追憶のインティリア
連海里 宙太朗
第1話 エリーネと『インティリア』
窓から見える青空には、巣立ったばかりの若鳥が、アトランティスの風を感じるように翼を大きく広げていた。
縫いつけられたようにベッドに横たわり、腕を上げることも辛くなってきた頃、あの若鳥は卵から孵った。無事、大空へと旅立っていく姿を見られるまで命を永らえたのは幸運なことだったのだろう。
頭を少し上げただけで息が切れてしまう。小さくため息を吐き、ベッドに深く体を預けた。心地よい風が部屋の中に流れ込み、潮の香りが感じられる。
この命が潰えた時、エリーネはきっと酷く悲しみ、傷つくだろう。
もっと一緒にいたかった。伝えたいこともたくさんあった。自分自身、やりたいこともまだまだある。悔やんでも悔やみきれない気持ちは溢れ出して止まらない。
すべてを置いていくのは、この身が引き裂かれるよりも辛い。
再び、窓から外に視線を向ける。
もう一羽。同じように巣立ちを終えた若鳥が大空へと飛び立ち、仲良く二羽で高いところへと羽ばたいていった。
その光景を見て、口の端が緩む。
きっとエリーネは大丈夫だ。
過去に捕らわれ、悩み苦しむこともあるだろう。でも、小さな体に宿った強い心は、必ずエリーネに未来への一歩を歩ませてくれるに違いない。
――私の子なのだからきっと大丈夫。
ふっ、と体から力が抜け、強い眠気に包まれる。
アトランティスに祝福を。エリーネに出会わせてくれたことに感謝を。
吹き込んでくるアトランティスの優しい風を感じながら、静かに目を閉じた。
いつもより潮の香りを含んだ風が、エリーネの工房に吹き込んできた。
カーテンの隙間から陽の光が差し込み、少しだけ散らかった部屋の中を明るく照らす。
黒く変色した年代物のイスの背もたれに体を預けながら、夢の中にいたエリーネは潮の香りに小さな鼻をひくつかせると、ぼんやりと瞳を開いた。
眩しそうに目を細め、大あくびをしながら木の作業台の上にある時計に視線を向ける。
エリーネの母親が十歳の誕生日にと、制作してくれた時計だ。手のひらほどの大きさの木の枠に魔法で作られた透明な結界が張ってある。内部にはこれまた魔法で作られた控えめで美しい輝きを放つ三本の針が、五年経った今でも少しも狂うことなく正確な時を刻んでいた。
そんな思い出深い時計を見ていたエリーネの表情が、段々と驚きに変わっていく。
「……まずいっ! 寝すぎちゃった!」
反射的にエリーネが立ち上がると、勢い余ったイスが後ろへと倒れてしまう。
慌てながらもエリーネは工房の一階へ降りていこうとする――が、くるりと作業台へと向き直ると、
「ああ……もう! これ忘れちゃだめだよ」
おっちょこちょいな自分に呆れながらも、作業台の上に置いてあった指の先くらいの大きさの置物を手に取った。
『インティリア』と呼ばれるその置物に触れると、内包された『核』から僅かに波紋が広がった。内部の壁にぶつかり小さな波紋となり、インティリア内部で幻想的な文様を見せる。核を中心に外壁は魔法の結界で覆われており、一見ガラスのようにも見えるが結界で覆ってしまえば、外部からの衝撃で壊れることはない。
エリーネが自ら製作した物だ。
大事そうにインティリアを腰のポーチに納めると、エリーネは足早に工房のドアへと歩いていく。
途中、ドアのところにある鏡を見たエリーネは、不満そうにほっぺたを膨らませた。
「あーもう! なんでこんなところに寝ぐせついてるかな」
ぴょん、と天井に向いている前髪を手で無理やり押し付けるが、何度撫でつけても収まる様子はない。鏡を睨みつけてもどうにもならない。
父親譲りの硬い髪質は、すぐ寝癖がついてしまうが特別嫌いというわけではない。その代わり、母親譲りのきらめくような栗色の髪色はエリーネの自慢だ。意志の強そうな力強い瞳は父譲り。きめ細かい肌と、形の良い唇は母譲りだ。
鏡のすぐ横に置いてある写真立てには両親と幼いころのエリーネが笑顔で映っていた。
「それじゃ……お父さん。お母さん。今日も一日頑張ります」
エリーネは収まらない寝ぐせを気にしつつ、一階へと降りていった。
「シズネさーん! 起きてる?」
エリーネは階段を駆け降りると、一階のリビングにあるソファで倒れこんでいる同居人に声をかけた。
シズネと呼ばれた同居人は、ソファに突っ伏しぴくりとも動かない。水を含んだような艶やかな黒髪は、床に流れ真っ黒な滝のようだ。同じように投げだされている腕は滑らかで、蝋で作った彫刻のようにも見える。
ワンピースから覗く肉付きの良い真っ白な足を見ていると、女のエリーネでも照れてしまう。
エリーネは一つ、咳ばらいをした後、
「またそんな恰好で寝ちゃって……ねぇ、シズネさん。完成したインティリア。ちょっと見てほしいんだけど」
シズネの肩を揺さぶると、人形のように頭がガクガクと揺れ、同時に酒の匂いが漂ってきた。
うつろな表情でエリーネを見る瞳はうっすらと涙に濡れており、王室に献上する宝石にも引けを取らない。大人びた表情はエリーネには出せない色気を感じることができる。ただ、二日酔いなのか顔色は真っ青だ。
「あ……あた……あたま、ゆらさ、ないでぇ……」
か細い声でシズネはエリーネに懇願した。
「また、朝まで飲んでたんでしょ? こんなところで寝てたら風邪ひくよ? いつもいつも言ってるのに……」
「うう……あんまり耳元でしゃべらないで……」
そのままシズネはエリーネに背を向けブランケットをかぶってしまう。
「ちょ! ちょっと、シズネさん二度寝しないでよ!」
同居人であるシズネは、十年ほど前にインティリアの職人にあこがれ、押しかけるようにエリーネの母親の弟子になった。エリーネは幼かったため、その時のことはあまりよく覚えてはいないが、シズネのあまりの剣幕に少し怖かったことだけは覚えている。
そんな出来事も昔のことだ。インティリア職人としてのシズネは尊敬しているが、目の前にいる二日酔いの姉弟子を見ていると、なんだか蹴り飛ばしたくなってくる。
「せいっ!」
さすがに蹴ったりはしないが、エリーネは頭から被っているシズネのブランケットを勢いよくはぎ取った。丸まって青い顔をしていたシズネがエリーネを恨みがましく睨んだ。
「もぉ……わかったから」
シズネはだるそうに腕を伸ばすと、エリーネの鼻先で指をくい、と動かす。
エリーネはにこりと微笑み、ポーチからインティリアを取り出すと、シズネの手の上に置いた。
シズネは小指の先ほどのインティリアをつまむと、寝転がったまま陽の光にかざして目を細め、いろんな角度からインティリアを見渡す。
「エリーネにしては上手くできてるね」
先ほどの仕返しだ、と言わんばかりにシズネはエリーネを皮肉った。
エリーネはシズネの反撃に何も言い返すことができずに、頬を膨らませた。
普段のシズネはだらしなくはあるが、インティリア職人としての技術はエリーネを凌駕する。
「このインティリアって誰の依頼品?」
シズネは気だるそうに前髪をかきあげると、大あくびをした。
「ん。おじさんが私に依頼してくれたの。十個も。なにに使うんだろうね」
インティリアはその美しい輝きから、台座をつければ部屋を彩り、目を楽しませる家具になる。装飾品にも加工でき、アトランティスの女性からは評判がいい。
「ふーん……ホルストさんのね……。ちょっと全部見せてみて」
シズネは足を振り上げると、反動でひょいっと起きあがった。まだ酒は抜けきってないらしく表情はぼんやりとしていたが、インティリアを見つめる瞳だけは力強く輝きを秘めていた。
エリーネは少し緊張してしまう。
「……ねぇ。エリーネ」
「は、はいっ!」
反射的に返事をしてしまう。
「中心がちょっとゆがんでるよ。結界を張るときに、手がぶれたでしょ?」
「えっ……! うそ」
「嘘なんか言わないよ。ほら」
そういうと、シズネはエリーネにインティリアを手渡す。
エリーネはインティリアを舐めるようにして観察するが、
「えぇ……全然わかんない」
そう答えるエリーネを横目に、シズネは再びソファにごろん、と転がる。
「それがわかんないようじゃ、まだまだだね」
「ううう……」
「あと、あんた。結界張った後、べたべたインティリア触ったでしょ? 内部にほんの少しだけど色が付いてる」
と、言われても、エリーネの目にはインティリアの内部は透明にしか見えない。
エリーネには見えないものがシズネには見えているようだ。
インティリアは完成した時点では無色透明で、そこに何もないと錯覚するほどに透き通っているが、触れたり長期間所有することにより、内部に色が付くこともある。
インティリア内部の『核』が人の喜怒哀楽を察知し、感情に応じた色の波紋を発生させる。
基本的には、良い感情なら明るい色に。悪い感情であれば暗い色が『核』から発せられる。しかし、インティリアはエリーネの母が初めて作り上げてから十年と少し。そこまで強い感情の色を発するインティリアはまだ見たことがない。
今回作り上げたインティリアは自分でも良い出来だと思っていた。しかし、こうしてシズネに指摘されてしまうと、まだまだインティリア職人としては未熟なのだと思い知らされてしまう。
エリーネは口をへの字にして、しゅんと頭を垂れる。
そんな落ち込んだエリーネをシズネはちらり、と見ると頭をぽりぽりと掻いた。
「ん……まぁ、技術は上がってきてるんじゃない? このインティリアだって、商品としたら及第点だよ。私の指摘は重箱の隅を突いているだけだから」
いい加減でだらしない性格のシズネではあるが、姉弟子としてエリーネに対する配慮はある……と思う。
「ええっ! 本当? 私技術上がってる! わぁ、シズネさんってあんまり褒めてくれないから心配してたんだ。良かった!」
エリーネは暗くなりかけていた表情を、明るく輝かせる。胸の前で握りこぶしを作る。
「……あんた。本当に単純だね」
そんなシズネの呆れた声は聞こえていないかのように、エリーネはその場でぴょんぴょんと跳ねる。
シズネはそんなエリーネに小さくため息を吐きながら、もう一度ソファに寝転んだ。
「あっ! シズネさん。そろそろ交易船が入港する頃だよ。早く起きてよ」
エリーネは腰のポーチにインティリアをしまった後、もう一度シズネの肩を揺さぶった。
「んー……」
シズネはもぞもぞと体を動かすが、起きる気配は見受けられない。
「いいよー……今回は行かない」
「え? そうなの? 屋台とか、他にも珍しいものもいっぱいあると思うのに」
「行かないったら、行かないの」
シズネはそう言うと、床にずりおちたブランケットを頭から被ってしまった。
「えぇー……。だったら、『追憶の地』に行ってインティリアの『核』を買ってきてよ。おじさんの依頼で全部使い切っちゃったから」
シズネの肩を揺さぶるが、全く反応がない。
「むー。じゃあ、私一人で行ってくるね。お昼までには帰ってくると思うから。『核』は明日にでも買いに行くよ」
エリーネが膨らんだブランケットを眺めながら、出かけようとすると、
「エリーネぇ」
「ん?」
「コーヒー買ってきてぇ。後、なにか冷たい物……」
そういうと、シズネは力尽きたのか大きないびきをかき始めた。
「ほしかったら自分で買ってきなさい! じゃあ、行ってきます!」
エリーネは大きくため息を吐くと、ドアに手をかけた。
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