第3話 氷の令嬢と透明な雫

 

 頑なに帰りますと主張していた冬華だったが、玄関でまた倒れそうになり、さらにはお腹の音がもう一度鳴った事で最終的には朝陽の部屋に戻ることになった。

 

 素直に自ら移動してベッドで横になったあたり、身体に限界が来ている事を察しているのだろう。

 傍から見てもその体調の悪さは一目瞭然で、この状態で学校に登校していたことが信じられないほどだ。


「もう振り向いていいか?」

「……どうぞ」

 

 ピピピピ、と小刻みな電子音が鳴ってから数秒待ち、確認をしてから振り返る。


 冬華に貸した体温計を回収してその小さな液晶画面を見れば、三十八度四分と表示されていた。

 今から病院に駆け込むほどの緊急性はないが、かなり高い数値であることは間違いない。

 相当な根性と精神の持ち主でなければ、一人であれこれと動けないはずだ。


「よくこの熱で大丈夫とか言ってたな」


 ちくりと皮肉をこぼすと、冬華は何も言わずに視線を逸らした。

 その姿は実に弱弱しく、"氷の令嬢"の姿は完全に鳴りを潜めている。

 

 こうなると責めるに責めれず、文句の代わりにため息を吐くしかない。

 

 仕方なく、朝陽は色々と言いたいところをぐっと堪えて話題を変えた。


「食欲はあるんだよな。雑炊でいいか? 十分ちょっとできるけど」

「……火神さんが作るのですか?」

「他に誰が居るんだよ。それとも、男が作る料理は信用できないとかか?」

「そういう偏見はないですけど……」


 またしても少しばかり強い言葉と口調になってしまったことを反省しつつ、なら横になって待ってろと、強制的に会話を切り上げて朝陽は洋室を後にした。

 

(名前は知られてたのか)


 同じ学校の生徒である上に隣人ともなれば名前くらい覚えられていても不思議ではないが、それが"氷の令嬢"となると話が違う。

 彼女の性格上、他人の名前など興味がないだろうと思っていた故に、自分の名字を呼ばれたのは朝陽にとってかなりの驚きだった。


 とは言え、そこに特別な意味などある訳がないので意識するだけ馬鹿らしい。

 

 なるべく早く料理を完成させるよう心掛け、朝陽は手を動かすことで雑念を捨てた。



 

 コンコン、と二回ノックしてから洋室に入ると冬華は大分辛そうにしていた。


 頬は目に見えて火照っているし、身体を少し動かす姿を見ても苦痛に耐えているのがよく分かる。


「雑炊できたけど食べれそうか?」


 アレルギーや好き嫌いはないとのことだったので、まろやかな甘みが広がるたまご雑炊にしてみたのだが、問いかけてみても言葉は返ってこない。


 一応食事を取る意思はあるらしく、冬華はゆっくりと身体を起こして手を差し出して来た。


「熱いから気を付けろよ」


 食べやすいように少し冷ましたとは言え、白と黄色が入り乱れる小鉢からはまだ湯気が立ち上っている。

 念の為に注意をしてから器を手渡すと、受け取った冬華はまじまじとその中身を見つめ始めた。

 

「どうした、変な物は入れてないぞ」

「……わかっています」

「なら、早く食べて身体に栄養を回せ。体力を回復させるにはそれが一番だ」


 そう俺の爺ちゃんが言ってた、と最後に言葉を付け足して話を終える。

 

 相変わらず反応は鈍いものの、どうやら忠言は聞き入れてくれたようで、数秒ほど固まった後に冬華は丁寧に両手を合わせた。


「……いただきます」 


 か細い声と共に冬華はスプーンに手を伸ばし、そのまま雑炊を掬って小さな口元に運び入れる。

 朝陽はその様子を真顔で見つめながら、冬華が咀嚼し終えるのをじっと待った。


 調理過程で失敗をした覚えはないし、料理自体にも相当な自信がある。

 一人暮らしは寂しいだろうとそれっぽい建前を並べて何度も泊りに来る親友にも、本音はお前の絶品手料理を食べたいからだと太鼓判を貰っている。

 

 しかし、朝陽にとって同級生の女子に料理を振る舞うのはこれが初めてのことで、それ故にかなりの緊張感を伴っていた。


「……どうだ?」


 ごくん、と冬華が一口目を喉に通したところで、すかさず朝陽は感想を求めた。

 なるべく真顔を保とうとしているが、どうしても不安が拭えず表情に出てしまう。


 美味しいと言われれば当然嬉しいし、不味いと言われればかなりショックだ。


 そんな二つの気持ちが胸の内で混ざり合うが、口を開いた冬華が発したのは思いもよらぬ言葉だった。


「……あれっ……どうして……」


 困惑した声で静かに呟いた冬華の目には大粒の涙が浮かんでいた。

 スプーンから手を離して涙を拭うが、頬を伝う透明な雫は一向に止まる気配がない。


「……そんなに不味かったか?」


 がっくりと肩を落とした朝陽が問いかけると、冬華は涙を流しながらかぶりを振った。


「いえ……違うんです……」

「じゃあ何で」

「……何だか……その……」


 ――懐かしくて。


 ほとんど声にならなかった冬華の言葉を朝陽は確かに聞いた。


 どういう意味かは分からなかったものの、とてもじゃないが聞き返せる雰囲気ではなく、朝陽は無言で冬華が泣き止むのを待った。


 結局、冬華の涙が枯れるまでに十分もの時間が過ぎ、その間に作り立てだった雑炊はすっかり冷めてしまっていた。


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