第61話 おあいこ?
どの部活にも所属していない朝陽は基本的に、放課後はすぐに帰宅する。
友達と談笑したり、遊びに行くときを除き、寄り道せずに帰るのが日常だ。
それは、時間を無駄に過ごすのが嫌だとか、早く帰って趣味に没頭したいとかいうわけでもなく。単純に一人の時間を好み、ベッドでだらだらしたいという至って平凡な理由から。
一人暮らしをしている以上、掃除に洗濯、料理などの家事を自分でやる必要があることも、少なからず関係している。
そんな朝陽にしては珍しく、今日は何の予定もないというのに教室に残っていた。
その目的は他でもないバレンタインデーという特別なイベントであり、氷室冬華という想い人の存在だった。
しかし、肝心の冬華が家に帰ってしまったと分かれば学校に残る理由はこれといってない。
暫くイチャイチャを続けるであろう千昭と日菜美と別れ、朝陽は一人教室を後にする。
すると、下駄箱に向かって廊下を歩く途中でふいに名前を呼ばれた。
「火神くん」
振り返ると、龍馬が人の好みを浮かべている。
その両手は、大きな紙袋が二つ引っ提げられていた。
「大変そうだな」
「大変、と言うのは失礼かもしれないけどね。まあ、見ての通りかな」
少し困ったような顔で、龍馬は両手の紙袋を持ち上げる。
その中身は恐らく全て、女子から貰ったチョコレートだろう。
どうやら学年一の人気者というのは伊達ではないらしい。
普段の様子や球技大会から十分にわかることだが、こうして明確な形として見ると再確認せざるを得ない。
「一人で食べられる量じゃないだろこれ」
「そうなんだよね、部活で過度な糖分摂取は禁止されてるし……」
「どうするんだ?」
「もちろん全部食べるよ」
「一年はかかりそうだな。そして大いに太りそうだ」
「みんな僕のために用意してくれたんだし、僕が食べるのが誠意だからね。流石に多すぎるから、家族に分けたりはするよ」
それが当然とばかりに龍馬は小さく笑う。
こういう人が出来ているところも人気の秘密か。
長身で、爽やかで、眉目秀麗で、運動神経が良くて、性格も完璧。確か勉強も得意としていて、よく頼りにされていたはずだ。
朝陽は別クラスで関わりが薄いが、龍馬がとにかく目立つので自然と人となりを知ることになる。
それはまるで、かつての氷の令嬢のようで。
この王子様のような男が冬華を好きだと言っていたのを朝陽は思い出す。
その時は冬華に対する気持ちをはぐらかし、自分には関係ないと達観していたが。
今となっては、強力な恋敵として否応がなく朝陽の前に立ち塞がる。
「そういえば、火神君は氷室さんに貰ったの?」
「……何の話だ?」
「今の話の流れでわかるでしょ」
ほら、と龍馬は大袈裟に両手を上げる。
その仕草が示すものは明らかだ。
「貰ってない」
事実を答えると、龍馬は少し驚くような表情を見せた。
そして、すぐその後に小さな小さな微笑が浮かぶ。
「じゃあ、今日のところはおあいこかな」
どうやら龍馬も冬華からチョコレートを貰っていないらしい。
朝陽の中で、自然と安堵の気持ちが芽生える。
それでも、爽やかに笑っていられる龍馬と気持ちの持ち方で大きな差があるように感じられた。
「それだけ貰えたら十分じゃないのか?」
「まさか。お腹は満たされるけど、心は満たされないさ。火神くんもわかるはずだよ」
「そんなキザったらしい話は理解できないな」
「うっ……自分でも、恥ずかしいことを言った自覚はある」
本人は恥ずかしがっているが、その容姿と性格から然したる違和感はない。
それに、言葉では否定しつつ、内心理解できるところもあった。
朝陽の場合は、満たされない心の中に、モヤモヤとした嫌な気持ちが入り込む。
龍馬は相変わらず爽やかな笑みを浮かべているが、心の中では同じような感情なのだろうか。
一つ確かに言えることは、二人の想い人が同じだということだった。
いつもより少し遅く帰宅して、まずは洗濯物を取り込む。それから一人で夕食を作り、食べて、洗い物をする。
そうして静かな時間が意味もなく過ぎていく。
カーテンの隙間から覗く外の世界はすっかり闇に覆われていた。
「やっぱ来ねえよな……」
無気力にベッドに転がりながら、朝陽はまだどこか期待していた。
しかし、この時間になってしまえば可能性はゼロに等しい。
まさか、チョコレート一つでこんなにも振り回されるとは朝陽も思っていなかった。
もしかすると、距離感が近くなったから貰えるに違いないと、どこかで自惚れていたのかもしれない。
そんな女々しい自分と痛々しい自分に板挟みにされ、朝陽は顔を深く枕に埋める。
このまま眠ってしまおうか。
そう考えたまさにその時だった。
「……まさか」
夢の世界へ逃げ込もうとした朝陽の意識が現実へと引き戻される。
そのきっかけとなったのは、静寂の中に響いた電子音。
朝陽は心を落ち着かせて、ゆっくりと玄関の前に立つ。
鍵を回して扉を開けると、小さな紙袋を両手に持った少女の姿がそこにはあった。
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