絶望の夜~幸福な日々は堕ちていく~羅賀 紅月の追憶

今朝の外は雨。土砂降りのザザ降り。


こんな日は寝覚めが悪い。


このまま雨上がりを迎えることなく夜になるというなら尚のこと、嫌な日だ。


あたし、羅賀 紅月の脳裏に焼き付いて離れない、最悪なトラウマ。


地獄の始まりの夜が否応なしに引き摺り出される。


絶望の始まりは3年前のこと。


父さんの羅賀 斗真と母さんの羅賀 朱里、あたしの3人で暮らしていた。




父さんの父方、お爺ちゃんから受け継いだ一軒家を改装して父さんが脱サラして始めた店。

昼は喫茶店、夜はバー。

母さんはその手伝い。

コーヒーとお茶、パンやケーキの香り。

夜には大人たちの落ち着ける憩いの場。

当時のあたしにはまだ難しい話がよく聞こえてきたりもしたけど。

全部好きだった。


その頃のあたしはまだ中学3年生。

どこの高校を受験するか、ダンスや歌も好きだったから音楽の道なんかも考えていた頃か。


スクールに通っていたから、それなりに歌えたし踊れた。

ライブには父さん母さん二人揃って店を閉めて観にきてくれた。


家に帰る道中では父さんが興奮気味で感想を言ってくれて、母さんは笑いながら相槌うったり突っ込んだり。



いわゆる仲良し家族だった。

ただ、父さんも母さんもあまり昔の話は聞かせてはくれなかった。

特に母さん側の両親、お爺ちゃんお婆ちゃんの話は。

二人の馴れ初めが気になって聞いてみた時もやんわりはぐらかされた。


嫌な思い出でもあるのかな?

母さんの両親に反対されてカケオチしたとか?


いろいろ気になるけど、今の幸せがずっと続いていくなら、それでいいや。


そんな風に『当たり前の日常』を楽しんで生きている

何処にでもいる普通の女子中学生だった。

特別に変わってるところもなく、変(?)なのはせいぜい羅賀 紅月って名前くらい。

なんか字面が暴走族っぽいなって感じてたけど、結構気に入っている。


両親が自分たちでつけた名前で呼んでくれる。

普通の幸せな日々。


あの日まではそれが続くと思い込んでいたんだ。




ある日の朝、しとしとと小雨が降っていた。

雨の日、小さな頃は長靴履いて、傘をさして母さんと幼稚園へ…って時間が好きだった。

大きくなった今は体がダルくなるし、学校までの道のりがしんどくて苦手。

ヘアスタイルもいまいちキマらないし。

そんな中学生のあたしは面倒くさい気持ちを押し殺して、頭をポリポリ掻き、欠伸しながらベッドから起きる。

制服に着替えて、靴下を履いて、ササッと髪をとかして、歯を磨いたら鞄を持って2階の部屋から、1階のリビングへ降りていく。


「おはよう!パン焼けてるよ」

「おはよう…あふ…」


まだ寝惚け眼で欠伸が止まらないあたしはパンと牛乳の並んだテーブルの前に座るといつものバターとジャムをパンに塗って一口パクついた。


少しずつ目が覚めてきて、雨音と窓から見える灰色の景色にいっそう憂鬱になっていた。


口の中の蕩けるバターとジャムの甘さに束の間の癒しを覚えながら、牛乳を流し込む。

「ごちそうさまぁ…」と鬱陶しい気持ちを奮い起たせ、席を立ち、鞄を持って玄関へ。


より強くなってきた雨音にげんなりしつつ、靴を履いて傘を持ってドアを開けた。


見送りに玄関に出てきた母さんが

「はい!忘れ物!」とお弁当を差し出してきた。

「あ、忘れてた!ありがと!じゃ行ってきます!」

「はい、行ってらっしゃい!」


ありきたりで何気ない、いつものやり取りと会話。


軽く手を振る姿と笑顔。


それが『最後の笑顔』になるとは思いもしなかった。


父さんとは…その日の朝は顔を合わすことはなかった。


バーの開店前の準備中の父さんとの「ただいま」「お帰り」がその日最初の会話になると思っていた。


父さんとの『最後の笑顔』は昨日の…きっと何気ない会話の時。

どんな話をしたんだっけ。


思い出せない。




授業中も雨は降り続いていた。

というか更に雨風は激しく、時たまピカッと光り、稲妻が見えた。

そういえば天気予報で雷雨に注意って言ってた。


豪雨、暴風、雷って帰り最悪じゃん。


授業後も憂鬱は続きそうだ。



チャイムが鳴り、授業が終わると「んーーーっ」と伸びをした。

からの「はぁ…」と溜め息。


外は変わらず暴風雨が続いている。

遠退いてはいるが、雷の音も聞こえる。


この悪天候の中、帰路につくと思うと何とも億劫である。


「じゃ、私ら部活あるから!」

と去っていったイツメンは皆部活だ。

演劇部、美術部と室内なので、この悪天候でも支障はない。

あたしも演劇には興味はあるけど半端な気持ちで入部するのも悪いだろうと入らなかった。

ダンス部、軽音楽部があれば帰宅部にはならなかったんだけどな。

ウチは何故か音楽系が合唱部しかないのだ。

イマドキじゃないなぁ、ウチの学校は。


1人帰ろうと傘を広げて雨の中、一歩出たところで少し離れた空がピカッと光り、ドーン!と雷鳴が響いた。

遠退いていた雷が再び近づいたのだ。


「うわ最悪…!」と呟き、収まるまで待っているのもダルかったあたしは雷鳴響く暴風雨の中を傘を閉じて猛ダッシュした。


その時は何故か濡れることを気にするよりも早く帰りたい気持ちが勝っていた。


ブレザーの制服はずぶ濡れ、靴の中は水浸しで気持ち悪い。

鞄もグショグショだけど、まぁしょうがない。

とにかく早く帰りたい一心だった。


家が見えてくると少し走るペースを落とした。


徒歩で20分くらいの道のり、体力に自信はあるが10分くらいの全速力はさすがに疲れた。


「?」


家の前に着いて直ぐに違和感を感じた。

いつもならこの時間は喫茶店の営業中で、母さんが店番に立ち、父さんはバーの開店前の準備中だ。


店の明かりは点いてない。

何かあって店を開けなかったのか。

部屋の明かりは…点いている。

二人とも部屋にいるのだろうか。


いろいろ疑問を抱きながら家のほうのドアを開けようと鍵をさした。

「開いてる?」

鍵はかかっておらず、玄関に入ると何やら不穏な空気を感じた。


恐る恐るリビングを通りすぎ、明かりの点いている部屋へ向かった。


ドアの隙間から明かりがこぼれている。


「父さん、母さん?入るよ?」


ドアを開け、部屋の中を見ると、そこには手足を縛られ、横たわる両親の姿と長い髪を一つに束ねたオールバック、黒いスーツの男、そして縦横とも大きなタンクトップの巨漢がいた。


「っ!誰!?何してるのよ!母さん!父さん!何があったの!?」


あたしは取り乱しながら叫んだ。


「これはこれは。美しいお嬢さんではないですか。お帰りなさい。待っていましたよ。紅月さん」


オールバックの男が細いツリ目でニヤニヤとしながら、あたしに近づいてきた。


後退りしていると父さんが「逃げろ…!紅月!父さんと母さんに構わず!逃げるんだ!」と叫んだ。


母さんは「娘には手を出さないで!娘は関係ない!何も知らないのよ!」と叫んでいた。


関係ない?何も知らない?

何のことを言っているのか、さっぱりわからない。


何か理由があって父さんも母さんも襲われたのか。


あたしはただひたすら困惑して、そこから逃げることも当然助けることも出来ずに立ち尽くしていた。



するとオールバックの男がククッと笑い口を開いた。


「ならば私から教えて差し上げましょう。彼ら、あなたの父上と母上、更にあなたの母方のお爺様、お婆様の犯した大罪について!」

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