#002:饒舌で候(あるいは、作風の喪失感ハンパないってもぉー)


「あ……ええと、日本ジャポネス、そう、おっしゃられました、で、しょうか」


 言葉が完全につかえてしまったのも無理はないだろう。あまりに予想外のことに、私の出来のよろしくない脳細胞たちがうまくその意を呑み込めないでいるのだ。


「陛下に対し、聞き返すなどとは不敬なる行い。慎めいッ、ジローネット」


 傍らに控えていた大臣殿が猪の如きその巨顔を震わせつつそう叱責されるものの、なぜ? という疑問は私の頭から離れていきそうにない。そんな私に向かって、陛下はさらに言葉を続けられる。


「よい……唐突で、奇妙なる命であること、余も承知しておる。その上でいま一度そなたに頼もう。アロナを、日本ジャポネスへの見聞の旅へと連れていってはもらえぬだろうか」


 はっきり異常なことだ。国王陛下が私のような者にそのような「頼み事」のような体でおっしゃられるなど……途端に場がざわつき始めた。


「陛下ッ!!」


 大臣殿をはじめ、ずらり控えし臣下の者たちにも、動揺が走っているのを肌で感じ取っている。悪い夢であって欲しい、そんな思考に逃げ込みたくなる自分を叱咤し、私は畏まりつつも問いをぶつけてみる覚悟でいる。


 不敬は今に始まったことではない。この一件によって解雇となろうが詮無きことではあるが、ただ私はアロナ=コ様の才能を見出し始めている。間違いなく今が重要なる時期。留学には賛成であるが、なぜその極東の国なのだ……? 妃殿下の祖国であることは重々承知している。だが、このボッネキィ=マが位置するこのアフリカ大陸にも優秀なる学府が多く存在しているではないか。いや、そもそも「見聞の旅」……留学でも無いと、そういうことだろうか。だとしたら、さらに、何故。


「……そなたの逡巡、疑問、分からぬでも無い。であれば腹を割って話すこととする。皆の者。ここより先の事は他言無用である。よいな」


 騒ぎを鎮めんかのように、よく通る低音で陛下はそう言葉を紡いだ。途端に一歩引き畏まる大臣殿たち。やはりこのお方は上に立つべくして立つお方なのだ、と私は場違いな思いに捉われてしまうが。


「実のところ、『見聞』云々も名目上に過ぎん。我が妃、サクラ=コの御母堂が日本ジャポネスにおられる事は知っているだろうか」


 再び、妃殿下の御名前を口に出されたことで、一瞬、陛下の顔が歪んだことを私は目の端で捉えた。臣下の者たちの中には顔を覆ってしまう者もちらほら見て取れる。


 妃殿下が齢四十の若さでお亡くなりになられたのは、今から半年ほど前のこと。「病であった」としか、下々の者には伝えられていないが、何とも、急なことであったと記憶している。

 

 サクラ=コ・カシワバラァ・トエル・ウル・ボッネキィ=マ殿下。


 美しく、聡明な方だったと伺っている。私は直接その御姿を拝見したことは無いが、伝え聞くところによると、エデェオゥマ川に住まう、ネチレルカバのように豊潤な、それは麗しき方だったという。


 今も、国民全体は喪に服した雰囲気のままだ。それほどまでに、我が国にとっては大きな喪失だったと言える。そしてサクラ=コ様の母国が日本ジャポネスであることは私は無論知っていた。その母上が、日本にいらっしゃることも。


「御母堂も忌むべき病を患っており、ここ数日の容態がよろしくないとの報が昨晩、もたらされた」


 陛下の言葉に、全てを把握した。私は姿勢を正す。緋毛氈の上に膝を揃え、両手を突き頭を深く垂れる。


「これは国王としての命では無い。アロナの父親として、そなたに願い申し上げる。身罷る前に、孫娘の顔を一度見せたいという我の願いを叶えてくれはしないだろうか」


 陛下の顔どころか、その足先さえも見ていることなど出来はしなかった。私はさらに額を擦りつけ、自分の内から溢れ出そうになっていた感情の奔流のようなものを何とか自分の内だけに押し留めようと四苦八苦する。


 陛下は私に託そうとしている。本来ならば御自らお出向きになりたいところを。多忙極まる公務に追われる御身を慮り、義を、この私に託そうとされているのだ。


 私ならば身軽であり、異国の言葉も、かの国のそれも、ある程度は出来うる。渡航証明書も保持している。姫様の教師として以外、大した職務も持たない。


 それよりも、何よりも。陛下は私を買ってくれているのだ、この身分不相応な私を。何故かは分からぬが。いや、分からぬわけなどはないか。陛下の慧眼は、家柄やしがらみなどをすべて突き抜けた、物事の本質を射抜いておられるのだ、いつも。


 ゆえに、私が選ばれたのならば。それは「真」であるということなのだ。そして真なるものを、拒む術を私は知らぬ。


日本ジャポネスにも伝わる儒教ジュキョーと呼ばれる古き教えに、かくあります。『義を見てせざるは、勇無きなり』。私はかくの如き若輩なれど、いやしくも王家に仕える者であれば……勇を持って義を為さん、そう常に考えておる次第であります」


 感情の全てを、ままならぬ言葉にて置き換えると、そんな理でくるんだような、温度の無いものになってしまったものの。……奥の奥の熱を押し留めようとするには、それしか方法は無かった。


「……では」


 陛下が玉座からお立ち上がりになられたことを空気の流れで感じた。しかし構わず平伏を続ける。そして、


「ジョシュア・ジローネット。謹んでその『願い』、承りましてございます」


 緋毛氈に頭をこすりつけながら、そう言葉を絞り出す。


 ……私の、人生の歯車が……廻り始めた瞬間であった。


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