兄弟

 気付いたときにはすでに手遅れだった。

 男の左右に伸びた炎に続いて前後に伸びた炎、それからなんとか逃げのびて安心しきっていた。気がついたら笹良自身、炎のドームの中に閉じこめられていた。


「……これで3度目か。今度ばかしは奇跡は起こらないだろうな」


 左右を見回す。このドームがどれだけの広さかは判らないが、端までたどり着いたところで炎の壁に遮られていては笹良にはどうすることもできない。目の前でコンクリートを溶かす炎に、どうして触れることができるだろうか。

 今度こそ本当にやってくる死を目の前にして、不思議と落ち着いた気分でいられた。ドームの中心に立つ男の体をさらに炎が包んで広がりを見せようとしているのを見つけ、苦笑すら浮かんでくる。


「……奇跡か。一度ぐらいオレ自身が起こしてみたかったものだ」


 感覚総てが炎に包まれ、意識がブラックアウトする。


 赤く赤い炎の赤。

 そればかりが目に映るものだと思っていた笹良の視界に、まず入ってきたのは白く白い天井の白だった。

 あぁ、天国ってのは本当にあって、純白に包まれた実に目に優しい世界なんだなぁと、そこまで考えたところで目一杯瞼を開いて上半身を起こす。


「ここは……どこだ?」


 どこかの部屋でベットに寝かされていて


「……病院?」


 開いていた窓のカーテンが風で揺れていて、その先に広がる景色。


「しかも新宿じゃないのかここは」


 窓の外に広がる景色は笹良がよく知っている、どこも壊れていない景色。その景色自体に見覚えはなかったが。病室から広がっていた景色では、人がごく普通に生活をしていて、それが当たり前のように広がっていた。ここが新宿であればこうはいかないだろう。


「何日も離れていたわけじゃないってのに、なんだか懐かしいな」


 いつまでも窓の外の風景を眺めてしまいそうだったが、ふと気付く。


「いやまてよ? どうしてオレはこんな所にいるんだ?」


 そこで最後の記憶にあった炎の赤を思い出し、身を震わせる。外を眺めていていつの間にか浮かんでいた笑顔がどこかに消え、代わりに冷や汗が浮かび出す。


「確かあの時……あの男の炎にオレは焼かれて……」


 しかし、改めて自分の身体を見回すが、火傷を負っている場所どころか、怪我をしている箇所も見あたらない。痛む場所すら見つからない。


「どうなっているんだ? まさか今までのこと全部が夢だったとか言うんじゃないだろうな」


「いや、それは違うぞ」


 誰にでもない問いかけに答えた声。外に視線を送っていた笹良は、その声にベットの上で体ごと背後を向く。病室の入り口を半分ほど開き、扉部分の壁に背をあずけてそこに立っていたのは笹良によく似た人物。

 無精髭を生やして腕を組んで、ベットの上の笹良を見る瞳は眠いのかほとんど糸目になっている。その人物を見つけ、笹良は驚いたようにぽかんと口を開いて思い出したように人物名を口にする。


「……兄貴? なんでここに?」


 笹良兄は薄目を開けたまま笑顔を浮かべて、ベットに近づくなりやはり笑顔を浮かべたまま、笹良にげんこつを落とした。


 まだ痛む後頭部をさすりつつ、ベットの上であぐらをかいて、なぜ自分がこんなところで寝かされていたのかの説明を静かに聞いていた。


「まったく、最初に聞かされたときはオレでも驚いたぞ。お前が新宿に行ったってのはうっすらと判っていたが、まさか謎の爆発の中心地で寝っ転がっていたとはな。それでいて無傷とは驚いた。どれだけ運がいいんだ」


「爆……発?」


「あぁ、お前が寝っ転がっていた辺り十数メートルは小規模な爆発でも起きたかのようになんにもなくなっていたんだ。専門家の話じゃ高熱度の爆発があって建物なんかは融けたって話だったんだが、お前……本当に生きているんだよな? 生物が生きてはいられない爆発だって聞いたんだが?」


 弟の体に触れ手足を確認する。どちらも幻じゃないことを触って確認して、パイプイスに座り直す。懐を探ってタバコを取り出して、一本取り出して口にくわえたところで


「ここ、禁煙だって知っていた?」


 弟の言葉に顔をしかめてタバコをしまう。


「で、あそこでなにがあったかを話してくれるか? あぁそれと、事情を知りたいって事で警察の取り調べもあるから覚悟はしておくんだな。オレは今は兄としてきているからこうして会えるが、そうでなきゃ目が覚めて真っ先に会うのは警察官だったんだぜ」


「げ、マジで?」


「あぁ、大マジだ。さすがの警察も新宿で起こった謎の爆発は放っておけないらしくてな、現場検証も結構大がかりだったんだぞ」


「で、なにか判ったことは?」


 弟の問いかけに首を振る兄。


「まったくだ。不審火から起こった火事だってあそこまでは高熱度にならないし、どんな爆発物が設置されていたらあんな範囲で爆発が起こるんだって警察と話していたな」


 腕時計に目をやって


「さてと、そろそろ退室を命じられるかもしれないからもう一度聞く。あそこであの時なにがあったんだ?」


 問いかけられ、笹良は顔を落として悩む。果たして話すべきか。否


「……オレも爆発の瞬間なにが起こったのかは判らない。そもそもこうして生きていることが奇跡みたいなものだから。だけど……話して兄貴が信じられるかどうかが判らない」


「おいおい、信じるか信じないかは聞かせる相手によって違うんじゃないか?例えそれが編集長としては信じられない話でも、兄として聞いてやれることだってある。なんであれ、まずは話してみな」


 編集長としてではなく兄としての真剣な趣に、笹良は新宿で出会った少女のこと、見てきたことを思い出せる限り兄に話した。新宿の現状、双つ影、その闘いに巻き込まれて炎に飲み込まれたこと。


「……なるほど」


「納得……してくれたのか?」


「当たり前だ。オレを誰だと思っている?携帯配信のニュースサイトの編集長だ。今の新宿でなにが起こっていてもおかしくはない閉鎖空間だと言うことは判っている」


「……その割には、ついさっき注意したばかりのここは禁煙だって事を忘れていないか?」


 そう言われて初めて笹良兄は、自分がいまタバコを口にくわえていたことに気がついた。苦虫を口にしたような表情を浮かべて指でタバコを挟んで


「正直言おう。理解できたかどうかと聞かれれば頷きがたい。だが、信じたかどうかと問われれば、信じたと答えよう。慎二、お前はオレの弟であると同時に1人の記者だ。弟としてはもちろん、記者としてのお前のその言葉を信じよう」


 兄の言葉を聞いて笹良は、目を丸くして


「……兄貴なにかあったのか? いつになく優しいじゃないか」


 そんなことを口にしたものだから後頭部にげんこつが落下する。


「どっかのバカが勝手に新宿に行ったことを心配していたんだが、もうそんな心配をする必要はないな」


「ひでぇな。もうどこでくたばっていても関係ないって事か?」


「それもそうだが……まぁいい。これを読め」


 そう言い別のパイプイスに置かれていた新聞を取る。無造作に笹良に投げつける。


「お前が寝ていたこの三日間、さすがの日本政府も重い腰を上げたのか、新宿の危険性を再認識してさらに強い隔離を決定したらしい。今現在許可無しに新宿に入ることはできなくなっている」


 投げつけられた新聞一面を見れば、そこには【新宿隔離を決定】の出出しに、続く記事では新宿をまるまる囲むように厚さ1メートル高さ5メートルの防壁を建設予定と書かれている。出入りは完全禁止。たまたま中にいた者は、外に住んでいると証明できるものがあれば一時的に拘留はされるものの出られるとのこと。ただし、今後中に入った者は出られる保証は全くない。今後新宿内で起こったことに政府は関係しない。完全な無法地帯となる。ただし、中で大規模な暴動などが起き、それが外に広がる危険性が認められた場合、中に対しての軍事行動に発展する可能性はある。新宿内にそれでも住まう人間との交渉には応じない。新聞の一面だけではなく、社会面などもこのニュースが書かれている新聞を端から端まで簡単に目を通す。


「さすがにあんな事件があったんだ。今まで通りってわけにはいかないんだろうな。でだ。オレはもう時間だから帰らせてもらうが、これは忠告だ。これからの取り調べ、下手なことは言わない方がいいな。お前は1人の記者として、殺人事件を取材するために新宿に入り、そこで爆発に巻き込まれて倒れていた。なにが起こったのかは判らない。ややこしくならないためには、この辺りが無難だな」


 パイプイスから立ち上がって扉に近づき、手をかけようとして上半身だけ振り返る。

「それと、もう新宿の中で起こったことは忘れるんだな。どうせもう、入ることすらできない場所だ」


 ドアを開けて病室を出ていく。それからすぐに、今度は警察官が事情を聞くために入ってきた。


 2日後。精密検査も終えて体のどこも異常がないことが確認された笹良は、数日間世話になった病室を去った。帰る場所は今まで育ってきた家。


新宿ではない。

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