第9話 袋のネズミ

 急に開かなくなった礼拝堂の扉を壊して破るため、ヴィクトリアが嵐刃戦斧ウルカンを構えたその時。

 締め切られたはずの礼拝堂の中に猛烈な突風が吹き荒れた。

 

「うわっ!」


 それは暴力的なほどの強い風で、僕は思わず頭を下げて目を閉じる。

 閉め切られた建物の中でどこから吹いてくるのか分からない強烈な突風に、僕は床にきっちりと接合されている長椅子いすに必死に捕まった。

 風はまったく吹きやまず、僕はそこから少しも動くことが出来ない。

 僕の後方ではヴィクトリアが片膝をつきながら前傾姿勢で歯を食いしばってる。

 彼女も自分が飛ばされないように耐えるのが精一杯のようだった。


「何なんだ! この風は!」


 ヴィクトリアが苛立いらだたしげに怒声を張り上げたその時、礼拝堂がいきなりガタンと大きく揺れる。

 こ、今度は何だ?

 風のせいで建物が揺れているのか?

 そう思った僕は急に体が沈み込むような奇妙な感じを覚えた。

 そしてその感覚が消えないうちに建物がもう一度ガタンと大きく揺れたんだ。

 その衝撃で僕は舌をわずかに噛んでしまった。


「アイタッ!」


 な、何なんだ?

 じ、地震?

 こんな時に……。


「うわわわっ!」


 そこで慌てて声を上げたのはブレイディだった。

 見ると彼女は僕の1メートル先で必死に頭を下げながら椅子いすにしがみついていたけれど、さっきの揺れで顔が跳ね上がってしまい、荒れ狂う風の圧力をもろに浴びてしまった。

 重心が高くなったために風にあおられてすぐに彼女のカラダはフワッと浮き上がり、あっという間に空中に飛ばされてしまった。


「ブレイディ!」

「ひええっ!」


 ブレイディは悲鳴を上げながら風に巻き上げられていく。

 彼女の白衣のポケットから飛び出した氷漬けのネズミと化したせ悪魔が飛び出し、あっという間に風に運び去られていった。


「ああっ! ミスター・デビルマウスが! 貴重な人質があっ!」


 焦ったブレイディは風に飛ばされながらもせ悪魔に手を伸ばすけれど、そんなことを気にしている場合じゃない!

 僕は思わず上体を起こしてブレイディに手を伸ばすけれど、到底届かないどころか僕自身も強風にあおられて飛ばされそうになる。


「うわっ!」


 足が宙に浮き上がり、僕は成すすべなく風に巻き込まれた。

 たけど僕の体が完全に宙に浮いてしまう前に、ヴィクトリアが僕の足首をつかんでくれたんだ。


「アルフレッド!」


 ヴィクトリアはそのまま力一杯僕を引き寄せてくれて、僕は彼女の足元に倒れ込んだ。

 おかげで僕は間一髪、助かったけれど、ブレイディは完全に風に翻弄ほんろうされて空中をぐるぐると回っている。


「ブレイディを助けなきゃ!」

「分かってるが風がやまなきゃ立ち上がることも出来ねえぞ! この風じゃ羽蛇斧ククルカンのワイヤーでブレイディを捕まえるのも無理だ! くそっ!」


 ヴィクトリアは僕を床に押し付けながら怒声を上げた。

 そして彼女と僕が歯を食いしばって懸命に風圧に耐えているその時、いきなり僕らの頭上でまばゆい光がまたたいた。

 僕らが反射的に目線を上げると、教会の前後の壁面に飾られていた天使と悪魔の絵画が明滅する光を放っていた。

 何だ?

 すると途端に吹き荒れる風が一点に吸引されるような風向きに変わった。

 

 途端に風に巻かれて宙でもがいていたブレイディとネズミのせ悪魔が壁の方へと吸い寄せられていく。

 えっ?

 僕は我が目を疑った。


 礼拝堂の祭壇さいだんの上に置かれていた小物と思しき聖典やロウソクなんかが、風に吸い寄せられて壁にかけられた天使の絵画のほうへ向かう。

 それらは絵画に叩きつけられるかと思ったけれど、絵に触れた途端に消えてしまったんだ。

 まるでその中に吸い込まれてしまったかのように。

 そうした現象は天使の絵のみならず、悪魔の絵の方でも同じように起きていた。

 あ、あの絵は一体……。

 

 だけどそんなことを考えている余裕はなかった。

 ブレイディは天使の絵に、ネズミのせ悪魔は悪魔の絵にそれぞれ引き寄せられていく。

 このままだとブレイディが!

 焦燥に駆られる僕の視線の先で成すすべなくブレイディは天使の絵に、ネズミのせ悪魔は悪魔の絵に吸い込まれて消えてしまったんだ。

 

「ブ……ブレイディ!」


 僕は必死に声を上げたけれど、ブレイディの姿は完全に消えてしまった。

 やがて絵画が発する奇妙な光の明滅が収まると、ようやく強い風も収まっていった。

 後には僕とヴィクトリアだけが残される。


「そんな……」


 僕はゆっくりと立ち上がると、彼女が吸い込まれていった絵を呆然と見上げて立ち尽くした。

 あの絵は一体何なんだ?

 物質を吸い込むなんて……。


「ど、どうしよう。ブレイディが……」


 困惑して隣のヴィクトリアに目をやる僕だけど、彼女は絵画をじっと見つめたまま動かない。

 その目に鋭い光が宿っている。


「ヴィクトリア?」

「人の心配をしている場合じゃないかもしれねえぞ。アルフレッド」


 そう言うとヴィクトリアはいきなり嵐刃戦斧ウルカンを振り上げて礼拝堂を駆け抜け、気合いの声を発しながら教会の入口の扉に向かっておのを振り下ろした。


「うおおおおおっ!」


 轟音とともに扉が粉々になって砕け散る。

 風がやんでいるうちに脱出経路を確保しようとするヴィクトリアの的確な行動だったけれど、彼女は舌打ちをして顔をしかめた。

 それもそのはずで扉の向こう側に広がっていたはずの天界の街並みはなく、壊れた扉のすぐ先には黒い岩壁が行く手を阻んでいるだけだった。


 入口と岩壁の間にはほとんど隙間すきまがない。

 まるで建物の周囲を岩壁で覆われてしまったような状況だ。


「ど、どうなってんの?」


 ワケの分からない状況に困惑して、僕は思わずうめくようにそう声を漏らした。

 ヴィクトリアはおのを肩に担ぐと、しかめっ面で岩壁をゴツンと拳で殴りつけながら言う。


「どうもこうもねえな。袋のネズミさ。アタシらはまんまと閉じ込められたってことだ。さっきの衝撃からすると、この建物そのものが地下にストンと落とし込まれた感じだな」


 彼女の言葉に僕はさっきの衝撃を思い返した。

 確かに僕も急に地面が下がったかのような心地の悪い浮遊感と衝撃を感じた。

 

「あの絵は一体何なんだ?」


 そう言うとヴィクトリアは2本の羽蛇斧ククルカンを天使と悪魔の描かれたそれぞれ2つの絵画に向けて投げつけた。

 先ほどブレイディとせ悪魔を吸い込んだ2枚の絵画の表面に2本の手斧が突き立つ。

 羽蛇斧ククルカンはさっきのブレイディたちのように絵の中に吸い込まれるようなことはなかった。


「ふ、普通の絵に戻ってる……」

「よく分からねえが、何かのスイッチがオフになっちまったんだろ。多分さっきおまえらが見た誘拐ゆうかいされた天使ってのは、この絵の中に吸い込まれちまったんじゃねえのか? 姿が見えないのはそういうことだろ」


 そう言うとヴィクトリアは羽蛇斧ククルカンを手元に呼び戻した。

 その目が油断なく周囲をうかがう。

 彼女は何かを警戒しながら言った。


「絵に吸い込まれたブレイディがどうなったのか分からねえが、人の心配をしている場合じゃなさそうだぞ」

「えっ? それってどういう……」


 僕がそう言いかけたその時だった。

 再び絵画が光る。

 ま、また風か?

 僕とヴィクトリアは反射的に長椅子いすにつかまって姿勢を低くする。


 だけど……さっきのような強烈な風が吹くことはなかった。

 それよりも驚く事態に僕は愕然がくぜんとしてしまった。

 光り輝く絵画の中から次々と人が飛び出してきたんだ。

 その数はおそらく十数名……いや、まだまだ増えるぞ。

 その人たちは教会の天井近くに翼をはためかせながら浮かび、僕らを見下ろしていた。


「何だアイツら?」

「あ、あれは……」


 一見すると天使にも見える彼らだったけれど、普通の天使とは明らかに異なる特徴を持っていた。

 ゆうべ僕の部屋に侵入しようとしていたあの子供と同じで、彼らは白い天使の翼と黒い悪魔の羽を片方ずつ持つ持っている。

 僕は息を飲んだ。


「ま、まさか……堕天使だてんし?」


 堕天使だてんし

 天使として生まれながら悪の道にちた者の名称だとジェネットは言っていた。

 昨夜の一件と異なるのは、その数が数十人に及ぶということと、全員が大人だということだった。


堕天使だてんし? どういう立場の連中なんだ? 敵か味方か? アタシらのオトモダチになってくれそうか?」


 軽口を叩くヴィクトリアだけど、その顔は戦意に満ちていて、敵を前にしてうなり声を漏らすオオカミのようだった。


「ぼ、僕は天使側のゲストだから、堕天使にとっては敵だろうね」

「だろうな。アタシらをボコボコにしたくてたまらない。そんな顔だよ。アイツら」


 僕らを見下ろす堕天使たちの表情には友好のカケラもなく、全員が一様に敵意の込められた視線を僕らに向けていた。

 堕天使の頭の上には天使の頃の名残で輪が浮かんでいるけれど、それは天使のように光り輝いてはいなくて、灰色にくすんでいた。

 そして悪魔的な特徴として頭部には2本の角が生えている。


「とりあえずブレイディやあの絵のことを考えるのは後だ。こいつらを片付けるぞ」


 そう言うとヴィクトリアは嵐刃戦斧ウルカンを構えた。

 せ悪魔の次は堕天使の集団か。

 次から次へと困難が襲いかかって来る。


 やっぱりこのニセモノ世界には何かがあるんだ。

 核心に迫ろうとする者を排除しようとする力が働いている。

 僕はそのことを不気味に感じながら、ヴィクトリアと並び立ち、Eライフルを握り締めた。

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