない仕掛けがあるんだろう。


 だが予想外を敵が仕掛けるならこちらも予想外を貫くまでだ。あの数の堕胎蟲が壁のない都市シスクに入れば間違いなく中は混乱する。都市は秩序を失い、結晶城の中も上へ下への大騒ぎになる。


 リリアが本気を出す、と言った以上自分も本気で灰色男を潰さなくてはいけなくなったが、とジャオは呆然と立ち尽くす灰色男を見ながらほくそ笑んだ。

 自分の失態を悟り戦意喪失でもしたのか、指一つ動かそうとしない。剣の構えを解き、胴がガラ空きだ。


 これは楽に勝てそうだ、とジャオは五指を向ける。彼の指先から赤熱の光線が放たれた。


 「……けんなよ」


 シュッと風を切る音がジャオの背後から聞こえた。はっとしてジャオが振り返ると、目の前を灰色が覆った。とっさにジャオが黒球を放とうとするが、それを意にも返さない速度で左手が彼の首を締め上げる。


 万力とも言える怪力にジャオは抗おうともがくが、全く相手は動じない。体躯では圧倒的に勝っているジャオを灰色男の腕が軽々と持ち上げた。


 「この程度で粋がるなよ、ノミ屑野郎が。クソくだらねぇ魔術で勝ったつもりか?俺程度を殺せないやつが俺の前でしゃしゃってんじゃねぇよ」

 「k、は」


 ベキベキという音が首から漏れる。魔術師程度の細首簡単に折れる、と目の前の戦士は証明していた。肉体能力の圧倒的差が二人の間にはあった。


 「このまま首を折る、なんてつまらねぇことはしねぇよ。握り切ってやるから覚悟しな。そこの女もだ。お前は四肢切って豚の餌にしてやるよ。生きながら餌だ。嬉しいだろ?」


 「な、んm」

 「まだ喋れんのか?しょうがいないな」


 発声しようとした矢先、さらに首をしめる力が強まった。必死に光線や黒球を飛ばし、灰色男を攻撃するが、そのどれもがまるで意味をなさない。オールドアクトロイドの種族特性による火属性攻撃への耐性が高すぎるのだ。


 「んk……。このクソがぁ」

 「だから喋るなよ」

 「いいのか?街は落ちるぞ?」

 「すぐに追うよ。どうせあと一分もかからないからな」


 「それはどうかな?」


 可憐な少女の声に灰色男は背後を振り向いた。そして驚き、目を見開いて視線が釘付けになった。途端に手の力が緩んだ、ように感じた。なにを見ている、とジャオが視線を移すと、血塊が見えた。


 その異形の弓矢を見て灰色男はもちろん、仲間であるジャオさえ恐怖の色に顔が染まった。

 リリアの手に持つ血塊の弓矢。鏃は神の血、矢羽は神々の抜け毛をまとめたもの。本体は神の血、弦は神の毛を束ねたただひとつの弓矢が自分達に向けて弦をしぼっていた。


 「ジャオをはなして?でないとこの弓射っちゃうよ?」

 「つ……まじかよ」

 「大マジだよ?アタシの大事な仲間だからねぇ」


 両者の間に緊張が走る。ブラフだと思いたいが、射手があのリリアだと思うとえも言えない悪寒が背筋に走った。平気な顔して村一つ、街一つ崩壊させる悪童だ。今ここで譲渡されているシャーランガを引くことを躊躇しないだろう。


 もし彼女が弓を引けば自分はもちろんシスク周辺が巨大な大空洞と化す。神話の内容を考えればまだ安いものだが、自分達の計画を数十年先送りする愚行を実子であるリリアが犯すというのか?


 「リリア……やめ」

 「ジャオは黙っててよ」


 リリアの双眼は灰色男に釘付けになっていた。包帯で見えないが、あの男が何かしようとすれば間違いなく引くと眼が言っていた。


 「応じると俺が思うか?」

 「応じなきゃこの弓を引くよ」

 「仲間を助けたい、しかし応じなきゃ仲間含めてズドンは短絡的すぎるだろ」


 煽るな、と言いたかった。だが口を開こうとも開けない。喉が恐怖で震えることすらままならず、呼吸をするのがやっとだ。灰色男の狂行を止めようとしてもできない、もどかしい。


 「だからさ、俺はこういう手に出るよ」


 ぐらりと視界が激しく揺れ、脳みそが上下に揺さぶられた。何が起きたのか、とジャオが気づくと石灰色の空が見えた。そのまま彼の体は一瞬落下したかと思えばまた浮き上がり、そして激しい上下運動が繰り返された。


 「この、野郎!」

 「頑張ってついてこいよ、包帯女」


 灰色男の細身の体が高く、高く空へと登っていく。強く空気を踏みしめ、反発力を駆使し翔ける彼の姿はトンビのように優雅だった。

 ひたすら上空へ翔けるのはシスクに被害が出ることを避けるためだろう。しかもリリアが自身に執着していることを利用した汚い手だ。


 ――この男は本当に汚い。だからこそ、負けるわけにはいかない!


 「は、貴様程度が……」

 「しゃべると舌噛むぞ?それでいいなら俺は構わんが……」

 「舐めるなよ、『灼熱に還れ、ゆえに汝が名は赤火なり』」


 覚悟を決め、ジャオが魔術を高速で発動する。

 彼の背中を食い破り、太陽を思わせる巨大な腕が現れる。それは巨大な黒点をいくつも帯び、その隙間をパーマネントイエローの炎がむき出しになったイスト神話の太陽神の右腕だ。


 太陽神ヴィシュカの右腕の招来。神の権能の一部を引き出す、それこそがジャオの魔術であり、権能の貸与だ。ある意味で魔術師達の願望の到達点とも言えるその絶対的な力で彼はあまたの強者を灰塵と化してきた。


 正真正銘、彼の全力の一手だ。

 汚い手しか使わないクソ野郎などに使っていいほど安い一手ではない。だが、今は使うべきだ。使わなければ悲願が達成できない。


 太陽神の右腕が灰色男を殴りつける。灰色男はジャオを空中へ投げると、距離を取ろうとした。


 「それが間違いなんだよ!」

 「なにぃ」


 両者の間でまばゆいまでの爆炎と爆発音が響いた。空気が破裂し、突風とすら思える風圧が二人を中心にして巻き起こった。灰色男の体が吹き飛び、彼の胸元から黒煙が立ち上る。


 ニヤリ、とジャオは笑みを浮かべると続く攻撃を放つ。灰色男は落下する中体勢を立て直すとそれを向かい打った。彼の赤光を放つ大剣と太陽神の右腕がぶつかり合った。


 その都度爆風と爆音、激しく空気が鳴り大地が揺らぐ。

 ――やがて、灰色男の装甲が剥がれだした。やがてジャオの鱗が剥がれ落ちだした。


 だが二人の衝突は止まらない。灰色男はすでに自分の魔術の正体をつかもうとしていない、とジャオはぶつかり合いながら直感した。一度攻撃を食らって、力でねじ伏せられると灰色男が直感したからだ。


 「馬鹿に……しやがって……」


 事実としてダメージを多く受けているのは自分だ。悔しいが灰色男の練度はジャオの上をいっている。経験も彼の方が上だろう。例えジャオの魔術の効果がわからずとも力でねじ伏せられる、と思うほどに。


 「このクソ野郎がァァぁぁぁぁあああああ!!」


 ジャオは怒りに身をまかせ、灰色男にめがけて大きく拳を振りかぶる。太陽神の右腕の全身全霊で灰色男を叩き潰す。それ以外今のジャオの頭の中にはなかった。彼の渾身の一撃が放たれる。


 その当たれば残りの生命力が消し飛ぶかもしれない攻撃に灰色男は敢えて正面から挑んだ。スキル「覇気感知オーラ・ディテクターで彼のステータスの変化を見留たジャオは直感する。


 持ちうるスキルのすべてを注ぎ込んで灰色男は自分に立ち向かっていた。その事実がジャオにいっときではあるが、心の猶予を与えた。ほんの一瞬だが、たしかに彼の心に相手へのわずかな敬意が生まれた。


 だがそれも一瞬だ。すぐに敬意は濁流のごとく押し寄せる憤怒によって打ち砕かれた。


 邂逅。

 一閃。一撃。


 それは一瞬の出来事だった。


 ジャオの右腕を灰色男ゲオハイドの大剣がなんの抵抗もなく切り飛ばした。


 ジャオ・ディロイというニンゲンはゲオハイドに敗北した。まさに完敗だった。


 「は、ははは。だが、別に敗けてもいいんだよ。俺は所詮囮だ。聞こえるか、ゲオハイド。階下からの悲鳴が!俺と戦いにかまけてる内に下では何百と人が死んだぞ!?あの邪悪な天使共を止められぬ己の力量不足を恨むがいい」


 負け惜しみではない。

 最初、魔術を使うと決めた時から考えていたことだ。もし自分が負けたら相手の落ち度を精一杯罵ってやろうと思っていたから。

 だから決して負け惜しみではない。


 実際、今頃眼下のシスクは恐怖で塗りつぶされているはずだ。しょせんはただの都市。学院があるからと言って防備が完璧であるわけがないのだから、当然だ。


 そう、絶対に絶望していい状況のはずだ。

 なのになぜ平然としてられる。なぜ大剣を構え、俺を睨める?


 「ちゃんと耳は使えるか?眼は大丈夫?脳みそは老衰していない?決定的にお前らは俺らを勘違いしているよな?」


 「なにを……」


 「この都市は魔術学院があるんだぞ?ヤシュニナの叡智の結晶だ。そこが壁なしなんて有り得ないだろ?」


 直後、オーロラ色の光が大地から隆起した。尋常ならざる魔力量を内包した天まで届くのか、と思うほど長大な壁だ。

 魔術障壁と言うには大きすぎ、その魔術的密度はもはや八色鋼を塗り固めた分厚い城壁と大差がない。


 「俺ら――あと包帯女か――はもう都市に入ってるだろうが、あの蟲共はどうだ?いくら羽があっても俺が作った裂け目を超えるのは苦だろう」

 「まさか……あの裂け目も……」


 二段構えだったと言うのか。

 蟲を通さないため、そして


 これほどの規模の障壁だ。おそらくは手動個人の裁量ではなく、自動で発動している。個人に頼ってはあまりに魔力を消費しすぎるからだ。自動であれば予め設定した魔術アイテムなりが起動するだけで事足りる。警報装置としても機能する。


 あの時のゲオハイドの攻撃はそれを起動するほどの衝撃を与えるためでもあったのか。


 だとすれば発動まである程度時間がかかる代物だったから、今まで出てこなかった。


 そんな仕組みなどジャオにはどうでも良かった。問題は自分達が、魔術師である自分達がその事実に気が付かなかったことだ。


 「一体……どれほどの手練手管を……」

 「あいにくだがあの壁は触れた存在は焼く。そしてあの蟲共は体が焼かれようと突進しかできないだろ」


 首筋に大剣をあてるゲオハイドの冷ややかな眼にジャオはごくりと喉をならした。今更自分が生き残れるとは思っていない。今ここで死ぬだろう、とすでに実感している。


 だが、改めて絶対の死が眼の前にあると思うと逃走の二文字が脳内を埋め尽くしていた。逃げたい、でも逃げられないというジレンマが自縄自縛し、体が予期せぬ行動をしそうで怖かった。


 「ああ、そうだ。最後に言っておくよ。お前の魔術、あの炎の腕みたいな奴。あれさ、距離を取るとヤバイ魔術なんだろ?」


 看破していた?

 何気ないゲオハイドの一言にしぼみかけていたジャオの双眼が大きく見開かれた。


 「だから俺は距離を詰めた。じゃぁ、な」


 シュン、と乾いた音と共にジャオの首が宙を舞った。ゲオハイドはその首をキャッチし、魔術が切れ、落下していくだけのジャオの亡骸をただ眺めていた。


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