第14話 涙

デリの店内は相変わらず騒然としていた。

話し終わるとアレックスは、もうぬるくなってしまったバドワイザーを一気に飲みほした。その温度が彼の話がいかに長かったかを物語っていた。

ようやく一息ついて、視線を彼女に向けた。

カタカタと音がする方を見てみる。

グラスを持つ手が小刻みに動いていた。

さらに視線をあげていくと、彼女は彼を見たまま泣いていた。

涙が、透明な珠のようにいくつも…いくつも頬を伝っていくのが見えた。

「ラシス?」

「え…!?」

急に、名前を呼ばれて我に返った。ようやく自分の異変に気がついた。

「あ……あれ? 変なの…涙が…」

右手で頬を押さえた。ようやくラティは泣いている自分に気がついた。

ぬぐってもぬぐっても、涙は彼女の意思に反して止まらなかった。

そんな姿をアレックスはこの上なく優しい目で見ていた。

彼にはわかっていた。

無意識に流れ落ちた涙の理由わけを。

彼女は本当にバーンの気持ちを理解してくれたのだと。

弟のために流してくれた『涙』だと。

「ご、ごめんなさい」

震える声で彼女は謝った。顔を見られたくないのか、横を向いて少し赤くなっている気がした。

「出ようか」

アレックスは席を立つと、ラティに自分のコートをかぶせた。彼女もイスから立ち上がった。肩に掛けても引きずるくらいの長いコートだった。

彼の煙草のにおいがした。襟を立てて、顔を隠すように歩きはじめた。

「端から見たら俺がイジメてるように見えるぜ」

「それでも、…いいわよ。」

泣き声で、負けん気を見せた彼女をアレックスはかわいいと思った。



先に店の外に出たラティはまだコートにくるまっていた。

外はもうすっかり暗くなっていた。西の方は夕明かりが空を赤く染めていた。アレックスがデリから出てくるとすかさずコートをたたみ、差し出した。

「ありがとう。もう大丈夫です」

「あんまり大丈夫そうには見えんがな」

「平気ですっ」

「ほんと、泣きやんだか?」

彼女からコートを受け取りながら、その表情をうかがった。

「………」

また、じわっと涙が目にたまった。

「ほら、いわんこっちゃない」

「だって、」

握り拳を口元に当てて微笑みながらアレックスは言った。

「送っていくよ」

彼女は首を横に振った。

「おいおい」

困った顔でアレックスが彼女を見た。彼女は高校生だ。あまり遅くまで連れ回すわけにもいかなかった。

「まだ聞き足りないのかい? それとも話し足りないのかい?」

「両方…」

「じゃあ、展望台まで歩くか。ここからそんな遠くないしな」

こくんと彼女はうなずき、二人は歩きはじめた。



何も言わないで、彼女の歩幅に合わせてゆっくりとアレックスは歩いていった。夕方の風が時折冷たく感じるくらいに吹いてくる。

(何で、泣いちゃったんだろう?私?

何でこんなに涙が止まらないんだろう?)

ラシスは今さっきアレックスから聞いた話は考えないようにしていた。

また涙が出そうになるからだ。

自分の歩く歩幅に合わせて歩いてくれる長身の彼を横から見上げながら不思議な気分になっていた。私の隣にいるのがもしバーンなら?と思ってしまう自分がいた。こんなふうに彼と並んで歩くことができたらと。

(彼氏と歩くのってこんな感じなのかな…? なんだかほっとする。

バーンのお兄さんだから?それとも……?はじめは違う感じがしたけど。

バーンの持っている雰囲気にとても似てる)

学校で別れ際にした言い争いのことを思い出して、気持ちが暗くなった。本当はあんなことは言いたくなかったのに。彼があまりにも自分の話を聞いてくれなかったから、頭にきてつい強い口調で言ってしまった。そのことを後悔していた。

(今頃、何してるの? バーン…?)

まとまりのない思いが自分の心の中を駆け巡った。小さい頃のバーンが目の前に浮かぶ。左右違う色をした眼で、無表情で立っている彼の姿。虚な目でじっとこちらを見ているような気がした。まるで人形のように彼の口は何も語らないし、彼の眼は何も映していない。ただ立ち尽くす彼の姿。何もかも背負い込んで。何もかもあきらめてしまった彼の瞳は、もうこの世界の何事も映しはしないのだ。

ふと気がつくと、アレックスはまたいつの間にか煙草を吸っていた。

白い煙が風に流されていくため、彼女にはそのにおいはわからない。

「聞かないんですね…」

うつむきながら、アレックスに話しかけた。

「んー?」

煙草を吸いながら、気のない返事をする。彼女の言いたいことはわかっていた。だが、あえて聞かなかったし、聞かない方がいいと思った。初対面の人物に自分の心の奥底を語るなど、よっぽどのことがなければしないことだ。

「私が泣いた理由わけ

「君が話したいんなら聞くけど。女性の涙には、俺、弱くて…」

「もう!!」

怒ってこぶしを彼の二の腕にあてた。

「ははは、冗談。嘘だよ」

ちょっと小走りに逃げながら、彼女の前を後ろ向きながら歩いていった。

「泣かせている張本人だし。俺にはなぐさめられない。から、聞かないよ」

そう言うとアレックスはまた前を向いて歩き続けた。

それを聞いてラシスは理解した。彼にはお見通しなのだ、自分の気持ちは。

そうラシスは思った。

しばらく言葉も交わさず二人は沈黙したまま歩き続けた。その沈黙は彼女にとって重いものではなかった。自然とできた沈黙。言葉が交わされないからといって嫌な感じがするものではなかった。むしろその沈黙は心地よいものであった。黙っていても、何かが、何処かが繋がっているような、重なっているような感覚が消えなかった。

住宅地を走る車の数は減らないが、夜の闇がどんどん二人に迫ってきていた。不意にラシスが歩みを止めた。

「アレックス…」

消えそうな声で話しかけた。その声を聞いて、アレックスも歩みを止めて、後ろを振り返った。

「なんだい?」

真剣な表情で彼女が話を切りだした。

「私、バーンを傷つけたかもしれない…。アレックスの話、知らなかったから」

「……」

アレックスは首を傾げた。

「話したいの。聞いてくれる?」

ラティは横から彼を見上げた。その表情を見て、アレックスは彼女の真剣さを感じた。こんなにも真剣に弟とのことを話そうとしているのだと。気持ちには気持ちで答えたいとそう思った。

「ああ。」



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