第8話:君は優しすぎる。だから……


 初めて会ったのは、新学期が始まって一週間経った頃だったね。

 まだ少し肌寒くて、桜が舞っていた頃。

 私が階段でよろけて、開きっぱなしだったカバンの中身を階段の踊り場でぶち撒けた時だった。


 周りにいる人は避けていくばかりで、手伝ってくれる気配もなく、ただ聞こえてくるのは嘲笑と下心の声。


「手伝ってやれば、やらせてくれるんじゃない?」


 そんな風に言われた。

 誰がお前なんかとヤるか。私にだって選ぶ権利はある。

 ギギッと音を鳴らしながら、歯を食いしばり、零れ落ちそうな涙を必死にこらえて、ノートを拾っていた。


 そこに君が現れた。ただ無言で一つ一つ丁寧に拾ってくれる君が。

 中学生から上がって間もない、高校生になったばかりの君はどこか大人びてて、身長も大きく、整った顔をしていた。

 優しさなんて私には必要ない。その行動に無性に苛ついた私は、八つ当たりした事を今は後悔している。


「触らないで! 手伝わなくていい!」


 そう言った。ただ親切に拾ってくれた人に対して。

 でも君は怒った私を気にせず、拾い続けたね。

 手伝ってくれている間も人が行き交い、聞こえてくる声。


「あんなの下心じゃん。相手選んでやってる」


 だけどそれすらもどこ吹く風で。私のせいで冷笑を受けてるのに。

 最後のノートをポンっと渡された。

 そして何も言わずに、階段を上がって行こうとする。


「ありがとう」


 無意識に言葉が出ていた。

 そしたらなんて言ったと思う?


「あんた、生きるのが下手くそだな」


 って言ったんだよ。覚えてるかなぁ。ムカついたなぁ。年下の男の子にばかにされたのは初めてだったよ。

 初対面で何も私のこと知りもしないのに、心を見透かした様にさ。

 でも何も言えなかった。言い返したくても、その言葉が見つからなかった。

 あの時から君は私の事ちゃんと見てたんだなって今になって思う。今も昔も変わらず、あなたは優しすぎる。


****


 それから半年後に君はまた私の目の前に現れた。

 勢いよく開けられた扉の向こう側から。汚いコンクリートに倒れこんで、走ってきたのがわかるくらいに息を切らして。

 会えたのが嬉しくて、無自覚に名前も知らない君に「少年」っと声をかけてしまった。

 気付いてない時の反応が可愛いかった。フェンスに近づいて、耳を済ましたり、「ファイトーだよな?」とか無意識で独り言が出てたり。


 そんな所を見てたら面白くなちゃって、笑いながら君を呼んだ。

 振り返ってこちらを見て、早々に出た言葉が「ビッチ」だったことは今でも許したつもりはない。

 なんとか話したいなと思ってお話ししようと誘った。でも帰るの一点張りで。しつこい女って思われるのは嫌だったからすぐ諦めることにした。


 でも運は私の味方だった。

 先生から追いかけられてたみたいで、見つからない様に慌てて上に来てと手を出し、彼の手を握って力一杯引っ張った。

 覆いかぶさる様に彼は私の上にいて、唇と唇が触れ合うんじゃないかというくらいの距離。心音が聞こえてしまうんじゃないかとドキドキしたのはいい思い出。


 股に膝がぐいぐい当たって、ちょっとなんか変な気分になったりもした。パンツもスカートがはだけちゃって見られたけど、その前にもう見られてたから気にしない。

 その日は沈んだ気分でいたけど彼と話すことで少しだけ気分は変わって、どちらかと言えばいい気分。先生に見つかって怒られたから嫌な気分になったけどね。


****


 次の日、朝から少年を発見。

 声をかけると、昨日とは打って変わってかしこまっていた。

 敬語じゃないとダメなの? と言うと少年は、「いいや」と言いながら、パンツの色を聞いてくるのだ。


 私はこいつなんて奴だと思ったので少しばかりからかうことに。

 履いてるパンツは昨日、少年が黒がいいと言ったのでちゃんと黒を履いてきた。しかもえっちな紐パン。私、何やってるんだろう……。


 スカートを徐々に捲り上げると、少年は焦ったね。自分で聞いてきたのに、いざそうなると恥ずかしがって、顔赤くして。

 顔を近づけるとキスだと思ったのか目を閉じたのも可笑しくて、笑いそうになった。我慢して耳元で黒の紐パンだよって教えると変わった表現をした。


 この人は変わってる。私といることで噂は広がるのに、それすらも気にしてなくて。

 それに私と会うのが3回目ってちゃんと覚えてくれていた。

 屋上だけで会う。そんな関係になれただけでよかったのに、話しかけちゃった私は弱い。弱すぎて彼と別れた後、教室に向かう途中で逃げ出しちゃった。もう噂は広がっていたから。


 屋上について、いつも通り上に登る。

 カバンを枕がわりにして、空を見上げる。

 いつからだろう。空は綺麗なはずなのに、淀んで見えて、灰色に見える様になってしまったのは。


 視界が歪んでいく。水が溜まり、ボロボロと流れていく。

 私は弱い。強がっているだけで、何も変わろうとしない。……違う。変わろうとしても変われないんだ。虚像を作り出しては、逃げて泣いて。頼れなくて。

 気が付けば瞼は閉じていた。


 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。

 起きて横を向くと、彼が隣で気持ち良さそうに寝ていた。

 私の脚にはブレザーがかけられていて、彼の優しさを感じた。

 胸がキューっと締め付けられる。


「なんでそんなに優しくするの? ダメだよ。こんなことしたら……」


 二人の空間で独り言が風に乗って消えていく。

 彼に寄り、ブレザーを間にかけて、スマホを取り出した。

 一枚くらいならいいよね? とボタンを押す。

 カシャ……シャシャシャ! 連写してしまった。まあいっか。と思いながらスマホをしまい、寄り添う様に再び寝た。


「先輩、おはよう」


 目を開けると、至近距離に彼の顔があった。みるみる私の体温は上がっていき、つい顔をそらしてしまう。

 何このシュチェーション。この人あざといよ。

 起こしてくれればいいのにと思った。太陽を見ると真上にある。午前中の授業をサボってしまったようだ。


 噂されちゃうねーと笑いながら言うと、彼の態度は急に変わった。

 すごく真面目な顔で、私に怒ってきた。


「なんで先輩は周りが作り上げた虚像に合わせて自分を偽るんですか? 虚像を実像に変えるんですか? 無理して取り繕う必要ってあるんですか? 苦しいのに……なんで……」


 そう言って、言葉に詰まる。

 そこまで彼は私を見てくれていた。私は言い訳をした。そしたら……


「だってじゃない! 苦しいなら苦しいって言え! 辛いなら辛いって言え! 助けてほしいなら助けてって言え! 一人で抱え込むのはやめろ! そんな生き方正しくない。間違ってる」


 怒ってくれているのに、すごく優しさを感じてしまう。

 その言葉でボロボロと涙がこぼれ落ちて、わんわん泣いてしまった。


 私は嬉しいんだ。嬉しくて泣いている。

 彼はいつも正しい尺度で見てくれていた。時々発する言葉の端々にもそれを感じた。それが嬉しくて。君に会えてよかった。だから私は君に助けてと言うことができたんだ。君がいてくれなかったら私はこの先ずっと変わらないままだった。

 千草、ありがとう。


****


 午後の授業を終えて、携帯を見ると朝原先輩から話があるから外の渡廊下へ来てと呼び出された。

 そこに向かって、朝原先輩見つけ名前を呼ぶ。


 彼の隣には誰かいたみたいで、でも足先しか見えなくて。一年生なのはみれば分かるのだけど、先輩の後輩だと思った。

 でもそれは違った。ある一人の知らない女の子の呼ぶ声で存在に気が付いた。


「千草、お待たせ!」


 なんで? ここに千草がいるの? それにあなたは誰なの? 

 胸が痛くなる。締め付けられる。あなたの目には私はどう映っているのかな? 違う男の人と会ってる私にどう思ったのかな。


 私と目が合うと早く行けと促して、指を上に立てる。

 屋上で、って事ね。わかったよ。ちゃんときてね。


****


 とまあ、気になる事が山ほどあるわけで、今現在、屋上で彼を待っているわけだけど、全然こない。

 何してるのかな、早く会いたいなって思ってしまう。

 待ってる時間が暇すぎて、会ってからを思い出してみたり……。

 まだ話し始めてから二日しか経ってないけど、すごく濃い時間だった。

 灰色だった景色に色を与えてくれた。

 私がこうなってしまったのは千草のせいだよ。

 


 だって千草は土足で私の心に踏み込んでくるよね。

 

 それに惹かれちゃったんだよ。

 



 無遠慮なそんな君に………私は恋をしちゃったみたい。




 ガチャ……キィー。


「遅い」

「話が長引いちゃったんですよ」

 

 さて、尋問といきますかぁー。

 


 



 




 

  

 



 

 

 

 

 

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