第5話 突然の訪問
「なあ、聞いたか朝陽。さっき、隣のクラスの――」
「聞いてない」
土日が明け、週初めの月曜日。
小さい頃からの付き合い故に親しい友、つまりは親友と呼べる仲である
「まだ何も言ってねえよ」
「どうせくだらない事だろ。テスト勉強の邪魔すんな」
「それはどうかな。あの"氷の令嬢"の話だぜ」
聞き覚えのあるワードにピクッ、と耳が反応し、思わずノートに走らせていたペンが止まる。
脳裏に過るのは三日前の出来事。
あれから土日を挟んだ甲斐あって冬華は体調が回復したらしく、普通に学校に登校しているのをちらっと見た。
「おっ、興味出た?」
「……別に」
「嘘つけ、ちょっと気になってるだろ」
こういう時、無駄に目聡い千昭に図星を突かれると返す言葉がない。
しかし、認めるのも癪なので無視を決め込めば、千昭はニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべて勝手に話を始めた。
「隣のクラスの山田が氷室さんに告白したんだってさ」
「……で」
「やっぱ気になるのな」
「うるさい。早く続けろ」
「へいへい……それはもう見事に振られたらしい。取り付く島もないって感じ」
あのイケメンでも無理かー、と千昭が言葉を付け加える。
面識はないが、山田のことは朝陽も少しだけ知っていた。
一年にしてサッカー部のエース、そして有名俳優似のルックスともなれば、風の噂で嫌でも耳に入ってくる。
密かに"氷の令嬢"と釣り合うのは山田だけとも囁かれていたはずだが、どうやら見当違いだったらしい。
「今の性格でこんだけモテるんだもんなー。想像できないけど、もし氷室さんが人懐っこかったら……」
「もっとモテるだろうな」
「そうそう……って朝陽がこの手の話に乗ってくるの珍しくね? まさか、お前。氷室さんのこと――」
「断じてない」
あらぬ疑いを掛けられそうになったので食い気味で強めに否定すると、ニヤついていた千昭ががっくりと肩を落とす。
この男は恋バナが大好きな女子さながら、何でもかんでも恋愛に結び付けるので油断ならない。
今も少し口走っただけでもこの調子だ。
きっと"氷の令嬢"が隣に住んでいる何て知られた日には、暫くニヤニヤ顔が絶えず、面倒くさい事になるのだろう。
ベッドに寝かせて看病をしたなどとは猶更、口が裂けても言えるはずがない。
「……朝陽も早く恋をして彼女作ろうな」
「それ俺じゃなきゃ殴られてるぞ、彼女持ち」
どこか得意気で上から目線の千昭に軽くグーパンチをお見舞いすれば、結局殴られてるじゃねーかと楽しそうな笑い声が響いた。
放課後、図書室で勉強をしていた朝陽は家に帰るのが少し遅くなった。
外はすっかり暗くなっているが、これでも洗濯物や夕食の事を考えて早めに切り上げた方だ。
お陰でまだ今日分のノルマが終わっておらず、しかも自力では解くことが出来ない難問がいくつか野放しになっている。
ベランダに干してある衣服を回収し、丁寧にたたみながらも気持ちはやり残した数学の問題へ。
朝陽は一人暮らしの条件として一定以上の成績を収めることを両親と約束しているので、どうしても定期テストに対する努力は怠れない。
元々勉強が嫌いな性格ではない為に苦ではないが、最近は高校から履修する新単元に苦戦しているのが現状だった。
(夜飯の前に一問だけ解くか……)
洗濯物を収納し終わった後、キッチンには向かわず机にノートを広げる。
ピンポン、と来客を告げるインターホンが鳴ったのはその時だった。
一瞬、千昭の顔が思い浮かんだが、直ぐに可能性を否定する。
しょっちゅう家に来ることは確かだが、連絡をせずに突然押しかけてくるなんてことは一度もない。
とは言え、他に訪ねてくる友人など限られているし、宅配便や出前を頼んだ覚えは全くない。
いよいよ来訪者が誰か分からなくなり、朝陽は足音を殺して玄関のドアへと向かった。
万が一、不審者だったら居留守を使う。
そう決めて、恐る恐る覗き穴に目を近づけた先に見えたのは、夜風にグレージュの髪を靡かせる"氷の令嬢"の姿だった。
「どうした急に」
内心渦巻く驚きの気持ちを隠して扉を開けると、私服姿の冬華が少し落ち着かなそうに立っていた。
何回かマンションで見かけたことはあるものの、見慣れた制服とは違いラフな格好の異性に対して目のやり場に困るのが思春期男子の苦悩だ。
「これ、受け取って下さい」
「……何これ」
「先日のお礼です」
朝陽が右に左に忙しく視線を泳がせていると、目の前に白い封筒が差し出された。
先日が何が差すのかは分かり切ったことだが、お礼と言われても今一つピンとこない。
一体何だと首を傾げながら中身を確認すると、一枚の福沢諭吉がひょっこりと姿を現した。
「受け取れねーよ。こんなに働いた覚えはない」
「そうはいきません。火神さんが使った時間と労力に対価を払わなければ不公平です。それに、冷却シートや氷枕、スポーツドリンクだって……」
一つ一つ経費計上のように単語を挙げていく冬華に朝陽は思わずため息を漏らす。
(借りは返すってそういうことかよ……)
ここに来て、噂話に過ぎないと思っていた"氷の令嬢"の令嬢部分が顔を出すとは予想外だった。
律義と言えば聞こえはいいが、それにしても金銭感覚が朝陽のそれとは大分違う気がする。
「とにかくこれは受け取れない。俺は善意でやったんだ。対価なんてこれっぽっちも求めて無い」
「で、でも……」
当然、受け取れるはずが無い封筒を無理やり押し返すと、冬華は分かりやすく狼狽えた。
突然の訪問も、普通に会話していることもそうだが、熱は引いているはずなのに"氷の令嬢"の氷部分が消えている。
いつもは大人びた美しさをたたえる感情の読めない真顔も、今では困惑と焦燥の色が浮かんでいた。
借りを作ることが相当嫌なのか、気にしなくていいと伝えても冬華が帰る様子がない。
「……確か氷室って勉強できるよな」
「勉強、ですか? まあ、それなりには……」
封筒を受け取る選択肢は有り得ないとして、このままでは借りを帳消しにする何かしらの代案を提示しないと冬華の気が収まらない。
そう判断した朝陽は、咄嗟の思考で一つの妙案を導き出した。
「俺に勉強を教えるってのはどうだ。それで看病した件は帳消しだ」
「……そんなことでいいのですか?」
「もちろんだ」
それなりにはと本人は言っていたが、冬華は一学期の中間、期末と断トツで一位の成績を収めているはずだ。
その冬華に勉強を教えてもらえれば、一石二鳥で今直面してる問題が片付く。
「……わかりました」
力強く肯定の意を示せば、少し納得がいかない様子ながらに冬華はコクリと頷いた――ここまでは互いに齟齬は無かったはずだ。
「それではお邪魔します」
「……え?」
朝陽と冬華の間ですれ違いがあったのは、
目を丸くして間抜けな声を発する朝陽の横を通り過ぎ、冬華は迷い無く玄関に歩を進めた。
「何を驚いているのですか。あなたが勉強を教えて欲しいと言ったのでしょう?」
「……そうだな」
確かにそうだが、想定が大分違った。
朝陽は日を改めて、教室や図書館で教えてもらうつもりだった。
それがまさか今から自分の家で勉強会が行われるなどとは全くの予想外。
("氷の令嬢"はどこいったんだよ……)
思わぬ形で訪れた他人を拒絶し、心を閉ざしているはずの"氷の令嬢"との交流に、朝陽は不思議な気持ちでその華奢で小さな背中を見つめた。
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