第50話 寝物語



 英雄がいざと言う時の一手を打ったのを感づいたのは、フィリアだけだった。

 とはいえ彼女も、後からそうなのかもしれない? と首を傾げた程度なので。

 そうなれば、直接聞くのが二人の仲だ。


「もう寝る前の時間だが、……一ついいか?」


「何? セックスのお誘い? ならスケスケのネグリジェで甘えてくれると超嬉しいんだけど?」


「ばか、ソッチではない」


「残念、そんな雰囲気じゃなさそうだね。真面目な話? お布団に入ったままだけど起きる?」


「寝物語に――っておいっ! 脱がそうとするな!」


「えー、寝物語っていったじゃん。それってピロートークってヤツじゃないの?」


「関心しないな英雄、話題を逸らしてウヤムヤにする心算だな?」


「…………フィリアが僕の事を理解してくれて嬉しい限りだよ」


 英雄は何も言わずに、フィリアの頭の下に右腕を潜らせると、彼女もまた何も言わずに頭の位置を調整して。

 二人は体をお互いに向けて、左手は意味もなく絡めて遊びながら。


「それでだ。放課後の事なのだが。君、桐壷を利用しようとしているだろう」


「疑問系じゃないね、確信?」


「半分ぐらいは、意図が分からないからな」


「まあまあ、思い出してみてよ。僕はこれまでもクラスのみんなで遊ぶ時、他のクラスから援軍を密かに連れてきたり、優勝商品を作ってもらったり。影から色々動いてるじゃない」


「……ふむ、今回もその一貫だと?」


「ああ、そうさ。人生を心からエンジョイするには、その下準備が必要な時もあるってね」


「成程、理屈は通る。だが何故、桐壷をターゲットにしたのだ。彼女なら私を口実にすれば幾らでも舞台に登らせる事が出来るし。そもそも、大きな騒動の時には参戦してくるだろう」


「なるほど、彼女に貸しを作った理由が不自然だと言いたい訳だね? なら答えは簡単さ、事が大事で洒落にならなくなたら見逃して貰おうと思ってね」


 英雄の言葉に、フィリアは隠された何があると感じ取った。

 同時に、この調子では口を割らない事も。

 ならばと、彼女は今の自分に出来る最大の手段を使う。

 ――――彼好みの、同棲開始直後なら気恥ずかしさで選べなかったそれを。


「…………ね、英雄」


「なーあーにー?」


 出される吐息には、甘さと湿り気を混ぜて。

 耳たぶにそっと唇を寄せて。

 熱情で潤んだ瞳を、そっと隠すようにゆっくりと瞼を落とす。


「今の私の気持ち、分かるか? なあ、伝わる、か?」


「おおっ!? 積極的だね! 僕ってばドキドキして来ちゃった!」


 とくんとくんと、心臓の音を伝えるように密着して。

 掛け布団と毛布が擦れる音、寝着と寝着の間で熱気が篭もる。

 絡め動く指は優しく縋るように。


「放課後から、ずっと……嫉妬、しているんだ……。君が、他の女の子を構うから……」


「むむ、それは由々しき事態だね」


「だろう? だから……安心させて欲しい。アレに……、何の意図があったの、か……」


 ふぅと愛情で耳をくすぐり、彼の頬に唇が触れる直前の距離で止める。

 さて、反応は如何に。

 英雄は浮かれつつも、彼女の意図に気付いて。

 こうした行為で聞き出される事に、不思議な満足感と悦びを感じながら口を開いた。


「フィリアも化けたねぇ……一つ聞いていい?」


「なんなりと、悪い旦那様?」


「これ、どこまで本気? 悪いお嫁さん?」


「分かってる癖に、意地悪な男だ。嫉妬したのは本当だ、ただ……聞き方を変えただけだ、私も英雄も、両方が得する方法にな」


「それじゃあ、僕は君の恋人で将来の旦那様として、無条件降伏しないといけないな」


「――ふむ、では話してくれ」


「急に真顔に戻らないでくれない? 僕、もうちょっとアダルティな雰囲気に浸りたいんだけど?」


「ふふっ、君の事は理解してるのだ。これ以上続けると、本気になってしまうからな」


「お互いにね、あ~あ、フィリアの居ない所で交渉すれば良かった。…………ホント、場所と時間を考えれば良かった、残念だ。マジで残念だよ」


「そんなに今のが気に入ったか?」


「正直、――かなりグッと来た。同棲前にこうされてたら、僕は一発で君の愛の奴隷になってた、マジで」


「それは無理というものだな、私を変えたのは英雄。……君の、愛だ」


「おおー、僕は今、猛烈に感動して君をベッドに如何に引きずり込むか考えてしまってるよ」


「もう一緒の布団に寝てるではないか?」


「言葉のアヤだって、分かっててはぐらかしたね? 顔が少しニヤけてるよ」


「私の事を理解してくれて嬉しい。他の者が見たら、いつもと変わらぬ仏頂面と言うだろうからな」


「フィリアは僕を喜ばせる天才だね、――だけど仕方ない、今日は我慢するか。…………明日の朝になったらサービスしてくれる?」


「ばーか、学校に遅刻。いや、無断欠席待った無しではないか」


「これまた男心をくすぐる言葉を……」


「うん? 事実を言ったまでではないか」


「心底、今のフィリアのままで居て欲しいよ。これ以上、男心を知ったら僕はますます太刀打ち出来なくなりそうだ」


「ふむ、それは私の魅力に今もメロメロだと?」


「黙秘権を行使しても?」


「沈黙は肯定だな、では私にメロメロな英雄。先ほどの答えを言って貰おうか」


 英雄はため息を一つ、観念して真面目な顔をした。

 フィリアが英雄に、心の綺麗な部分も汚い部分もみせた様に。

 彼もまた、晒すべき時が来たのだ。


「…………保険、だよ」


「保険?」


「ほら、栄一郎と茉莉センセの事があっただろう? ウチはフリーダムとはいえ、流石に教師と生徒っていうのはスキャンダルさ」


「成程、それで風紀委員会を抱き込もうとしたのか?」


「まあ、本当に万が一の時の保険さ。僕らも先生達に話を通してるとはいえ、変な横槍を入れられたら面倒な事になるかもしれない」


「……最悪の事態に備えたと」


「正確には、最悪の事態に備えた手の一つって感じかな」


「…………英雄、私に外堀を埋めるなと散々言っておきながら」


 可愛らしく口を尖らせるフィリアの頭を撫でて、英雄は苦笑した。


「ごめん、実は僕も君の事を言えなかったんだ。……らしくないって思う?」


「正直に言えば、少し」


「…………昔の、僕が名前の通りヒーローになるんだって調子乗ってた時の話なんだけどさ」


「今は調子乗ってないと?」


「引き際を弁えてるからね、それと僕自身の限界も」


「ふむ、興味深い話になりそうだ」


「フィリアはストーカーしてたから知ってるだろうけどさ、僕ってば一度大怪我してるじゃない?」


「ああ、背中の大きな傷の事だな」


「今は、君の爪痕もある」


「痛かったか?」


「君のは、男ととして充実してる勲章さ。大きな傷跡の方はね、…………今の僕を作った切っ掛け」


「君を変える程の痛みだったと」


「体がって言うより、心がね。……親父とお袋に泣かれちゃって、結局、助けようとした子も僕は助けられなかった。まあ、代わりに親父達大人の力で助かったんだけどさ」


「自分の力不足を感じた?」


「少し違う、僕一人、子供達だけで出来る事の限界を感じたんだ。……それと、大切にしてくれる人達を悲しませちゃいけないって」


 フィリアは腑に落ちた気がした、思えば、英雄が何かをする時は皆を巻き込む事が多かった様に思える。

 騒動は起こしても、軽い校則違反で。

 間違っても冗談で済むような。


「……それならば、教室の窓から逃走したりする事は止めたらどうだ?」


「万が一ってあるからね、一応、落ちても平気なルートを選んで。みんなにも厳守させてるけど」


「ふむ、手緩いな。明日でも私が皆に言い聞かせよう」


「えー、それじゃあいざって時に逃げれないよ」


「万が一が起きたら私が悲しむ……ダメか?」


「それを言われちゃあ、僕は何も言えないよ」


「ふふっ、代わりの安全逃走ルートを皆で検討しよう。だからしょげるな」


「しょげてないよ、あー、これが守る者を得た戦士の気持ちってヤツだね」


 残念そうに、しかして嬉しそうに遠い目をする英雄の姿を見て。

 フィリアはある事に、思い至った。

 もしかして、もしかすれば、あの時の言葉は。


「なあ英雄、家が燃えた時に私に声をかけたのは。もしかして……あの時から君に大事に思われていたのか?」


「正直に言っても?」


「言ってくれ」


「下心は否定しない、同情もあった。けど……大切なクラスメイトを少しでも笑顔にしたかったんだ」


「ふふっ、そうか。あの頃から大切な……、ではもう少し聞かせてくれ。他の者だったらどうしていた?」


「栄一郎やエテ公でも同じ事をしたよ、伊良部達でも同じかな?」


「では愛衣は? クラスの女子だったら?」


「……………………意地悪な事聞くね、正直に言わなきゃダメ?」


「ああ、ダメだ。正直に言ってくれ」


「フィリアだから、この部屋に泊まらせたんだ。あの時、君は色々言って泊まる場所が無いって言ってたけど、仮に宛があっても誘ってた。……他の子だったら、僕が直に連絡取って誰かの家に泊まらせるか、お金渡して駅前のビジネスホテルにでも送っていったよ」


 その言葉に、フィリアは体の芯からくる震えに従い、艶やかな笑みで頬にキスをして。

 しなやかに体を起こし、英雄に馬乗りになる。


「――――ねえ、可愛い彼女のお願いを聞きたくはないか?」


「とても興味深いね、続けて?」


「今夜は、私が君を愛したい気分なんだ。私に愛させてくれないか?」


 すると英雄は、己の唇を指さして笑い。

 カーテンから月明かりが差し込む中、フィリアは静かに体を倒した。


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