第16話 縛りは人に安寧を与える、自由は退廃を与える
4月24日、ヤシュニナ本土は快晴であり、遮るものが何もない太陽は爛々とその輝きを誇示し、また不毛なる大地にその大いなる恵みを与えていた。豪雪国であるヤシュニナにしては珍しく、気温も10度を超え、降り積もった雪が解けていくほどの暖かな光に、ヤシュニナ国民はおお、と感嘆の声を上げた。
見る機会こそあれ、その恵みを一切与えてくれなかった太陽に始めて畏敬の念を覚えたニンゲンも多かったことだろう。いつもは防寒具を着なければ外に出れない寒さだが、今日に限っては普段着――それこそセーター一枚でも――で外を歩き回ることができた。
だから、かもしれない。
厚いフードでその身を隠し、路上を我が物顔で闊歩する集団はひどく目立っていた。全員が全員、歩くたびに衣擦れの音、鉄同士が鳴り合う音が漏れ出て、物々しい雰囲気も相まって姿を見たニンゲンに否応無しに嫌悪感を抱かせる。
彼らは全部で9名。大柄なもの、小柄なもの、その身長は様々ながら、ただ1つ共通して、そのフードには白い十字架が刻まれていた。
これがハロウィンでもあれば、仮装かなんかだろう、と思われたのかもしれない。あるいは普段のように雪が振っていれば眼に入っても、厚着しているんだろうな、ぐらいの感覚だったのかもしれない。
しかし、今日の気温を考えると、中で汗をダラダラ流している姿しか想像できず、眼に止めた警官が職質をかけてくるのは当然といえば当然だった。
「ちょっと、すいません。ああ、お時間を取らせて申し訳ないのですが、ちょっと身分証明書とかを見せてくれませんか?」
「なぜだ?」
くぐもった声、有り体に言えば変声した声で最前列に立っていた男が警官に応対する。フードの合間から見えた男の顔はやせ細り、とても長い馬面だ。また、首には灰色のアミュレットをかけており、何かの新興宗教の教主か、と警官は思った。
だが、男の声にはどこか威厳があり、聞くだけで身体の芯がまっすぐになるような、そんな不思議な威圧感があった。
「いえ、つい昨日、集団殺人事件がありましたでしょう?不躾とは思いますが、お召し物を見る限り、どうしても注意を引いてしまう、と言いましょうか」
「ほう?……理解できないわけではないが……、まぁいい。君の職務に付き合ってやろうではないか。だが、あいにくと今の私達には身分を証明するものがなくてな」
「それは……。わかりました。では、フードを取って……」
そこまで言いかけて警官は何かヤバイ、と感じた。野生の本能という勘が彼にその質問をしてはいけない、と訴えかけていた。
だが、時すでに遅く、最前列の男を皮切りに全員がフードを取り、その素顔を晒した。
居並んでいたのは彼の、彼らの探し求めていた面々だ。歓喜と悲鳴が入り混じった叫声を警官が発しようとした瞬間、フードをかぶっていた男の一人が動き、警官の首へと手をねじ込む。そして目にも留まらぬ速さで、警官の首から声帯を引っこ抜いた。
血しぶきがあたりへと飛び散り、白く舗装された街中に一点のシミが生まれる。糸が切れた人形のように、警官は仰向けに崩れ落ちる。即死だった。一瞬にして彼の生命力が全損し、彼が生きてきた半世紀未満の人生が無に帰した。
「おい、ロガー……」
「騎士団長……。どうせ殺すんです。今殺して何が悪いんですか?」
「人目があるだろう?」
「じゃぁ、この場の全員の口封じでも……」
とんでもないことを言い出す部下に、騎士団長と呼ばれたチュートン騎士団のギルドマスターであるヘルマンは渋い顔をする。五年も滞在したとはいえ、別にこの国のニンゲンにさしたる愛情など持ち合わせてはいないが、必要のない犠牲は好むところではない。
何より、今回の計画の最重要人物であるキートン議員がやめさせろ、と眼で訴えていたので、止めようとするのは必然だった。
「ヘルマン君、騒ぎが大きくなる前に目的地を目指すぞ」
「キートンさん、そうなると担がせてもらいますが、よろしいですな?」
そのキートン議員が急かすと、ヘルマンは大きく頷いた。そして彼の細い胴回りに手をかけると、スキル『天軀』を用いて宙へと大きくはねた。残ったチュートン騎士団の面々も『天軀』かそれに類するスキルで天を翔けていく。
彼らが目指すのはヤシュニナの中枢たる国務省ビル。そしてその頂点に座す存在。長らくヤシュニナを支配し、私物化し、あまつさえ国民を破滅の道へ扇動しようとするあの男を滅さんとするために。
思い返せば五年前、と担がれている間キートン議員は今日この日までの苦難の道が頭の中に浮き上がってくる。
五年前、プレシアで二人の将軍が殺されたとき、キートン議員は声を大にして現政権を糾弾しようとした。プロパガンダよろしく、二人の将軍の死を語り、あまつさえさらなる軍事拡張を続けるなど言語道断だ。
別に殉職した二人の将軍と面識があったわけではない。ただ、あの二人に同情した、それだけだ。ヤシュニナ初の煬人の将軍としてもてはやされ、最前線たるプレシアに配置された挙句、その地で命をちらした、哀れな道化への安い同情。しかし、その同情はすぐさま国家と自分への憎悪へと変わる。
なぜ、あの二人は死なねばならなかったのか、ではなく、なぜあの二人を殺させてしまう国家が、自分が、のさばっているのだろうか。国民が選んだから。じゃぁそんな国民いらないじゃないか。でも、守らないといけない存在だ。なぜ?
そんな自問自答を繰り返すキートン議員に接触したのが、今彼を担いでいるチュートン騎士団騎士団長、ヘルマン・フォン・ザルツァだ。彼の語る四聖教の教義は、始めこそ嫌悪を覚えた。しかし、話を繰り返し聞くにつれ、納得のできる部分もあるように思えてきた。
それから、キートン議員は影で四聖教との接触を繰り返した。四聖教、ひいてはリストグラキウスの内情を知り、長い歳月をかけて立案した計画を知り、またその要となれるほどに。
何度もリストグラキウスとの接触を繰り返す内に、やがて彼の愛国心はひどくネジ曲がり、汚物臭しかしない代物へと変わっていった。国を守る、それが彼の思考の基準となり、そのためにも力に固執していきょうになった。
そして、要となったことで得たのが奇跡の産物とも言えるマジックアイテムである、首元のアミュレットだ。その力を最初説明された時は半信半疑だったが、実際の力を二年前にヘルマンに見せてもらうと、否応無しに信じざるを得なくなった。
そうして、着々と計画は進行し、ついにヤシュニナへの宣戦布告なしの開戦、という形でプレシアへの大規模攻勢が始まった。開戦時点での彼の役回りは非常にシンプルで、プレシアが陥落するまでの間、国民議会の決議を長引かせる、というものだった。しかし、思わぬ事態が起こってしまった。
国民議会内でのシドによる蛮勇演説。まさに安全地帯にいるニンゲンらしい勇ましい言葉、大衆を扇動する甘く、また強烈なスパイスを織り交ぜた言葉に、国民議会は徹底抗戦、即時報復攻撃、という彼にとって最悪な方向へと向かってしまった。
本来ならプレシアに持久戦を強いり、ホッケウラへと攻め込む際に使うつもりだったクロリーネとポタシウムのアミュレットを、早期にプレシアを陥落させるために使わざるを得なくなった。
必然的に戦後のヤシュニナを牛耳るためにも、キュースリー議員を初めとした名だたる重鎮を抹殺する、という計画もシドを殺す前に実行される形になった。
シドを殺した後で殺す方が確実ではあった。だが、キートン議員は早めにキュースリー議員らを殺すことを主張し、彼らを殺した。なぜ、とヘルマンに問われると、プレシアを陥落せしめた場合、キュースリー議員らも妥協してシドに合流するかもしれない、という前置きからキートン議員は説明し出した。
仮にシドとキュースリー議員が合流した場合、大衆の民意は戦争一極化へと向く。ヤシュニナ本土という地の利のない場所でヤシュニナ軍に加え、民兵などとの戦闘など考えるだけで身の毛がよだつ。
だからこそ、早めに邪魔になるキュースリー議員らを殺したのだ、とキートン議員は言った。
結果、彼は最後の枷を失った。最後の気の迷いさえ溶岩の中へと叩き落として、ひたすら血みどろの頂きを目指す道を歩みだした。これまでの半生、キャリアをすべて捨て去り、新しい自分を形成するために、突き進むしかないのだ、と自分に言い訳をしながら。
そして――彼の迷いが完全になくなった今、無機質にして無表情、ただあるがままを受け入れん、という様相の国務省ビルが目の前にあった。自分を見下すかのようにそびえ立つその言い知れぬ圧に、キートン議員は武者震いを覚えた。
これから自分は国家の中枢へ殴り込みをかけるのだ、と思うと心地よい愉悦感が彼の心を満たしていく。それは英雄願望に近いだろう。あるいは自分は英雄だという思い込み、ヒーローバイアスとでも言えばいいのだろうか。
固定された心を満たす甘露な麻薬は彼の聡明さを薄れさせ、哀れな愛国心の奴隷へと変貌させていた。
――国家とは国民を守るために存在している。国民を守らない国家は国家ではない。組織である、と今のキートン議員の様子を見たヴィーゴル議員ならば言うだろう。だが、今彼はいない。もうこのソレイユのどこを見渡しても、いない。
ならば、後に待つは破滅か興隆か。
――どちらにせよ、彼一人のものではあるが。
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