第27.5話 氷の令嬢と家政婦の存在
【前書き】
本エピソードは書籍版からの逆輸入です。
話の展開上、web版でも触れておく必要があるので投稿しました。
他にも書籍オリジナルエピソードがありますのでお楽しみです(9月30日発売、Twitterにて書影が公開されています)。
【本編】
クールで素っ気ないお隣さんとお互いの得意分野を教え合う関係が始まってから数日後。
夕飯の買い出しからマンションに戻った朝陽は、冬華が住む部屋から見知らぬ女性が出てくるのを見た。
背丈が高く、朝陽と同じかそれ以上はあるかもしれない。スレンダーなスタイルと相まって、ビジネススーツがよく似合っていた。
「はあ……」
女性は氷室と書かれた表札に目を向けて、セミロングの黒髪を控えめにかきあげた。小さなため息はイラついた気持ちを吐き出しているように思えたが、何かを心配しているように見える。
(氷室の母親か?)
真っ先に家族の存在を思い浮かべたが、それにしては顔が似ていない。母親ではないとすると、親戚だろうか。女性の正体はわからないが、家から出てきた以上は冬華と近しい関係にあるはずだ。
「こんばんは」
女性は朝陽に気付くと軽く会釈をした。
「……こんばんは」
朝陽も挨拶を返し、さっさと自分の部屋に戻ろうとする。
「もしかして、あなたが火神朝陽くん?」
「……どうして俺の名前を?」
「冬華お嬢様に聞きました」
女性は朝陽の顔と火神家の表札を交互に見て、「なるほど」とひとりでに納得した。
しかし、朝陽は全く状況を飲み込めていない。冬華お嬢様、という呼び方が気になって仕方がなかった。
「申し遅れました。わたくし、氷室家の家政婦を務めさせていただいている、
困惑気味の朝陽に気付いたのか、香織と名乗った女性は丁寧に自己紹介をした。オフモードから切り替えたのか、口調はテキパキとしたものになっている。
どうやら冬華が令嬢だという噂は事実らしい。突然現れた家政婦の存在は、冬華の育ちの良さを裏付けしていた。
「冬華お嬢様をよろしくお願いします。あの方は冷徹で、冷酷だと思われてしまうかもしれませんが、本当は繊細で傷つきやすいから……」
香織はそれだけ言って、深々と頭を下げた後に、朝陽の横を通り過ぎた。
(よろしくと言われてもな……)
頼られたところで何をすればいいのか全くわからない。現状、朝陽に出来るのは、料理を教えることくらいだった。
「繊細で傷つきやすい、か……」
香織の言葉を思い出しながら、朝陽はゆっくりと自宅の鍵を回す。それと同時にガチャリ、とお隣の鍵が開く音がした。
「よっ。今、買い出しから帰って来たとこ」
「お、お疲れ様です……」
時計を見れば集合時間の五分前を指している。集まるには丁度いい頃合いだ。
「入れよ、寒いだろ」
「……あの」
どこかぎこちない様子の冬華に呼び止められ、朝陽は玄関で立ち止まる。
「先ほど、スーツ姿の女性を見ませんでしたか?」
「見た。氷室の家政婦らしいな」
「どうしてそれを……」
「さっき自己紹介された」
「あの人は……」
小さく項垂れた冬華は、やがて意を決したように朝陽に向き直った。
「火神さん。後で少しお話があります」
***
「で、話っていうのは?」
夕食を食べ終わり、洗い物を済ました後。食休みの時間に朝陽はお預けになっていた話を切り出した。
「話とはあの人……立花さんのことです」
冬華曰く、香織は氷室家の家政婦で間違いないようだ。それもただの家政婦ではなく、氷室家お抱えの家政婦らしく、専属で働いている優秀な人材らしい。
「やっぱり凄いお嬢様だったんだな」
「凄いのは私ではなく父ですけどね……この家に一人で住むことになってから、家政婦を派遣してくれました」
「なるほど、だから一人暮らしでも何とかなったのか」
「……馬鹿にされていませんか?」
「気のせい気のせい」
朝陽が取り繕うと、冬華は小さなため息を吐く。
「立花さんに食事の管理を始め、家事の全般を担当してもらっています。あなたの言う通り、ここでの生活は随分と助けられていますね」
「へえ、そりゃいいな……ん? ちょっと待て」
冬華の話に引っ掛かりを覚え、朝陽はこれまでのことを整理してから口を開く。
「その家政婦がいるなら、どうして今まで頼らなかったんだ?」
朝陽が言う今までとは、冬華が熱で倒れてから今日までのことだ。発熱で倒れた際や手を怪我してしまった間などは、朝陽に頼らずとも家政婦の存在があったはずだ。
今だって、朝陽ではなく家政婦に料理を教わるという選択肢があってもおかしくない。
「それは……ご家庭の都合で、立花さんはしばらく休養を取っていたんです」
「なるほど。じゃあ、さっきのは復帰の挨拶か」
「いえ、むしろその逆です。復帰が長引きそうだと。そして、別の人を雇ってはどうかと言われました」
淡々と説明する冬華からは少し寂しげな表情が伺える。香織が冬華の身を案じていたように、冬華もまた香織に対して何か思うところがあるのかもしれない。
「それで、氷室はどうすんだ」
「私は……立花さんが戻るのを待ちます」
「……家事、大丈夫か?」
「やっぱり馬鹿にしていますね……」
ジロリ、と睨まれ朝陽は思わずたじろぐ。しかし実際、冬華に家事ができるかどうかは怪しい。触れてこなかったが、密かに心配していたことだった。
「立花さんは毎日いるわけじゃありませんから。掃除も洗濯も私がやることだってあります」
「確かに、それはそうだな」
そういうことなら朝陽の心配は杞憂に終わる。ただ一つを除いては。
「食事は?」
「……作り置きしてもらっていました」
「やっぱりダメじゃねーか」
わかっていたことだが、冬華は料理が苦手もとい出来ない。これまで家政婦に頼り切りだったわけで、食事に関してはかなり心配が残ってしまう。
「……あなたがいるでしょう」
「ん?」
「だから……」
覇気のない小さな声に思わず聞き返すと、今度は珍しく冬華が語気を強めた。
「昨日の約束、もう忘れたんですか!」
「ああ、そういうことね」
つまり、料理に関しては任せると言いたいらしい。
「もしかして、このこと家政婦さんに言ったのか?」
「……言いました」
「なるほど、だからよろしくってわけね」
冬華の料理の腕を知っていれば、家政婦さんが心配になる気持ちも十分にわかる。
「家政婦さんの為にも頑張らなきゃな」
「……頑張ります」
どういうわけか、顔を少しだけ赤く染めた冬華はクッションで顔を隠してしまう。朝陽が話しかけても、うんともすんとも言わず。勉強会を始めるまで、冬華はずっとそのままでいた。
【後書き】
現在、第二章を改稿中です。
最新話更新はもう暫くお待ちください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます