第16話 母の後悔

 キャメロンがゆっくりと舞い上がってくる。

 まるで死刑執行人が一歩ずつ処刑台に上って来るかのように。

 キャメロンには絶対にかなわない。

 僕が本能的にそう感じて立ち尽くしていたその時、ノアが僕の肩に手をかけて言った。

 

「そなたは逃げよ。奴の相手はノアがする」

「え……? む、無茶だよ。1人でなんて」


 驚く僕だけど、ノアは覚悟を決めたように落ち着いたたたずまいで言った。

 

「そうであろうな。どうあがいても奴には勝てぬ。だがそれはノアが1人で立ち向かおうと、そなたと2人であろうと同じ事だ。ならば2人で犬死にする意味は無い。そなたは今すぐここから離れよ。時間稼ぎくらいならノアがしよう」

「ど、どうして? 僕だけが逃げたって意味ないよ。君や皆を置いて逃げられない」

「ふぅ。そなたらしいな。だが、ノアは思うのだ。そなたが生きていれば何かが起きるのではないかと、な」


 そう言うとノアはいきなり体を入れ替え、蛇竜槍イルルヤンカシュの切っ先に僕の兵服のえりを引っかけた。


「ノア……何を? 僕、まだ君との約束を果たしてないんだよ?」

「ノアのつまらぬ話をまじめに聞いてくれたのはそなただけだった。あれだけでノアは……少し救われたのだ。しゃくだから礼は言わぬがな」


 そう言うとノアは初めて僕に笑いかけてくれたんだ。

 そしてノアは蛇竜槍イルルヤンカシュを背後へと思い切り投げつけた。

 

「うわっ……」


 僕のえりを引っかけたまま、蛇竜槍イルルヤンカシュは僕をその場から運び去るように飛んだ。

 さっきキャメロンが投げた鉄球によって崩れ去った壁の向こうには天樹の中庭が見える。

 咄嗟とっさに振り返った僕が最後に見たのは、武器を持たずにキャメロンに立ち向かっていくノアの小さな背中だった。


「ノアアアアアアアッ!」


 僕の叫び声がむなしく響き渡る中、蛇竜槍イルルヤンカシュは中庭に出ると吹き抜けの中を一気に加速して、僕を庭園の森の中へと降り落とした。

 

「うわあああああっ!」


 目の前にどんどん森が迫って来る。

 急速に落下して木に激突するかと思われた僕だけど、枝葉の中に飛び込む前にふいに体を誰かに受け止められた。

 その人は僕をしっかりと受け止めると森の中へと降ろしてくれたんだ。

 僕は見覚えのあるその人物の顔を見て思わず目を見開いた。

 

「き、君は確か……」

「あなたは……アルフレッド様ですね?」


 僕を助けてくれたのは、ちょっと前に村の馬屋で堕天使たちに襲われてゲームオーバーになってしまった天使の少女だった。

 彼女は僕に手紙を託し、転移装置のシリアル・キーを残してくれた見習い天使のティナだ。

 ティナは困惑した表情で僕を見つめて言う。


「どうしてこんなところに?」

「あの、僕は……」


 そう言いかけて僕はハッとした。

 ティナの後方にある木陰に、ある人物が横たわっていたんだ。

 その人を見て僕は息を飲んだ。


「イ、イザベラさん……」


 そう。

 そこに横たわっていたのは、キャメロンによって裏天樹から表世界に戻された時に行方不明になってしまった天使長のイザベラさんだった。

 僕の視線に気付いたティナはイザベラさんを守るようにその前に立って言う。


「天使長さまは……キャメロンの情報編集ゲノム・エディットによって自制を失われてしまったのです」

「えっ?」

「どうか……どうか天使長さまをお救い下さい」


 ティナの言葉に僕は困惑してしまう。

 だけどキャメロンの情報編集ゲノム・エディットであればそれが可能であることを知った今なら、それも信じられる。

 

「ティナ……アルフレッド様と話を……させて下さい」


 そこでイザベラさんがかすれた声をそう言ったんだ。

 ティナは慌ててイザベラさんのそばに駆け寄ると、その身を支えて起き上がらせる。

 上半身だけをようやく起こしたイザベラさんは僕を見ると静かに頭を下げた。


「アルフレッド様……ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございませんでした。私の至らなさがすべての元凶です。悔やんでも悔やみきれません」


 そう言う彼女の瞳に深い後悔の色が浮かんでいるのを見て、僕は静かにその場にひざをついて座り、イザベラさんに対して害意がないことを示しながら問いかけた。 


「イザベラさん。聞かせて下さい。あなたは僕を裏天樹に引き込んでまでミランダとの勝負を望んでいた。あれは本心ですか?」


 僕の言葉を聞いた彼女は静かに僕を見つめ、目をらさずに答えた。


「ミランダ様と命を奪い合うような勝負をしてみたかった。それはまぎれもなく私の本心です」

「なぜですか? あなたには天使長という立場がある。それなのにどうして……」


 僕がそうたずねると、イザベラさんは肩を支えてくれるティナに少し申し訳なさそうな視線を送り、それから言った。


「私はこのゲームのシステム中枢ちゅうすうになう大黒柱としての役目を持って生まれてきました。ですから私は純粋なNPCではないのです。部下たちのように戦いの中に自らおもむくことはありません。でもある時、私はそんな部下たちを送り出しながら、彼らに羨望の気持ちを抱いていることを自分で気付いてしまったのです。私もこの翼で大空を自由に飛びながら、この力を存分に振るってみたい。そうした思いを消すことが出来ずにずっと心の中に押さえつけてきました。自分の運命を受け入れながら、心の奥底にくすぶる火を消せずにいたのです」

 

 そうか……そういう闘争心は分かる。

 僕自身にはそういう気持ちはないけれど、すぐ間近でミランダを見続けてきたから。

 彼女も戦いの中でこそ幸せを感じるタイプだから。

 だけどイザベラさんはそこで目を伏せ、沈んだ声でつぶやくように言った。


「ですがそれは私の身勝手な願望です。そのことが今回の出来事を引き起こしてしまい、アルフレッド様や皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまった。私は天使長失格です」

「そ、そんな……天使長さま」

「ティナ。これは間違いなく私の責任なのです」


 気遣きづかうティナにイザベラさんはハッキリとそう告げた。

 自らを律するようにそう言うイザベラさんを見て僕はどうしても分からないことがあった。

 

「どうしてあなたほどの人がキャメロンに不覚を? 彼が……」


 あなたの息子だから。

 そう言いかけて僕は思わず言葉を飲み込み、ティナをチラリと見た。

 誇り高き天使長がまさか魔王との間に子を成していたなんて他の天使が知ったら……。

 そんな僕の懸念を察してイザベラさんはわずかに笑みを浮かべた。


「ここにいるティナはただの部下ではありません。いずれ私の跡目を継ぐ特別な存在。ですからキャメロンが私の息子であることも、その父親が魔王ドレイクであることもすでに私から伝えてあります。ご心配なく」

「そ、そうなんですか?」


 この若い天使の少女がイザベラさんの後継者なのか。

 驚く僕はティナは見た。

 まだあどけなさの残る少女は無念そうに言う。


「天使長さまを守るべく執務室に立てこもっていたミシェル先輩達でしたが、そこにキャメロンが音もなく現れ、天使長さまを連れ去ってしまったようなのです。私がコンティニューで復活した時にはすでに執務室から天使長さまのお姿はありませんでした」


 そしてティナはイザベラさんの姿を探しに出て、この中庭に横たわる彼女を見つけたという。

 そこに僕が飛んできたので敵襲かと思ったのだけど、イザベラさんはすぐに僕だと分かったようで、ティナに僕を助けるよう指示したとのことだった。


「そ、そうだったんですか……」


 驚く僕にイザベラさんは話を続けた。


「キャメロンは……あの子は不憫ふびんな子です。私と魔王ドレイクとの間には種々の事情があり、ここでご説明するのは難しいのですが、キャメロンはそんな境遇で生まれて来てしまい、私はあの子を息子と公言することが出来ませんでした。それどころかあの子を遠ざけてしまった。恨まれて当然です」


 彼女の言葉には取り返しのつかない過去に対する深い後悔の念が感じられる。

 それは僕なんかには想像もつかないような、母親としての自責の念なんだろう。

 イザベラさんは言う。


「あの子に対して後ろめたく思い、贖罪しょくざいの気持ちがあった私は、その恨みを全てこの身で受けるつもりでした。ですが私が思っていたよりもはるかにキャメロンの力は強大で、このようなことになってしまい……」

「それで僕とミランダを?」

「はい。私の闘争心はタガが外れ、暴走を始め、あのようなことに……アルフレッド様。一刻も早くお仲間の皆様を連れてこのゲームから脱出して下さい。キャメロンは私への恨みからこのゲームのシステムを破壊し、企業秘密の情報などを他のゲーム企業に流出させようしているのです。そして……もっと恐れ多いことに」


 そこで言葉を切ると、イザベラさんはわずかに肩を震わせながら続けた。


「キャメロンは人の感情を理解し表現することが可能な精密人工知能として自分自身をこのゲーム以外の場所にクラウド方式で保存しようとしています。そしてやがてゲーム世界を飛び出し、人間社会に進出しようとしているのです」


 僕は突拍子とっぴょうしもないその話に言葉を失った。

 ゲーム世界を飛び出して人間社会に進出?

 NPCにそんな生き方が出来るのか?

 そんなこと僕には想像も出来ない。

 困惑する僕を前にイザベラさんは言った。


「いかに不憫ふびんであろうとそれは親の私の勝手な私情。キャメロンは許されない罪を犯しました。厳正に処分しなくてはなりません。ですが今のあの子を止める手段が我々に無いこともまた事実。このゲームが破壊されるのは時間の問題でしょう。それでもゲストであるあなた方には何の関係もない話ですから、すぐに脱出を」


 イザベラさんは真摯しんしな眼差しを僕に向けてそう言う。

 だけど……。


「脱出したくても今の僕にはそんな力はありません……強くなりすぎたキャメロンから仲間を救い出すことが出来ないんです」


 悔しいけどそれが現実だ。

 ひざの上で拳を握り締める僕を見てイザベラさんはティナに視線を向けた。


「ティナ。アルフレッド様に天樹の衣トゥルルを」

「えっ? しかしあれはまだテスト・サンプルで……」

「他に手はありません。急ぎなさい」

「は、はい。すぐに」

 

 そう言うとティナはイザベラさんをゆっくりと木の幹に寄り掛からせ、僕のアイテム・ストックに、ある防具を渡してくれた。

 

「それを装備してみて下さい」


 そう言うティナに従い、僕はコマンドでそれを装備する。

 天樹の衣トゥルル

 それは衣とはいうものの、丈夫な布地の上の胸や腹、腕や足の部分になめらかな木製の防具をしつらえた軽装のよろいだった。

 

「それは天樹を素材として作り出した特別な防具です。これがあればこの天国の丘ヘヴンズ・ヒルの中を自在に飛ぶことが可能です」

「飛行能力ですか……確かに助かりますけれど、これでキャメロンから皆を救いだせるとは思えません」


 なにしろ今の僕は感情プログラムがキャメロンのマルウェアによって浸食され、感情がたかぶるほどに力が反比例して落ちてしまう状態だ。

 自信なくそう言う僕にティナが説明してくれる。


「飛行能力だけではありません。これは他者のために戦う者に比類なき力を与えてくれるのです。アルフレッド様が誰かのために行動する限り、鉄壁の守備力であなたを守ってくれるはずです」

「誰かのために戦うことで防御力が? それは……感情システムみたいなものですか?」


 そうたずねる僕にイザベラさんは答えてくれる。


「そのもう一歩先をいくシステムです。まだ名前はありませんが……そうですね。きずなシステムとでも呼べるものかもしれません」

きずなシステム……」

 

 その時だった。

 大きな爆発音と共に中庭の地面が大きく揺れたんだ。

 爆風によって木々の枝から葉が舞い落ちる。

 

 な、何だ?

 僕は思わずその場にしゃがみ込み、ティナはイザベラさんを守るようにそのそばに駆け寄った。

 そんな僕らの耳に巨大な獣が放つすさまじい咆哮ほうこうがビリビリと響いた。

 

「オオオオオオオオン!」


 僕は背すじがゾッとするのを感じていた。

 その恐ろしい叫び声を忘れるはずがない。

 舞い落ちる葉がようやく少なくなり、木々の隙間すきまから中庭の様子が見えるようになった。

 そこで僕は自分の目に映ったものに愕然がくぜんとしてしまう。


「ノ、ノア……」


 天樹の外周通路に続く内壁を破って中庭に出てきたその巨大な姿に僕は息を飲む。

 それは灰色の巨大竜と化したノアの姿だった。

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