第45話 氷の令嬢とバカップル

  

 正月三が日が過ぎ去り、仕事始めや新学期といった単語が頭にチラつくようになった頃。

 電車を二本乗り継いで向かった神社は既に大勢の参拝客で賑わっていた。

 これでもまだ空いている方らしいが、境内は見渡す限り人で溢れ、少し歩くだけでも気を遣う。


 どこかの誰かさんが「テレビで放送されてた有名な神社に行きたい!」などと言わなければ、近場で簡単に済ませられたものの、三対一の多数決で負けてしまったので仕方がない。 

 そして、その言い出しっぺである元気ガールは案の定、メッセージアプリ上のハイテンションそのままに待ち合わせ場所に現れた。


「ふゆちゃん、あっちにキャンプファイヤーみたいなのあるよ!」

「あれは、お焚き上げと言ってですね……」

「あーっ! 見て見て、テレビで特集されてた狛犬がいる! ふゆちゃん、一緒に行こ!」

「えっ、ちょっ、危ないので走るのは……」

 

 もしかすると、この少女の辞書に距離感という文字は存在しないのかもしれない。

 そんな事を真剣に考えてしまうくらい、日菜美の勢いは凄まじかった。

 それはもう、数日前に吹き荒れた嵐が可愛く見えてくるほどに。

 

「まだ顔を合わせて一時間も経ってないよな」

「駅集合が一時だったから三十分すら経ってないね」

「女子ってみんなああいうもんなの?」

「いいや、あれは例外。友達怪獣ヒナゴンだからなせる業」

「聞いたことねえよ、その怪獣」

「ヒナゴンを知らないのか? 誰とでも友達になれるっていう最強の怪獣だぞ」

「全く知らないけども、そりゃ確かに最強だな……」


 狛犬のもとへ一直線に走り寄る日菜美に引っ張られる形で、冬華も控えめな駆け足で後ろに続く。

 あまりの勢いに大分困惑している冬華だが、不快に感じている様子は全くない。

 最初は緊張と不安で固くなっていた表情も、ようやくほぐれてきたようだった。


 それもこれも、友達怪獣ヒナゴンの力なのだろうか。

 いつの間にか呼び方が変わっていた時など、あまりに自然すぎて二、三回聞くまで気づかなかった。

 

「そういや、朝陽も何かあだ名付けられてなかったっけ?」

「付けられたよ。お前から紹介されて、十秒後くらいに」

「そりゃ最速記録かもしれんな。で、何で今は普通に名前呼びなわけ?」

「俺が全力で拒否した」

「ああ、思い出した。確か、あだ名が――」

「わざわざ言うな。もし日菜美に聞かれたら、また……」


 あだ名で呼ばれるだろ、と続けるつもりだった言葉が途切れる。

 言葉と共に足も止めた朝陽の顔を千昭が不思議そうに覗き込んだ。


「どうした?」

「あの二人、さっき狛犬の方行ったよな」

「そうだな、仲良く走って一緒に……って、あれ」


 千昭もまた、朝陽と同じように途中で何かに気付く。


 二人の視線の先には可愛らしい狛犬の像と、その周りに集まる多くの参拝客。 

 しかし、その中に冬華と日菜美の姿はどこにもない。

 念の為、近づいて探してみても結果は同じだった。

 

 きっと、普段滅多に訪れない神社というロケーションとサプライズゲストの参加が相まって、日菜美は相当テンションが上がっているのだろう。

 後先考えず、冬華の手を取りどこかへ行ってしまったというのは容易に想像できる事だ。


「これって所謂……」

「迷子だな、完全に」

 

 取り残された男二人は状況を理解した後に顔を見合わせ、一方は大きなため息つき、もう一方は楽しそうにケラケラと笑った。




「二人は見つかったか?」

「いーや、ぜんぜん」


 少し目を離した隙に日菜美と冬華とはぐれて十分と少々。

 まだそう遠くには行っていないはずだが、それらしき姿は一向に見当たらない。

 こういう時こそ文明の利器の出番とスマホを取り出せば、電波が微弱で何度試しても繋がらず。

 迷子センターに頼る手もあるが、年齢を考えるとなるべく使いたくはない。


 まさに、八方塞がり。

 リアルウォーリーを探せの始まりだ。


「ったく、お前がちゃんと手綱握っとけよな」

「そんなこと言ったってしょうがないじゃないかー。あのテンションのヒナは流石の俺でもお手上げだよー」

「下手なモノマネはいいから。早く迷子を捜すぞ」

「まあまあ、そう急がんでも。どうせ拝殿の前で落ち合えるって」

「……その根拠は?」

「俺とヒナは以心伝心だから」


 だったら最初からはぐれないでほしいのだが、そんなこと言ったってしょうがない。


 それに、以心伝心かどうかはさて置き、千昭の意見は一理どころか十理あった。

 初詣を目的に来ている以上、拝殿前で合流できる可能性が高いのは確かだ。

 日菜美が同じ思考に行き着くかは微妙だが、少なくとも冬華は信頼できる。


「せっかくだし、ゆっくり歩いて話そうぜ」

「話すって何をだよ」

「それはもちろん、氷室さんの話に決まってるでしょ」


 とりあえず、拝殿に向かう事を決めると途端にいつものニヤニヤ顔が千昭に浮かんだ。

 その表情は、この機会を待っていましたとでも言いたげだ。


「ついに朝陽にも春が訪れたんだ。これを話さないでか!」

「何言ってんだ、今はまだ冬の真っ最中だぞ」

「むむっ、ボケて誤魔化すとは中々腕を上げたようで」

「誤魔化すも何も、ちゃんと話したろ」

「まあねー。朝陽と氷室さんは実は友達でしたーってな」


 そんなドッキリのネタ晴らし的なテンションで言った覚えはないが、正しく伝わっていれば否定する必要もないだろう。

 メッセージアプリを介して何度も説明した甲斐があったというものだ。


 冬華を看病したことがきっかけとなり、互いの利益が一致。

 朝陽が料理を教え、冬華が勉強を教える。

 そんな相互扶助関係を進めているうちに仲良くなったと。


 色々と省いているが、嘘は言っていない。

 和明と透子に説明した時も同じように対応したので、二回目は流石に慣れたものだった。


 ただ、一筋縄ではいかないのがこのニヤついたイケメン、吉川千昭という男だ。

 周りをよく見ていると言えば聞こえはいいが、時に見え過ぎている場合があるので油断ならない。


 実際、今回も千昭はさほど驚いてないようだった。

 まるで、最初から知っていたかのような。あるいは、もうその先も予想が付いているのか。


「ぶっちゃけ、氷室さんのことどう思ってるの?」

「……何が聞きたい」

「そりゃもちろん、好きなのかどうか……って、顔こっわ!」


 どうもこうも、答えるまでもないので朝陽は睨んで牽制しながら無言を貫く。


 両親もバカップルも、何故すぐに色恋沙汰に結び付けるのだろうか。


「何度も説明したよな? 俺と冬華は友達だって」

「いや、分かってるよ。分かってるけど、それを踏まえてどうなのかなーって。じゃ、じゃあさ、好きか嫌いかで言えばどうよ」

「……そりゃ嫌いなわけないだろ」


 ほーん、と憎たらしい反応を示す千昭は放っておいて、朝陽は足早に境内を歩く。

 

 もちろん、好きか嫌いかの二択なら、朝陽にとって冬華は好きの部類に入る。 

 三つ目の選択肢として普通が与えられても、きっと好きを選ぶ。


 ただ、その好きが恋愛的な意味かと言われれば、それは断じて違う……はずなのだが。


 最近、ふとした瞬間に素顔を見せる冬華を好ましいと思うこの気持ちが、否定的な考えに待ったをかけていた。


「まあでも、"氷の令嬢"を溶かしたのはやっぱり朝陽だったんだな」

「……何を根拠に」

「そうしか見えないから。どう考えても、氷室さんは朝陽の影響で変わってるよ」


 二人の空気で分かる、そう笑いながら言われても朝陽の中で何か特別な事をした覚えはない。

 あるのはお節介とお世話を焼いた記憶だけだ。


 そうして、冬華がいつしか笑うようになった。

 他人との接し方を変えようと、大きな一歩を踏み出した。


「俺は何もしてないんだけどな……」

「自分ではそう思っていても、相手は分からんぞ?」


 言われてみれば確かに、クリスマスにも同じようなことがあった。 

 何もあげたつもりはないが、冬華からお返しを貰ったのだ。


 千昭が言う影響とは?

 冬華が言う貰い物とは?


 一体、自分は何を冬華に与えているのだろうか。

 

 長い参道を歩きながら、朝陽は少し考えようとした。 

 しかし、すかさず千昭から質問が飛んで来る。


「まあしかし、何でこのタイミングで俺らに会わせたのさ。こうやって、面倒くさい事になるのは分かってただろうに」

「面倒くさい自覚はあるのな」

「もちろん。朝陽の顔を見れば一目瞭然よ」


 なら大人しく黙ってろ、と言っても意味がないことは知っている。

 それに、千昭の質問はもっともだ。


 千昭と日菜美の前では"ただの隣人"のままで、面倒事を避けることはいくらでもできた。

 そんな中、わざわざ朝陽からこの状況を作り出したのだ。


 実際に今日を迎えてみると、本当にバカップルは騒がしくて面倒くさいし、何かと恋愛に結び付けて来てウザイ。


 それでも、朝陽は二人を凄い良い奴らだと思うからこうして一緒に居る。


「お前らなら、冬華と友達になれると思ったんだよ」

「ほー。詳しくはよう分からんけど、大正解なんじゃね?」


 ほら、と千昭が大きな鳥居の先を真っ直ぐ指差す。


「おーい、二人とも遅いよー!」


 呑気に手を振る日菜美の隣には、苦笑いを浮かべる冬華の姿が。


「多分、二人は私達を探してくれたんですよ」

「えっ、そうなの!? もっと早く教えてよー。これじゃあ私、能天気ガールだよ……」

「それは……相葉さんが楽しそうだったので、野暮なことかなと……」

「ふゆちゃん!」

「ちょっと、いきなり抱き着かないでください!」

「だって、ふゆちゃんが可愛くて優しいんだもん!」


 どうやら、この短時間で二人の距離は大分縮まったらしい。

 日菜美が一方的に近づきすぎている、というのもあるだろうが、冬華も戸惑いながら受け入れているようだ。


 仲睦まじい二人の姿は実に微笑ましい光景だった。


「あれはもう友達って言っていいんじゃないか?」

「……そうだな」


 予想以上に勢いがあったが、朝陽の思惑通り、日菜美は冬華と良い関係を築いてくれるはずだ。

 現に、日菜美と戯れている冬華の表情に明確な変化が見られる。


「氷室さんのあんな顔、俺は初めて見たよ」


 氷の裏に隠れている、穏やかで柔らかい微笑み。

 天使のように可愛らしい冬華の笑顔は千昭を始め、多くの人々の視線を集めた。

 

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