術札

 探索二日目――――というよりも、初日は夕方までの時間をすべて設営に費やしたので、実質この日が探索一日目となるかもしれない。

 朝食を食べ終わった5人は、食料に鼠害対策を行った後、装備を整えてキャンプを出発する。

 その際彼らは、あの日の夜に探索した時と同じように口元にスカーフを巻き、解毒作用のあるハーブを口に含んでいた。


「もごもご……息がしづらいですね、これ。あ、でもセンパイがいつもスカーフをしてるのはこのためか!」

「大丈夫、そのうち慣れるよっ! でも、最初の内は息が切れやすくなるから、無理しちゃだめだよ」

「こういう時にロザリンデさんがいてくれたらとても助かったんだろうけどな。とにかく、気分が悪くなったらすぐに言うように」


 瘴気と毒の霧対策に慣れていないフィリルは、呼吸がしにくくなることに少々困惑しているようだったが、直接術で解毒できる人がいない今は、まず毒を吸わないことが何より重要だ。

 キャンプ地からさらに西に進み、川の流れが澱み始めるころになると、彼らの鼻に瘴気独特の硫黄のようなにおいが漂ってくる。この時点ですでに、空気には微量の毒が含まれており、何の対策もなしに進めばたちまち体力を失ってしまう事だろう。

 キャンプ地から遠くに見えていた紫色の靄は、今や彼らの目の前にあり、太陽の光すら遮る灰紫の大気のせいで、昼間でも周囲は夕暮れ時のように暗い。

 地面は荒れ、木々は枯れて拗曲がり、水辺は茶色とも黄色とも言えないねっとりとした毒の沼と化している。


「うう…………これはひどいですね。こんな光景が、あちらこちらにずっと広がっているなんてっ!」


 まだ瘴気に汚染された土地を見慣れていないフィリルは、いつもの陽気さが引っ込むほどの恐怖を感じていた。


「大丈夫フィリルちゃん。リーズたちが付いてるけど、怖かったらいつでも言ってね」

「だ、大丈夫ですっ! 初めて夜の森に入った時に比べれば、こ……これくらい何ともありませんよっ!」

「ミーナちゃんも、疲れたらすぐにリーズお姉ちゃんを頼ってね」

「うん! 大丈夫っ! 私は小さい頃から見慣れてるから!」


(小さい頃から見慣れてる?)


 ミーナの言葉に、リーズは何か引っかかるものを感じたが、とりあえず今は進む道を遮る瘴気を解呪するのが優先だ。


「さて、リーズも知ってると思うけど、瘴気の解呪は基本的に僕とミルカさんの術で行える。けど、それ以外にもこれを使えば、少し範囲は狭くなるけど同じことができるんだ」

「『術札』だねっ! 昔よくロジオンの代わりにお世話になったね~」


 アーシェラが取り出したのは、奇妙な図形や文字が描かれた長方形の紙。

 これは「術札」と呼ばれる比較的ポピュラーな使い捨て道具であり、術者が自分が使える術をあらかじめ記録しておき、あらかじめ魔力を込めておくことで、使用時に術力の消費なしで術を発することができる。

 今この場にロジオンがいたら憤慨するような言い草だが、リーズたちが冒険者時代はロジオンの術の燃費があまりにも悪かったため、長丁場の際にはよくこの道具で攻撃術を代用していた。


「フリッツが10枚作ってくれたんだけど、これを一人3枚渡しておくから、何かあったら迷わず使ってほしい」

「あら、10枚だけですか。フリッツのことですから、もっとたくさん作ったかと思いましたが…………レスカさんのお世話に時間を取られたのでしょうか?」

「お、おねえちゃぁ~ん、もうちょっとこう、オブラートに包むとか、ね?」


 相変わらず口の悪いミルカに、アーシェラは苦笑いする。

 だが、ミルカの言う通り、フリッツが全力を尽くせば、今持っている分の10倍以上の量は余裕で作ることができる。それができない理由があるのだ。


「この解呪の術札はね、一回使ってももう一度術力を込めれば、また使えるようになるんだ。凄いでしょ」

「何回も使える術札!? それすごく便利じゃないっ! 世紀の大発明だよシェラっ!」

「なるほど……『切れない糸』を術札に応用したわけですか。なるほど、それなら10枚しか用意できないのも納得ですわ」


 そう、アーシェラが用意した術札は、以前リーズたちが釣りの時に使った特製釣り竿についている「切れない釣り糸」を紙に混ぜ込んで作ったものだ。

 普通は一度使うとボロボロになって使えなくなる術札が、何度でも再利用できるようになるのはかなり画期的であり、ここ数世紀の間不可能と言われていたことを覆す、空前の大発明と言える。


「えっへへ~、これがあればロジオンの時みたいに、冒険の前に何度も札を自作する必要がなくて、お財布にやさしいねっ!」

「あはは、今はもうお財布の心配は必要なくなっちゃったけどね。けど、これ一枚作るのにはまだたくさんの材料と膨大な時間がかかるから、量産はまだまだ当分先かな」


 とはいえ、いいことばかりではないようで…………まだまだ試作品なので、材料を用意するのも大変で、元の札を作っても、術式を書き込むだけで10枚作るのにフリッツが丸3日かかる。

 まだ当分使い捨ての方がコストパフォーマンスがいいというわけだ。

 けれどもアーシェラがあえてこれを使うのは、これから先使っていくためのデモンストレーションの意味合いが大きい。


「じゃあまずリーズとミーナ、フィリルが使ってみて、使用感を確認してほしい」

「任せてシェラっ! リーズがパパパーって解呪しちゃうよっ!」

「発明品の実験テストなんて、ワクワクするね~! このお札があれば、テルルのいる場所まで行けるかも~」

「よぉし! テンション上がってきましたっ! こんな暗くてドロドロした景色は、一刻も早く消し去っちゃいましょうよ!」

「まあまあ、皆さん頼もしいですね。これで私ものんびりと…………いえ、術力を温存できそうですわ」


 発明品を手に取ってはしゃぐリーズたち3人と対照的に、術の使い手であるミルカは、相変わらず隙あらば手を抜こうとしているようだった。

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