第42話 再発



 食堂での夫婦漫才を発端に、親友の妹と親友その二が思わぬ行動に出ていたのは英雄とフィリアが知る筈がない。

 次の日もそのまた次の日も、二人は程良く平和に過ごし。

 今は、夕食後の勉強タイム。

 今日は予習では無く、宿題を二人仲良くちゃぶ台で。


「――痛っ」


「うむ? どうした英雄」


「ちょっとプリントの端で、人差し指切っちゃって」


「どれ見せてみろ。……薄皮が切れた程度か、絆創膏を貼っておくか?」


「いいよ、舐めれば大丈夫」


「成程。――あむ」


「っ!? へっ、何してるのフィリアっ!?」


「ふぁふぇふぇ、ふぃふふぉふぁふぁ?」


「ははっ、くすぐったいから。舐めたまま話さないでよ」


「ああ、すまない。実は一度、やってみたくてな。……嫌、だったか?」


「まさか! 超嬉しいよ! 僕も一度やって欲しかったんだ! …………つかぬ事を聞くけどさ」


「言ってみろ」


「フィリアの唾液がついたこの指、僕も舐めて良い?」


「舐めても良いが、恥ずかしさの余りにこのシャーペンで刺す」


「……舐めて刺されるか、ティッシュで拭くか。それが問題だ」


「安易に名台詞を汚すんじゃない、ハムレットとシェクスピアに謝れ!」


「うーん? それって怪我と汚すをかけてる?」


「駄洒落ではない、本気で言っているが?」


 唾液でテラテラ光る英雄の指を、フィリアはティッシュで丹念に拭き取ってゴミ箱に投げる。


「ゴミ箱にシューッ! 超エキサイティン!」


「何だそれは?」


「え、知らないこのCM? いや、僕もネット動画で見ただけだけどさ。昔の玩具のCMなんだって」


「少し興味深いな、それはさておきだ」


「さておき? ああ、宿題の続きだね」


「否! さっきの事を謝罪して貰おう……」


「さっきの事って……、シェイクスピアの?」


「そうだ、ハムレットの名台詞を汚した事だ」


「うーん、フィリアってば。そんなにハムレット好きだった? 持ってきた荷物の中にそんな本一つも無かったけど」


「おや、そうだったか? 私とした事が、手抜かったな。君にもシェイクスピアの良さを布教しようと思っていたのだが……」


 もっともらしく告げたフィリアの姿に、英雄は違和感を覚えた。

 確かに彼女は、いいとこのお嬢さんだ。

 古典を愛読していて不思議ではない、そういう雰囲気もある。

 だが、何かが変なのだ。


「――――フィリア、何か隠してない?」


「……何の事だ?」


「そう言えばさ、さっきの行動も変だよね?」


「何がだ? いつもの私だっただろう」


「違うね、いつものフィリアなら。ちゃんと立ってゴミ箱に捨てに行くよ」


「私も君の悪影響を受けたのだ。ああ、これが悪い男に影響される女の気分というやつか。中々に悪くない」


「僕が悪い男って言うのは気になるけど、――つまり、立てない理由があるって事だね?」


「ほう……、では聞かせて貰おうか。その理由とやらを」


 ゴゴゴと迫力を出す犬耳フード付きパーカーのフィリアに、立ち上がってゴミ箱を確認。


「うーん、特に変わった様子はないか……」


「だろう? 君の勘違いではないか?」


「と思うじゃん? 実は数日前から心当たりがあるんだよね。――ふぅん? なるほど?」


「おやつボックスを見てどうしたんだ? そちらも変わりないだろう」


「そうだね、僕のポテチもフィリアのポテチも、今日買い足した数のままだね。種類にも変化は無い」


「ふふ、ではやはり気のせいではないか」


「僕の気のせいみたいだね、じゃあさ、お詫びにキスをしても? お姫様」


「よかろう――おいっ!? 何処にしようとしているっ!?」


「え、足だけど?」


「不思議そうな顔をするなっ!? 何処の世界に謝罪のキスを足にしようとする奴が居るっ!?」


「ここに居るじゃん。実は一度、フィリアの綺麗な足も舐めて――ゲフンゲフン、キスしてみようと思ってたんだ」


「下心が見え見えだっ!?」


「まあまあ、そう嫌がらずにさ――そぉいっ!!」


 珍しく怯えてフィリアが足を隠そうとした瞬間、英雄は彼女の足……ではなく、肩を押しころんと転がして。


「あったぁっ!! やっぱり座布団の下だった! ほら! これが動かぬ証拠さ!」


「チィっ! 最初からこれが目的か! 足へのキスはフェイクだったのか!」


「いや、割と本心だよ? 君ってば本当に綺麗な足してるんだもの。というかそのまま叫ばないで、体起こしてどうぞ?」


「…………そ、そうか。だがまだ私には少しハードルが高い、段階を踏んでくれ」


「残念だけど仕方ない。――で、このポテチの空袋だけど」


「ふむ、残念だが知らないな。大方、君がゴミ箱に捨て忘れた上に、気にせず座布団を置いてしまったのだろう」


「それも残念だけど違うね、その座布団は宿題始める前にフィリアが自分で置いたじゃないか」


「証拠はあるのか?」


「むむ、まだシラを切るの? じゃあコレを見てよ」


「その空袋に何かあるとでも?」


「あるんだなこれが……、ほら、この端っこ。ペンで小さく数字が書いてるじゃない」


「っ!? ど、どう言う事だっ!!」


「……はぁ、残念だよフィリア。僕はね、最近ポテチの減りが早い事を危惧してたんだ」


「罠をかけたのかっ!!」


「罠じゃなくてさ、僕はポテチを買った順に食べるから。分かるように日付書いてるんだ、今までも全部そうだし、実は君の分も書いてるんだ」


「何がそこまでさせるのだ……?」


「え、だって賞味期限内だって言っても袋の中で劣化するじゃん。なら古いのから食べるのがポテチへの礼儀ってもんでしょ」


「君のポテチへの愛は何なんだっ!?」


「またポテチ中毒になってるフィリアが言う?」


 英雄の指摘に、今度はフィリア自身の意志でコテンと横たわり。

 彼に向けてお腹を見せる。


「降参だわん!」


「その格好で威張らないでくれる? あとスカートめくれてる」


「み、見せているんだわん! …………スカート直す時間をくれ」


「はいはい、可愛いわんちゃん」


「――よし、さあお腹を触って可愛がれ!」


「お腹だけじゃなくなるけど良いの?」


「~~~~~~っ、お、乙女の勇気を無駄にするつもりかっ!」


「勇気以前に、色仕掛けで誤魔化そうとしてるでしょフィリア」


「………………そんな事は無いぞ?」


「僕の目を見て言って」


「犬はじっと見つめられるのが苦手だわん!」


「君が犬なら、飼い主は僕だね」


「一生可愛がって欲しいわん!」


「じゃあ、ちゃんと管理もしないとね。先ずはポテチの制限から始めようか」


「うむ、私は人間だからポテチの管理は要らないな」


 途端、正座に戻った彼女を英雄は呆れた顔で見下ろして。


「人間のフィリア、正直に答えて欲しいんだけど。……これ、何袋目?」


「……………………ちょっとだけ」


「へぇ? 君のちょっとって五袋なんだ? 本当にそれだけ?」


「…………実は」


「ふうん? 綺麗な手がもう一つ増えたね? 聡明なフィリアなら、両手の指の数ぐらい言えるよね?」


「ぐっ、――十! 今日だけで十袋は食べてしまったんだ! 助けてくれ英雄! ポテチを食べる手が止まらないんだ!」


「そうだろうと思ったよ……、それで、再発した理由は?」


「その……、実はだな、先日の記念日。君の作ったポテチがとても美味しくて。その味を求めて食べても、やはり君のじゃないと満たされなくてな」


「それで食べ過ぎて再発しちゃったと」


 英雄は思案した。

 狭い部屋だ、仮に隠してもすぐに見つけてしまうだろう。

 彼女の意志で止められるなら、再発していないし。

 ならば。


「じゃあこうしよう。――フィリアがポテチを食べたくなったら僕に言って、一緒に食べるから」


「成程、側で制御してくれるのだな!」


「いや、違うよ? まず僕が食べて、君に口移しで食べさせてあげる」


「………………。す、すまない。鼻血が」


「はいティッシュ、それで続きがあるんだけどさ、一週間我慢出来たら、またあのポテチを作ってあげる。どう? 良い案じゃない?」


「口移しか、それを我慢したら手作りポテチ! なんて最高な案なんだ! 君は神か英雄! よし! 女は度胸! 口移しで食べさせてくれ!」


 首筋まで真っ赤にして、鼻にティッシュを詰めたまま胸を張る美少女に。

 英雄は苦笑しながら、新しくポテチの袋を開けて。


「じゃあ行くよ、――あむあむ」


「では行くぞ、――――…………ううっ、やっぱりダメだ! こ、こんな破廉恥な事! 出来るはずがない!」


「むぅ……――」「ふわぁっ!? 何をっ! むーー!? むむっ!? むーーーーーーーーっ!? ……ごくん。あわわ、あわわわわっ、わ、わたっ、わたしいまっ!? あわわわわわっ!」


「ちょっとは耐性付いたみたいだね。一歩前進、御馳走様でしたって事で」


 バカップル最大の行為とも言える事を実行し、奇跡的に気絶せずあわあわと羞恥に髪を振り乱すフィリアを前に。

 英雄は舌なめずりを一つ、彼にしては色気のある笑みを浮かべた。

 なおその後、彼女は就寝時刻までトリップして戻ってこず、パジャマを英雄に着替えさせられて、英雄と仲良く健全に寝た。


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