第29話 バカップルの襲来

 

 昼ご飯に昨日の残り物を食べて、気休めに掃除機をかけておくと、丁度部屋全体が綺麗になったところで最近は聞き慣れた電子音が鳴り響いた。


 ピンポン、と一回鳴らせばそれで済むはずが、来客はいたずらに何度も連打しているようで、早くも大きなため息が漏れる。


 これから約半日の間、あと何回ため息をつくことになるか。

 もしかすると、両手の指では数えきれないかもしれない。


 もちろん、何だかんだ言いつつも、楽しみというポジティブな気持ちは大きい。

 ただ、玄関の扉の向こうに控える二人組をよく知っている身としては、これから何も起きないわけがないと嫌な予感がよぎってしまう。


「おっじゃまっしまーっす!」

「お邪魔されまーす」

「おい、お前もお邪魔する側だろうが」


 インターホンが軽く十回以上鳴ったところでドアを開ければ、挨拶代わりの軽い掛け合いもそこそこに、日菜美が一直線にリビングへと突っ込んでいった。


「ちーくんから聞いてたけど、本当に凄く広いし凄く綺麗だ……。わっ、このライト凄いオシャレ! あー、このソファは凄くフカフカって有名な奴じゃん!」


 背中越しに聞こえる日菜美特有の元気で明るい声。

 その姿は明らかに普段の活発さを上回っていて、朝陽は説明を求むと専門家に目で訴えた。


「ヒナはずっと朝陽の家に行きたいって言ってたからな。いつもより数倍テンション上がってんだよ」

「それであのはしゃぎようか……。騒音で近所に迷惑が掛かるのは御免だぞ」

「任せとけ、そうなる前に俺が止めるからさ」

「是非ともそうしてくれ。俺じゃ日菜美は制御できん」


 万が一、隣の部屋まで声が響くとなると、ただでさえ昨日の一件で拗ねている冬華の機嫌をさらに損ねてしまう恐れがある。


「本当、いざとなったら頼むぞ千昭」

「それは分かってるけど……やけに釘を刺すんだな」

「……何だその目は」

「いーや、ねえ? お隣さんに気になる人でもいるのかと」

「どういう思考回路をしてたらその発想に至るんだ?」

「うわっ、顔が怖い怖い……ほんの冗談だって! 朝陽はご近所付き合いとか気にするタイプじゃないから違和感覚えただけ!」


 お許しを、なんて情けない声を千昭は発しているものの、その考察はかなり的を射ているので、睨みをきかせながらも状況的に追い込まれているのは朝陽だった。


 本当に、千昭が時々見せる鋭い指摘は思わず頬が引き攣りそうになる。

 その思考力を恋愛脳に全振りするのではなく、できることなら勉強面に使ってほしい。


「妙な詮索をするな。お前が想像するような相手はどこにもいねーよ」


 千昭は基本的に嫌がる姿勢を見せれば引き下がってくれる。

 今回も出せる限りの低い声で牽制すれば、両手を挙げて降参のポーズを取り、「すいませんでした」と素直に謝罪の言葉を口にした。


 絶対に、口が裂けても隣に冬華が住んでいるなどと教えるわけにはいかない。

 毎晩夕食を共にしていることや、勉強を教えてもらっていることなどなおさらだ。


 万が一バレることがあるようなら、引き際をわきまえている千昭といえど根掘り葉掘り聞いてくるだろう。

 全てを聞くまで返さない、そんな脅しをされるような予感さえする。


 朝陽としても、こればっかりは不機嫌モードで乗り切れる気がしないので、千昭の目聡い指摘は冷や汗ものだった。


 そして、背後から近づいて来た騒がしい足音に再び冷や汗が全身から流れ出た。


「何々、朝陽に好きな人ができたの!?」


 リビングを堪能し終わった日菜美が目を輝かせて玄関へと戻って来るのを見て、朝陽は三度目のため息と共に思わず天を仰いだ。


 


「朝陽ー、ゲーム飽きたー!」

「飽きたって言われてもな。俺の家には何もないって散々言ったろ」

「ぶー、確かにそうだけど……本当に何もないんだね」

「そうなんだよ、朝陽の家には何もないんだよ」

「家主が言う分にはいいけど、お前らが言うと大分失礼だからな?」


 だってー、と懲りずに文句を並べる日菜美はコントローラーを床に置き、ふらふらと立ち上がったと思いきや隣の千昭の膝上に収まった。


「おい、イチャイチャは禁止っていったろ」

「……これは最近話題の人型ソファーだからセーフ」

「その最新型ソファーは可動式なんだな」

「そうなんだよ、座った人を包み込んで温めるっていう」


 どうやらお喋り機能付きらしい千昭改め最新型ソファーは、日菜美の小さな身体を全身で抱きしめている。


 これをイチャイチャと呼ばずに何と言うのか、記念すべき十回目のため息をついた朝陽は部屋の時計に視線を移した。


「……そろそろ夜飯の買い出しに行くか」

「賛成賛成大賛成! ナイスアイディアだよ朝陽!」

「よっしゃ、本日のメインイベントがいよいよ始まるぜ!」


 先程までぐだーっとしていた二人のテンションが急に高くなったことを少し嬉しく思いつつ、朝陽は早速玄関へと向かう。


「リクエストはハンバーグでいいんだよな?」

「うん! それもチーズが乗ってるやつね! 楽しみに待ってるから!」

「夜道は危ないから気を付けろよー!」

「何で留守番しようとしてるんだ、お前らも行くんだよ」

「ちょっ、分かってるって! これも冗談だから怖い顔をしないで!」


 千昭と日菜美は本当に冗談だったのか、少しギクッとしたように思えたが、間違っても二人を家に残すなんてことは絶対にできない。


 冬華が持ち込んだお皿やコップの類は食器棚の奥の方に仕舞ったし、置いていった名前入りの参考書も隠しておいた。

 玄関のブローチは見つかれば面倒くさいことになるのが目に見えているので、昨夜のうちから洋室のタンスの中へ。


 万全に万全は期したが、監視の目がないことには不安はどうしても拭えない。


「ほら、早く行くぞ」

「はーい、今行くー!」


 外行きの準備を軽く済ませた二人がすぐに後ろを追ってくるの確認して、朝陽は玄関の扉をゆっくりと開けた。


「あっ……」

「えっ……」


  透き通るような綺麗な声と、間抜けな低い声が同時に外に響く。


  朝陽の目に映ったのは、スーパーの袋を片手に廊下を横切るグレージュの髪の持ち主。


  咄嗟の判断で、朝陽は最悪のケースを回避すべく、後ろを振り返って静止を促そうとした。


 しかし、時すでに遅く、目を見開いて口をあんぐりと開けた千昭と日菜美の声にならない声が息ぴったりに響き渡った。


 

 

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