#008:変貌で候(あるいは、紅蓮愚連/王下の飢えにはララ)


「……」


 のそり、と。本当にそのような音が立ったのでは思わせるほどに、それはのそりと、その小山の如き大男は、この間に進み入ってきたわけであり。


 髪は短く刈られ、レンズのまんまるき眼鏡を、その三角形の巨顔に嵌め込むようにして掛けているが、吐息か鼻息かでそれは白く曇っており、その奥のまなこの様子を覗くことは出来ない。


 張りつめた丸い巨躯にはシーツかと見まごうばかりの巨大な柿渋色の布が巻き付いている。我がボッネキィ=マの正装と似ていなくもないが、どこか垢抜けない感じだ。どこぞの者であろう。しかしギナオアの言った通り、ひとひとりくらいであれば軽くその背に乗せられそうなほどは頑強そうに見える。


「……」


 しかしてその三角い顔は先ほどから小刻みに震えており、丸太のごたる太き腕、そしてそれに連なるゴンバクワの根に似た、分厚くごつき掌も、せわしなく自分の身体を撫でさすったりと、落ち着きがない。


「この者か」


 流石の姫様も、頼もしき外観と、それに相反するような仕草とを同時に見せられ、どのような態度を取ってよいものか思案なされていそうな声色だ。私も不安になってきた。


「左様。普段は『マルオ』なる名前で通っておりやす。挨拶したらどうでぇ、兄弟」


 ギナオアに爪先で促され、その『マルオ』という、何故かぴたり嵌まって思える名で呼ばれし大男は、相変わらずの体の震えを止められないままに、それでも何とか姫の御前に片膝を突き、頭を垂れる。そして震えの増したその口を開いた。


「ぼ、ぼぼぼぼぼくは、ぼぼぼくの名前は、ま、『マルオ・マメマキ』と、いいいいいいいます」


 身体の割にはやけに高い、繁殖期のピボリ鳥のような声とそのつっかえ方に、周りに控えていた臣下の者たちが遠慮なくけたたましい嗤い声を上げる。


「フハハハハ!! 身体の方はどうか知らぬが、そのようなちんまい肝っ玉で、この王宮より下界へと通ずる鬼の道を抜けることなど、到底もって出来やせぬわっ!!」


「何が『勝算』か、聞いて呆れる、いや、笑いが止まらぬ!!」


 つくづく、ここの小物たちの根拠なき嘲りには虫唾が走る。この気高くも腐りきった王宮を束の間離れること、そして世界を視るということは、今の姫様にとっては本当に必要なことやも知れぬ。


 だが、本当にそれは、物理的に可能なものなのか、いささか私も心配になってきていた。それほどまでにこの大男の震え方は尋常ではないのであって。だが、その脇のギナオアはこれがこの男の常態とばかりに余裕の体で言葉を発するのであった。


「……こいつの事を知らねえたぁ、おたくら野暮イモだね、田舎侍イナザムラーだね。……姫様よぉ、御前にて無礼だが、こいつに覆面マスクを被らせることを許可されたい」


「今更。無礼は今に始まったことではないであろう。構わぬ」


 もっともな姫様の氷の即答に、ギナオアは何が面白いのか、くっくと笑った。そして傍らの大男に、着けていいってよ、と促す。


「ででででは」


 大男は埋まり込んでいた眼鏡を結構な力で抜き外すと、それを懐に丁寧に仕舞い込む。そして再び懐から抜き放たれた巨大な手には、革のような物で出来ていると思われる、白色、黒色、そして橙色が混じり合った不思議な代物が握られているのであった。


「……」


 意外な素早さでその「革」を両手で広げると、そのままおもむろに三角形の頭に被る大男。巨大な顔が、戦闘化粧を施したかのように、色鮮やかに彩られる。次の瞬間、


「……またの名を、『ガンフ=トゥーカン』。我もまた、極東よりこの地に来たりし者なれば、姫様を、無事必ず最速にて日本ジャポネスへと何事もなく送り届けんことを、ここに誓うものであります」


 甲高いのはそのままだったが、淀まずに落ち着いたいい声でそう言い放った。私はその変貌具合に驚愕の余り、表情の抜けた表情……「真顔マ=ッガーオ」とでも称せばよいか、その真顔へと顔面が移行しつつあるのをこれまた止められずにいる。


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