第五章   風立ちぬ   三

 五月に入りゴールデンウィーク明けには、都市対抗野球の一次予選が始まった。

 茨城県の日立製作所、住友金属鹿島に肩を並べ、北関東三強の一つである富士重。

 群馬代表の座をかけた一次予選では、既にシード権を獲得しており、トーナメント形式で県内八チームから勝ち上がってきたチームと最終決戦となる。

 一次予選の会場は、富士重の練習グラウンドである太田市運動公園野球場で行われていた。

 応援席は古さが目立つ箇所もあったが、最近になってグラウンドには人工芝が敷かれ、電光掲示板も設置された本格的な球場となった。

 五月晴れの澄み切った青空の下、スタジアム内に木製バットの快音が響き渡る。

 地響きのような観客のどよめきたつ声を背に受けながら、孝一は球場の隣に併設されている陸上競技場で黙々と走り込みを続けていた。

 下半身強化トレーニングを始めて二カ月。ふくらはぎや太ももの筋肉も次第に鍛えられ、股関節や膝関節を柔らかくするストレッチで下肢もしなやかに柔らかくなってきた。

 投球フォームも次第にコツを掴みつつあった。

 体幹を上手く使いながら、セットポジションから急激に重心を下降させる。投球腕を水平を下回る角度にまで下げたあと、腕をムチのようにしならせて投げる。

 当初はフォームが安定せず、手をマウンドに擦って怪我をしたり、投球があらぬ方向に飛んでいったりと手こずった。

 また、体を極力低く沈ませて投げるため、右足が地面に擦れて出血もした。

 しかし下半身が鍛えられてくると徐々にフォームも安定して、球にも勢いがついてきた。

「孝一は呑み込みが早いから教えるのが楽しい。まだまだ完成したとは言えんが、ぜひ実戦で勝負させてみたい」と、沼田からお墨付きを貰った。

 確氷からも「二次予選での登板もあり得るから、心しておくように」と、言葉を掛けられた。

 逸る心を宥めつつ、ひたすら投げ込みを続ける。

 肩も肘も調子が良く、コントロールもまずまずといった具合で、平均球速も120キロを軽く超えるようになった。

 公式戦のマウンドに立つのは八年振りになる。

 スタンドを埋め尽くす大観衆の歓声と熱気。迎え撃つ打者、キャッチャーのサインに息を整え、モーションを構えるときの張り詰めた緊張感。踏み固められた土にスパイクが喰い込む感触、舞い上がる土煙。

 魂を込めた一球が放られた瞬間の手応え。

 忘れるものか。時を経た今でも鮮やかに蘇る記憶の断片に、鳥肌が立った。

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