第16話 氷の裏に潜む本心



 ごちそうさま、と両手を合わせた後、朝陽は洗い物をするため直ぐにキッチンへと向かった。


 クールで素っ気ない美少女との勉強会が控えているといったような特別な事情が無い限り、食事後の食器はなるべく早く洗浄したほうがいい。

 汚れが浮いている内に洗えば手間が省けるし、シンクを清潔に保つことができる。


 理想としては、調理しながら使用した調理器具を洗うことだが、これは何を作るかによって可能不可能が分かれてしまう。


 今日は炒め物だったために手を離す時間が無く、シンクにはそこそこの数の洗い物が控えていた。


「……で、何で氷室はまだうちに居るんだよ」

「夕食をいただいて直ぐに帰るほど、図太い神経は持ち合わせていません」

「別に気にしなくていいけどな。こっちは材料費負担してもらってるし」

「それは当たり前のことです。手の怪我さえなければ私が洗い物をしたいくらいなのですから」

「手の怪我がなければ、そもそもこの状況が有り得ないと思うぞ」

「……確かに、そうですね」


 どうやら洗い物が終わるまで家に居るらしい冬華は、ソファーに座って持ち込んだ小説のページをめくっていた。


 表紙とタイトルからして恋愛小説なのは間違いないが、どうも冬華のイメージと合わない。

 休み時間は恋愛小説を読むことが多い、と"氷の令嬢"の噂が流れてきたときも同じ違和感を感じたし、実際クラスメイトも騒ぎ立てていた記憶がある。


「相合傘の知識も小説からか?」

「……そうですけど、何か?」

「"氷の令嬢"も恋愛小説を読むんだなと思っ……て」

 

 手を動かして洗い物をしながら、暇をしている口で会話をする。 

 冬華との距離がほんの少し、心身ともに近づいている間にどうせなら色々と聞いてみようとした矢先だった。


 "氷の令嬢"と言葉を発した瞬間、冬華の表情が僅かながらに強張った。

 

「すまん、悪気はなかった」

「……いえ、いいんです。私が何と呼ばれているかくらいは知っていますから」

 

 素直に謝罪の言葉を口にすれば、冬華は小さく首を横に振って直ぐに元の表情に戻る。

 ただ、一瞬だけ感じた凍てつくような冷たい悪寒は暫く消えることがなかった。

 

 誰に対しても極端に距離を取り、必要以上の会話はせず、表情はいつも真顔のまま変わらない、氷の様に冷たいお嬢様。


 今では学校中に広まっているあだ名だが、本人が聞いて気のいいものではないのは確かだ。


「そんなに気に病まなくても。私だって火神さんをお節介過ぎる隣人だなんて呼びましたし」

「それとこれとは違うっていうか……」

「私は気にしていませんよ。全て事実ですし、自分でそうしていますから」


 特に何も考えずに口にしてしまったことを反省していると、何故か冬華がフォローをしてくれた。 


 そのフォローを聞いて、改めて冬華が自ら"氷の令嬢"として振る舞っていることが気にかかった。


 しかし、過去の事を根掘り葉掘り聞くつもりはないし、聞くこともできない。

 代わりに朝陽は一つの単純な疑問を投げかけることにした。


「……俺はいいのか?」

「どういうことですか?」

「今まで誰とも関わろうとしなかっただろ。俺はどうなのかと思って」

「……当然、私はあなたとも関わるつもりはありませんでしたよ。それなのに、あなたが……」

「ああ、そうか。俺が無理やり勝手に近づいたのか」

 

 思い返せば、冬華は高熱で倒れた時ですら他人と関わることを拒んでいた。

 私に構わないでください、とはっきり朝陽は告げられていた。

 

 その主張を無視して朝陽は冬華を看病する道を選んだからこそ、他にも何かとお節介を焼いたからこそ今がある。


「お節介過ぎて悪かったな」

「……そこに関しても謝る必要はありませんよ」

「そうか? いい迷惑だろ実際」

「自分で言うことですかそれ……」


 何度か善意の押し付けをした自覚はあるので、迷惑に思われても当たり前だと朝陽は思っていた。

 今日は素直に申し出を受け取られたものの、そもそも"氷の令嬢"は話し掛けられることすら好まないはずだ。


 そこまで分かっていてもついお節介を焼いてしまうのだから、感謝されるとは微塵も思っていない。

 

 ただ、結局は受け取り手の印象に全ては委ねられる。

 この法則が適用されるのは何も悪い印象だけではない。


「……迷惑、とは思っていません。寧ろ……あなたには感謝していますよ。色々と、その……助けられて、います」


 冬華は呆れた様子で小さくため息をついてからゆっくりと口を開いた。

 

 顔を背けられてしまい、途切れ途切れの言葉と共に浮かんだ表情と雪の様に白い肌を染めた色は見ることができない。


 唯一、分かったことといえば、冬華の声音に確かな温もりが感じられた。


 隠すことなくストレートに伝えられた冬華の本心に、朝陽は暫く洗い物を終えたことを告げるのを忘れ、ただただ呆然とその場に立ち尽くしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る