第九章   蒼き時の彼方に   二

 いよいよ、残すところあと二戦。憧れの巨大な東京ドームの姿が、朧げながら見えてきた。

 白いドームのど真ん中に立つ日を信じ、ひたすら野球に没頭した少年時代。

 掴みかけた夢はだいぶ回り道しながらも、ずっと俺を待っていてくれた。

 富士重の先行でスタートを切った試合。上位打線が立て続けに二本のヒットを放ち、大いに観客席を盛り上げた。

 だが、全く隙のない好守備に阻まれて得点には繋がらず。客席からの大きなため息に見送られながら、初回を終えた。

 登板に向け、黙々と慎重にコンディションを整えていた万場だったが、ここ最近になってから肩の痛みに悩まされていた。

 痛み止めを服用しながら試合に挑むことも多くなった。三十五歳という年齢的な面も考慮し、今季限りでの引退も視野に入れていると聞いていた。

 騙し騙し続けてきた投球も限界の域に達し、安定したコントロールや球威にも翳りが見え始めていた。

 大きく逸れないまでも、納得のいかない投球を続ける辛さは、いかようなものか。

 物静かで穏やかな人柄の万場は、めったに感情を露わにしないし、苦しい胸の内を語ることもない。

 しかし今日に限っては、時折ふと見せる寂しそうな表情が気にかかった。

「万場さんの背中。なんだか小さく見える……」

 独り言のような磯部の呟きに、胸が疼いた。

 誰にもいつかは訪れる、終わりの時。引き際の美学もまた、人それぞれ。

 完全に燃え尽きて灰になるか。花のあるうちに潔く散りゆくのか。

 きっとチームメイトたちも、薄々は感じ取っていたに違いない。

「水上、それから孝一。準備しておくように」

 前日のミーティングで沼田が放った一言が、全てを物語っていた。

 昨年に引退したエース・ピッチャーの草津と共に、富士重の二枚看板として、常に第一線で投げ抜いてきた万場だった。

 調子が良い時は完投する試合も多かったが、今シーズンに至っては、せいぜい五回まで投げるのが限度のようだった。

 試合前のロッカールーム。ベンチに向かおうとする俺は、すれ違いざまに引き止められた。

「理想とする万場弘樹の投球ができなくなった。その時は孝一、宜しく頼む」

 落ち着いた静かな声で、淡々と語る言葉が切なく胸に響いた。

「はい……」とだけ返事をするのが精一杯だった。

 

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