第26話 小人の怒り

 また小人の体が邪魔をする。

 「ふざけるな!」と、グノウは怒りに奮えていた。

 たった一杯の酒で、何故こうも動けなくなる?

 何故、敵に情けをかけられなければならない?

 それも、互いに認め合った漢同士の盃でだ。

 何故この体は、好敵手との駆け引きにさえ応えられない?

 「ふざけるな!」と、思考を巡る度に、グノウの苛立ちは増大する。

 生まれた時から、屈辱の日々だった。

 武家の長男として育てられたが、家督は継げなかった。

 自分よりも遥かに大きな弟がいた。

 恋い焦がれた女に、子供が欲しいと拒まれた。

 兄にも、男にも成れなかった。

 どれもこれも、全ては己が小人だからだ。

 「ふざけるな!」と、何度憤ったことか。

 その屈辱を怒りに変え、グノウはただひたすらに強さを追い求めた。

 幼い頃から武道の師に従事したが、常人の武術は身に付かなかった。

 魔術の才能も一切無いと言われた。

 それでも諦め切れなかったのは、悔しかったからだ。

 悔しくて悔しくて堪らなかったからだ。

 その屈辱の果てに、グノウは小人独自の戦法を編み出していった。

 年が十を数える頃、戦いにおいて同世代の子供はおろか、里の大人ですらグノウに太刀打ちできなくなっていた。

 勝負で常人に打ち勝つ時。

 その時だけ、グノウは己が小人である屈辱を忘れられた。

 武を極め、小人の分際を超え、“神”と呼ばれるものにさえ打ち勝った。

 だがそれでも、自分はただの小人でしかないと思い知った。

 そう悟った今も尚、その怒りが消える事はない。

 「ふざけるな!」と、彼の魂は叫び続ける。


「はははははははははははは――――!」


 グノウは笑っていた。

 笑うしかないではないか。

 惨めな自分とこの世界の不平等さなど。

 嗤う他はないではないか。

 こんなにも小さくか弱い小人に、誰も彼もが手も足も出ないのだ。

 それなのに――。

 それなのに、何故、憐れまれる筋合いがある?


「ふざけるな!」


 天守の最上階より、最下層までゲンジごと踏み割り気絶させたグノウは、そう吐き捨てた。

 それは己に情けをかけたゲンジに対するものでもあるが、同時に己の、小人の体への恨み言でもあった。


「なに勝った気になってんだ?

 舐めてんのか? なあ!?」


 グノウは怒りのままにゲンジの腹を踏みしだいた。

 怒りで言葉遣いが少年時代に戻っている。

 それ程までに余裕がないのだ。

 激痛で鬼の巨体が仰け反る。


「……グホッ!

 ……勝つんだよ! オレが……!」


 ゲンジが起き上がる直前に一跳びし、距離を取る。

 視界が眩む。


「オレはまだ、死んでねェッ!

 今のテメエじゃア! オレを仕止め切れねエ!!」


 ゲンジが力を振り絞りながら叫ぶ。

 そしてゲンジの言う通り、グノウは全身を酒の毒素に侵され、かつてない程に弱体化していた。

 互いに満身創痍、視界は朱色。

 全身に痛みが奔り、臓物が煮え滾る。

 これぞ血沸き肉踊る。

 これが、この状況こそが、グノウの求めていた死闘に他ならなかった。

 怒りと狂喜に、グノウの貌が暴虐に歪む。


「ほざいたな?

 もう加減は無しだ!

 思い切り殴ってやる――」


 一閃、グノウはゲンジの右肘を貫いた。

 関節の裏側の一番弱い部位の、更に脆い箇所。

 密かに気取られぬ様に別の部位を刺激して緩ませた力点。

 そこを力の限り跳び殴る。

 麻痺しかかった小人の体に凄まじい衝撃が走るが、知ったことではない。

 黒き鬼の刃さえも通さぬ強靭な腕が千切れとんだ。

 ゲンジが絶叫する背後で、血に染まる小人が息を切らして立っていた。


「次は、足だ」

「ま! 待て! これ以上はテメエもただじゃ済まねエぞ!!」

「だから、なんだ?」


 ゲンジの言う通り、今のグノウにゲンジの肉体を貫ける程の力も肉体強度も無い。

 本来ならば、一撃で鋼の肉体を貫くなど、脆弱な小人の体では出来ない筈なのだ。

 だからこそ、通常グノウは何十何百もの攻撃を蓄積させて敵を穿つ戦法を取っていた。

 それこそが、果てなき戦いの末に彼が編み出した、小人の技である。

 だが、最早我慢の限界だ。

 戦いだけなのだ。

 グノウが己自身に価値を見出せるものは。

 戦って勝つ事だけが、唯一グノウが自身の存在を認められる方法だった。

 その戦いに負ける時は、己が死ぬ時だ。

 死ぬのだ。

 例え命は助かったとしても、負けた時点で“グノウ”はこの世から消えてしまう。

 そして残るのは、ただの惨めなチビの負け犬だ。

 そうなってしまったら、こそ生きられない。

 生きられないのだ。

 ゲンジの両足にも、力点を蓄積してはいる。

 しかし、腕よりも堅いであろう足を穿てば、小人の肉体が耐えられないだろう。

 だが、ここで撃たねば死ぬのだ。

 誇りが、心が、“グノウ”という人格そのものが。

 ならば、例え死ぬとしても、退く訳にはいかない。


「ヒッ―――!」


 ゲンジが声にならぬ悲鳴を上げた。

 腕を捥がれた恐怖もあっただろう。

 足を奪われる恐怖もあっただろう。

 だが、それよりも恐ろしいのは、死を悟って尚、戦いを止めようとしない“グノウ”の怒りを感じ取ったからだ。

 戦いを通じて心を読むグノウには、ゲンジが何を恐れているのかが伝わっていた。

 かつて己もそうだった。

 生も死も超えた怒りの恐ろしさを。


「く! くるな!!」


 ゲンジが尻をついて後ずさる。

 だが、グノウは止まらない。


「参った! オレの負けだ!

 もう止めてくれ!!」


 鬼の王らしからぬ情けない声で許し乞うた。

 だが、グノウは止まらない。


「オレは死んでもいい!

 だから! アンタはこれ以上動かねエでくれ!!」


 その言葉が、グノウの逆鱗に触れた。

 結局、最後の最後に憐れまれたのだ。


「ふざけるなっ!!」


 跳んだ。

 強く踏み込み過ぎた反動で踏み込んだ足が壊れたが知った事か。

 足を壊した影響で軌道がずれたが知った事か。

 そのずれで力点を外したが知った事か。

 ゲンジの足を半端に折った反動で骨が割れ飛んだが知った事か。

 全て躱しきれず、破片がグノウを掠め、片腕が千切れ飛んだが知ったことか。

 知った事か。知った事かと、グノウは我を忘れて怒り狂う。


「だ! だれかァ! たすけてくれ!!

 こええ! こええよォ……!!」


 荒ぶる血塗れの小人を前に、鬼の王が泣いて助けを求めていた。

 片腕から血を吹き出しながら、グノウは尚も怒り続ける。

 片腕が捥げたから、何だ?

 敵が恐ろしいから、何だ?

 戦え! 戦え! 死ぬまで戦え!

 それなのに、片膝をついていた。

 「ふざけるな!」と、ついた膝を睨む。

 この俺に膝をつかせた男が、目の前にいるんだ。

 ここで止まるなど有り得ん。

 その思いとは裏腹に、全身から力が抜けていく。

 跳んだ。

 これで最後だ。

 ゲンジが恐怖で咄嗟に手で遮る。

 即応して指の隙間をこじ開け、指を弾き飛ばす。

 割れた残骸がグノウの全身を傷つけるが、構わず鬼の額を撃つ。

 ぶつかり、グノウの拳が砕け散った。

 ゲンジの巨体がドンと倒れ伏した。

 ピクリとも動かない鬼の頭上で、小さな暴威が鬨の声を上げていた。

 その狂喜に見るもの全てが圧倒される中、荒ぶる小人はついに崩れ落ちた。

 しかしその怒りが、気を失う事を許さない。


「グノウ!!」


 グノウが倒れたと同時に、仙女ソルモンが現れ、駆け寄って来た。


「アーブルム! 何をしているの!? 早く彼を治して!!」


 ソルモンに促されるが、アーブルムは動かなかった。

 本当は今すぐにでも助けてやりたい。

 だが、グノウの意志を慮ればこそ、そんな事はできなかった。

 この女にはわかるまい。

 わかってたまるものかと、アーブルムもまた静かに憤っていた。

 その想いを感じ取ったグノウは、朦朧とする意識の中で友の気遣いを噛みしめていた。

 お前だけだ。アビィ。

 お前だけが、俺の気持ちを解ってくれると。


「もういい!

 貴女がやらないなら、わたしが直す!」

(アーブルムほど完璧には治せないかもしれないけど!

 あなたは怒るかもしれないけど!

 例え嫌われても! あなたを治す!!)


 ソルモンがグノウに触れようとした時、身切れた手がソルモンの手を拒んだ。


「グノウ!?」

「……ざ……けるな……!

 貴様ら……は、いつも……そうやって……」

 (俺を馬鹿にする。

 どんなに強くても、脆く小さい小人だからと、憐れむ。

 “リーヌブエル”に歯向かえる唯一の存在だから、死なせては勿体無いとのたまう。

 俺はただの、“リーヌブエル”を倒す為の道具か?

 脆く哀れな希少な駒か?

 ふざけるな。

 なあ、アビィよ。

 俺たちはただ、“奴”をぶっ飛ばしたいだけなのに。

 悔しいよな――)


 その憤慨を最後に、グノウの意識は遠のいた。


「グノウ!」


 名を呼ばれ、グノウは目覚めた。

 起き上がった時、最初にシンの顔があった。

 身体に痛みはおろか傷一つさえ無かった。

 酒の影響も消えていた。

 おそらくソルモンが応急処置し、アビィが肉体を再生してくれたのだろう。

 アビィがいつもの呆れ顔で首を伸ばしてきた。

 自然と、再生した手で鼻を撫でる。


(……また俺の意地に付き合わせてしまったな。

 すまん、アビィ。

 まったく、己が器の小ささを恥じ入る他は無い……)


 だが、悪く無い気分だった。

 限界まで戦い抜き、そしてまだ生きている。

 シンの背後に目をやる。

 すると辺り一面に、鬼の土下座が広がっていた。


「……何だ? これは?」

「おお! 殿!!

 気が付かれましたか!!」


 「殿?」とグノウは困惑した。

 まさか俺のことではあるまいなと。


「皆の者! 控えィ! 控えええええイ!!」


 鬼の将ヘイジが先導して頭を垂れる。


「おみそれしました!

 偉大なる小人グノウよ!

 どうか我らが百鬼を率いる王と成って頂けませぬかッ!?」


 平伏したまま、ヘイジが奮える声で願い出た。

 何の冗談かと思ったが、様子からして本気で言っているらしい。


「断る!」

「何故にございまするか!?」


 何故にと言われてもと、グノウは困っていた。

 正直なところ、主として縛られるなど御免被りたい。

 だが、ならず者の鬼共が、こんな小さな小人にうやうやしく頭を下げているのだ。

 常ならば一笑に付するところだが、礼には礼を以って応えるべきと言葉を選ぶ。


「器じゃない」

「そんな事はございませぬ!

 貴方程の御方をワシは――」

「戦いの最中に怒りで我を忘れる馬鹿だぞ? 俺は」

「戦いの中を狂喜に生きる我ら鬼に相応しきさがですわい!」


 幻滅させる為に敢て言いたくも無い自虐を言ってみたが、良い様に返された。


「俺は“リーヌブエル”を倒す為に修行中の身だ。

 一つ所に留まる訳にはいかんのだ」

「ならば我ら百鬼をお連れ下さい!

 例え地獄の果てまでも馳せ参じましょうぞ!」

「あ――」

「足手まといと思われるなら切り捨てて頂いて結構!」


 やれ困った。

 俺の何がそんなに気に入ったのか解らんが、この鬼達は何が何でも俺を主に据えたいらしい。

 ならばと、グノウはイタズラに笑った。


「わかった。

 ならば、今よりお前らに命じる!」

「は! 何なりと!」

「俺の友となれ!」

「と、友……?」


 ヘイジが困惑した声で聞き返してきた。

 構わず、ここぞとばかりに畳み掛ける。


「俺を王にと担ぐぐらいだ。

 まさか俺の頼みを聞けんとは言うまいな?」


 ヘイジは意表を突かれた様な顔で何か言いたげだったが、反論は許さない。


「仮にも、盃を交わした仲だ。

 そして、友となったからには対等に振舞って貰うぞ?

 それが嫌ならお前らとはこれまでだ」


 きっぱりと、グノウは言い切った。

 戦いを通じて鬼共に愛着が湧いてきたのは否定しないが、こればかりは譲れない。

 担がれるぐらいなら、恨まれ敵としてまた戦う方がマシである。

 戦闘狂のグノウとしては、むしろその方が面白いとさえ思っていた。


「しかし、貴方様と我らでは、あまりにも格が違うというもの……」

「気にするな。そんなもの。

 格が違うから何だ?

 それを言うなら、小人の俺などお前ら鬼に踏み潰されて死ぬような存在だぞ?」

「ご! 御冗談を!」

「冗談ではない。

 お前ら全員に、俺を踏み潰せる力がある。

 無論、俺が無防備の状態でだが。

 一方俺は、技無しではお前らを潰す事などできん」

「ま、まさか……!」

「それが、真実だ――」


 グノウは遠い目で鬼達を見渡した。

 大きく恐ろしい百鬼たち。


「それでも、俺は常人おまえらに勝ち続ける。

 だから、格が違うからなどとつまらんことを言うな。

 そんな事では、夢など見れまい?」

「夢?」

「ヒトは皆、夢を見ずにはいられない。

 俺もまた、夢を見る。

 友となら、同じ夢を見られよう?」


 グノウはアビィを撫でた。

 種や格を超えた、心の友。

 その想いは違えど、同じ夢を見る盟友。


「……して、その夢とは?」

「“リーヌブエル”!

 “奴”を倒し! 小人の運命さだめから解き放たれる!

 それが俺の夢だ!!」


 それこそが、グノウの戦う理由。

 グノウが生まれながらにして小人として生を享けたのは、全て神の如き“リーヌブエル”の気まぐれが発端だった。

 触れる事すら叶わぬ、この世界の超越者。

 そんなふざけた存在など、この俺がぶっ飛ばしてやる。

 そして、落とし前をつけさせるのだ。

 過去現在未来さえも改変する力を持つ、“リーヌブエル”ならば、“小人グノウ”として生きてきた屈辱の人生すらも改変できる。

 小人として生まれたが故の、果て無き怒りと苦悩の日々。

 それから解き放たれるには、それ以外に方法は無い。

 それだけが、何度も生を諦めかけたグノウの、生きる目的たった。


「……ならば今より、我ら鬼も貴方と同じ夢を見ましょうぞ!

 友として! 打倒“神”を――!!」


 ヘイジの宣言に、百鬼達が沸き立った。

 “神”を倒す。

 その見果てぬ夢に、想いを馳せて。

 (馬鹿なやつらだ。こいつらも)と、グノウは微笑んだ。

 正直、現人神たる“リーヌブエル”と戦うのに、鬼達は足手まといにしかならない。

 一度勝ったとはいえ、グノウ自身でさえも、度重なる奇跡と偶然で勝てたに過ぎない。

 いや、あれをグノウ自身は勝ったとは思っていない。

 人類が、そう認知したに過ぎなかっただけだ。

 まだ、足りない。

 “奴”を倒すには、ただでは、足りない。

 “奴”の肉体を辛うじて傷つけられる竜王の刃だけでも、足りない。

 何より、怒りで我を忘れる未熟な心では、とても“奴”に及ばない。

 鍛えるのだ。己が心を――。

 鳴りやまぬ歓声の中、密にグノウは今一度決意した。

 いつも繰り返してきた事だが、今宵は心躍る心持だった。

 多分、同じ夢を見てくれる友が大勢できたからだろう。

 戦力にならなくともいいじゃないかと、グノウは微笑んだ。


「フ! 好い宴だった!!」


 愉しかったと、小人グノウは締めくくった。

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