第88話 氷河期再び
狭いようで広い学校という箱庭で、儚くも切ない誰かの恋が終わったとして、なにか特別な変化が起こるわけではない。
平日には授業があり、生徒は教室に集まる。放課後になればそれぞれ部活に行くなり遊びに行くなり、大抵は帰宅することで散らばっていく。そうして迎えた休日はそれぞれの生活が待っているだろう。
そんな当たり前のサイクルは、当たり前のように続いていく。
それでも人間関係というものは、大なり小なり日々変わっていくものだ。
特にいち恋愛事においては、当事者だけでなく周りも巻き込んで複雑に絡み合う。
想い想われ、振って振られて、惚れて腫れる。
たとえ恋が成就しようとも、たとえ友達のままでいたとしても、たとえ人知れず失恋したとしても。
良くも悪くも恋は人を変えてしまうのだ。
そしてそれは、通り雨のように突然訪れた。
「朝陽お前、氷室さんのこと怒らせた?」
放課後のファミレスで、千昭が単刀直入に聞いてくる。
ポテトをケチャップに付けるその手は、いつになく雑でやる気のない。
対する朝陽は珍しく弱気で、ドリンクバーの安っぽいカフェオレを口にした後、ため息交じりに項垂れた。
「もしかしたら怒らせたのかもな」
「自覚はないと?」
「あったら即謝ってる」
「まあそうだよな」
あっという間にカップが空になり、朝陽は二杯目を注ぎに行こうと席を立つ。
すると千昭が一気にジュースを飲み干し、無言でグラスを差し出した。
どうやらついでに頼む、ということらしい。
「ご注文は?」
「コーラで」
それだけ聞いて、朝陽はドリンクバーのコーナーへと向かう。
「氷室さん、どうしちゃったのかねー」
背中越しに聞こえた千昭の声はどこか他人事だった。
しかし、朝陽にとっては気が気でない。
ここ数日、明らかに冬華に避けられているのだ。
話しかけると、曖昧な返事をされる。
近づくと、さりげなく遠ざかる。
目が合った際には、思いっきりそっぽを向かれた。
果てにはいつも夕食を共にする週末に、予定があると言って断られた。
それはいつかの氷を思わせる態度で。
あの時と比べればまだ暖かくて。
けれども避けられているのは事実で。
何よりも、その氷が
日菜美を始めとして、千昭や明日香、その他クラスメイトに友達と冬華は変わりなく接しており、ぎこちないながら龍馬とも交流しているようだ。
会話はもちろん、時には笑顔も浮かべる。
そこに朝陽の姿はなく、傍から見つめているだけ。
ある日突然、百八十度世界が変わってしまったかのように。
朝陽と冬華は遠く遠く距離が開いてしまった。正確には、距離を取られてしまった。
唯一わかっているのは、こうなったきっかけ。
(龍馬が冬華に告白した、その後からだよな……)
あの日から、冬華はよそよそしくなった。
それだけははっきりとしている。
しかし、告白をして振られた龍馬が避けられるならまだしも、第三者である朝陽が避けられる理由は見つからない。
もしかすると、教室に戻ってきた際に浮かべていた涙と関係あるのだろうか。
的を得ないながら、龍馬は冬華の涙の理由に気付いているようだった。
しかし、肝心の龍馬は話を濁したいようで、こればっかりは聞いても仕方がない。
結局、冬華に避けられているという事実だけが、今まで以上に朝陽を悩ませていた。
「随分と遅かったな」
「すまん、考え事してた」
「なるほど、だから俺のコーラが緑色なのか」
「メロンソーダじゃなかったっけ?」
「それ、俺が飲み干したやつな。頭冷やそうぜ、疲れてるぞ」
千昭にそう言われるのは癪だが、図星に近いのでなにも言えない。
アイスコーヒー砂糖入りを流し込み、朝陽はまたしても深く息を吐く。
「だいぶ参ってるみたいだな」
「まあ」
「返事に覇気がねえ」
千昭は苦笑いを浮かべ、グラスの氷をカランと鳴らした。
「で、このままでいいのか?」
「いいわけないだろ」
「おっ、声出るじゃん。そうだよな、このままじゃダメだよな」
ウンウンと千昭は大袈裟に頷く。
「朝陽に心当たりはないんだろ? だったら氷室さん側の問題ってわけだ」
「そうだといいけど」
「だったら本人に直接聞くのが早いんじゃねーの?」
さらっと言われ、朝陽は口を閉ざす。
冬華から直接聞こうとは、もちろん一度は考えた。
しかし、そもそも避けられている状況で朝陽の声は届かない。
龍馬に背中を押され、一歩を踏み出そうとした矢先にこれだ。
「俺は今、冬華にどう接すればいいかわからないんだ。……拒絶されるかもしれないと思ったら、どうしても前に進めない」
辛い胸中を吐露しながら、朝陽は顔をしかめる。
一番仲の良い、千昭の前だからこそ相談できることだった。
弱さを曝け出し、その上で意見を求める。
朝陽からファミレスに誘ったのも、たった数日で耐えられなくなったからだ。
冬華がいない日常に、心に穴が開いた思いがする。
その穴を埋められるのは、他でもない冬華しかいない。
「もう答えはでてると思うけどな」
千昭は穏やかに微笑むが、朝陽は笑えたものじゃない。
「答えがでないから悩んでるんだろ」
「そう言うと思って、今日は強力な助っ人をお呼びしました」
聞いてない、と朝陽が言うより早く背後に気配がした。
振り返るとそこには、茶髪と金髪が仲良しこよしで隣り合っている。
「やっほー! 恋のことならおまかせ、ひなちゃんとー?」
「あすちゃんでーす!」
日菜美と明日香、元気いっぱいな女子二人組の登場に、朝陽は目を丸くして千昭は愉快そうに笑った。
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