第69話 ペアルック
朝陽と冬華が観覧したイルカショーは本日ラストの公演だったようで、同時に閉館時間も近づいていた。
まだまだ泳ぎ足りない魚たちとは対照的に、一通り満足した客足はまばらになり、静まった館内には心地の良いBGMが響き渡る。
「まもなく、閉館のお時間となります」
女性スタッフのアナウンスに急かされ、次々に出口へと向かう家族連れ、カップル、学生グループに老夫婦――そんな老若男女の流れに逆らうようにして、朝陽と冬華は別の目的地と急いで向かう。
二人はもう手を繋いでいない。
人が少なくなって迷子の心配がなくなった……からではなく、ようするに頭を冷やしたのだ。
それは、単なる例え話ではなく、物理的な話。
「まさか、レインコートの内側まで浸水するとはな……」
「イルカさん、張り切ってましたからね……お陰で服がびしょ濡れです」
一番前の席に座った時点でもっと気を付けるべきだった、と後悔しても時すでに遅し。
しっかり者の冬華も珍しくぼーっとしていたらしく、二人で仲良く水飛沫の餌食になってしまった。
まだ身体の内側がじんわりと熱いが、外側はべったりと冷たい。
このままでは体調を崩してしまう可能性があるし、濡れたまま帰宅するのもはばかられる。
そして何より、冬華の服が――
「冬華、これ着てろ」
「えっ……でも、それだと朝陽くんが……」
「いいから」
「……ありがとうございます」
多少強引に上着を押し付けた朝陽は、ぎこちない様子で袖を通す冬華から目を逸らし、無言で目的地へと急いだ。
(透けてるなんて言えないしな……)
本人は気付いていないようだし、行き交う人々も知る由はないだろう。
ほんの少し、目を凝らさなければ見えない程度のこと。
隣に居た朝陽だけが、薄っすらと透けた春物のワンピースの先に、可愛らしい柄の布地を捉えていた。
そんなこんなで、別々の理由から顔を赤くした二人は土産屋の扉を開く。
目的はもちろん、替えの服を買う為。
閉館時間まもない状況で、洋服コーナーを見つけ出した……までは良かったのだが。
「……これしかないのか?」
「みたいですね……」
朝陽と冬華は視線を合わせて、互いに何とも言えない表情を浮かべる。
元々販売されている種類が少ないのか、それとも他は全て売れてしまったのか。売れ残っているシャツは、たったの一種類のみだった。
時計の針に追われているとはいえ、朝陽は思考と行動が一瞬だけ停止する。
お土産用なら迷う必要がないが、二人が求めているのは着替えの服だ。
「……買うか?」
「……買います。お互い、びしょ濡れですし」
「そうだな……」
四の五の言ってられないので、さっさとお会計を済ませて二人は出口の門を抜ける。
そんな中で、朝陽の頭に浮かぶのは、今日何度かすれ違った仲睦まじいカップルの姿。
同じデザインの洋服に身を包んだ男女を見て、自分には到底出来ないと内心呆れる一方で、少し羨ましく思っていた。
(まさか、俺と冬華がペアルックを……)
不本意なことだと分かっていても、意識しない方が難しい。
仄かに頬を熱くした朝陽は、口数が少なくなった冬華と共に、着替えが出来る場所を探した。
「……楽しかったですね」
「……そうだな」
待ち合わせとは違って、帰り道は一緒にということになった。
電車を乗り継ぎ、やがて最寄り駅に着く。
その間、いつもより数段と続かない会話を必死に水族館の感想で繋いだ。
しかし、見慣れた一本道を歩く途中、いよいよ話のネタが尽きてしまう。
「……イルカ、凄かった」
「……そうですね」
どことなくぎこちなくて、隣を歩く距離感も遠い朝陽と冬華。
頭を冷やして冷静になった故に、今日の出来事が一気に押し寄せているのだろう。
初デート(?)で手を繋いで、カップルと間違えられた挙句、二人は同じデザインの洋服に身を包む。
互いの気持ちを知る由もないが、羞恥心でいっぱいであることは何となく伝わった。
「もうすぐ新学期か」
無言の時間に居心地が悪くなった朝陽は、ふと当り障りのない事を口にした。
それに冬華も小さく反応を示したが、もう目の前に帰る家が見え、話は長く続かない。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかった」
「……また、誘ってくれると嬉しいです」
「あ、ああ……もちろん」
別れ際に浮かんだ可愛らしい笑顔が眩しい。
何気ない表情と言葉にまた一つ、恋心が増していく。
そして――
「同じクラスになれたらいいですね」
そう言い残して、冬華は扉の向こうへと消えた。
朝陽もまた、自宅の鍵を回して「ただいま」と呟く。
もちろん、「おかえり」を呟く人は誰もいない。
それを寂しいとは思わないが、少し空虚に感じてしまうのは何故だろう。
さっきまで一緒に居たのに。
またすぐに学校で会えるのに。
もう会いたいと思ってしまうのはおかしいのだろうか。
「……俺もそう思ってるよ」
たった一人の空間で、朝陽はソファに身を投げ出して呟く。
冬華と繋いでいた手が。
冬華とお揃いのシャツに触れた肌が。
冬華の可愛いらしい姿が焼き付いた目が。
溢れそうになる恋心と共に熱を帯びる。
この抑えきれない気持ちをどうすればいいのか。
答えはどこまでもシンプルなのに、正解への道筋がとても難しく思えた。
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