No.1
「兄貴が最近冷たいんだよ」
サラダにフォークを突き立てながら、ネスは唇をとがらせて言う。
「無愛想なのは前からだけど、それにしたって冷たいんだ。僕何か怒らせるようなことしたかな」
「心当たりは?」
「ないから相談しているのだろう。カウンセラーならそれくらい察しろ」
「俺は超能力者ではねえからなあ。悪いが心の中までは覗けねえよ。せいぜい話を聞いて一緒に考えるのが限界だ。ごめんな」
エス・ケィはネスの言葉にそう返したあと、自分の分のパンをかじった。
子供達は本来食堂で食事を済ませる決まりなのだが、カウンセリング室の前で朝食の乗った盆を持ってしょんぼりと肩を落とし、うつむきがちにドアの前で佇んでいるネスを追い払うこともできず、ケィはこうして彼と話をしている。
「しかしまあ……兄貴、か。オッジも好かれたもんだなあ。まるで本当の兄弟だ」
「……ケィさんだって弟居るだろう? ビィ先生。兄側の目線ではどうなんだ、弟は」
「あー……あいつと俺は仲悪いから、参考にはならねえかな……。いつ頃からオッジが冷たくなったって思うようになったんだ?」
「先週くらい。元気ないから声かけたら、『なんでもないからあっちに行け』ってけんもほろろ。それから話しかけても遊びに誘ってもうわの空だ」
「そっかあ……そりゃ心配だな。よし、俺もオッジのこと特によく見とくようにする。お前、思い込みが激しい部分があるからあんまり思い詰めないようにな」
「……うん」
「そら、そろそろ授業だ。戻りな。……まあ、しんどいようならもうちょっと居ても構わねえけど……どうする?」
「いや、授業出る。ビィ先生の連続ログインスタンプカード途切れさせたくないから」
「は? あいつそんなん作ったのかよ。連続ログインって、ソシャゲかっつの」
「そしゃげ?」
「や、何でもねえ」
ケィは肩を震わせて笑い、ネスを送り出した。扉が閉まり、ひとりになる。
「ソシャゲねえ……我ながらずいぶんレトロなモノが口から出たもんだ。剣呑剣呑」
「これより本日の授業を開始する。……の、前に。スタンプカードを持って一列に並べ」
エス・ビィ。先程少し話題に出た、ケィの双子の弟。施設内で教師の職に就いている。
変な着ぐるみ。二メートルに達すると思われる長身。このふざけた風体にネスも他の子供達も初めは驚いたし怯えて泣き出す者も居たものだが、今となっては慣れた。
スタンプを押しながら、ビィはひとりひとりに挨拶をしていく。
「オッジ、おはよう」
「おはようございます」
「ネス、おはよう」
「おはよう先生」
「ウェムウッドは今日も欠席か。次。おはよう、……」
軒並みスタンプを押し終え、本格的に授業が始まる。
この施設にはビィしか教師が居ない。子供の数もせいぜい十数人しか居ないにせよ、教師のビィ、カウンセラーのケィ、あとは遅刻魔の科学者と妙に派手な清掃員、それから他に少し職員が居るだけなのはさすがに人手不足ではないのか、とネスは子供ながらに少し心配している。
「ネス、聞いているか」
「え? あ、聞いてなかった」
「聞け」
「ごめん」
「俺に二度同じ質問をさせないように」
「はーい」
くすくすと笑い声が起きる。授業が続いていく。数学と、科学と、工作と、体育。毎日毎日そればかりだ。ネスは以前『もっと浪漫のあることを教えてくれ』とビィにせがんでいるところをウェムウッド──座学の授業は軒並みサボっている、ネスと同い年の少年──に見られた挙げ句『工作は浪漫があるだろう芸術を理解しない馬鹿が』と言われ、大喧嘩になったことがある。最終的には二人揃ってビィに雷を落とされたのだが。
授業が終われば昼食。昼食が終われば自由時間。自由時間が終われば夕食。夕食が終わればシャワー。シャワーが終われば就寝。就寝したら朝起きて、健康診断及び身体検査を受けて朝食。朝食が終われば授業……。
「……つまんない」
代わり映えの欠けらもない毎日だ。
その中でオッジだけがネスの日々の色だった。
病的なまでに白い肌と心配なるほどほっそりとした体型のくせに体育も含め誰よりも成績が良く、滅多に笑わないし言葉もきついが面倒見が良くて、それに。
それに──時おり、不思議な話をする。
作り話をするのだ。見たこともない世界や想像もつかない生き物の話。それをまるで本当のことのようにオッジは語る。それを聞くのが、ネスは何より好きだった。
「兄貴! なあ!」
授業が終わり、昼食までのわずかな休憩時間が始まる。ネスはオッジへ呼びかけてみた。
「……何だ」
「あの……あの話の続きを聞かせてくれよ。ほら、空から透明な水が降ってくる話。それで、えーっと……」
「悪いがそんな気分じゃない。無駄話なら他の生徒とやってくれ」
「兄貴の話は無駄話じゃない!」
「大声を出すな、頭に響く」
「ご、ごめん。でも……」
「いいから今はひとりにしてくれ。はっきり言って迷惑なんだ、ネス」
「……」
ネスは少し、世界から色がなくなったような気がした。
去っていくオッジの背中がひどく遠くに見えた。
寂しいし悲しいし、驚いたし怖かったが、しかしそれ以上に喪失感がネスの心を支配した。
「……迷惑、だったのか。そっか」
もしかしたら、最初に元気がないと感じた先週よりもずっと前からそう思われていたのかもしれない。兄と慕っていたのも、空想の話をせがんだのも、全部……。
「おっとネス。美少年に涙は似合わんな」
突然降ってきた声に驚いて顔を上げる。その拍子に睫毛に溜まっていた涙が少し零れた。
「……シー」
「うん。みんなのお兄さん兼清掃員のアイ・シーだ。教室の掃除するから出てくなら出てってけろ」
言い、アイ・シーはモップの先でネスをつつく。やめろよ、と言いながらネスは一歩引いた。
「シー、また髪の色変わってないか?」
「お、分かるかね。周りの連中はな。全部『派手』で一括りにしちゃうからな。ネスくらいだ分かってくれるのは」
「違いは分かるがそのセンスに賛同はしない」
「けっこう辛辣なのな君。シーは悲しくて染めたての髪が真っ黒になった挙げ句全部抜けちまうよ」
「……ふ、ふふ」
「お、笑ったな。よしよし。オレは話聞いてもあっそうとしか言えないから深くは聞かんけど、なんかあったんなら早めにケィのとこ行けな。以上、みんなのお兄さん兼清掃員兼優しい道化のアイ・シーでした。さ、掃除の邪魔だ。出てけ出てけ」
「分かったからつつくな。つつくなってば!」
教室を追い出され、仕方なく廊下を歩く。さすがに他の子供と元気に遊ぶ気にはなれず、ネスはそのまま自室に戻った。
「……」
──はっきり言って迷惑なんだ。
ひとつひとつ、オッジが語った物語を思い出す。しかしどの話を思い出してもあの言葉がちらついてどうしようもない。
やがて昼食の時間を告げるチャイムが鳴り、部屋を出る。食堂でオッジと顔を合わせるのが気まずくて、ネスはまたカウンセリング室へ向かった。
「……兄貴はきっと僕が嫌いなんだ。最初から僕なんか迷惑だと思ってたんだ」
「どうしてそう思うんだ?」
「実際に言われた。迷惑だって」
「そうか……そりゃ悲しかっただろう。よく話してくれた」
ケィは一通り話を聞き、小さく頷いた。
「お前はオッジをどう思ってる? 迷惑だって言われて、嫌いになったか?」
「……」
しばらく考え込むネス。
ケィは急かすこともなく黙って返事を待つ。
しばし沈黙が訪れて、やがてネスがそれを破った。
「……嫌いになってない」
「そうか」
「なあ、ケィさん、今朝兄貴のこと特によく見とくって言ったよな。あの、こっそり兄貴のこと呼び出してさ、それとなく僕のこと聞くとかできないか?」
「んー……カウンセリングに強制性はないから約束はできねえが、一応声かけてみるわ。で、まあ、個人的には無条件に協力してやりたいんだが、職業柄守秘義務もあるからな。お前にオッジのことを話すにはオッジ自身からの許可が要る。それでも良いか?」
「……うん」
「よし。自由時間終わって晩ご飯食ったらシャワー浴びてさっさと寝ろよ。夜更かしすると明日の健康診断でドクターに即バレるぜ」
「ドクター・トゥトゥって医者じゃなくて科学者だろう?」
「まあそうなんだが。あの男、観察眼えぐいから。俺なんて昨日より重心が少し傾いてるって理由で足の爪割れてちょっと痛いのバレたぜ」
「こわ」
「ほんとにな。だからさっさと寝た方が良いんだ。……何度でも言うぞネス。お前は思い詰める癖がある。くれぐれも呑まれるなよ」
「……うん、分かった」
「よし。じゃ、また話そうな。それじゃ」
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