第49話 氷の令嬢の絶大な影響

  

 学生にとって、金曜日の放課後は至高の一時と表現しても過言ではないだろう。

 明日になれば、二日間の休日が待っている。

 そんな状況で過ごす自由な時間はとてつもなく楽しいはずだ。


 もちろん、通う学校や所属する部活によっては、そもそも授業があったり、厳しい練習が待っていたりする。


 ただ、少なくとも朝陽にとって、土日は休日で、金曜日の放課後は至高の一時であるはずだった。


「はあ……」

「朝陽、お前……明日の遊園地がそんなに憂鬱なのか」

「ちげーよ、そういう意味のため息じゃない」

「じゃあ、例の朝陽フィーバーの事か?」

「……まあ、そんなとこ」


 最初から分かっていたであろう千昭に対して、朝陽はもうフィーバーとやらに突っ込む気力すら残っていない。

 金曜日の放課後だというのに疲労困憊な様子で、何度もため息をついては人の少ない教室に消える。


 その一見、不機嫌そうに思える態度は、半ば強制的に決められた明日の予定に対してではない。

 寧ろ、久しぶりに遊園地に遊びに行くこと自体は楽しみだった。


 朝陽がいつになくため息が多い理由はまた別の話。


 千昭の言葉を借りるなら、ここ数日の間、朝陽フィーバーが巻き起こっていたのだ。

 それは何も、朝陽がいきなり人気者になったわけではなく、全ては氷室フィーバーの余波。


「火神君って氷室さんとどういう関係なの?」

「おい、裏声で変なマネするな。もう聞きたくない」

「じゃあ、男バージョンにするか?」

「そっちはもっと聞きたくない」


 冬休みを境に明らかに変化を見せた"氷の令嬢"が、唯一下の名前を呼び、他の生徒と比べて距離が大分近い人物。

 そんな生徒が存在し、しかもそれが異性となれば、良くも悪くも多方面から目を付けられるに決まっている。

 

 実際、休み時間の度にクラスメイトだけではなく他クラスからも冬華との関係を聞かれ、つい先程に至っては面識がない先輩からも声が掛かった。


「質問への回答はあれでいいわけ? 毎度、ゲームのNPCみたいに同じ言葉を喋ってたけど」

「だって、そう言うしかないだろ。家が近くて、仲良くなった。それ以上でもそれ以下でもない」

「まあ、嘘は言ってないな。過程を省き過ぎなのは置いておいてさ」


 ニヤリ、と笑う千昭を無視して、朝陽は机に突っ伏した。

 

 黙秘を貫いても怪しまれるし、かと言って全てを話せば余計な噂が立ちかねない。

 結局、当り障りのない回答をくり返すしかないのだ。


 聞けば冬華も同じような質問をされているらしく、その場を収めるのに苦労しますと苦笑いを浮かべていた。


「はあ……」

「マジで疲れてるじゃん。話すのってそんなに疲労溜まるっけ?」

「……会話自体はそんなに。どちらかと言うと、視線がきつい」

「あー、そういうことね」

「分かるのか?」

「そりゃ、少しは分かるさ。俺も時々感じるし」


 互いに明確な言葉にはしないが、朝陽と千昭は意見が通じたようだった。


 確かに、所構わずイチャつくバカップルはそういった視線を少なからず向けられたことがあるのかもしれない。


 すなわち二人が話しているのは、チクチクと背中に刺さる不快な感情について。


「氷室さんは人気者だからな。恋心を抱いている生徒も多い。その中で一人や二人、朝陽を妬む奴もいるだろうよ」

「そいつらの矛先が俺に向く理由が全く分からん」

「それはもう、他の人と比べて二人の距離感が近いからでしょ。友達以上、恋人未満と言いますか。もしくはもう付き合ってるとか」

「んなことねえよ……」

「そうだよな。朝陽と氷室さんは友達だもんな」


 若干、含みを持たせた言い方だったが、初詣の時のようにめんどくさい絡みはしてこない。

 また一つ大きなため息を吐いて、力なくテーブルに突っ伏した朝陽の肩を千昭はポンポンと優しく叩く。


 どうやら本気で苦労を労ってくれているらしく、いつものニヤついた笑みは鳴りを潜めていた。

 

「人の噂も何とやら。みんなが落ち着くのを気長に待とうぜ」

「……そうだな」


 七十五日も経たずとも、余計な詮索や妬み嫉みから解放される日はそう遠くないと、朝陽は確信していた。


 冬華はクラスメイトを始め、ゆっくりと学校に馴染んでいる。

 連絡先には少しずつ新しい名前が追加されているらしい。

 友達だと確信が持てる存在が増えるのも時間の問題だろう。

 下の名前で呼び合う間柄だって、一人、また一人と自然にできるはずだ。


(俺はただ、知り合うのが早かっただけだ)


 人を拒まず、言葉を交わし、微笑を浮かべる――そんな"氷の令嬢"、いや氷室冬華が当たり前の存在として受け入れられる日がきっと来る。


 そして、いつの日か"氷の令嬢"が完全に姿を消す時もきっと。


「……なあ、朝陽。さっき俺、いつか噂が落ち着くって言ったよな」

「ん? ああ、言ってたな」

「すまん、前言撤回するわ」

「……は?」

「いやー、ね。新たなお客さんが来てるもんで」


 ほれ、と苦笑い気味の千昭に促され、教室のドアに目を向ければそこに長身の男が立っていた。

 その端正な顔は今話題沸騰中の大人気俳優に似ていて、イケメンという言葉がしっくりくる。


 朝陽は全く接点がなかったが、顔を見て名前くらいはパッと思い浮かんだ。

 そして、何故この場に訪れたのかも九割方察しが付く。


「火神君だよね? ちょっといいかな」


 ニコリ、と爽やかな笑みを浮かべる男子生徒の名前は山田龍馬やまだりょうま


 一年生にしてサッカー部のエースとして活躍し、女子生徒から熱烈な支持を受ける学年一のモテ男だった。


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